夢のあとさき

 時は盛夏。二人は魔法学院に呼び出されていた。狼の巣から、イーサ本市街を通ってはその北のタウザント街まで。かなりの距離だが、散歩の気分にはちょうどいい。ミルテシアの南部で生まれたティアンにはイーサウの夏は盛りといえども爽やかなほど。
 あれから動きはなかった。否、知らされていないだけなのだとダモンは思う。イーサウに潜入していたトゥットはじめとする闇の手の者がどうなったのかも聞かされていない。おそらくはアリルカに送られているのだろうが。
 動きはなくとも、変化はあった。どこからともなく、ダモンの素性が漏れてしまった。人の口に戸は立てられない、ということなのだろう。正にエリナードが言った通りのことが実際に起きた。
「それでも、不思議だと思う」
「うん?」
 本市街の中は狼の巣より賑やかだった。こうして見れば巣は確かに軍事基地なのだとわかる。薄物を着た若い女の華やかな笑い声。それを口説く若者。苦々しい声の老人が彼らに怒鳴る。
「――あまり、酷いことを言われていないだろう、僕は?」
 暗殺者は出て行け、そんな風に言われるのかもしれない。ダモンは想像していた。実感はなかった。あるはずはない。ダモンは闇の手という狭い世界で生きていた。けれどあるかもしれない、とは思っていた。
「ちょっと客も増えたよな」
 物見高い人々が再開したダモンの香油の店に足を運ぶようになったのが意外だった。暗殺者とはどんな男なのかを見に来たらしい。そして拍子抜けして帰っていく。意外と言うならばそこから常客になった人間がいることだった。
「売り上げが増えたよ」
 ダモンはそっと笑う。ティアンはその笑みを受け止める。二人はカレンの家を出て、新しく小さな家を借りた。ティアンに定収入ができたのが大きい。彼の襟には黒猫の徽章。ティアンはアイラの世話になることになった。
「ありがたいことだな」
 笑いつつ、ティアンはアイラこそ、ありがたいと思っている。彼女には恩がある。多大な、返し切れないほどの恩が。だから黒猫に加わったのではない。恩人の下で力を尽くす、それが魅力的だった。
 ダモンの素性は、トゥット潜入からほどなくしてイーサウ議会に報告された。すぐさま魔術師たちの尽力で闇の手の介入を退ける決着になったがさすがに素性が素性だ。議会は紛糾したらしい。ティアンは聞いている。
「暗殺を生業とした? 殺人の常習者、ということではないですか!?」
 議員の一人は嫌悪もあらわに叫んだ、と言う。後で聞いたティアンも否定がしにくい、とは思う。もしもそれがダモンでなかったのならば、この自分も同じような反応をしたことだろうと思う。ダモンを愛しく思うから、ではなく、たぶんそれは彼という人間を知っているから、なのだとティアンは思う。
「あたしとダモンは一緒よ」
 軍事の顧問として議会に参列していたアイラだった。普段ならば発言を控える彼女だったが、今は違う。抜身の剣のよう立ちあがり、議員すべてをぐるりと見回す。
「物心ついたときから戦闘法を叩きこまれた。あたしがよくてダモンがだめな理由は?」
「あなたは戦うだけではない。人殺しをするだけの人間と同列に語るなど自らを貶めることはない」
「貶めてなんかいないわ。あたしのいまは父さんたち、兄さんたちが作ってくれた。母さんに姉さんもね。黒猫のみんなが『他の生き方』もできるよう選ばせてくれた。ダモンは?」
 選択の余地などなかったダモン。それこそが正しいと歪んだ思想を植え付けられたダモン。アイラは思う。偶然だと。自分がダモンになっていたかもしれない。戦火に枯れ果てた戦場のど真ん中。泣くことも忘れて座り込んだ幼い子供を拾ってくれたのは黒猫だった。もしもあれが闇の手だったならば。自分はダモンだった。
「生まれてこのかた人を殺すことしか教えられてこなかった子供本人を責めてどうするの? ――だからダモンはあたしが承ける。いいわね?」
 議会に有無を言わせずアイラはダモンの後見人となった。ティアンにだけ、その過程を話してくれた。
「いまのダモンにはまだ刺激が強すぎると思うから。いずれ頃合見計らって話してあげて」
 年下のくせに姉さんぶってごめん、くすくす笑いながらアイラは言った。ティアンは無言で頭を下げるだけ。ありがたくて、その心映えの鮮やかさに言葉もない。
「アイラ隊長はどうしてる?」
 ティアンはアイラが後見となってくれた、とだけダモンに伝えた。魔術師が表立つわけにはいかない、と事前にカレンに伝えられていたせいもあるのだろう、ダモンはそれに驚きはしたもののありがたいと礼を呟く。ティアンが黒猫の徽章を身に帯びたこともあるのだろう、ダモンはアイラを慕っている。
「元気に若いのしごいてるぜ」
「って言っても隊長自身、まだまだ若い娘さんだろうに」
「そこはそれ、あれでも熟練の隊長だしな?」
 隊長としての経歴は長くはない。が、アイラには先代黒猫の歴史がある。どれほど皆に愛されて育ったのか、ティアンは少し窺えるようになった。ダモンも、ティアンの考えを聞き、感じ、吸収している。
「僕はまるで生まれ直しているみたいだ、と思うことがある」
「ニトロがそんなこと言ってなかったか?」
「言っていたよ。実感がなかった、あのときは」
