夢のあとさき

 今夜はまだ危険かもしれないからこのままここで待機する、ニトロに言われてダモンは素直にうなずく。訝しそうなティアンにニトロは苦笑していた。
「ほとんどは、捕縛した、はずだ。でもな、こっちが掴んでないやつがいないとも限らない。相手は暗殺結社だぞ?」
 闇から闇に忍ぶのはあちらの方が得意だ、ニトロは肩をすくめてそう言った。それにティアンは恥ずかしくなる。まるで物語のようで、現実味がない。そんな気がしてしまう。
「ほら、毛布。あったかいベッドでぬくぬくってわけにゃ行かないけどな。寒空に放り出されるよりゃましだと思ってくれ」
 どこからともなく取り出した毛布が二枚。ティアンは受け取り、ダモンにも一枚。軽くうなずいてくれた、それがこんなにも安堵する。
「ここは、寒くはないな」
 毛布を体に巻き付けながらダモンは言う。寒いのではなく、眠りを求めてのことなのだろう。同じようにしつつティアンもそう言えば、と感じていた。
「呪文室の構造的特徴、とでも言うかな。ここは――」
 ぐるりとニトロが周囲を見回す。特に何があるわけでもない、がらんとした殺風景な部屋だった。むしろただの地下室のほうがまだ物があるだろう。棚もなにもない。
「どんな呪文を撃っても、外に影響が漏れない構造になってる」
 正確には内外に、だとニトロは内心に小さく笑う。先ほどのデニスの転移など、本来は異常だ。カレンがその場で作りあげた転移点の特殊性はきっと魔術師にしかわからない。あっさりデニス共々跳んで行った師を思う。まだまだだと。
 この自分ですらできないことがこれほどある。ダモンはそれをどう感じるのだろう。先がある、変化の可能性がある。いまは言ってもまだ理解ができない友を見ていた。
「たとえば?」
「鉄砲水って、わかるか? あんな感じの水流を撃っても全然平気だな。――その影響なのか、ここは室温もかなり一定してる。普通の地下室よりも、だな」
 何かとんでもないことを聞いた気がしたけれどティアンは理解を放棄した。鉄砲水はわかるが、それを撃つ、というあたりで何が何やら。ただ、あっさりと言ったニトロを思う。彼にとってはただの事実。それが魔術師なのだとは、思った。
「初夏とは暦ばかりってやつだな。この時期のイーサウは朝晩がけっこう冷えるぜ。ちゃんとしてねぇと風邪ひくぞ」
 自分は魔術師で寒暖の差がよくわからないが、ニトロは言い足す。ふとティアンは思う。魔術師が哀れ、と。季節の変化をその肌身で感じることがないとは、どんな気分なのだろうか。想像もできない世界で生きている二人の人。ニトロとダモン。ちらりと見やってティアンはけれど、黙った。
「体力は大事だからな、寝られるんだったら寝とけ」
「君は?」
「寝るぜ? ここは安全だからな。出るなよ? いっぺん出たら入れねぇからな」
 わかった、とティアンはうなずく。ダモンも同じことをしていた。そういう風に魔法をかけてあるのだ、と言われれば魔法に縁のない二人はうなずくしかないが。
「おやすみ」
 ニトロの声とともに光が消える。すう、と解けて行くような不思議な消え方だった。ティアンはダモンに何かを言おうと思う。励ますだとか、慰めるだとか。そんなことではない、何かを。それが見つからないまま、いつしか瞼が重くなる。
 こんなことではならない、と目を開けたのはどれほど経ってからのことだったのか。しっかり肩まで毛布にくるまって横たわっていた。苦笑と共に体を起こせば仄かな明かり。ニトロだった。たぶん、ニトロだ。
 ぞくりと背筋が凍った。瞬くことのない青白い鬼火を周囲に浮かばせ、片膝を立てたニトロはじっとどこかを見ていた。白金の髪ばかりがちらちらと光に揺れる。思わず目をそらして、本当に背筋が凍った。
「ニトロ!」
「……なんだよ」
「なんだよじゃないだろ!? ダモンがいない、ダモンはどこだ!?」
 がばりと体を起こし、ニトロに食ってかかった。その拍子、体から毛布が落ちる。そんなものに目が留まったのは、なぜだろう。落ちた毛布は、二枚。
「……ダモン」
 自分の体にかけて、彼は出て行った。覚悟のようで、たまらない。意味だけが、わからない。ニトロの胸ぐらを掴んだ手は、気づけば毛布を拾っていた。
「出て行ったよ」
「……なんで、止めなかった」
「俺が気づかねぇうちに出て行ったとは」
「思うわけないだろ! お前が気づかない!? なんの冗談だ!」
「それもそうだ。知ってて、見逃した」
 毛布を片手に、反対の拳。ニトロを殴った。避けもせず、ニトロは唇だけで笑う。切れた唇の端から血が滲んだ。
「危険だって言ったのは、お前だ。違うのか。どういうことだ、ニトロ!」
「わかってて、ダモンは黙って出て行ったんだろうさ。――俺にだって言うかよ、そんなこと。言ったら止められると思ってたんだろ」
「……止めたか?」
「いや、止めなかっただろうな」
 ぐい、と手を引かれた。いいから座れ、と示されて、ティアンは呆けたよう座り込む。ダモンがいない。ようやく再会できたのに。黒猫と共にある間ずっとダモンのことだけが心配だった。もう一度会えたら、もう一度あの温室のような時間に戻れたら。それだけを胸に抱いていた。それなのに。
「自分の手で、決着をつけに行ったんだろうさ」
「……は?」
