慰めるような、励ますようなニトロの態度。忌々しくて視線をそらしたくない。知らず睨み据えるティアンにニトロは気づかないふりをした。そのティアンの表情が変わる。そのせいだろうか、ダモンが身構えるよう深く息を吸う。はっとしてティアンとダモン、二人揃って部屋の片隅に目を向けた。 「あれは……」 ほんのりと光っていた。温かで柔らかい光。ニトロは気にした素振りもない。ということは安全なのだろうと思ってしまう。それがまた癇に障って仕方ないティアンだった。その光が収束し、と思えばそこにはデニスが立っていた。 「どうよ?」 魔術師たちにはどうと言うこともない現象だったのだろう。カレンは何気なく振り返って弟子に問う。デニスもまた当たり前に帰宅の挨拶をしていた。 「とりあえず把握してるのは全部その場で捕縛済みです」 「移動させたか?」 「いえ。それだと目立つだろうってアラン様が。現場に魔術師の方が急行して訊問してきました」 さすがアランさん、カレンが微笑んで呟く。何者かはわからないながら魔術師だろう見当はついた。それにニトロが学院の院長だ、と教えてくれる。 「それで?」 「まぁ、さすがにすぐに吐いてくれるわけもないんで」 顔を顰めてデニスは魅了の魔法を使ったようだ、と報告をした。倫理的に同意しかねるが致し方ない、と表情が語る。生真面目な弟子をカレンが微笑んで眺めていた。 「けっこうな大部隊を送ってきてたみたいですね。幸い部隊長って言えばいいんでしょうか。それも捕縛できました」 「……誰?」 ぽつんとしたダモンの響きにデニスが背筋を伸ばした。何かを言ってやろうとしたのがティアンにも見てとれる。言葉を止めさせたのはカレン、そしてニトロ。ティアンは無言で唇を噛んでいた。 「トゥット、と言っていたよ。……知ってる人?」 「……知ってる。僕の、導師様だ……。導師様が……なぜ」 「それだけ本気ってことかな?」 「で、デニス坊や。そのトゥットか? そいつは何を言ってるんだ。聞けたのか?」 「はい。まず主要目的はダモン君とティアン君の暗殺。魔術師の一人二人殺せれば儲けもの、というところのようです」 「うちもか?」 「イーサウ相手の商売は今のところ請けようがなかったみたいですから。魔術師も殺せば死ぬってわかれば仕事になるから、だそうですよ」 「そりゃこっちも生きもんだからな。殺しゃ死ぬけどよ」 呆れた、と言わんばかりのカレンだった。その程度で済ませてしまうようなことなのだろうか、これは。さすがにティアンも絶句する。 「商売って……そんな……」 先ほどのやり取りを知らないデニスだった。ダモンの動揺の意味がわからないらしい。あとで、と兄弟子に目顔で伝えるニトロの眼差しをティアンは見た気がした。 「導師様が、どうしてティアンを……?」 「うん、その……。ちょっと言いにくい、のかな? モルナリア伯爵家から、ティアン君を消せって依頼を受けたみたい。それから――」 「エッセル伯側からもかよ、デニス?」 「性格が悪いんじゃないのか、ニトロは。そのとおりだよ!」 「なんで、そんな……」 「あんたにゃ耳が痛いだろうけどな、金の二重取りができるから、だろうな」 「そういうことか。アイラが言ってただろ? 両伯爵家がティアンを本気で捕縛にかかってる気配がないってな。つまり」 「その時点で闇の手と契約が済んでたってことか。そんで一応の体裁をつけるためだけに追跡するふりをしてた。なるほどねぇ」 「どっちの伯爵家も自分だけが契約したって小躍りでもしてたんだろうよ。踊らされて馬鹿を見たわけだな」 淡々と語られる師弟の言葉。信じたくはない、が、あり得るだろうと思ってしまった。今更に。ここに至ってようやく。 正しくないものを粛清する、それが務めと信じていたダモン。やっていたのはただの人殺し、それも金を得るための人殺し。唇から笑いが漏れる。 「ダモン、その。大丈夫じゃないのは、わかってるんだ。こんなときなんて言ったらいいのか、俺には」 ティアンが覗き込んでいた。黙って笑いながら首を振るダモンを不安そうに見つめている。ニトロは少しだけ安心していた。かくなる上はやはり自分が死ななければ。ダモンがいつそう言い出すかとひやひやしていた、本当は。ちらりとカレンを見やれば制約の呪文の拘束下に置く必要はもうないだろう、と片目をつぶられる。 「モルナリアは実行犯であったティアンを消す、エッセルはやっぱり実行犯のティアンを殺して憂さ晴らしをするってところか。なるほどな。単純な話ではある」 「単純、ですかねぇ?」 「わかりやすいだろうが。政治絡みじゃないだけましだ」 ニトロに言い放つ師の姿にデニスが肩をすくめていた。そんな話など二人は聞こえてもいない。痙攣するよう笑い続けるダモンが心配でならない。 「で、デニス坊や。話はそれだけか?」 「あ。いえ! 忘れるとこでした。アラン様が雨を降らせるそうです」 「さすがアランさん。時期的にも不自然じゃない、自然現象と区別つかねぇしな。よし」 気合を入れてカレンが立ちあがる。その風が巻き起こるような動作にダモンがようやくのろりと顔を上げた。 