夢のあとさき

 表向き、ドンカ神の祠となっている場所の前は広場になっていた。そこに集落中の村人が集まっている。村人、という語から想像するより気色が悪く殺伐と感じるのは彼らの正体を知っているせいだろうかとティアンは思う。
「――賢者様」
 ダモンが出てくるなり一斉に彼らは頭を下げた。片膝をつき、絶対服従を誓う。ダモンにも覚えがある。学士として認められた幼い日。賢者の前に膝をついた。
「これで全てですか?」
 尋ねるまでもないことを聞くのは恐れのせい。ティアンも察したのだろう。わずかに寄り添う。それを村人たちは誰一人として咎めない。
 ニトロはそれを眺めていた。一歩を引いて、闇の手という組織そのものを見ていたと言っていい。なぜ、ネイトが死んだのか。いまでもニトロにはわからない。一言告げてくれれば。死ぬ前に言ってくれれば。その後悔はいまもある。
 ――それが、できるくらいなら。
 ダモンを見ていればそうとしか言えないのだとよくわかる。こうして村人を見ていても。彼らは「賢者」という偶像にすべてを預けてしまっているのだろう。否、預けるよう教育されているのだろう。忌々しかった。
 ゆっくりと息を吸い、ダモンはすべてを見回す。共に訓練をしたはずの仲間だった男がいた。薬草を育てるのが得手で、様々なことを教えてくれた女がいた。いずれも賢者なる存在へ己をかけてしまっている。だめだ、とダモンは諦めた。もう、どうにもならない。ここまで闇の手は来てしまった。後ろの方でまだ幼い子供たちがダモンを見ていた。
「――命じます」
 ダモンの一声。それがこのあとを定める。ここに大勢いる命のすべてを。ためらいがないわけではない。それでも、ここまで来てしまった。
「今日このときを以て、闇の手は終わりです。みな、今までよく務めてくれました」
 ティアンは恐ろしかった。ざわつきもしない。ダモンという新たな賢者に従って全員が頭を垂れる。子供たちですら。否、子供たちはまだいいのかもしれない。大人がそうしたから、自分も倣う。そんな理由なのかもしれない。けれど導師と呼ばれているのだろう前列の大人たちまでもが。壮年の、立派な男たち。笑えば明るい目をするだろう女たち。いずれもが。
「――ティアン」
 呼んだのは、ニトロだった。わずかに懸念のある声。それに気力をもらう。ニトロ相手に無様をさらすのはごめんだとの思い。それが吐き気をこらえさせた。
「オスクリタは破棄します。各人、ここではない場所で己が生を全うするように」
「――賢者様の仰せの通りに」
 揃った声音。ダモンですら吐きたくなった。彼らの意志はどこに行ってしまったのだろう。己を振り返る。ティアンに会わなければ、ニトロに助けられなければ、今あちら側にいたのは自分だった。視線をそらすことはせず、ダモンは彼らを見つめる。大人たちは静かに立ち上がり、子供を振り返る。
 ダモンには彼らが考えていることがわかる。ほんの少し前まであちらにいたのだから。すぐさまニトロに合図をした。瞬間、発動する魔法。すでに準備をしてくれていたらしい。立ち上がった大人たちもその場で膝をつく。子供たちは横たわる。
「お見事」
 ティアンの感嘆の声。息をする間もなく彼らは眠っていた。ニトロが肩をすくめたところを見れば気分が悪いらしい。あれを見ては当然だ、とダモンは苦笑する。そして気持ちを切り替えるよう、大きく息を吸い。
「ちょい待ち、ダモン。あんた、なにするつもりだ」
 腕輪から引き出された銀糸。ダモンはかつての仲間たちを見ていた。ただ真っ直ぐと。憎しみではない、むしろ憐れみ。そんな目をしてなにをするつもりか。ニトロには問うまでもないことのよう、思える。
「殺しておくよ。それが、安全だと思う」
「あんたは別の場所で生きろって言っただろうが」
「己の生を全うする? できるわけがないだろう」
 彼らにとってそれは賢者から命ぜられた自裁。誇りを持って「ここではない場所」に行く。そういうことだとダモンは微笑む。ティアンにはイーサウで再会したころの笑顔に見えた。彼は黙ってダモンに近づき、その手を取る。
 取られた自分の手をダモンは見ていた。彼らに命じたならばこの手で決着をつけるのがせめてもの責任。オスクリタを破棄するならば、せめて。彼らは「賢者」の言葉に自らを処そうとしていたのだから。子供たちを殺し、自裁し。そしてすべてが終わる。そうし向けたのが自分ならば、せめて。
「そんなこと、したいわけじゃないんだろ?」
「でも、誰がやるんだ? これを野放しにできないことは、全員がわかってる。だったら僕がやる」
「それなら、俺も――」
 手を貸す。手を下す。言いかけたティアンが、拒もうとしたダモンが飛びあがる。ニトロが思い切り手を叩いていた。破裂音にしては大き過ぎるそれに魔法の介在を疑う。案の定ニトロはにやりとした。
「殺伐とした話題でいちゃつかないよーに」
「ニトロ! 冗談をやっているわけじゃ――」
「あのな、ダモン。なんで俺を頼らない? 俺はあんたに何度これを言うんだ? 物覚えが悪いにもほどがあるだろうが」
「それは……。でも、どうして……」
「理由はダチだから。ちなみに師匠が皆殺しは避けろって言ってただろ?」
 こくん、とダモンはうなずく。ニトロ相手にはそんな幼い態度になるのだと思えば面白かろうはずはないティアンだったが、今は少しありがたい、そんなことを思う。
「あれ、生き残りの対処はこっちでやるって意味だからな?」