 今はある、とダモンは笑う。笑い声に触発されたのか周囲の人たちの視線がダモンに集まる。中にはあれが暗殺者、とひそひそ囁く声もある。けれど大半はただ笑い声に反応しただけ。調子のいい若い男がダモンに向かって大きく手を振った。
「ティアン」
「うん?」
「君は意外と焼きもち妬きか?」
 まるでニトロのような意地の悪い声。ダモンのそれはけれどティアンには甘く響く。その事実に身悶えするティアンをダモンはまた笑った。
 本市街を抜けると驚くほど木が多い。門の外は森、と言っても過言ではないほどだ。が、これでもずいぶんと伐採したのだと言う。
「ここの木を切り倒して学院を作った、というようなことをニトロが言っていたな」
「魔術師、おかしいだろ」
「ん、なにがだ?」
「切り倒してってあっさりなぁ……。そんな簡単な仕事じゃないだろうが」
 見回せば両手で抱えても手が届かないだろう大木ばかり。建材に、と言ってなるものなのかどうかティアンにはよくわからない。とんでもない労力だ、とは見当がつくが。
「そこが魔術師の魔術師たる所以、なんだろうな。――僕ら常人には難しいことを彼らならば簡単にできる。それをイーサウの人たちはあてにしているみたいだ。怖いとは思わない、みたい」
 ミルテシアで、あるいは闇の手で。魔法とは忌むべき恐ろしい力、魔術師とは悪の手先、そんな風にも教えられ、事実など知る由もなく考えることもなくそう思ってきた。だがこのイーサウではそれこそ「生まれたときから側にある便利な力、人たち」が魔法であり魔術師なのだろう。
「ニトロやカレン師が言ってたことが身に染みるようになった」
「教育は怖いって?」
「そんなこと、考えたことがなかったから」
「普通は考えないだろ? たぶん――そういう立場なんだ」
 ニトロは自分たちと容姿が変わらない。それでもずいぶんと年上だ。あの日、ニトロを待つ間にエリナードが話してくれた。
「俺にはカレンっていう娘がいて、ニトロって孫までいやがる。でもな、俺はせいぜい二十代半ばにしか見えないだろう?」
 それがどうと言うのではない、事実としてそうだろうとエリナードは微笑む。二人は改めて魔術師を見やる。確かにそうだった。屈託のない、美貌の若者。エリナードはそうとしか見えない。
「俺はそこで成長が止まった。ニトロも、だな。あれは現代の魔術師としては相当に強い魔力がある。魔力が高いと成長は止まりがちでな。――あいつは、今日も百年後も、同じ面してるさ」
「それは……つらい。ような気がする」
「ティアン?」
「ニトロにも、魔力のないダチや知り合いがいるだろ。――そいつらをやつは置き去りにすることになる」
「考え方、見る方向の差だな。俺たち魔術師にしてみれば、置き去りにして行っちまうのはお前ら常人の方だ」
 ふわりとエリナードは微笑んだ、それでもこうやって話はできる。語り合うこと、手を伸ばすこと。なんでもできると。
「違う、というのはただ違うだけなんだってことを、みんなして一生懸命に教えてくれている、僕はそんな気がするよ」
 タウザント街は森の中にありつつ、それでもやはり市街だ。そこかしこに立派な商店が見え隠れする。それでも木の影にある、という印象は消えなかった。不思議な町だとも思う。
「違うからどうだって開き直れるのが魔術師、なんだろうな」
「長生きができるというのは、それだけ考える時間が多いってことでもあるんだろうし」
「まぁなぁ、ニトロがまだこっから説教臭くなるかと思うとぞっとするけど」
「そんなことを君は言うが。でも意外と気が合うんだろ? この前、剣の立ち合いをした、と聞いたよ」
「あの暴力魔術師!? なんであんなに腕が立つんだよ! 魔術師はおとなしく魔法だけやってろってんだ!」
 冗談口を飛ばしつつ、ティアンはひやりとした。これももしかしたらニトロは言われていることなのかもしれないと。魔術師だからどう、魔術師であるならばこうすべき。
「ティアン」
「あぁ、口が過ぎたな。――どうも……だめだな、俺は」
「いいんじゃないのか? 相手はニトロだ。友達の冗談を一々咎めるほど、狭量な国ではないと僕は思うよ」
「誰がダチだっつーの!」
 わっと飛びあがる。抗議はティアンではなく、どこからともなく現れたニトロ。思い切りよく振りかぶった拳でティアンを殴るのかと思いきや、ふっと唇が歪む。
「ニトロ!? 冷たいって言うか、痛いからな!? 何しやがった!」
「そりゃ痛いだろーな。氷水だし。んー、どうも大師匠ほど精度が上がんねぇな、まだまだ」
 ティアンの溜息。呼び出されているのにずぶ濡れでどうしたものか。思ううちに乾いて行く。驚くティアンに代わってダモンが微笑んで礼に代えた。
「ニトロ、もしかして迎えに来てくれた?」
「遅かったからな。さっさと迎えに行けばよかったと思ってた」
「……やめてくれ。転移は勘弁してほしい」
 エリナードがついでだ、と言ってイーサウまで魔法で送ってくれた。あの日から数日二人は吐き気に悩まされたもの。思い出して顔を顰めるダモンにニトロは大きく笑っていた。




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