ティアンの無言の考えを読んだかのようダモンは微笑んだ。互いにそうできるようになろうと言い合うかに。さやかな温かさは、エリナードの驚きの声に破られた。思わず飛びあがった二人をニトロが笑う。 「なんだ、そっちか。気にしてたのは! 俺は戦乱の中で育ったも同然だぜ? 死体の一つや二つ、気にするもんかよ」 「――だ、そうだ。行こうぜ、ダモン。ついでに俺も用事があったの思い出したわ」 「ん、何か、あるのか……?」 「師匠に土産もってこいって言われてただろ」 「カレンに?」 ファネルが長い足を優雅に動かしてみなについていた。エリナードを抱いているとは感じさせない動き。相当な鍛錬を積んでいるなとティアンは感じる。 「うい。証拠持って帰ってこいだそうで」 「あぁ、なるほどな。だったらそっち探すのはお前がやんな。俺はじっくり見といてやるよ」 「……大師匠。性格が悪い」 「お前は俺に何を期待してんだよ? 俺はカレンの親父だぞ」 嘯いた途端、闇エルフが吹き出した。あまりにも大らかな笑い方で、感じていた恐怖や忌まわしさが飛んで行くほど。顔を見合わせた常人二人。けれど何も言わずに笑みをかわす。 ドンカ神殿に偽装されているのを見てエリナードは顔を顰めていた。ダモンが見ているのに気づいたか、自分の好みの方法ではないと感じるだけだ、彼はそう言う。 「考え方も感じ方も千差万別。色々あって当然だからな。お前らがこれが心地いい方法だってんならそれはそれ、だろ?」 あっさりと言うエリナードにダモンはうなずくこともできない。それでいいとばかり彼が笑う。ニトロと同じだ、ダモンは思う。一門なのだから当然なのかもしれないし、ニトロがそれだけ強くエリナードへの憧れを持っている、そういうことなのかもしれない。いまはまだわからない様々なことをいつか理解したい、そう思った。 さすがに「書斎」の中に入ったときにはエリナードも顔を顰めた。数多の、苦悶の表情を浮かべたまま事切れた死体。共に鍛錬に励んだ彼ら、幾多の粛清してきた人々。ダモンは押し寄せる感情に戸惑っている様子だった。その視線が一点に。 転がされたままの賢者だった。改めて見れば絞殺された賢者は吐瀉物に塗れている。他の物にも。赤黒い死体の顔をダモンはじっと見ていた。 「お前が従ってきた相手なんだろ? だいたいのところはカレンから聞いたがな」 「……はい」 「だったら葬るくらいはやりたかったらやってもいいんだぜ?」 「いいん……ですか?」 「別に咎められるようなことでもねぇだろ?」 不思議そうなエリナードの声音。嘘だと気づいたのはファネルとニトロ。互いにちらりと視線をかわし小さく微笑みあう。 「穴くらいだったら掘ってやるぜー?」 ふふん、と笑ってニトロは言った。手伝うと、この期に及んでも言ってくれる。ダモンは無言でそっと頭を下げては笑みを返す。 「だったら大きめで頼むよ。他の者たちも、埋めるくらいはしてやらないと」 「だよな。ティアン、手伝うよな、あんたももちろん?」 「手伝うけどよ。お前に言われるとなんかわかんねぇけど癇に障る」 「そりゃ俺の責任じゃないね」 嘯くニトロは調子を取り戻しつつあるらしい。エリナードの出現で泡を食っていた彼だと改めてダモンは気づく。そんな姿が楽しかった。世話になってばかりいる相手だった。彼もまた、自分より年齢は上ではあったとしても、魔術師としてはまだ未熟な若人なのだ、と知るのは心楽しい。 「ファネル」 その間に、というわけでもないのだろうがエリナードが周囲を見ていた。正確には書架の間に飾られた絵画を眺めている。書籍を紐解く人々、写本に精を出す若人。王侯の御前で講義をしているらしい絵も。首をかしげて何を彼は思うのか。 「わかるか?」 「遠見の山、というものがあったとは聞いている。学究の徒が集い研鑽に励んだのだ、と。その絵ではないのか?」 「なるほどなぁ」 夜闇の中、星見をしているのだろう人々の絵を前にティアンは愕然と闇エルフを見る。何を言っているのだろうと思ったのは一瞬。詰め寄らんばかりにして尋ねていた。 「これを、知ってる――んですか!?」 問い詰めそうになった挙句、相手がどういう存在か思い出しては言葉使いを変えるティアンだなどダモンははじめて見た。知らずくすりと笑いが漏れる。 「気にしなくっていいのにな?」 「君が言うことか?」 「変に気にされると気になるってこと、よくあるだろ?」 「そこ! うるさいだろ!? だからな、俺は――。ダモンが」 「へいへい。で、大師匠、ご存じです?」 すげなくあしらって笑うニトロというものを見た覚えのないエリナードだった。デニスとは賑やかにやっているのを知ってはいたが、友人らしい友人がいないのを彼は知っている。ふ、とエリナードの口許がほころんだ。 「だから知ってんのは俺じゃねぇって」 「私も知らんぞ。さすがに生まれる前のことだ、知る由もない」 「ははぁ、やっぱりそれくらい前の話?」 「神人降臨以前の話だろうが。私はさほど生まれの早い方ではなかったからな」 当時のことは何も知らない。