夢のあとさき

 うとうとと眠って過ごした。ニトロがいたり、いなかったり。誰かに見守られて眠るとは、こんなにも安らぐことなのかとダモンは驚く。普通の子供は、こんな気持ちで眠るのかと。はっきりと目覚めたのはもう夕暮れも間近なころ。さすがに空腹を覚えた。
「おう。起きたか。ちょうどよかったぜ」
 まるで間合いを計っていたかのようなニトロだった。手には湯気を立てる器を持っている。食事を持ってきてくれたらしい。
「すまない。なんだか……ずっと眠っていたな」
「そりゃそうだ。衰弱してるって言っただろ? 痛みってのは案外くるぜ?」
 にやりとされてダモンは苦笑する。知らないわけはなかった。そのような訓練をこそ、積んできたのだから。
「普通の飯でも食えるだろうけど。体が疲れてるときにはこういうもんのがいいからな」
 半身を起こしたダモンの膝の上、芸術品のような盆が置かれてぎょっとする。その上にニトロはなんと言うこともないように小鉢を置いた。
「……おい」
「うん?」
「こんな……美しいものを、使うのか? その、大事なものなんじゃ?」
「あぁ……。別に大したもんでもない。褒めてくれるのは嬉しいけど。俺の試作品だし。ちょっと失敗してるから自分用にしてるだけだ」
「……君は、魔術師なんじゃ?」
「魔術師だって食わなきゃ死ぬって言ったのはうちの大師匠だけどよ。そのとおりだぜ? 研究資材は湧いて出るわけでなし、食べもんだって着るもんだって生えてくるわけじゃねぇし」
 手仕事の類を売るのは魔術師としてはよくあることだ、とニトロは笑った。いままで知らなかった魔術師の姿だ、とダモンは思う。そもそも魔術師をさほど知りもしないのだけれど。
「ほれ、冷めないうちに食っちまえって」
 勧められ、器を手に取ればじんわりと温かい。乳で煮た麦の粥だった。干し果物や木の実がたっぷりと入っている。器の横には赤みを帯びたとろりとした蜜が添えてある。
「これは?」
「中に入ってんだろ? 干し果物を漬けといた楓蜜だ。蜂蜜より俺は好きかな」
「……君が、もしかして煮たのか?」
 まさか、とニトロは笑う。そして粥を煮たのは兄弟子のデニスだが蜜漬けを作ったのは師のカレンだ、と言う。
「意外、と言っては叱られてしまうな、きっと。――おいしい、とても」
「いや、笑うだろうよ、本人も。まぁ、自衛に作ってるんだけどな、師匠も」
 ニトロも粥を相伴していた。たっぷりと蜜をかけてうまそうに食べている。旺盛な食欲が見ているだけで目に楽しい。つられるようにダモンも匙を動かした。
「自衛?」
「あぁ。魔術師ってのは、限界まで働きがちでな。飯食う気力も体力も残ってない、なんてことがままある。でも食わなきゃ戻らない。なんとか食う体力だけでも戻すためにな、甘いもんを作っておいてある」
 言いながら足らなかったのだろう、また蜜をかける。若干胸焼けがしそうな景色だ、とダモンは笑った。それが苦笑に変わる。
「……少し、似ているな。僕もそうだった。倒れるまで訓練に励んで、砂糖の欠片を口に放り込む。そんなことをよくしてた」
「何かを極めようとなったら、そんなもんだろ?」
「君はいいさ。まともな道だ。でも、僕のは――」
 匙を取ったまま、ダモンは小さな吐息を。この手でどれほど「仕事」をしてきたことか。ニトロのような真面目な研究では決してない。
 あの時もいまも、それが正しい道だと信じていた。世の中とは違う考えなのは、自分たちこそが正しいから。闇の手の粛清が暗殺、と呼ばれる忌まわしいものだと知ってはいても。ニトロの研究を真面目だと言えば言うぶん、ダモンは自分もまた真面目に励んでいた、と思う。思わざるを得ない。