「俺も師匠も、魔導師会も。闇の手の本拠がどこかなんか知らねぇんだよ。知ってるのはダモンだ。俺たちは誰もそれをあいつに聞こうとはしなかった」
「……聞いてやれよ。聞いて、なんとかしてやってくれよ。なんで」
「あのなぁ。あんた馬鹿か、ティアン。いや、馬鹿だな。頭は大丈夫か? 中身はちゃんと入ってんだろうな」
 心の底から呆れられ、ティアンは激昂することも忘れてぽかんとニトロを見つめる。それほど呆れられることを言った覚えはなかった。
「あいつは結社にいいようにされてた。それは理解できるか? ここで俺らが心の奥底まで手を伸ばしてほじくり返して。それであいつはどうなるよ。結社が俺らに変わるだけだろうが」
「そうしないように――」
「時間をかけることはできる、つか、やってた。――だいたいな、それ以前の問題として、だ。ティアンよ」
「な、なんだよ」
「あんた、忘れてねぇか? ダモンは一人前の男だぞ。力のないガキじゃない。剣も持てない姫君でもない。自分で戦うことができる男だぞ」
「たた、かう……?」
「あいつの武器は毒だけじゃねぇぞ。気がつかなかったのか? 体術だって相当なもんだ。――だからあいつは一人で決着つけに行ったんだ。あの馬鹿野郎め」
 最後だけは吐きだすようだった。手伝えと言ってくれればいいのに、そんなニトロの本心。なんのかんのと言いつつ友人を心配する彼。ティアンはその手首を掴む。
「――追いかけよう。ダモンを連れ戻すとは、言わない。俺は……あいつの力に、武器になる」
 ごん、と音がした。さほど痛くはなかったが、頭上に衝撃。拳で殴られたのだとは追って気づく。またも唖然と彼を見る羽目になった。
「なんでダモンは一人で出て行った? 見られたくねぇからだ。どういう決着のつけ方するにしたってな、血を見ずには済まねぇだろうよ」
「俺だって、剣の道にいる。話しただろうが。そんなに綺麗な生き方なんか」
「勝負じゃねぇぞ。場合によっちゃただの大虐殺だ。――根本的な問題として、だ。ティアン。あいつがなんでそこまでする気になったと思ってんだ?」
 あ、と声にならない声を上げた。信じていたものが裏切られたからか。自分の人生をよいようにされていたからか。考えてもしっくりと来なかった。
「もう一つ。前にも聞いたよな? あいつはなんで、自分の命まで放り出す気であんたを助けた?」
「……友達だと、思って、くれて」
「ダチを助けるたんびに投げ出してちゃ命がいくらあっても足らねぇよ」
「お前だって、ダモンのためにはそうしてる。俺には、そう見える」
「命までは投げてねぇな。俺には能力がある。あんたら常人よりよっぽど色んなことができるぜ? 死なないでな」
 できないことももちろんある。が、有効だったから自分の能力を活用したまで。ニトロはそれだけのことだと言い切る。けれどダモンは違ったはずだと。
 いまも闇の中、密やかに駆けているダモンが見えるかのようだった。青い顔をしたまま、どこかに行くダモン。帰っては来ないような気がした。結果がどうあれ。二度と、会えないのかもしれない。いま、このあとはもう。
 胸苦しいような、それは思いだった。呼吸すらもできなくなる、そんな奇妙な。温室でのダモンの笑み。瞼の裏に浮かんでは消えて行く。二人きり、他愛ないことを話していた記憶、思い出。知らずティアンは自分の胸元を掴み締めていた。ゆっくりと息を吐く。それでも苦しさは変わらない。あぁ、と思った。簡単なことだったのかと。
「……ダモンが、好きだ」
 ただ、それだけのことだったのかと。心配で、不安で。もう一度会いたかった。もう一度、あんな風に笑わせたかった。
「殺したかったんじゃないのかよ?」
 からかうようなニトロの声に黙ってティアンは首を振る。ダモンが殺されたいと願ったから、自分は殺したいと願ったのだとついに理解する。目を上げて、ニトロを見つめた。
「ダモンが惚れてるのは、でも。お前なんだろ?」
「……いい加減に本気でぶん殴るぞ、お前」
「だって、そうだろ!? お前といるときいつもダモンは安心した顔してた。俺といるときとは違う。あの……腕輪だってそうだ。肌身離さず大事にしてた」
 思い返せば胸が痛い。何かにつけてそっと腕輪に触れていたダモン。贈り主はニトロと知っていた。長い溜息に正気づく。
「安心? そりゃすんだろうよ。愚痴は言い放題、馬鹿話もし放題。好き勝手言えるダチってのは何かにつけてありがたいもんだろうが。ついでに腕輪な。確かにあれを作ってやったのは俺だぜ」
「……だろうが」
「ちなみに、あれは鞘だ」
「は、鞘? なんのだ。いい加減な――」
「言ってねぇよ。事実だ事実。管になってんだよ、あれ。中に、糸鋸ってわかるか? あれをもっとずっと細くしたようなもんが入ってる。絞め殺すも切り飛ばすも自由自在だな、あれは。あんまり細いから見えないし」
「なんでそんな物騒なもん」
「まだわかんねぇのかよ? 元々のダモンの武器だ。暗器ってやつだな。俺は持ち運びを楽にするもんを作っただけ。鞘だろ?」
 ニトロの言葉を信じるのならば、確かにそのとおり。不可視の銀の鞭、ニトロは小さく笑って詩的なことを言う。甘い表現さえ冷え冷えとするような、ティアンの知らないダモンの姿。忌まわしい殺人者とは微塵も思わなかった。




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