夢のあとさき

 さすがに商売をするわけでもない隊商の足は速かった。二月と少しでイーサウの近くまでやって来てしまった。シャルマークに入った途端、マーテルはじめ魔術師たちがほっと息をつくのがティアンには不思議だった。逆にアイラたち、剣を使う戦闘員は緊張の度合いを高める。かつてニトロが言っていた言葉が蘇る、いまだシャルマーク国内は魔族が横行するのだと。
「ずいぶん気が楽になったみたいだな?」
 シャルマークの入り口に位置するネシアの町でもそうだった、とティアンは思い出す。いまもまたそうだ。マーテルはいままで決して入ろうとしなかった町にいる。
「そりゃ、まぁなぁ」
 苦笑しつつ買い物をしていた。何か用事があるわけでもないティアンだ、なんとなくマーテルと共にいることが多い。今日は偶々自分のための買い物もしていたが。猫と軍を共にしているおかげで多少は懐が温かい。新しい砥石を買ったところだった。
「ネシアなんかだとまだちょっと王国寄りな感じはするけど、ここまで来るともう魔術師がどうのって言われないからな」
 なるほど、とティアンはうなずいていた。具体的に何かわかるわけではない、ただ色々と苦労はあるらしいと。
「王国にいるとなぁ。うっかりすると生ごみ飛んできたりするしよ」
「はい!?」
「それでな、俺だって汚いの嫌だし。顔とか頭とか、服だってどろどろだろ? それを綺麗にするじゃんか」
 当然魔法で、とマーテルは言う。彼らにとって水で洗うのと大差ないのだろう。そして彼は肩をすくめた。
「そしたら悲鳴あげて逃げてきやがる。下手すると警邏が飛んできたりな。もう、疲れる疲れる」
 そういう問題ではない気がした。が、そういう問題にしておかないと鬱憤がたまるだけ、なのかもしれない。
「わざわざ危ない目に合いたくねぇし。隊にも迷惑かかるしな」
 だから王国では町中に入らないのだ、マーテルは笑う。それで不都合はないのだからと。あるだろうとティアンは思う。ないと言い切るマーテルに強さを見た思い。以前もマーテルは王国内で魔術師と暴露されば危険であると言っていた、再度聞かされて胸に迫るものがあるのはそれだけ黒猫に馴染んだ証かもしれない。
「魔術師って、なにしてるんだ? その、こうやって旅してないときには」
 ダモンの不在を知ってより、ティアンは覚悟を固めた。猫と共にイーサウまで行くと。もしかしたらダモンはイーサウに、そう思ったせい。何らかの事情でモルナリアから拘束を解かれたダモン。あるいは楽しそうに語っていたイーサウにいないとも限らない。いなくとも、そのときには情報収集を手伝うと言ってくれたアイラたちがいる。手を借りることに忸怩たる思いはするけれど、今は他に仕方ないと腹をくくった。
 結果として、他のことが色々と気になるようになっていた。魔術師であったり、そもそもの事件の不可解さであったり。嵌められたのだろうとは思うけれど、何があったのかは見当もつかない。ならば魔術師の話題の方がまだすっきりとして気分転換になる。
「普通は研究、かな」
「研究? 机にかじりついて色々とってやつか?」
「実験室で大爆発、とかもあるけどな。――いや、俺はそこまで魔力がないから、そんなでもないけど」
 魔力があればそのようなことにもなるのか。ミルテシア人であるティアンは背筋に冷たいものを覚えないでもない。ただマーテルだった。知り合ってずいぶんになるまるで戦友のような彼。ここまでくる間に数度の戦闘を経ている。それが彼をして戦友と呼ばしめる。だからこそ、マーテルの持つ技術を恐れることはしたくない、そうも思う。
「たとえば、そういう魔術師ってどんなことができるんだよ?」
「んー? 思いつく限りではどんなことでもできると思うけどな。そうだな、ほれ、お前がわかる範囲だったら例の事件。言っただろ、隊長の友達のニトロさんだったらできるぜ、たぶん」
 にやりと笑うマーテルだったが、ティアンはどう反応していいものかわからない。同名のニトロを思ってしまうせいもある。
「しかもなぁ、ニトロさん。まだ弟子なんだぜ? どこまで伸びるんだろうと思うとすっげぇよな」
「ん? 弟子なのに、さん付けなのか、お前?」
「だってニトロさんの方が俺よりだいぶ年上だし」
「……それ、才能なくってまだ弟子って言わねぇの? 魔術師、わっかんねえな」
 がりがりと頭をかきむしるティアンをマーテルが笑った。その気持ちはよくわかる、などと言って。本当かどうか疑わしい、そんな目の彼をまたも笑った。
「お前の言うことも一理あるんだけど。ニトロさんに限ってそれはないな。あれはな、師匠が自分の後継者にって思ってるから手元で育ててるってやつ」
「そういう、もん、なのか?」
「そうそう。俺は魔力もそこまでないしな、しかも師弟揃って実戦型だし。名前を許してもらってこうやって今がある」
 名前を許す、という言葉だけがわからないティアンだった。それに気づいたのだろうマーテルが魔術師の名についての説明を一通りしてくれる。自分の世界はずいぶんと狭かったのだな、とついつい苦笑するティアンだった。
「だいたいは流派の名前って言えばいいのか? みんなそれぞれどこの出身、とかあるからな。そっちの名前をもらうんだ。ただ、後継者って指名されると師匠の名前をもらう」
「複雑だな。魔術師にとってはわかりやすい話だったりするのか、それ?」
