もう何も考えたくない、なにも知りたくない。思うのに知らず唇から言葉は零れる。 「……暗殺者だったから……俺を、嵌めた……」 「そのとおり。君を嵌めたのは僕だ。それが、事実だ」 見やれば、真正面から見つめてくるダモンの姿。はじめて見る顔だ、そんなことをティアンは思う。ニトロもそうだった。モルナリアで見せていた顔とは違う顔。ダモンもなのか。自分が友人だと思ったのはいったい誰だったのだろう。どこにもいない。 「ダモンさん。ティアンは友達だったんでしょ? どうして、そんなことを」 アイラが言っていた。少しばかり険のある声。憤慨してくれているのか、ティアンはありがたいような気はしたけれど心は動かない。先ほど何かをされていたときのようではなく、ただただ。 「仕事だから、契約だから」 「でも――」 「なぁ、嬢ちゃん。お前たちは傭兵だ。雇われればどこにでも行って戦うのが商売だ。そうだな?」 カレンが悪戯っぽく片目をつぶる。なぜかニトロが溜息をつく。それを笑うエイメと名乗った女。混乱する状況で、彼らだけが平静。それが腹立たしかった、ティアンは。 「そう、だけど」 「だったら相手方に雇われてる傭兵隊だってあるはずだ。だな? 向こうさんにお前の顔見知りがいたらどうだ。ダチだっているかもしれねぇ。それで手を抜くのか? お友達は攻撃できませんって雇い主に言うか、お前?」 「それを言われると……でも」 「でももへったくれもねぇんだよ。仕事ってのはそういうもんだ。ダモンは契約に則って仕事した、それだけだ」 ばっさりと切って捨てたカレン。に、見えた。けれどなぜだろう、ダモンがうつむくのは。感謝のように見えてティアンは戸惑う。戸惑う自分に苛立ちつつも。 「僕は、モルナリア伯爵に雇われていた。エッセル伯爵暗殺が依頼だった」 「だったらどうしてティアンを巻き込んだの」 「――それが、依頼主の言葉だったから」 ぐっと何かを飲み下したようなダモン。嫌だったのだろうか。そんなことを考えてくれたのならばなぜ。わからないことばかりでティアンは首を振る。それをダモンがじっと見つめているとは知りもせず。ふ、とティアンは顔を上げた。 「でも、お前が俺を逃がしてくれた。おかしいだろう。話が違う、そうじゃないのか。仕事だって言うなら」 「――エッセルが死んだ時点で契約が切れた。それだけのことだ。あれは、モルナリアの過ちだ。罪をなすりつけた君が捕縛され、処刑されるまで契約を切らさないようにしておけば、僕は手も足も出なかった」 小さく笑ったはずの口許は皮肉に歪む。こんな顔もするのか、そんなことをぼんやり思うティアン。知らない人を見ている気分だった。それから訥々とダモンはモルナリアに何を依頼され、どのように達成したのかを語る。 ようやく、すべてがすっきりと繋がった、そんなアイラの顔。ティアンも同感ではあった。突然に惑乱したエッセル伯と自分。ダモンの毒だったのかと知る。それが仕事で契約だったと。 「だからダモンはモルナリアを殺せた。あんたが逃げる時間を稼げた」 「――そんなことをしてくれるくらいなら、はじめから」 言ってしまってからティアンはニトロの馬鹿ではないのか、そんな目に出会う。さすがにむっとしたけれど、愚かなことを言った自覚はあった。 できなかったのだろう、きっと。契約があったのなら。仕事だと言うのならば。ダモンがそっと目をそらしていた。 「……僕は、あれから君に殺されるためだけに、生きてきた」 「はい?」 「君の人生をめちゃめちゃにしたのは僕だ。君はモルナリアからもエッセルからも追われてる。そう言ったのはアイラさんだった。そうしたのは、僕だ」 「それは、そうだが。殺されるためって……」 「殺したいだろう? だから、僕は」 にこりとダモンが微笑んでいた。温室で見ていたような笑みではなく、霜にあたった花のよう。そんな情緒的なことを考えた自分をティアンは笑う。鼻で笑ったようになった。 「ちょっと待て、ダモン。俺はティアンに殺させてやるためにあんたを助けたんじゃねぇぞ」 苦々しい口調にニトロの憤りをダモンは感じた。それでもずっと言っていた言葉ではないか。そんなことを思う。イーサウに到着して以来、ダモンは繰り返しそれを言い続けていた。 「ニトロ。聞いていい?」 苦い声は別にもう一人。自分もだ、マーテルが口を挟む。カレンとエイメ、揃って肩をすくめていた。 「なんだよ?」 「簡単なこと。ダモンさんを助けてあげられたんだったらどうしてティアンを見捨てたの」 「お前なぁ」 アイラに長い溜息をつくニトロにダモンがはじめて慌てた。おや、とアイラはその表情を見ている。ニトロに友人ができたらしい。それを長年の知己として彼女は喜ぶ。それはそれとして、ティアンのことは腹立たしいが。 「どうして?」 「そりゃな、俺だって知ってりゃ手を貸した。まぁ、たぶん? ただな、俺が事情を知ったのは、こいつがモルナリア伯を惨殺してるとこに出くわしたおかげだぜ。あれを見られなかったらあんた、どうしてた?」 「……僕は、そのまま殺されていたと思う。とりあえず頭を消せば、ティアンの時間は稼げる。そう思っていたから」 「だろ。こいつは端から相談する気なんざなかった。できるもんでもない。