夢のあとさき

 契約に出ている者、表の顔を持っている者はエリナードが把握した。ニトロもすでにエッセル、モルナリア両伯爵の契約書を入手した。が、彼は何事かを考え込む。ダモンが訝しい顔をしたとき彼が顔を上げた。
「大師匠」
 なんだ、とエリナードが首をかしげる。最低限、カレンの師であるはずなのだから彼はそれ以上に年古りた魔術師なのだろう。けれどティアンにはとてもそうは見えない。カレンより十歳は若い美貌の青年にしか見えないのだからやはり魔術師とは不思議な種族だと思う。
「どうです、こんな感じで?」
 常人たちにはニトロが何を言っているか理解できない。彼はいまエリナードに向けて心象を放り投げていた。横着をするな、と笑いつつ彼はその作戦を精査しているらしい。そしてうなずく。
「いいぜ。行ってきな」
「うい、ありがとうございます。ティアン、エッセル伯の屋敷、どこか教えてくれ」
「あ? 別に……いいが」
 突然何を言い出すのか、と不審に思いつつティアンは素直に場所を教える。ふんふんとうなずきつつ聞いているニトロが少し楽しい。
「了解。ありがとさん。よし、外出ようぜ」
 言いながらニトロは魔法を紡いだらしい。その場に散乱したままだった死体がずるずるとついてくる。さすがに気味が悪かった。
「お前なぁ」
 呆れつつエリナードは気にしていないらしい。魔術師だからなのか、それとも本人が言うよう、戦乱の中で育ったせいなのか。
「お前は死体の尊厳というものをもう少し考えろ」
 闇エルフの方にたしなめられたニトロ。常人たちは顔を見合わせる。考え方は色々。確かにそのとおりなのだと。
 祠の前はもう誰もいない。滅びた村に閑散とした風が吹く。ほんの一時。それでももうこのオスクリタは滅びた村だった。
 ニトロは己の言葉どおり、あっという間に墓穴を掘ってくれた。投げ落とすのかと思っていた死体は案外優しくおろされて、そっと土をかぶせられる。
「なんか祈りとか、あるか?」
「なくていいと思う。――ここには司祭がいたわけではないし、それに、スキエント様に祈るのも、何か違うだろう?」
「ま、あんたがいいならそれでいいさ」
 肩をすくめたニトロ。ファネルに抱かれたままのエリナード。三人が静かに墓穴の前で瞑目する。進み出たティアンとダモンも。それで、終わりだった。何より相応しい、そんな気がした。
「んじゃ、大師匠。ちょっと行ってきますんで、こいつら頼みますわ」
「おうよ、任された」
 片手を上げたニトロがかき消えた。あ、と息を飲む間すらない。転移と知っていても驚く。固まってしまった常人たちに闇エルフが声を忍び込ませた。
「腹は減っていないか? 人間はすぐに空腹になるらしい。お前たちはどうなのだろう」
「あんたなぁ。ここで腹減ったって言えるような剛の者がいるかっつーの」
「そう、なのか?」
「けっこうな大惨事をやらかした後だぜ? まぁ、だからこそ食えって話でもあるがな。来な」
 くい、と顎をしゃくったのはエリナード。だが動くのはファネル。一心同体の二人なのだと常人たちは思う。少しばかり羨ましい。ちらりと互いに横目で窺ってしまうのを気配で察知したエリナードが内心でくすくす笑う。居心地が悪いほど初々しい二人だと。
 さすがに他人の家の中でくつろぐ気にはなれない一行だった。昼間、潜伏した森の中へと移動する。そこで焚火を作っての野営だった。ぱちぱちと爆ぜる火の音。
「こんなに穏やかなものだとは……思いませんでした」
 ダモンは知っている。焚火が穏やかに感じられなかった理由。誰かに見つけられるから。発見されれば暗殺者はおしまいだ。和やかに焚火を囲んだ経験などあるはずがない。
「火の音、匂いってのはなんでかね? 妙に落ち着くもんだよな」
 からりと笑うエリナードだった。彼はニトロの師の師。ニトロが気づくようなことを勘づかないはずもない。それでもなにも尋ねず笑う。そこがニトロと違うところなのだ、とティアンは思う。
 エリナードがどこからともなく取り出したのは立派な夕食だった。潜入前に保存食を齧ってはいたけれど、温かい食べ物は何より嬉しい。ファネルが煮炊きをするのをティアンは驚きつつ眺めている。
「珍しいか?」
「――と言うより、闇エルフ?には会ったことがなくて」
 だから普通に食事の支度をする、そんな存在だとは思わなかった。ティアンは言う。それをファネルが小さく笑う。
「我々も、人間をはじめとした定命の子らより量は少なくて済みはするが、食べなくては死ぬぞ?」
 だから食べるし、眠る。ファネルは当たり前のことだと言った。ダモンはそれを聞いていた。当たり前のことを当り前と言える、それがずいぶんと難しいことなのだと思う。そうして行くのだと覚悟を決める。
「ニトロはどこに?」
 意外なことに尋ねたのはティアンだった。エッセル伯の居場所、などと問われたから気になっていたのか。面白そうな顔をしたダモンに顔を顰めて見せつつ彼は肩をすくめる。
「言ってただろ? エッセル伯とモルナリア伯の屋敷に忍び込んで来るってよ」
「え――」
「それは、危ないと……思うのですが」
「魔術師舐めんな? 見えないし、そもそも気づけない」
 にやりとエリナードは唇を歪めた。人の悪い笑みが、妙に頼もしい。呆れたファネルが肩をすくめる。が、ダモンは顔を青くしていた。
