夢のあとさき

 二人の魔術師が何事かをはじめている。闇の手の者たちを囲うよう、得体の知れないものが描かれて行く。それにダモンははたと気づいては声を上げた。
「――闇の手の、ダモンと申します」
 新たに現れたミスティと呼ばれた男にもダモンは一礼する。それに彼は端然とうなずき返す。魔術師にも色々いるものだ、とティアンはそれを眺めていた。
「彼らを、どうなさるのでしょうか」
 ちらりとダモンの視線がいまだニトロの眠りの魔法のうちにいる者たちを示す。悪夢を見ているのだろうか、それともよい夢だろうか。一様に夢の中らしい彼ら。
「僕は、彼らに賢者を――棟梁とでも言えばいいのでしょうか。賢者を名乗りました。ですから、僕は彼らの命に――責任があると思うのです」
 訥々とした言葉。ティアンはじっとそんなダモンを見つめる。思うところはたくさんあるのだろう。むしろあり過ぎてまとまった感情になどなりようもない思いが。それでも命の責任を彼は言う。感嘆していた。が、エリナードは眉を顰める。ちらりとニトロを見やった眼差しに彼は応えて溜息をついた。
「なるほどな?」
 ニトロの溜息にエリナードは何を聞いたのだろう。ミスティまでいまは訝しいと言うよりは多少、不快に寄った顔をしている。ティアンには理解できない何かが起きている。ダモンもまた不安そうだった。
「お前の言う、命の責任ってやつはどっちだ?」
「え……。それは、もちろん」
「取るほうだよな、やっぱり?」
 もちろんだ、とダモンはうなずく。さすがにティアンも慌てた。ニトロを見やれば仕方のないやつ、と呆れている。そんなもので済ませる問題ではない気がしたが、ようやく気づく。ダモンにはそうとしかできなかったのだと。慄然とした。闇の手の教えの気味悪さを感じていたはず。ダモンは違うとでも思ったか。抜け出そうともがくダモン。だからこそ、いまだ囚われているダモン。ニトロが生き残りの面倒は見ると言ってすら、理解の及んでいなかった彼。
「闇の手は、存在していてはならない。僕は、間違っていますか」
「間違っちゃいねぇと俺も思うけどよ」
 長いエリナードの溜息。ニトロはそちらに向かって小さくうなずく。任せてくれ、と言っているようで癇に障る。それを見てとったのかエリナードが小さく笑った。今になって気がつく。非常に美しい男だった、彼は。鮮やかな金髪に藍色の目。華のある美貌に気恥ずかしくなる。
「おい、そっちの兄さん」
「はい、俺!?」
「おうよ、お前だ。うちの連れ合いはとんでもねぇ焼きもち妬きでな。そういう目で俺を見ないように」
「……ティアン」
「いや、そうじゃないから!?」
「不穏当な発言は控えてほしいものだな、エリィ。誰が焼きもち妬きだ?」
「あんたが」
 ばっさりと切って捨てたエリナードにファネルが溜息。ミスティが頭を抱えていた。そちらの気持ちの方がよくわかるティアンだ。
「話を戻すか。ひぃふぅみぃ……だいたい百人くらいか、これ?」
 一人ずつ数えて行く意味があったのか、とニトロはエリナードに白い目。そんな孫弟子の視線など気づいた風もなくエリナードはにやにやとする。
「こんだけな、大勢を殺っちまったら死んでたって師匠は俺を殴りに帰ってくんぞ」
「やめろ、エリナード。想像させるな!」
 声を荒らげたミスティにエリナードはからりと笑う。事実だろうと嘯く様にニトロまで頭痛がしだした。だというのにファネルが何か物言いたげに遠い目をする。
「おい、ファネル。そしたら師匠に会えるとか、思ってねぇだろうな?」
「そこまで真剣に考えたわけではないな」
「一応は考えたわけだ?」
「まぁ、多少は」
 にやりとした闇エルフに、魔術師たちに、常人は呆気にとられて言葉もない。同列に語られているらしいニトロは自分を仲間に入れるな、と友人たちに抗議をしていた。
「――だから、僕がすべき義務では、ないのですか」
 果敢にダモンが立ち直る。そのまま流されてしまえばいいのに、と思ってもニトロは言わない。さすがに師匠筋の魔術師たちだ。この常人たちをどう扱いたいのか、見当くらいはついている。
「そんな義務なんざ放り投げちまえ」
「それをすれば――」
「死人が増えるってか? それを増やさないようにするって言ってんだ、こっちが」
「あのな、ダモン。ものすごく不安だとは思う。俺が言うのもなんだけど、ものすっごい不安だとは、思う。でも、大師匠にお任せしていいと、俺は思う」
「おいコラ孫」
「いや、そうでしょうが!?」
 渋い声のエリナードをファネルが笑う。ミスティまで笑っていた。任せろ、そう言ってくれている。無言で、態度で。けれどここで退いては。迷うダモンに最後の一撃。
「あのな、俺らは別にこいつら殺すわけじゃないっての。言ってるだろうが。俺は師匠にぶん殴られたくないっての」
「え――」
「大人どもはどうするかな……。要考慮だけどよ、とりあえずガキどもは俺らで再教育だ」
 殺しはしない。断言するエリナードにダモンは腰が砕けそうだった。安堵とはまだ知らない。そのうち気づくだろうとニトロは思う。
「それは、その。魔法学院で預かってくださる、という意味ですか」