「なぁ、ダモン。あのな、俺は、たとえばモルナリアの城だったらな、岩屑になるまで潰すのなんか楽なもんだぜ? 伯爵殺すんだったらどうかな。ん……まぁ、干物にすんのが一番楽かな」
「……はい?」
「俺の腕だと氷漬けにするのはちょっと効率悪すぎてな」
「待て、そういう問題か!?」
「わかるか、ダモン。俺は、できる。俺ができることを、イーサウの人間は知ってる。俺程度でも、魔術師ならこんなことができるってのをここの人間は知ってるんだ」
 その上で、イーサウの人間と魔術師は共存している。異種族と見做しながらでも、互いに手を貸しあって生きている。ニトロの言葉にダモンは息を飲む。
「あんただってそうだ。できるとやるは違うだろうが? あんたは人殺しをしてまわりたいのか? 違うだろ。仕事だからやってた。だったらあんたは依頼がなきゃやらない。そうだな?」
「それは、そうだけれど……」
「その一点で、あんたは安全な人間なんだ。わけもわからず剣ぶん回す馬鹿とは違うって保証があるんだ」
 そんな保証など聞いたことがない。ダモンは言わない。そのようなものと納得できたわけでもない。ただ、ニトロの言葉が染み込んだ気はした。
 黙ってしまったダモンにニトロは食後の茶を淹れてやる。それも無言で飲んでいたダモンだった。無表情の裏側で、必死になって考えているのだろう彼が好ましい。
「ようやく生きることをはじめたな、あんた」
 器を手の一振りで片づけて、別のものを取り寄せる。それに驚いた顔をしたダモンだったけれど、言葉の方が気にかかると見えて目に疑問が表れる。
「いままでは、なんて言うかな。動いてるだけだった。生きてみる、努力してみるって言いながらな、人形みたいだった」
 そのとおりだ、今にしてダモンは思う。ニトロの言葉どおり。自分はティアンを探すことなく、探し当てられることを望んでここにいた。再会するのが怖かった。怖かったのだと、ようやくわかる。殺されたいとだけ、思っていたのに。出会うことそのものが怖かった。
「少し、君が羨ましい。イーサウという町が羨ましい。――そんな風に生まれ育つというのは、どんな気分なんだろう。僕には、わからない」
「あぁ、誤解があるな。俺、イーサウの生まれじゃねぇぞ?」
 言っていなかった、とニトロは笑った。何か手仕事をはじめながらだから、少し照れたのかもしれない。ニトロの感情ならばわかるのに、ティアンのそれはわからない。わかりたくないのかもしれないとふとダモンは思った。
「俺はラクルーサの北の方の生まれでな。家族はよかったんだが……集落は魔力持ちが出たのを嫌ってよ。それでこっちに来た。俺一人で」
 ダモンは目を瞬く。ニトロは魔法学院育ち、と言っていた。ならばそれはもっとずっと幼いころのことになる。さすがに愕然とした。
「捨てもしないで学院に行けって勧めてくれたんだから実の親はいい人だと俺は思ってるぜ? 五歳かそこらだな。それからずっとイーサウだ」
 実家との関係は断ってしまったけれど、ニトロは言い添える。それが互いのためだからと微笑んで。ダモンは唇を引き締める。自分は親の顔を知らない。物心ついたときには結社だった。ニトロもまた。親の顔は覚えていたとしても。
「学院時代もな、俺はこの見た目が嫌いでよ。なにせ目立つ」
 そうだろうと言うようニトロが首をかしげて見せる。白金の髪は長さこそ短いものの、確かによく目立つ。まして浅黒い肌とあっては。
「親もだったのかね? 目立って可哀想だと思ったのかどうか。イーサウについたときには髪は染めてたんだよ」
 モルナリアで見たあれがその姿だ、ニトロは苦笑する。以後ずっとそうして過ごしていたのだと。素顔を知っていたのはネイトだけだった、ニトロは言う。