「色々な、心配事やなんか。あるだろうさ、そりゃな。世界がひっくり返ったような気だってしてるよな、うん? でもな、お前は一人じゃない。みんながお前の周りにいる。みんながお前を助けようとしてる。いまは、わからなくていい。覚えておくだけでいい。覚えたか?」 促されてうなずいただけだとはカレンにもわかっていた。ただ、聞こえているのならば何かしらは彼の心に残るだろうと信じる。気づいてもいないのだろう涙に濡れた頬を指で拭った。 「師匠。それ、口説いてるようにしか見えませんから」 「うっせぇな。私が若い男を口説いたらなんの問題があるってんだよ」 「……あ。そういや女だったわ。いやもう、どっから見ても野郎が野郎口説いてるようにしか見えなくって。ダモンもだぞ? 赤くなってないで嫌なら嫌って言えよあんた」 からからと笑うニトロの頭に痛そうな拳が落とされた。顔を顰めるのはけれどデニスの方。緊張感がないにもほどがある、と思っているらしい。ティアンも同感だった。 「別に、嫌では。いえ、そういう意味では――!」 「いい、いい。馬鹿言ってるニトロが悪い。私はアランさんの方に行くからな、ここは任せたぜ、次男坊」 「へいへい」 「長男坊はお母さんのお手伝いだ」 「……剛毅すぎるお母さんはちょっと嫌なんですが」 言いつつデニスは少し嬉しそうだった。師の手助けができる、それに心躍らせているのだろう。ニトロはそれを見てとったけれど、あからさまに顔に出すことはなかったデニスを評価する。生意気だぞ、と視線が飛んできた。 「あ――!」 扉から出て行くのだとばかり思っていた。と言うより、他のことは考えていなかった。けれど二人の魔術師はその場から掻き消える。瞬きをしたらもう、彼らはいない。 「転移して行ったんだよ。便利だろ?」 「それは……魔法、なんだよな?」 「おうよ。ダモンは経験してるよな。意識なかったけど」 話を促されたのだろう。とは思った、ダモンも。会話を続けることで立ちあがらせようとしてくれている。それも感じた。それでもなお、心にある空虚。自分の人生はなんだったのか。いまにして思う。 ぽっかりと空いた暗闇を見つつダモンはそれでも話していた。ティアンもすでに聞いた話だ。馬の暴走を装って殺されかけたあの話。はじめて聞くような顔をして神妙に彼は聞く。そして共同墓地からの転移。 「僕は意識がなかったから、ニトロに聞いただけだけど」 「せっかく死んで見せたのに土まみれでそのへん歩いてちゃバレバレだからな」 「……君が」 「まぁ、結果としてばれたがな。時間稼ぎにしかならないだろうとは思ってたからまぁ、よしってとこだ」 「そう、なのか?」 「それほどぬるいとこでもないからな。それに……これ、言っていいのかな。師匠は最初から決着つけるつもりだったんだろ」 「結社と、魔術師の?」 「いいや。あんたと、結社の。だから名前を変えさせることをしなかった。だから、外見を変えることもしなかった。俺もできるけどな、師匠の手にかかりゃあんたは別人の顔と体になれるぜ? それをしなかった」 「……なんでだ、どうして。そうすればダモンはこんなに!」 「だからな、ティアン。逃げ回ってどうするよ。俺らがついてやってる間はいいさ。ちょっと目を離した隙に殺されんのかよ? だったら決着つけちまえってのが師匠の考えだろうと俺は思う」 「それは……でもな……! そんな、勝手に。そいつのためになるんだったら何してもいいとでも思ってんのかよ!?」 「思ってねぇよ。――俺は魔術師で、あんたら常人とは生き方も生きる時間も違う。だからかもしれない。無茶やってるように見えるのは承知の上。そのぶん、助力は惜しまない。全力でダモンを助ける。心身両面でな」 言っていることはティアンにも理解はできる。納得ができないだけだ。ダモンはと見れば少し青くなっている。それににやりとするニトロだった。 「これが、俺の信じる正しいこと、だ。魔術師として、師匠の判断は正しいと思う。これが救いだと思う。――さて、あんたは?」 「あ……」 「これが、あんたの知らなかった世界の一端だ。これがすべてじゃない。ティアンの言う通りだ。俺らは善じゃない。間違ってることもある。迷惑かけてるだろうなとも思う」 「それでも、これが……君の、正しいこと……」 「あんたが信じてた世界とは、けっこう違うな?」 「当たり前だろ!? 世の中いろんな考えがあって当然だろうが! だから神殿がある。神様がたくさんいるってのはそういうことだろ!?」 「まったくもってそのとおり。ティアンに同感だ。こういう考えもある、別の考えもある。それはそれでいいだろうってのが、まぁ、たいていのこの世の中だ。でもな、ティアンよ」 鋭いニトロの目。深い青がティアンを射抜く。浅黒い肌の中、まるで閃光を見たかのよう。 「そう教えられてなかったのが、ダモンだ」 ただ一つの考えだけを絶対の教えとして授けられたダモン。その中だけで生きてきたダモン。気づかわしげに見つめるティアンの眼差しからそっと視線を外した。 |