 ぽん、とニトロは手を打っていた。常人たちの注目を浴びてしまっていたたまれない。慌ててエリナードたちの説明をすることになった。
「いや、大師匠たちはイーサウに住んでるわけじゃない」
「アリルカだよ。聞いたことあるか?」
 エリナードの発言にティアンは見開いた目が戻らなくなるのでは、と本気で疑った。伝説、というよりお伽噺の類だと思っていた国、幻のアリルカ。
「実在……してたのか……」
 ティアンの呟きにダモンは思い出す。モルナリアの温室にあったあの赤い花の咲く木。アリルカ原産だとニトロが言っていたのは冗談ではなかったのだと。本当に、アリルカはあるのだと。以前モルナリアから逃げた時ニトロはアリルカの名を口にしていたけれど、やはり信じがたかったのだと思う。あるいは夢のようなその国を信じたかったのかもしれない。
「おうよ。だからそっちで預かるわ。学院で預からない理由? ほい、ニトロ。解説してみな」
「って俺ですかい!? えー、あー。それは、ん。こいつらは暗殺の専門家なわけで。イーサウっていう国家が暗殺集団受け入れると外交的にまずい、とか」
「そういうことだな。俺らアリルカは外交問題抱えねぇもん。こっちで預かる方がいいってのはそういう理由だ。わかったか?」
 こくん、とダモンはうなずいた。宝石のような緑の目がエリナードに据えられる。任せることをためらうのではない。頼ることをためらうその眼差し。
「忌々しいけど、ニトロのお師匠さんのお師匠さんだろ。お任せして、いいんだと俺は思う」
「忌々しいってな、なんだよ!」
「間接的でもお前に任せるかと思うと借り作ったみたいで嫌なんだよ!」
 その気持ちはよくわかる、となぜかミスティが向こうでうなずいている。妙に人間臭い仕種で、魔術師も同じ生き物か、ティアンははじめてそんなことを思った。魔術師をろくに知らなかった自分だというのに。変わるものだ、思えば笑えてしまう。
「な、ダモン」
 軽くその手を取った。ダモンは片手を預ける安堵に身を委ねたままニトロを見つめた。ティアンは惑わない、その確信。唇だけで笑うニトロがうなずいてくれた。
「――よろしく、お願いいたします」
 しばらく経ってからだった、ダモンが絞り出したのは。それまでのあいだ魔術師たちは待っていてくれた。急かすでもなく、促すでもなく。ただ。
「よし。こいつらはフェリクス・エリナードが預かった。任せてくれていいぜ」
 力強い言葉。言葉そのものに力がある、強大な魔術師とはこういうものなのか、と常人たちですら感じた。
「ミスティ。そっちどうよ?」
「準備はできているが?」
「へいへい、さすがミスティだよ。向こうでイメルが転移点作って待ってる」
「それを見こして術式は構成済みだ。さっさとやるぞ」
「ほんっとにできのいいやつってのはそつがなさ過ぎてつまんねぇよな!」
 文句を言いながら笑っているエリナード。先ほどの偉大さは微塵もない。流れて消えて、けれど確実にあったとわかるもの。
「どういう……ことなんだろう。わかるか、ニトロ?」
「んー、俺だったらさすが大師匠って言うけど。水の申し子の名は伊達じゃねぇよな」
 しみじみと言うニトロの目には憧れ。彼でもこんな目をするのかとティアンは驚く。純真な子供のような憧憬がそこにはあった。
 その間にも着々と仕事は進んでいる。らしい。常人たちには理解ができない。ニトロが瞬きすら忘れてしまったかのよう見つめている。
「なにが――」
 起こるのかだけ、聞かせてもらおうと思った瞬間だった。すでに聞く意味はなくなったように思う。闇の手の者たちはすべてかき消すようにいなくなっていた。
「ほい、終了」
 ぽんぽん、と汚れてもいない手を叩いて払うエリナードと、彼を抱いたファネル。彼らだけが残っていた。もしも二人まで消えてしまっていたならば夢だと思ったに違いない。
「大師匠?」
「一応な、打てる手は打っときてぇんだよ。――ダモン。これで全員か? 一人残らず集まってたか?」
「いえ……大半は。けれど、契約を果たしに行っているものが数人はいたはずです。外の町に表の顔を持っているものも何人かは」
「それってわかるか?」
「調べれば。わかるはずです」
 では調べに行こう。あっさりとしたものだった。エリナードに促され、ダモンはためらう。どこに行くのかそれでニトロにもティアンにも見当がつく。
「大師匠」
「ん?」
「血塗れっすよ。さすがに無傷でってわけにゃ行かなかったし」
「気にすんな。皆殺しじゃなきゃ師匠だって怒りゃしねぇよ。それでお前が死んじまったら元も子もねぇ」
「いや、そうじゃなく」
 苦笑するニトロにエリナードは何を聞かれているのか理解ができない様子だった。魔術師でも。そう思ったティアンは小さく笑う。伝わったのだろうダモンも。
「同じ、なんだな」
 そっと呟くダモンにティアンはうなずく。違うだけだ、ただそれだけだと。闇エルフをちらりと見た。彼もまた、違うだけ。そうなのだとは思うが、こればかりはすぐにはそうは思いがたい。が、思うべきなのだとは理解した気がする。




モドル   ススム   トップへ