魔法学院、と言うからもっと大勢の子供がいるのだとばかり思っていた。だがカレンの部屋の周囲は静かなもの。 「ここは研究棟だからな」 不思議そうなダモンにカレンは肩をすくめる。子供たちが学んでいる棟は別にあるのだと彼女は言った。こちらの棟は高位魔術師の研究に供されているもので、カレンも自宅ではできない研究をこちらでしている、と言う。正確には学院ではなく、大陸魔導師会本部だ、とも教えてくれた。 「すごいな……」 思わず、といった調子のティアンの声。それをニトロが満足そうに眺めているのがダモンにはおかしくてならない。師を尊敬されるのは嬉しいものなのだ、と知る。まだまだ学ぶことはいくらでもある、そんなことを思う。 カレンの部屋はおそらくは整理整頓されている。だがあまりにも本が多かった。見わたす限り本また本。その間によくわからない器具。それがカレンの部屋だ。甚だしくは剣やら弓矢やらが氷の中に固められ、その上に本が乗せられていたりもする。 「ちょっと散らかってて悪いな。忙しくってよ」 ばつが悪そうなカレンにニトロが忍び笑い。それを師が悪戯に睨んだ。気づいた様子も見せず、ニトロは給仕に。客人に茶菓の用意をするニトロ、などという珍しいものを二人は見た。 「色々決着がついてな。二人には話しとかなきゃならないだろう?」 ぱちり、カレンが片目をつぶる。はっとしたダモンだった。ようやく。あるいは、早々と。早いのか遅いのかすら、わからない。混乱するダモンの隣、じっと座ったティアンは黙ってその手を取っていた。それに励まされるダモンをカレンは意外と優しい目で見やる。 「まず、トゥットだったか。あいつらの行方も知りたいよな?」 「それは……。お尋ねしてよければ」 「これはこっちが悪い。別に隠してたわけじゃないんだ。言い忘れててな。お前らも遠慮しないで聞いてくれてよかったんだ」 「師匠ー。ダモンにそれは無理だと思いますぜ?」 「だったらお前が私に進言するべきだろうが」 「いや、俺も忙しかったし!」 「ならごちゃごちゃ言うんじゃねぇよ」 無頼にもほどがある。ティアンは呆れてしまう。いまは猫と共にあるティアンだ、傭兵隊流の荒っぽいやり取りにすでに慣れた。が、カレンとニトロの師弟のそれは傭兵隊を上回る。カレンがわざとらしい咳払いをした。 「で、トゥットだがな。あいつらはお前らが戻ってくるより先にアリルカに送ってたんだ」 「そう、なんですか?」 「おうよ。どうせそっちの本拠地でも捕虜っつーか、捕縛する人間は嫌ってほど出るのがわかってたし」 「学院で引き受けるのはまずいしな」 「それは……エリナード師が仰っていたな」 「ん? 師匠が?」 カレンの目が輝く。ダモンはそれを驚きとともに見ていた。カレンほどの魔術師であっても、その師には憧れを見せるのかと。立派な――人格的には首をかしげるところではあるが――このイーサウの重鎮の一人であるカレン。その彼女ですら。 「なんか驚いてるみたいだがな。私にとっちゃ師匠はいまでも到達すべき目標で、乗り越えるべき通過点。端的に言えば憧れだよ」 ニトロは茶化さなかった。カレンの言葉こそ、いつものニトロならば何かしらを言ってからかうもの。けれどいまは。じっと笑みを含んだままその師の言葉に耳を傾けていた。だからたぶん、彼も同じなのだろう。カレンを目指し、その先へ。 「で、師匠がなんだって?」 「あ……。その、暗殺者を大量に抱えるには、外交的な問題がある、と」 「はっきり言う男だな、まったく。まぁ、でもそのとおりだ。さすがに二王国に対して外聞が悪すぎるからな。私が直接ダモンの後見をしないのも、それが理由だ」 こうして表立って支援しているのだからあまり意味はないが、形式というものが大事でもある。それをティアンはなんとなく飲み込む。首をひねるダモンには後で話してやればいい。それに気づいたのだろうカレンが目でうなずいては微笑む。 「とりあえず、闇の手の生き残りは全員アリルカにいる。――と言っても、アリルカ国内にはいないがな」 アリルカには結界が張ってあるのだ、とカレンは言った。常人たちには理解ができない。ただ害意のあるものがそもそも侵入できないというのは便利だと思う。そして危険な可能性が高い闇の手は、その結界に触れる場所までも連れて行くことはできないと。 「アリルカが危険なだけじゃない、あいつらにも危険なんだ。結界に触れて、それが反応しちまったらな。ほんと死ぬような目に合うからよ」 「師匠、見たことあります?」 「あるよ。けっこうな大惨事だ。頭が割れそうな頭痛? 全身を茨でかきむしられて熱い酒でもかけられているような? そんで塩漬け? そういうもんらしいぞ」 「……リオン師の神経を疑いますね、それ」 「入ってくる方が悪い。見せしめの面もあるんだよ」 カレンは苦笑して弟子をたしなめる。常人二人は顔色を悪くしていた。魔法は恐ろしい、久しぶりにそう思う。便利ではあるのかもしれない。けれどやはり怖いものでもある。使い手次第なのだとティアンはしみじみ思う。 「まぁ、そんなところにな、闇の手の連中を連れて行くと……」 「死にますね」 「とは限らないけど、危険を冒す必要はない。