夢のあとさき

 このままでいいのか、迷っていた。惰性で、と言ってしまっては黒猫に申し訳ないが、成り行きでここまで来てしまったのも確か。北に向かって進む隊商と共に歩みつつティアンは悩む。いつ、離れようかと。離れて何かできるあてもなかったが。
「ティアン、いい?」
 アイラに呼ばれてティアンは馬を進める。隊長の側まで行けば相変わらず兄弟のどちらかとマーテルがいた。
 グラニットの街を発ってしばらく経つ。このぶんでは後数日もすればモルナリア領に入ってしまう。さすがに荷物も増えたこともあって黒猫隊も周囲を警戒しつつ進んでいた。
「なにかできることがあれば。何をしたらいい?」
 客分だからこそ、ティアンは率先して働いてきた。そのせいかどうか、隊員からもうちの仲間になってしまえ、と最近では言われるようになっている。
「違うわ」
 そっと首を振るアイラにティアンはなぜかぞくりとした。気づかなかったはずもないのに彼女は無言で少し馬を先へと進ませる。マーテルだけが彼女についた。タスかユーノかわからなかったけれど、彼は隊と隊長の間に入るつもりらしい。
 ――つまり、内密な何か、ということ、だな。
 背筋の冷えにティアンは首を振る。なにもわからない身だった。アイラに、黒猫に頼りきり。ならばせめて従いたい。
「先行隊が戻ってきたのよ」
 ティアンが隣につくのを確かめたアイラの言葉だった。それに彼は愕然とする。そんなことをしていたのかと。
「隊商の護衛だもの。行く手に危険がないかどうか調べておくのは仕事のうちよ?」
 にやりと笑ったアイラ。頼もしくて、恥ずかしくて。そんなティアンを一人でやってきたならば知らないだろう、とマーテルが慰めてくれた。
「これはモルナリア側の言い分だからね、エッセル側を聞かないとなんとも言い難いけど」
 ついでに、と言ってアイラは調べてくれたらしい。それに頭を下げれば隊の安全にかかわることだ、と一蹴された。
「どっちもね、暗殺者を雇ったのは相手って言ってるらしい。そりゃそうよね。でも、なんだかね、ちぐはぐ」
「どこがです、隊長?」
「マーテルに見てもらった方がはっきりするかもしれないんだけど、さすがに魔術師送り込むのは危ないし」
 苦笑するアイラに必要ならば行ってもかまわない、マーテルが言う。どうしてそこまでしてくれるのか、それがティアンにはわからない。一人でやってきた弊害なのか、それともアイラたちが無類のお人好しすぎるのか。
「モルナリア側はエッセル伯がティアンを送り込んだって言ってるのよ」
「はい?」
「だからモルナリア伯爵は殺されたってわけね」
「それは……おかしい」
 ティアンは呟く。アイラもまたうなずいていた。間違いなくティアンが逃れたときにモルナリア伯はまだ生きていた。逃亡中に死んだ、と聞いて面喰ったのはティアンこそ。
「エッセル側もおんなじこと言っててね。だから自分の主人は殺されたって」
「それのどこが妙なんです、隊長?」
「両方で言い分が似通ってるのが一つ。辻褄が合わないのが一つ」
「俺の、言い分が事実じゃなかった、としたら?」
「ティアン、あなたって自虐的な趣味でもあるの? だいたいね、あたしが裏を取らなかったはずはないでしょ?」
 片目をつぶられてしまってティアンは力なく笑う。信じる、と言われるよりよほど安堵した。それをまたマーテルが笑うものだから、深刻な話題だとは誰も思わないのだろう、少し後ろを進む隊員から伝わってくる気配が柔らかい。そのためにマーテルはいるのかと不意に気づく。
「あなたが逃げだしたとき、モルナリア伯爵は生きてた。なのに、あなたに殺されたことになってる。両家があなたを追ってる」
「それは――」
「なのにね、ティアン。本気で追ってる気がしない。これは傭兵の勘ね? むしろあなたが出てきたら困る、そんな感じなのよ」
 ちぐはぐ、そう言った意味がティアンにもわかる。間違いなく自分は追われていて、見つかり次第殺される運命だったはずが。奇妙で、据わりが悪い。
「なんか妙なことが起きてるって感じですよねぇ。なんだこりゃ?」
 マーテルまで首をかしげていた。アイラも一緒になって同じ仕種。おかげで深刻さに欠けていて、ティアンは笑い出したくなってくる。それを狙ってのことだとはついぞ気づかなかったが。
「それとね、ついでに調べといたわ」
 ふふん、とアイラが自慢そう。けれど少し申し訳なさそうな。ティアンにはぴんとくるものがある。知らず背筋を伸ばした。
「あなたのお友達、ダモンさん? 問い合わせを出しといたのよ」
「ずいぶん真っ直ぐ行きましたね、隊長。危なくねぇの?」
「別に? 傭兵隊が雇い主の依頼で伝言運ぶなんてよくあることじゃない」
 それだけのことだとアイラは言う。マーテルの問いも彼女の答えもティアンに聞かせるためだけのもの。彼は気づいたのかどうか。ぐっと唇を噛みしめたまま馬に乗っていた。
「申し訳ないけど、率直に言ってわからなかった」
「わからない? それはどういう……」