 ぱちりと片目をつぶったニトロ。そういうことは先に言えと怒鳴るティアン。二人に囲まれてダモンは泣きそうだった。泣けるのだ、と思った。わずかにうつむいたダモンは、それでも村人を見やる。そんなことすら、知らなかった彼らを。
 その間に、とニトロは懐から魔法具を取り出していた。ダモンに闇の手の本拠を聞かずにここまで来た。カレンもおそらくダモンが話すつもりがなければ聞くな、というつもりだったのだろう。だからこそ、精神接触の到達可能距離を越えてしまう可能性。それを鑑みてはじめから魔法具を持たせてくれた師。敵わないな、とニトロは苦笑してカレンに呼びかけた。
「おう。済んだか?」
 ぎょっとした。さすがにニトロもぎょっとした。息が止まるかと思うほど驚いたのだが、それを知られるのは恥だと思う。飛び上がりそうな足を必死に叱咤し、なんとかこらえきったはずではあったけれど、出現した男には読み取られている、それを感じないでもなかった。
「何者!?」
 ティアンが剣を構えていた。当然かもしれない。魔術師であることは確かなのだろう。今この場に「出現」したのだから。ダモンを窺うまでもない。気配もなかった人が二人、突如として現れるなど魔法以外には考えられない。まして一人は。
「――闇エルフ!」
 ティアンは闇エルフに出会ったことはない。それでも人間の本能が感じる。ぞわぞわとした忌まわしさ。あってはならないものがいまここにいる違和感。自分と同じ黒い髪、青い目。それがここまで違う。同じだなどと、いったい誰が言ったものか。
「まぁ、そういう反応になるわな」
 肩をすくめた男は闇エルフに抱きかかえられていた。誘拐されたか、思ったものの訝しい。それがかろうじてティアンの剣を止めさせていた。
「大師匠!?」
 幸いだった。ティアンが試しに切りかかろうとする寸前だった、ニトロの叫びは。正に絶叫と言いたいような声音にダモンが顔を顰める。冷静だ、とティアンは感嘆する。間違っていた。感情が吹き飛んでいくほど驚いていただけだった。
「待て、ニトロ。こちらは、君の――」
「おうよ。大師匠とその連れ合いだ。ティアン、剣引きな。目障りだ」
「う? え、あ。すまん。いや、申し訳ない……?」
 歯切れの悪い言葉なのはニトロの示唆のままに口にしただけであるせい。まだ頭の方が追いつかないでいる。それでも意外と素直な男だ、とニトロは内心で笑う。
「なに偉そうに言ってんだよ? お前だって驚いてただろうが」
 にやにやとする男、フェリクス・エリナードその人。ニトロは思い切り顔を顰めて無言を貫く。そんな彼を逸早く立ち直ったのかダモンが笑った。
「で、そっちは?」
「友人のダモンとティアンです」
「ほう?」
 ずいぶん丁寧に紹介されてしまってティアンはもぞもぞと身じろぐ。ダモンもその気持ちはよくわかる、と思う。何しろニトロという男をよく知っている。
「それより大師匠!?」
「なんだよ?」
「なんで大師匠が返事なさるんですか! 俺は師匠を呼んだんですけど!?」
「そりゃ俺の方が適任だからだろ?」
 あっさりと退けられた。子供は夜になったからおうちに帰りなさい、そんな口調で退けられた。ニトロは肩を落とす。この男にかかると自分などまだまだだと実感する。非常に苛立たしかった。とはいえ、仕事は仕事。大きく溜息をつけばエリナードの忍び笑い。まるきり無視をしてニトロは言う。
「ちゃんと紹介した方がいいよな、一応は。大師匠のフェリクス・エリナード師。そっちは連れ合いのファネルさん。見ればわかるよな? ティアン、妙な気を起こすんじゃねぇぞ?」
「俺だけかよ!? 驚いただけだ! お前ら魔術師はもうちっと自覚しろ! いきなり人が増えたら普通の人間は驚くもんなんだ!」
 わかっていた、ティアンにも。闇エルフだからと言って殺そうとするな、そう釘を刺されたのが。遠まわしに言ってくれたニトロだからこそ、ティアンも同じようにする。それをエリナードと呼ばれた男がにやにやしながら見ていた。
「で、関係者はどっちよ?」
「ダモンの方ですよ、そっち」
「おう、よろしくな、ダモン。こんななりで悪いが腕のほうは鈍っちゃいねぇ、安心してくんな」
 ファネルという闇エルフに抱かれたままの彼。足が不自由で移動がままならない、何事もないかのよう笑ってエリナードは言う。
「あ……はい。よろしく、お願いいたします……?」
 言ったものの何をよろしくお願いするのか飲み込めていないダモンだった。常人二人、顔を見合わせてしまう。気づいていないのか魔術師たちは相談の態勢。
「……またか」
 もう驚くのも疲れてしまった、そんなティアンの呟き。さっさと適応してしまったのかダモンが笑う。また一人、増えていた。
「悪いな、ミスティ。さすがに人数が多すぎたわ。俺だけじゃ手に余る」
「先に言え先に。私は仕事中だったんだ!」
「そりゃご愁傷様。手伝えよ。いいよな?」
「……了解した」
 現れた魔術師以外に考えようのない男は溜息をつく。ティアンには納得のいくことがあった。ニトロはエリナードの孫弟子に当たるのだろう。ならば彼の苛立たしい態度はエリナードに倣ったものかと。
「教育って怖ぇな」
 そんな御大層なものを考えたことはなかったのだが、ここに来てずいぶんと色々なものを見たせいだろう。隣で真剣な顔のダモンがうなずいていた。




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