「そんなに面倒な話でもないぜ? 俺だったら正式名はエイメ・マーテル。エイメ師の後継者ってことだな。師匠は俺しか弟子がいなかったからな、ちょっとあれだけど。もし兄弟弟子がいたら、そいつは一門の名前をもらって、何某・デクストラって名乗ることになる。デクストラってのが俺の一門の名前な」
「んー、わからん! でもなんか、ちょっと面白そうだとは思う」
 言えばくすぐったそうにマーテルは笑った。高評価、と感じたのだろう。それにこそくすぐったいティアンだった。
「お師匠さんの名前、なんか可愛いな。女の子みたいだ。いや、他意はない。すまん」
「別に? つか、女だし」
「……へ。女の魔術師とか、いるんだ?」
 言ったもののティアンは想像したことがなかっただけだ。魔術師そのものに理解が浅いというのに女性が、などと考えたこともない。それをマーテルがからからと笑った。
「いるいる。俺の知ってる限りでも結構いるよ。それに、ネシアの側に魔術師の塔があるんだけど。いや、あそこからだとちょっと見えない」
 そこはリィ・サイファの塔と呼ばれる、すべての魔術師にとって貴重な文献の宝庫だと、そこの管理者に指名されるとは当代随一の魔術師、ということでもあるとマーテルは言う。
「その次の管理者に指名されてるのも女性魔術師だよ」
 ちょっと女のうちに入れるのはどうかと思うが。マーテルは内心で呟く。さすがにティアンにいま話しても混乱するだろだろう、これは。それを思えば笑ってしまうマーテルだ。
「想像したこともない世界だなぁ……」
 剣一本で生きてきた。ような、気がするだけで、本当はたいしたことはしていなかったのではないだろうか、自分は。生きていたのかすら、怪しいような。友人があまりいないのもそのせいかもしれない。こうして猫と共にあれば、戦友はおろか、友人と呼びたくなるような人たちもできているというのに。ふと思う。ダモン一人だった。なぜかダモン一人だけ、どうしても心にかかって仕方なかった。なぜかは、わからないけれど。
「お前、ずっと傭兵やってるのか?」
 燻るばかりの思いをなんとかしたくてティアンは首を振る。日に何度となくよぎるダモンの面影。どうしようもないのに焦りだけが募る。
「まだ当分はな」
 そんなティアンの心に気づいているマーテルだった。さほど力がない魔術師の例に漏れず、マーテルは実年齢通りの外見だった。さすがに老化は常人に比べれば遅いが、そもそも老化を気にするような年齢ではまだない。それほどの若さにあってなおティアンの心の動きに気づくのはやはり魔術師ならでは。だからこそ、気づかないふりをする。見守るために。いざと言うときには力を貸せるように。師がこんな自分を見ればなんと言ってくれるだろうか。ちらりとそんなことを思った。
「師匠がな、元々黒猫の魔術師だったんだ」
「女性、が? 傭兵だった?」
「隊長だって女の子だろーが。王国出身の魔術師はな、言ってるだろ? 素性がばれると袋叩きだっての。学問するのだって命がけ。傭兵でもやんなきゃ明日の飯どころか今日の飯がないっての」
 いまはずいぶん変わった、とマーテルは言う。大陸魔導師会が力をつけたせいで、主立った魔術師がイーサウに在住しているおかげだ。魔法を学びたい人間はイーサウに行けばいい。それだけで本当に楽になったと彼は言う。そこで身を立てることもできるからと。
「いまは傭兵を引退して、イーサウの魔法学院で教鞭を取ってる。俺もいずれはそうなれればいいなと思ってるよ。外でいろんな経験して、子供たちにそれを教える。そういうのも悪くない、だろ?」
 そのために経験を積んでいるのだ、マーテルは照れくさそうに笑った。羨ましい、ふとティアンは思う。自分には夢がない。成し遂げたいと思うような何かはない。惰性で生きているのか、皮肉に思う。否、いまはダモンの無事を知るために。
 焦りを抑え、必死に前を向こうとしているのだろうティアンがマーテルは好ましい。逸早く学院の教師になったような気分だった。町を出ても、それからもずっと、ティアンは様々なことを聞きたがった。マーテルは倦まず答える。そんな二人をアイラが笑って見ていた。
「そろそろ見えるよ」
 アイラが言ったのは数日後のこと。言葉どおり、しばらくすると街が見えはじめた。遠目に見ても立派な街だとわかる。あれがイーサウ。ティアンの胸に感慨が湧きあがる。隊商もほっとしている様子だった。シャルマークに入ってからは実際に何度も魔物に襲われている。そのたびに黒猫と、客分であるティアンは共に戦った。その隊商はイーサウの街に戻る、と言う。門をくぐって帰っていく隊商に首をかしげたティアンにマーテルはそう言えば、と教えてくれた。
「ここが元々のイーサウの街なんだ。俺たちは言ってみれば新市街? 新しくできた方に帰る。って言ってももうだいぶ長いこと経つ町だけど」
 そちらは軍事基地なのだ、とマーテルは言った。暁の狼、という傭兵隊が拓いた町で、そこから狼の巣、と呼ばれていると。
「俺たちが広げた区画もあってな。そっちは猫の町って呼ばれてるよ。安直だろ?」
 笑うマーテルはそれでも自分たちの住処を誇っているかのよう。ティアンは笑いながら彼と共に町の門をくぐる。




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