夢のあとさき

「なんと言ってもこれが一番楽しいのよね」
 アイラの眼差しの先。二体二の対戦がはじまっていた。ほとんどの組は魔術師と常人の兵士。だが中には魔術師同士、常人同士の組もある。ニトロは、と見れば自衛軍の兵士と組んで順調に勝ち上がってきていた。
「君は――」
 零れ落ちるようなダモンの声。それとなく見やればためらいのある仕種。それでも、とばかりダモンは言葉を唇に乗せる。
「出ないのか?」
 なんのことだ、とティアンは首をかしげそうになった。何もかにもない、対戦のことだろう。あの場にもし自分がいたらダモンはどうするのだろう。ニトロと対戦することになったら彼はどちらを応援するのだろう。聞くまでもないことのよう思えてティアンは言葉に詰まる。ダモンはただ想像しただけだ。ニトロとティアンが組んだならばどれほど見事だろうかと。
「――君の剣が、好きだった」
「え?」
「モルナリアで、騎士たちと剣をかわす君を見ているのが――楽しかった」
「見て、たのか?」
 騎士たちに排斥されていた身ではあるけれど、そのせいかかえって対戦を求められることもままあった。決して多くはなかった立ち合いの場面、何度かはダモンを見かけたことがティアンにもある。けれどいまの言葉の印象はそんなものではなかった。戸惑うティアンに視線を合わせないままダモンはかすかに微笑む。
「見てたよ。――伯爵が君を注目していたのもあったけど」
 それだけではない、匂わせたダモンのその言わなかった内容のほうこそをティアンは知りたい。口をつぐんだままダモンは競技場を眺めていた。
「君はいつも、血の匂いをさせていた。怪我をさせられている君だったけれど、いやな臭いではなかった。真っ直ぐで、健やかな、とてもいい匂いがしていた。――ごめん、気持ちの悪いことを言ったな、僕は」
「いや――」
「すまない」
 それを限りにダモンはまた黙ってしまった。そっと右手の腕輪に触れている。ニトロが贈っていたあの腕輪。どんな気持ちで身につけているのだろうとティアンは思う。
「あ、やった!」
 勝ち進むニトロ組にとどめを刺したのは意外にも常人の組。タスとユーノの兄弟が熟練の技で彼らを翻弄し、一瞬の隙をついてはニトロたちの喉元に剣。まるで鏡のよう、同時にそれはある。苦笑してニトロが己の剣から手を離す、相方もまた。会場中に歓声が上がった。アイラは自分の隊員だということもあってか両手が痛くなるほど拍手を送る。
「ティアンが出てたら、あそこにいたのはあなたかもよ?」
 観戦しながら話は聞こえていたのだろうアイラの茶目っ気たっぷりな声。ティアンは苦笑し首を振る。ちらりとダモンが見やってきた気がした。
「俺は猫の人間じゃないからな。出るわけにはいかないだろ」
「気にしないでいいのに。あんまりうるさく言う国じゃないよ、ここは。ね、おば様?」
「まぁな。出りゃよかったんだ。倅を叩きのめしてくれてよかったんだぜ?」
「――とか言って師匠はニトロが負けると怒るくせに」
「そりゃな? 修行不足は否めねぇってやつだろうが。相手に怒るわけじゃねぇぞコラ」
 デニスにごつんと拳を落とし、けれど師弟は笑っている。アイラも笑っている。ダモンまでかすかに。密やかな笑みは出会ったころのよう。温室で、その笑みが大らかになっていくのを見ていたはずだった、自分は。いま、元に戻ってしまったダモンを思う。
 闘技会は盛況のうちに終了を見た。わいわいがやがやと観客たちが帰途につく。あの戦いはよかった、誰それは拍子抜けだったと口々に興奮しながら夕闇の中を歩いて行く。
「腹減ったな。なんか買って帰ろうぜ、いいでしょ、師匠?」
 これから家に帰って炊事をするのかと思うと投げ出したくなる、笑うニトロにカレンが苦笑していた。弟弟子の背を叩くデニスは呆れ顔。
「お前がやるんじゃないだろ。家にいるときは僕がやってるじゃないか」
「俺が作ったもん食うのを嫌がるのは誰だよ?」
「僕だけど! お前も師匠も大雑把すぎるんだよ!」
 笑いながら文句を言うデニスと並んで歩くニトロ。その後ろにうっかり並んでしまったダモンとティアン。二組の背を苦笑しながらカレンが眺めてぶらぶらと行く。
 闘技会を見込んでか、様々な屋台が出ていた。食べ物あり飲み物あり、菓子まである。いずれも煌々と明かりを掲げての贅沢な設え。ミルテシアでは考えがたかった。
 元々イーサウ本市街には多くの屋台が出る公園がある。ティアンも行ったことがあったけれど、ずいぶんな見物だった。
「今日は、あれよりすごいな……」
「本当に。ずいぶんな人出だな」
「迷子になりそうだよ、俺は」
 くすりと笑ったダモン。すんなりと続いた会話だった。それに気づいたのかダモンは息を飲み、戸惑う。ティアンも同様だった。
「おい、なんか食いたいもん、あるか?」
 そっけないニトロの声に救われた気がしてティアンは忌々しくなる。あからさまにダモンがほっとしているのだからなおのこと。それを口にするのも忌々しくて目をそらせば珍しいものを見た。
「あ……パニェット」
 ティアンの声につられるようにしてダモンもそれを見た。ミルテシアではよく見る菓子だった。甘パン、と言った方がいいだろうか。酒に漬けた干し果物がたっぷりと混ぜこまれている、祝祭にはよく売られる菓子だった。