「ダモン?」
「いや……その……。ニトロは……」
「あぁ、その懸念は無用だぜ、ダモン。ニトロにはできるぜ? 正に姿なき暗殺者になることがあいつにはできる。でも、やらん」
 あ、とティアンは声を上げる。気配すら窺えない魔術師は、エリナードの言葉どおり一切気づかれることなく殺害を果たすことが充分に可能だ。
「なんでかわかるか? それをすると人殺しの連鎖にしかならないからだ。あんたがたを殺させないために相手を殺したんじゃな、次に狙われるのは魔術師ってことになりかねん。そんでまた報復すんのか? 馬鹿馬鹿しい。全員殺してようやく決着って誰が喜ぶんだよ、それ」
「……ですが、それは相手に引かせる、ということでは? それは――」
「難しいな。が、元々この話は両伯爵家の権力争いに事の発端があるんだろ? だったらこっちを巻き込むなってことだな」
 ニトロはそれをやりに行った、とエリナードは言う。ダモンとしては気が気ではない。それで自分たちが安全になったとしても、矢面に立つのがニトロでは。友人を犠牲にしてのうのうとするのは嫌だった。そんなダモンにエリナードが微笑む。驚くほど柔らかな笑み。
「安心しな。あいつは姿なき影のまんまだ。まぁ、夏の怪談ってところかな? さっき、血を掬ってただろう。あれで腕でも作るらしいぞ」
 エリナードの言葉にぽかんとする。血で腕を作る、まずそれが何を言っているのか理解できない。そんな常人たちにエリナードはニトロの作戦を話してやった。幻覚だった。血液で腕の形を作り、伯爵の元に投げ出すと。
「闇の手の契約は破棄された――とでも言ってくるんだろうさ。怪談らしく陰々滅々とした響きでな。で、腕は消えて血だけが残る。これは……怖いだろう?」
 その上、連絡を取ろうとしても闇の手に繋ぎはつかない。人知れぬままに一切の音信は断たれた。両家には闇の手が壊滅した、としか解釈できないだろう。
「ですが、それでは魔術師が疑われ……あ」
「そのとおり。ミルテシアだってのが幸いしたな。そのうち疑うかもしれないけどよ、すぐ魔術師に結びつく国じゃないからな。当面は亡霊騒ぎってとこだな」
 その間に今度はカレンが手を打つ、エリナードは笑う。準備はすでに整っていると。ニトロはその手はじめであるだけと。
「咄嗟の思いつきにしてはまあまあだな」
 うん、とうなずいたエリナード。ファネルが優しい目をして見ていた。いつか、こんな二人になれたならば。ティアンは思う。が、隣に座っているダモンの顔が見られない。エリナードとファネルを見てしまったせい、とは彼は気づかなかった。
「ア、アリルカって、どんな国なんです!?」
 突拍子もない裏返った声。くすりとダモンが笑った。それに奇妙なほどの安堵。なぜかはわからない。ただ、ダモンがここにいる、そんなことを思う。
「んー、普通で特殊な国、かな。こいつみたいな闇エルフもいるし、半エルフもいる。その子供らもいれば人間だっているし、俺たち魔術師もいる。多種族の国だからな、まずそこが特殊ではあるが……」
「だが、ごく当たり前の日々の営みがある国でもある」
「だな。食って働いて寝て起きて。その繰り返しはどこでも同じだ」
 生きるというのはたぶん、その繰り返しの単純なこと。それをどれほど真っ当にできるか、ではないのかとティアンはふと思う。真っ当ではなかった自分だからこそ、思うのかもしれない。
「多種族の国だけあってな、種族間の他愛ない喧嘩は絶えないぜ? まぁ、喧嘩で済んでるのは立派と言えば立派だがな。魔術師は実験のためなら人命なんてなんとも思ってない、とかってな、非難されることもある」
 そうではないのだが、とエリナードは苦笑した。ファネルもうなずく。が、そう見えてしまうことはアリルカという幻の国ですらあるのだと。
「お前もな、ダモン。イーサウに戻ればそういう目で見られることもあるはずだ」
「僕が、暗殺者であったから」
「そのとおり。あいつは人殺しだった、絶対に言うやつはいる。魔術師的見解ではな、だったら兵隊と何が違うんだよって話なんだが。お前は命令でやってた。兵隊だってそうだろ? 何が違うよ?」
「でも、そう思わない人も、いる」
「確実にな。そこでお前はどうする? 償うとかな、他人に奉仕するとかな、そういうことじゃ、ないんだ。わかるか? お前は、どうする?」
「気には、なると思います。色々と、自分のことも、他人の声も。まず、でも気にするところから、はじめてみようと思います」
 いままで他の世界を知らなかった自分だから。何よりティアンがいる。そっと窺えば、真剣な顔をしてこちらを見ている彼。思わず浮かんだ笑みにティアンもまた微笑む。
「――いい答えだ。ま、立ち行かなくなったらニトロにでも相談しな。アリルカの場所はあいつが知ってる。アリルカは、どうにもならなくなったやつらの最後の逃げ場だ。お前らだったらいつでも歓迎だ」
「とはいえ、無事に人間社会で生きられることを願っているぞ。逃げずに済むならばそれに越したことはないのだから」
 二人の祈りにダモンとティアンは眼差しを下げる。言葉などなかった。見守られている。それを二人は実感していた。




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