「モルナリア伯爵家に正面から問い合わせを出したの、そちらにダモンという調香師がいると聞いたって」
 調香師は貴族の家では持てはやされる。有能な調香師ならば引き抜きがかかるのも珍しいことではない、以前ダモンに聞いた覚えがあった。アイラはそのように問い合わせをしてくれたのだろう。
 今になって不思議に思う。ダモンは、なぜどこにも行かれない、と言っていたのだろう。自分は伯爵の持ち物だ、そんな雰囲気の言葉だった。独り立ちはおろか、別の貴族に雇われることもできない、そんな彼の声音の印象を今更思い出す。やり切れなさに黙って首を振り、ティアンはアイラに視線を戻した。
「結果は外れ。当家にダモンなる者は在籍しない、退去後の行方は関知していない。ないない尽くしだったわ」
「いな、い……?」
「もしかして、おかしい?」
「おかしい。ダモンは……別の貴族に雇われることもできない、そんなようなことを匂わせたことがあった」
「代替わりで束縛が外れた、とか?」
 マーテルの言葉にアイラが首を振る。ティアンもまた。流れの剣士として、ティアンも知っている。代が替わったから、放逐されることはある。ティアンがエッセル伯に放り出されたように。だが、元が違う。ティアンは流れ者、ダモンは正規に抱えられたモルナリア家中の人間だ。代替わり程度のことで放逐は考えにくい。
「ダモン――」
 知らず、手指が震えた。元気にしているのならばいい、そう漠然と思っていたのだと思い知る。まさかモルナリア伯爵家を出ているとは思いもしなかった。
「でもね、一つだけ、いいことはある」
「なに、が……?」
「モルナリア側は言ってるのよ? 退去後の人間の行方なんか知るかって。つまり、生きてるってことだわ」
「なるほど、そりゃそうだ。隊長、さすがだな!」
 わざとらしいマーテルの声。ティアンは言葉もなくうなだれる。会えると思っていたわけではない。モルナリア領が近づくにつれて足が鈍りはじめていたのは事実。それでもまだあの温室に彼がいる、そう思うだけで慰められていたものを。
「ダモン……」
 いま、どこに。どうしているのか。元気でいるのか。なぜ、伯爵家を出たのか。理由などどうでもいい。ただただ無事を知りたかった。
「とりあえずね、ティアン。あたしたちと一緒にいらっしゃいよ、イーサウまで。本拠に戻ればこっちも情報の伝手が増える。さすがに見つかる保証はできないけど、探すことはできるかもしれない」
 愕然と顔を上げる。まだ、手を貸してくれると彼女は言うのか。黒猫は言うのか。マーテルの顔を見てティアンは呆ける。
「……ありがたい」
 一人では何もできないのだと痛感した。友人一人、探せない。無事を祈るしかできない。言葉少ななティアンを二人は朗らかに笑い飛ばした。
 そしてそのまま黒猫はモルナリア領へと足を進める。ティアンを変装させようか、とマーテルが言ったものの、町に入らず郊外で野営をするだけに留める予定だ、はじめから。下手な小細工はせず、さっさと進めば問題はない、アイラの一言だった。
 なにしろ大金と大荷物を抱えた隊商の護衛だ。ティアンなどという危険な人物を隊に同行させるのは本来ならば隊商のほうから苦情が来る。けれどイーサウの商人だった。本質的に王国の人間には好感情を持っていない。おかげで今のところ問題は何も出ていない。
「そこがちょっと不安だったのよね」
 夜、アイラの天幕だった。モルナリア領をようやく抜けたのは今日の午後。左腕山脈が近づいてきて、ほっと息をついていた彼女だった。
「とか言って、隊商がなんか言ってきたら一喝する気だったくせに?」
「言わないで、マーテル。所詮は若輩なのよ、あたし」
「誰が若輩だって? 嬢、お客だよ」
 待ち人来る、この瞬間のアイラの顔はそう語ってでもいるかのよう。ティアンがいなくてよかった、とマーテルは苦笑する。通して、顎をしゃくるアイラの傍ら、マーテルは立つ。兄弟の片割れが反対に立った。
「――夜分に申し訳ございません。幸運の黒猫隊とお見受けいたします」
「おっしゃる通り。どうぞ、ご用件を」
 連れてこられた人物は由緒正しい貴族の屋敷の召使のようだった。主人に言いつけられた伝言を持ってきた、そんなところだろう。
「こちらが調香師ダモンをお探し、と聞きました」
「もしかして、行方をご存じで?」
「いいえ、逆です。もし探し当てることができたならば、我が主にご一報いただけないかと。もちろん充分な謝礼はいたします」
「……お申し出はありがたく。ですが、契約が優先です。我らが雇い主が伝えてもよい、と言った場合にはご連絡差し上げられるかと思いますが」
「さようですか――」
 一瞬迷う様子を見せた客はもう一度頼む旨を言い、アイラに再度拒まれるに至って肩を落として去って行く。
「……妙ね」
 マーテルとユーノがうなずく。アイラは黙って天幕の中、客がいた場所をじっと見据えていた。




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