「ダチと言えばネイト一人。引っ込み思案で暗くって、下向いたまんまもごもご言うようなガキだったぜ? ――それがまぁなんでこうなったかね? 変われば変わるもんだわ」
 呆れて自らを笑うニトロ。が、ダモンには別の言葉に聞こえた。お前もまた変わることができるのだと。答えられずじっとニトロの手元を見ていた。
「……それは、なにを?」
 あからさまに話を変えられてもニトロは怒りもしない。ただ話題が移ったとばかり。申し訳ないような、ありがたいような。そんなダモンにニトロが片目をつぶる。気にするな、と言ってくれた。
「さっき言っただろ? 暗器の改良。思い立ったときにやってみようかと」
 とんでもないことを言っている自覚はあるのだろうか、この男は。ある上で、それを使うかどうか委ねられたのだと気づく。できるとやるは違う。先ほどの彼の言葉。知らず拳を握りしめていた。
 その間にニトロは仕事を進めていた。金属の細い管に銀糸状の針金を仕込むつもりだった。腕輪に偽装すればわざわざ袖に隠すこともない。
「ちょい腕貸せ。あいよ、ありがとさん。大きさはこのくらいでいいな」
「ニトロ、君は何をどうするつもりなんだ」
「だから……ってあぁ、そっか。言ってねぇな。悪い、魔術師の悪い癖だな。どうにも先走りがちだ」
 苦笑するニトロからようやくダモンは話を聞かされる。呆れるような笑い出すような、もうどうにでもなれと言うような気分。が、悪い気分ではなかった。
「ニトロ、それでは目立ちすぎる。暗器を光らせてどうするんだ」
「わかってるっての。これから……ほれ、これでどうよ?」
 こんなにも堂々と暗器を作っていていいのだろうか。思ったものの面白さの方が先に立つ。そんなダモンの目の前で、ニトロが手にしていた金の管が光を失う。古金色に変化したそれが意外なほどに美しかった。それをひょいひょいと曲げ、細工を施し、ニトロは仕上げをしていく。
「魔法の道具?」
「いいや。細工を魔法でやってるだけ。モノは普通の暗器だぜ」
「そもそも普通の暗器って言葉がどうかしてるんだ」
「その辺の突っ込みはなしで」
 にやりと笑うニトロの手の中、腕輪ができあがりつつあった。留め金に偽装されたものをひねれば軽い感触と共に外れる。音がしないのも素晴らしい、思わずダモンは見惚れていた。外れた部分がそのまま錘となり、銀糸を引き出せば一瞬で暗器に様変わりする腕輪のできあがりというわけだった。しかも一度引き出してから手を放せばするりと銀糸は戻っていく。自分ならば手首のひねりで気づかれないうちに腕輪に戻すことが可能だろう。ダモンは思う。
「物騒なものを作ったな、君は」
「持ってるなら綺麗な方がいいだろ? にしても、地味だな。柄入れるか。なんか好きな花かなんか、ねぇの?」
「……エレオスの花が」
 一つうなずいてニトロは細工をしていく。あの日、三人で摘みに行った花だと、それがあの日の毒の材料だと、気づいていないニトロではないはずなのに。黙々と仕事をするニトロの手元、古金の腕輪に銀の線刻象嵌が。それも彼が一撫でするとともに黒ずんだ古色を帯びる。
「あんたが何を思ってエレオスをあげたのかは聞かない。ただ、魔術師は触媒ってもんを使うこともある。植物や鉱物が象徴するものを利用するんだな。――エレオスの象徴は、大いなる恵み、だ。あんたに大いなる恵みがあるように」
 かすかに笑いつつニトロがダモンの手に腕輪を乗せた。ありがとうと、言うつもりだった。笑みを浮かべたつもりだった。気づけば腕輪を握りしめ、泣き笑いのままニトロを見ていた。




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