次々と決まっていく今後にダモンが慌てていた。動揺もあらわに立ちあがり、カレンの腕を取る。それに彼女が意外そうな顔をした。 「やめてください……、僕は。僕が死ねば済む話です」 言った途端だった、カレンの表情が目をそらしたくなるほど剣呑になったのは。アイラですら息を飲み、硬直する。小さなニトロの溜息。 「なに馬鹿なこと言ってんだ? 俺はあんたを死なせるために助けたんじゃねぇよ」 「それは、わかってる。ありがたいとも思ってる」 本当か、疑うようなニトロの目にダモンは微笑む。温室で見ていたあの笑みに近いような、優しい眼差し。ティアンこそ目をそらした。 「ティアンは僕を殺したいと思う」 「そんなこたァ」 「どうなんだ、ティアン。違うと言い切れるか」 「それは――」 「君の人生をめちゃくちゃにしたのは僕だ。正直に言って、もう詰んでいるだろう? モルナリア伯爵家、エッセル伯爵家に追われて、君が生きて行く場所はないも同然だ。イーサウなら安全? その根拠は? ないだろう」 そのとおりだ、とティアンは思ってしまう。現状では率先して捕縛に動いてはいない様子ではあったけれど、逆に言えばいつ両家が手を組んで襲ってくるかわかったものではない。個別に襲われればなお悪い。かすかにティアンが青ざめた。 「更に言えば、君は僕とかかわってしまった。闇の手の暗殺者と、かかわってしまった。この期に及んで君が何も知らないと言っても通じない。間違いなく結社は君も消しにかかってくる」 自分の生存が知られれば、そしておそらくそれは間違いのないことで、ならばティアンの明日はない。ダモンは言い切る。ただ、それはダモンの本心ではなかった。闇の手は、決してそのようなことはしない。ティアンは粛清対象ではない。自らが習い覚えてきた教えに照らし合わせ、それは確実なこと。だからダモンは世の中の人々が暗殺者というものに対して感じる怯えを利用しただけ。いまはただ恨まれたかった。 「そんな目に合わせたのは、僕だ。憂さ晴らしの一つでもしたいとは思わないのか」 「いい加減にしろ、ダモン。ティアンは――」 「ニトロは黙ってて。これは、僕とティアンの問題だ。偉そうなことを言うけれど」 言ってからためらいがちに申し訳なさそうな顔をしたダモン。苦笑しつつうなずくニトロ。たぶん、そのせいだったのかもしれない。ティアンが口を開いたのは。 「……正直に言って、殺したくないと言ったら嘘だな」 愕然としたアイラとマーテル。馬鹿なことを、とでも言うようなエイメの厳しい眼差し。カレンはそっぽを向いてあからさまな溜息をつきニトロはわざとらしい長い息を吐く。一人ダモンだけが莞爾とした。 「だろう? だからカレン師。僕に手間をかける必要なんてどこにもない。さっさと郊外にでも出かけて――」 「おい、ダモン」 「なん――」 振り返った途端だった、ダモンの頬がニトロに張られたのは。さすがに驚いたらしい。目を丸くして頬を押さえる。 「なぁ、あんたは言ったな。あいつにできなかったことをしてみたい、そう言ったはずだ」 「それは、言った」 「あいつの代わりに生きる、とは言わなかったな? それだったら俺は反対してた。あいつのできなかったことをしたいから、そうやって生きてみたいから、あいつの名前を貸してくれって言ったあんたに俺は賭けたんだ」 ぎゅっと拳を固めて、ティアンははじめてそれと知る。二人の間に何があったのか。なんの話をしているのか、まったく見えない。それが苛立って仕方なかった。 「僕の、適当な――」 「嘘だったとは思ってねぇ。あんたは――俺に二度もダチを失くさせる気か」 息を飲んだまま止まったダモン。見ていられなくてティアンはアイラに視線を移す。彼女は驚いてニトロを見ていた。 「……アイラ」 「あぁ、ううん。たいしたことじゃないの。――ニトロに、友達ができたんだと思って」 それをアイラが言う不思議。彼女とてニトロの友人ではないのか。そんなティアンの目に微笑んだアイラは答えなかった。 「軽々しく死ぬなんて言うな」 聞こえてもいないニトロだった。過去の情景がよぎってどうにもならなくなる。聞き知っているダモンはそっと眼差しを伏せるだけ。 「んー、まぁ、あれだな。うちの倅はどうにも重たいっつーか、暑っ苦しい男だよな。どーりでお友達ができねぇわけだわ」 「師匠!?」 「事実だろ?」 にやりと笑ったカレンになぜだろう、ニトロがほっとした気がしたのは。その理由も気づいているのかダモンが微笑む。またも拳を握りティアンは唇を噛んでいた。 「で、あんたはどうだ? 本気でダモンを殺したいと?」 「カレン様、その辺に――」 「いいや、こういうのはここで追い詰めとくべきことだろ、エイメ?」 「弟子たちや学院の子供たちならそうしますけど。常人の短い人生ですもの、ちょっと酷ですわ」 「状況が苛酷だからな。覚悟を持ってほしいんだっての。