契約に縛られて、それだけを考えて、そうするしかないように育てられて生きてきたんだ、こいつは。幸い、契約が切れたんだって考える頭だけはあったみたいだがな」 「それでも、君に見られなかったら、僕はそのまま死んでいたと思う」 それを後悔することもない、ダモンは思う。否、一つだけ。ティアンに殺されてあげられない。それだけが悔いとなっただろう。それもこうして彼と再会し、晴れてすっきりと死ねる。微笑むダモンにニトロが嫌な顔をした。 「育てられた?」 ニトロの言葉に引っ掛かりを覚えたティアンの問い。彼は淡々とそういうものなのだ、と闇の手を語る。幼いうちから暗殺術だけを仕込まれて育てられる子供、と。それには顔色が変わるのを覚えるティアンだ。隣でアイラまで似たような顔をしていた。 「……君は、覚えているだろうか。温室に、商人がやってきていただろう?」 懐かしいのに遠い思い出だった、ティアンにとってもダモンにとっても。まるで違う人生のような。他人の思い出を聞いているような。 「遠くから……見かけた、程度か。いや……一度、温室で出くわしたことが……あった」 「君が見たことがあるだろう五人のうち、一人だけが本当の商人だ。残り四人は、同じ人間」 「え――」 「変装してるんだ。僕の、監視をするために」 監視、とはどういう。問いかけて仕事を全うするかどうかの監視なのだと気づく。知らずアイラと顔を見合わせてしまえばニトロの溜息。視界の端にうつむくダモンが映った。 「モルナリア伯を殺して、僕は伯爵の騎士か、でなければ監視に殺されるはずだった」 「目の前で殺されるってわかってるのをほっとくのも後生が悪いからよ。とりあえず連れて逃げたが……。あれは相当マジだったな」 「なにかあったの、ニトロ?」 アイラとマーテル、そしてティアンだけが知らない話なのだろう。他の人々は肩をすくめたり、溜息をついたり。 「とりあえず隣町に逃げ込んだんだがな。ほぼ直後だな、あれは。暴れ馬の暴走にかこつけて背中から刺されたぜ。しかも毒刃で。俺じゃなかったら死んでるっつーの」 「普通、死ぬわよ? 変態なの、あなた」 「うっせぇな、こっちは水系魔術師だ。解毒くらいは考えてるっての。だいたいダモンから毒を使うってのは聞いてたしな」 そもそも毒を使ってティアンとエッセルたちを操り、あの混乱の場を作り出しては殺害に至らせた、と、すでにダモンが話していた。ならば同じ結社の人間もまた毒遣いだろうとニトロは言う。しかもニトロ自身には過去の記憶がある。少年時代のあの事件に使われたのもまた毒だった。 「暗殺者に負けてやるのも業腹だ。死んだ体にして逃げた。ダモンは仮死状態、俺は体だけ仮死にしといて意識残して。あの町の人は善人なんだかどうだか。ご丁寧に共同墓地に葬ってくれたのはいいんだが……こっちは知覚が残ってるからな」 死体と一緒で難儀した、ニトロは笑う。笑い事ではない気がしたけれど途方もない話過ぎてティアンはついて行けそうになかった。 「その死んだはずの俺らにわざわざとどめを刺しに来たからな、闇の手は。死体に剣ぶっ刺して。そんときには幻影かけて別の死体に身代わりになってもらってたからいいようなものの……」 「仕事に失敗した……わけではないけれど、依頼主を殺したんだからな、僕は。契約切れを突いたとは言っても。それくらいはやられて当然だと思う」 「やると思ってたから万全の対策は取ってたんだ」 だから死なせない、今だろうが今後だろうが。ニトロはダモンに言っていた。それに答えず唇を引き締めるダモンをティアンは見るともなしに見ていた。 ただ、思うことがあった。逃げた隣町。暴れ馬の暴走事故。嫌な予感を覚えて逃げだした自分。あの時、それほどまで近くにダモンはいたのか。すれ違ってしまった。なにがだ、ティアンは思う。肉体なのか、心なのか。両方のような気もした。 「ダモンさん、死んだのよね? それ、結社は確認したのよね?」 不意に真剣みを帯びたアイラの声。はたと気づいたとばかりマーテルまで真摯に。意味がわからずティアンは彼らを見つめる。 「ごめん、ティアンには言ってなかったの。――モルナリア領を出て少し、くらいかな。隊の野営地にお客があったのよ」 ダモンという調香師を探していると言ったどこぞの使用人のような男。アイラは語る。次第にカレンが厳しい顔つきになっていった。 「おかしいな……」 「でしょう、おば様。もしかしてニトロ、ドジった?」 にやりとしつつ揶揄するアイラにニトロはかまわなかった。師同様の厳しい顔。ティアンが見たことのない、これがたぶん魔術師ニトロの顔。 「遅かれ早かれ、闇の手はダモン生存を嗅ぎつける。それはわかっちゃいた。私も別に隠してなかったしな。ダモン一人程度のことで、この私と戦争する気はないだろうと思ってたから放置してもいた」 「ちょいとまずいですかね、師匠」 「さてな。――とりあえず様子見、か。アイラ、報酬は出す。情報収集を頼む。ニトロは二人の護衛だ」 投げやりな返答をするニトロをダモンが愕然と見上げる。そんなものは必要ない、そう言っているのかもしれない。ティアンも同様だった。意味はきっと違う。ダモンと率直に話したかった、余人を交えずに。 |