アリルカに害意があるかどうかだけが結界の反応条件だからな」 わざわざ痛い目を見せることもない、とカレンは断言をした。彼らは、どうなのだろう。この思いに感謝できるのだろうか。以前の自分ならば、とダモンは思う。感謝はおろか、心遣いなどというものそのものが理解できなかっただろう。 「彼らは……変われるでしょうか……」 「たぶんな。大半は」 「断言しますね、師匠」 「そりゃするさ。考えてもみな、ニトロ。結界の外って言ってもな、森ん中に百人から生活させるためにアリルカの連中が働いてくれたんだぞ? 闇の手のやつらはお前の眠りの魔法から覚めた瞬間、何を見る?」 「あ――」 「そうだ。そこら中にいる半エルフだの闇エルフだの魔術師だの。異種族勢揃いで魔法がしがし使って仕事してんだぞ」 ダモンは想像する。あり得ない光景を彼らは見たことだろう。自らの常識のうちに、その世界に決してなかったものを彼らは見た。 「そういうことだ。精神的な衝撃の強さは計り知れねぇな。言葉は悪いが、その隙をついて頭の中身をひっくり返す」 苦いカレンの口調。そうとしかできなかったのだとカレンは語る。それだけ彼らは闇の手の教えに染まっていたと。 「それでもな、無理そうなやつらはもう何人か出てるらしい」 「――殺すんですか?」 淡々としたティアンの声。ダモンが聞きたくても聞けないことを彼は聞く。殺されて当然だ、そう答えられるものと理解していても、ダモンはためらうから。 「まさか。死なないように全力でなんとかしてくれてるみたいなんだがな……。どうにも、だめなのが数人いるらしい」 驚くカレンの丸い目。そんなことは考えていなかったと全身で語る。アリルカもまた、そうしてくれているのだと。ダモンは言葉もなくうつむいた。感謝だとか礼意だとか、とても言葉が足らない。表す術がない。 「死なせた方が楽なのかもしれないぜ。でもな、半エルフや闇エルフ、神人の子らって私らは呼んでるけどな。彼らは死なない。だからこそ、死ぬ定めにある人間を死なせるのが嫌いなんだよ。できれば生きてほしい、そうやって努力してくれてる。それでも、選択するのは本人だ。――そのときには、諦めてくれ」 声もなくダモンはうなずく。カレンの言葉も理解ができた。闇の手の者の心も理解ができた。まったく違う世界を突然に見せられて、違う生き方を強いられて。自分にはティアンがいた。彼らにそれはない。 「あのままのほうが、彼らは幸せだったかもしれない。――それでも、狂った教えの犠牲にされる誰かが出るのはもう、嫌だった……」 「生きるのは争いだって考え方もある。生きている限りあらゆることに闘争はつきもの。だからこそ、よりよく戦え、生き抜けってな」 青春を司るエイシャ女神の教えだ、とカレンは言った。いずれその教義を聞いてみるのもいいかもしれない。うなずくダモンに不安そうなのはティアン。闇の手を脱して別の教えに染まっては意味がない、そう思うのだろう。 「あんたがいるだろ?」 にやりとしたニトロ。突然の言葉にダモンが顔を上げてはティアンを見つめる。彼は言葉の意味がわかったのだろう。顔を赤くしてはそっぽを向いていた。 「たかが生きるってことでもな、誰かが我を通せば誰かが引っ込めざるを得ないもんだ。だからこそお前はな、自分の道を後悔するなよ。それをしちまったら引いた人間が立ち行かねぇ」 「――はい」 「そいつらのために生きろってんじゃない。誰かにでもない。自分自身に胸張って生きてるって言えるようになってくれよ」 はい、と再びダモンはうなずく。声は掠れ、かすかに震えた。魔術師たちは見てみぬふり。見守られている。何度そう思うのだろう。 「ちなみにおんなじ闇の手でもな、ガキどもはなんとかなりそうだ。さすがに混乱は大きかったみたいだけどよ、子供は柔軟だな。――それでも教えに従うことに慣れ過ぎててな。自分で何かを決めるってことが難しいみたいだ」 「よく、わかります」 「お前は上手にやってるさ。――子供らは、だいたいのことを教え込んだらハイドリンの神殿に分散して預ける予定みたいだ」 「間違った教えだったんだから真の信仰で救う? ちょっとなぁ……」 「つってもな、馬鹿弟子よ。物心ついたときからそればっかり教え込まれてるんだぞ。すぐに一般社会に適応させるのは無茶だぜ。神殿を緩衝に置かないとまず無理だ。大人とおんなじ道たどるぞ」 顔を顰めたカレンは実際の様子を見てきていたらしい。その彼女の言葉だ、真がある。ダモンとしても納得のいく言葉だった。 「これが、アリルカの考え方なんだがな。お前は賢者だったか。あいつらの頭を名乗ったんだろ? 棟梁さんとしてはあいつらをどうするのがいいか、案があったら言ってくれてかまわんぜ。むしろ聞きたいくらいだ」 「……無責任なようですが、お任せします」 「あいよ、任せな。まぁ、なんかあったらいつでも言いなってだけだ」 大勢の人間の命を預けてしまった。その責任を負うべきなのは、彼らをそうした自分。それでも支えると言ってくれている人がいる。 「僕は――幸運だ」 それがわかっていれば大丈夫。師弟が異口同音に言い、顔を見合わせては肩をすくめあう。それをティアンと二人、笑いあった。 |