へらへらされてたんじゃ守り切れねぇわ」 肩をすくめたカレンにダモンが厳しい顔、まだ守ると言うのかと問うような。ティアンはなおのこと不思議でならない、なぜそこまでして守ろうとしてくれるのかが。 「私がなんでこんなに親身になるか疑問って顔だな?」 「それは、確かに」 「簡単なことだ。倅のダチだからだ。こいつが友達連れてきたのなんかはじめてじゃないか? だったらお母さんとしては頑張って体張ってやんないとなぁ、ニトロ?」 「こんながさつなおふくろは要らねぇよ!」 「だからって親父と呼ばれるのもどうかと思うだろうが」 「一応は女の端くれでしょうからね! 彼女がいても!」 「言ってるじゃない、ニトロ君。私とカレン様はお友達。仲のいい女友達っていうだけよ?」 「……俺、エイメさんが師匠の寝室から出てくるの見ちゃったことがあるんですけど」 「そんなに不思議なこと? お泊りしてお喋りしてただけよ?」 にこにこと笑うエイメに毒気を抜かれたダモンがいた。長々しい溜息をつくニトロがいた。ティアン一人、その中に入れない。 「俺は――いまは、よくわからない。殺したいとも思う。ダモンの言う通りだ。俺の人生はもう先が見えない」 自ら口にすれば実感が湧いてきた。二つの伯爵家に追われ、暗殺結社につけ狙われる自分。笑えてくるではないか。 「先が見えるようになったら? そのときダモンを殺してたら?」 「……俺は」 「まぁ、いい。とりあえず頭の隅にでも置いといてくれ」 「カレン師、ですから――」 またも話が望まない方向に行きかけたのを察したか、ダモンが声を上げる。それをじろりと見やったカレンに硬直したダモン。ニトロは内心で忍び笑いを漏らしていた。暗殺者とはいえ、いまだ若いダモンだ。いくら幼少のころから人殺しをしてきているとはいえ、カレンには敵わない。実戦経験が違う。誇らしいような空恐ろしいような、そんな気がしていた。 「よし、わかった。とりあえず二人とも呪うか!」 「師匠……」 「なんだよ?」 「とりあえずで呪うようなもんじゃないでしょうが!?」 「そうよねぇ、ニトロ君の言う通りかも。カレン様ちょっと過激」 ちょっとで済ませるな、ニトロが声を荒らげる。同じ魔術師として何を言っているのか理解したのだろうマーテルが青くなっている。ティアンは語感の忌まわしさに顔を顰め、けれどダモンの方は更にはっきりと顔を歪めていた。 「てめぇらみたいなガキがな、死ぬの殺すのほざくんじゃねぇや。私の半分も生きてねぇくせに吼えるなっつーの。だから、殺させない。そのために呪わせてもらうからな?」 一応は説明をしてくれたのだろうカレン。同意など求められることはなく、仮にそうされていれば共に拒んだはずの二人。あっという間にカレンに手を掴まれ。 「あ――」 カレンが指先を噛み切っていた。滴る血を自分の指になすりつけられた、思った瞬間に爪の色が変わっていく。騒めく背筋。ただ、それ以上は感じなかった。 「これでダモンはティアンに殺されたいと望むだけで痛い目に合う。いくらお前が痛みに強いって言っても、それ以上だからな? ティアンは殺したいと望むだけで以下同文。いいな、二人とも」 じろりと睨まれ、ティアンは言葉がなかった。同時に少しほっとしてもいた。ダモンを殺したいのかどうか。わからない。殺したい気持ちはある、それは嘘ではない。時折沸々とたぎるこの思い。 「ニトロ、計画変更だ。こいつらは話し合いが必要な気がしねぇか?」 「……俺はずっとそう思ってましたけどね」 「だったら言えよ」 言う暇などどこにあった。文句を言うニトロをエイメたちが笑う。長閑で、出来の悪い喜劇のよう。すでに元の色に戻った爪をダモンがじっと見ている。ニトロの言葉が耳に入ったのだろう、慌てて顔を上げていた。 「ニトロ」 「言われたくなさそうだったからな。言わなかった。それでいいか?」 「……ごめん、ありがとう」 「どういたしまして。悪いと思ってんなら死ぬなんてほざくな」 う、と言葉に詰まったダモンの気安さ。自分がアイラたち黒猫と行を共にしていた間、ダモンはニトロと共にあった。ちらりとそんな考えがよぎった。 「じゃあ、師匠。遠隔から監視でいいですよね? よし、ティアン。ちょっと動くなよ」 言い様にニトロの手が目許に伸びてくる。抵抗する暇もなくニトロの手は引かれて行った。そしてダモンにも同じことをする。 「ニトロ君、涙?」 「です。別に唾液でも血液でもいいんですけど。口ん中に手ぇ突っ込むのは俺が嫌だし、血はやっぱ印象が悪いじゃないですか」 言いつつニトロが何かをしていた。気づいたときには腕輪が一つ、彼の手に。驚いたのはティアンだけ。 「マーテル、手伝ってくれ。即席だけど遠隔監視用の魔法具化してある。俺一人じゃ寝てる暇ねぇからよ」 了解した、とマーテルが笑って腕輪を受け取った。呪われ、監視までされる。それをまるで他人事のように感じる自分をティアンは嗤う。ダモンはいかに。思えば彼は何も見てはいなかった。 |