「あいよ」
 にやりとしたニトロが菓子を求める。それに礼も言いかねていればダモンの方が言ってしまった。とんだ礼儀知らずな自分が嫌になる。背後でカレンが笑った声が聞こえた。
 あれこれと買い求め、家路をたどる。屋台を見て歩くのも楽しかった。が、それ以上に空腹だった。観戦に熱が入っていたのだろう、ダモンも。空腹を訴える珍しいダモンの姿。ニトロにはそんな態度を見せるのかと思えば忸怩とする。
 カレンは家につくなり片手を振る。あっという間に明かりがつく。魔法のようだ、と思ったのは最初のうちだけ。いまは紛れもない魔法と知っている。
「ちと寒いか? 私らは気温に耐性があるからな、よくわかんねぇんだよ。どうだ?」
「え? あ……僕は。君は?」
「少し、肌寒い、かな? 耐性?」
「あぁ、魔術師は外気温に左右されにくいんだ。左右されにくいだけで、焼死も凍死もするけどな」
「それ、外気温の問題じゃないですから!」
 あっさりと言うカレンにニトロが抗議の声。笑いながらしているから、あるいは常人相手には何度となくしている決まりの冗談なのかもしれない。再びカレンが何かを呟けば暖炉に火が入る。仄かに漂う薪の匂い。
「心和むものですね、火の匂いは」
「だな。私も好きだよ。だから寒くもないのに用意をしてある」
 使う必要はないのだ、とカレンは言った。必要がなくともかまわないのではないかとティアンは思う。贅沢な遊びだとダモンは思う。いずれも、豊かさを感じていた。財物のそれではなく、カレンという人の在り方のそれが。
「できたぜ。食おう」
「これはできた、じゃなくって盛り付けた、だ!」
「一緒だろ?」
「どこがだよ!」
 言い合いをしながら皿を運んでくる弟子たちを見るカレンの目は優しい。それをティアンに見られたと気づくなり咳払いをするのだからおかしな女もいたものだと思う。
「優しい、楽しい方だな、カレン師は。そう思わないか?」
 ダモンもまた見ていたのだと知ったティアンはどう答えたものか考えてしまう。言いたいこと、問いたいことがたくさんあり過ぎて、なにをどう口にすればいいのかわからない。こんな他愛ない言葉にすら。結果ただうなずくだけになってしまうのをダモンはどう解釈するのだろう。彼の表情は変わらなかった。
「せっかく倅どもがあっため直してくれたからな。冷めないうちに食っちまおうぜ」
 にやりとしたカレンにこちらの戸惑いもなにもかも見抜かれている。ティアンは視線をそらし、だからダモンの感謝のような眼差しを見ることはなかった。
 さすがの贅沢なのか、カレンが食事に用意する葡萄酒はいつも美味だった。小ぢんまりとした明かりを灯しているいま、外からこうして食卓を囲む姿さえ見えるような小さな家。そんな家に暮らしていても彼女はこの国の有力者、そういうことなのかもしれない。
「好きそうなものを買ってきたつもりなんだけど、どうかな?」
 デニスがダモンに尋ねている。皿を見回しダモンは少し嬉しそう。普段はデニスやニトロ、カレンの手料理ばかりだからこういうものはかえって珍しい。
「うまそうです。いや、デニスさんの食事がそうじゃないってわけじゃなく! 珍しいって言うか。そういうことで」
 せっかくの心遣いに感謝をしたはずなのによけいなことを言った。慌ててティアンは食べ物を放り込む。そんな姿をダモンがくすりと笑った。笑いながらニトロも食べはじめ。その瞬間。
「ニトロ!?」
 ダモンが声を荒らげていた。珍しい、思うより先にティアンは気が遠くなりそうになる。ニトロに喉元を掴まれていた。飛びかかってきたニトロにあっという間に押え込まれた自分。もがけば椅子から転がり落ち、それでも圧し掛かってくるニトロ。
「ダモン、どうした!? 大丈夫か!? デニス、薬草師……いや、神官だ!」
 愕然としていた。ティアンに気を取られたせいか、否。カレンの技量。一瞬の隙にダモンは拘束され床へと引き倒されていた。そのカレンの唇、動いてもいない。それなのに声が。部屋中に響き渡る大声にデニスがにやりとし、ついで顔を引き締めては飛び出して行く。意外と繊細な魔術師の手がダモンの口を覆い言葉を封じていた。
 床に倒されたダモンとティアン。圧し掛かるような二人の魔術師。ダモンは下手なことはしない、とカレンの腕を叩く。ようやく放してもらえた。
「おい、生きてるな?」
 掠れたニトロの声、喉に絡んで聞き取りにくい。軽い咳払いと共に言うニトロにティアン共々ダモンは不審な表情。気づいたカレンが顔を顰めた。
「生きてって……どういう……。おい!?」
「うっせぇな。生きてんだったらそれでいいんだよ」
 ぐい、とニトロが口許を拳で拭う。鮮血で染まっていた。思わず這い寄りダモンはその手を取る。つん、と鼻をつく臭い。蒼白になるダモンにそっと微笑みニトロはうなずく。
「どうです、師匠?」
「おう。行ったな。念のためだ、移動するぜ」
「うい、了解。そのまま這ってついてきな」
 何もわからないまま二人は従う。一度だけダモンはニトロの手を握った。また、助けられた。また、救われた。気にした風もなく笑むニトロをティアンが見ていた。




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