淡々と言うファネルに常人たちはどんな反応をするだろう。いささか気がかりなニトロではある。 歴史をその身で生きてきた神人の子。人間の歴史の多くを見た彼の目。神話の彼方になってしまった絵画の光景すら、お伽噺ではなく事実と知っている彼。 「遠見の山……と言うのですか、ここは……」 ダモンの眼差しが絵画を捉える。今まで神話、として聞いてきたスキエントの話。闇エルフにとっては少々古い話程度なのだろうか。少なくとも、事実ではあったのだと思うとなぜかしらぞっとした。 「聞きてぇか?」 にやり、エリナードが笑う。いやに見慣れた笑みだと思えばそれはニトロのもの。途端にくつろいだ気分になるのがおかしかった。ダモンは微笑んで首を振る。 「もう少し落ち着いて、自分で考える、ということができるようになったら、あるいは。――でも、それは昔話を聞いてみたい、そんな気持ちです。僕の生きて行く、この先の道に過去の枷はもういらない」 「逃げられるようなもんでもないぜ、過去ってのは」 「それでも。いままでこうして生きてきた僕が、ここから先自分を変えて行く。それでもそれはきっと、いままでがあったから」 そういう意味で過去は大事なものだ、ダモンは言い切る。それにファネルに抱かれたままのエリナードが悪戯のような拍手をした。見ればニトロまで同じことを。ティアンがそんな二人に呆れ顔をしているのも。ダモンはこんな場所で妙なものだと思いつつ、豊かな気分とはこういうものかと感じていた。 「いささかうちの孫の言い分に似ちゃいたがな。差し出口をしたんだったら許してやってくれるか。まぁ、ダチが心配だったんだろうしな。――ほんとガキは嫌だね。言わねぇでいいことを言うんだからよ」 「そんな子供たちを導くのが好きなくせに何を言うか、お前は」 「好きなのは俺じゃねぇよ! 師匠だ!」 「その息子が何を言っている?」 「諸悪の根源が何ぬかしてんだよ?」 どうやらエリナードの勝利らしい。ティアンは決まりのわからない勝負事を眺めてでもいる気分だ。なにがどうなっているのやら、さっぱりだ。それでも面白いのは彼らだからなのか、当てられているだけか。 「さて、気分もよくなったところで仕事すっか。ダモン、だいたいの見当、つくか?」 そう言えば、とティアンは思い出す。用事があってここに来ていたのだと。一人赤面するティアンにダモンは優しげな眼差し。 「書架に入っているはずです」 「書架!? これ、本じゃないのかよ!」 「だいたいは本のはずですが――」 書物も契約書も闇の手にとっては同じくらい重要なものだったから、とダモンは言う。馴染みのない考え方ながら組織の人間がそう言うのならばそういうものなのだろう、と魔術師たちは呆気ないほど簡単に納得した。 「孫はそっちの仕事しな。お祖父ちゃん、じぃーっくり見といてやるからな?」 「大師匠みたいな若いジジイがどこにいるんですか。もう!」 「ここにいるだろ?」 鼻で笑う態度もダモンとティアンにとっては見慣れたもの。肩を落としながら仕事をするニトロこそ見物だった。 常人には何が起こっているのか、やはりわからない。ニトロが小声で文句でも言っているのかと思うほど。 「あぁ……そっか。なるほどな。あんときニトロは魔法、かけてたのか」 賢者の下へと姿を隠したまま進んだ道々。独り言でも呟いて長閑なことだと半ば呆れていたが、あれは魔法だったのかとようやくティアンは理解する。そういうことだ、とニトロの目が笑った気がした。ニトロと同時にエリナードもまた呟いている。不意に風が立ったような気がして目を瞬けば、書架から一枚、二枚と飛び出してくる紙。 「三人か。だったら対処は可能だな。ダモン、仕事が終わるまで待った方がいいか、それとも殺す前に止めるか?」 「可能ならば、止めてください」 「あいよ、了解した。この三人のことは俺が承けた。こっちが……表の顔持ってるやつらの名簿だな。よし、心配しないでいいぜ、もう」 たいしたことではない、エリナードは笑う。本当はたいしたことだとダモンは理解している。頼るしかない今だからこそ、ありがたく頼りたい。いつか恩は返せると信じて。 「あったあった。やっと見つかったぜ。もう……」 「設定が甘いんだよ、お前のは」 「だって、大師匠」 「期間はどうした? 状況だってもっと狭められただろうが? 漠然としすぎてるから時間かかるんだっつーの。頭使え頭」 う、とニトロが言葉に詰まる。ダモンは申し訳ないけれど笑いを噛み殺し損ねた。ティアンなど盛大に笑って彼の背を叩いている。 「うっせぇな!」 「お前が叱られてんのっていいわ。なんかすごくいいわ。いや、ほんと楽しい」 「あんたなぁ……俺の性格が悪いとか言うけど、あんただって相当だろうが。ダモン、ほんとにこいつでいいのかよ?」 「僕はティアンがいい」 短い言葉で断言したダモンにティアンが硬直した。振り返り、ダモンを見るのが怖いらしい。にやにやとするニトロの眼差しに押されるようティアンは振り返る。ティアンの顔はニトロからは見えなかった。が、ダモンの表情はよくよく見えていた。 |