「友達のためっていうのは、いいわね」 ぽくぽくとした蹄の響き。一行は王都での商売を終えた隊商を護衛しつつ北上している。隊商が共にいることから急行はできない、そのせいでのんびりとしたもの。何よりまだまだ安全な地域。アイラもゆったりと馬に乗っていた。 「そう、かな?」 そろそろグラニットの街が見えてくる、そんな頃合にまたもアイラが言ってきたことにティアンは困っている。そこまで感嘆されるようなことではないとの気持ちもあったけれど自分で自分の感情を疑っているのが一番の原因。 「うん。情に篤いってのはいいことだと思うわよ?」 傭兵の台詞とは思えずティアンは笑う。グラニットの街はミルテシア有数の貿易の要所。北からも西からも物産が集まってくる。ばつが悪くなって隊商はそこで商売をするのか、と問うたティアンにアイラは首を振る。 「引き取り、かな? もう商売自体は済んでるの。前に通ったときにね」 「そういう、もんなのか?」 「面倒だよなー」 一緒になって馬を進めていたマーテルがからりと笑う。魔術師、などという人種に縁がなかっただけかもしれないが、マーテルはごく普通の人間だ、とティアンは思う。魔法はよくわからなかったけれど、一般的なミルテシア人に比べれば自分は忌避感が少ないのかとも思う。 「色々あるみたいね」 苦笑しつつアイラが教えてくれた。イーサウ商人がミルテシアにイーサウの物産を持ってくるのはいい、らしい。それなりに税は取られるようだったけれど貿易などそんなものだ、と隊商も心得ている。 「でもね、ミルテシアのものをイーサウの人が商うのはだめみたい。とんでもない税を取られて商売にならないっていうか」 「売り上げより払う税の方が多い、なんて馬鹿な話もあるみたいでな」 護衛をしていると商人たちの愚痴はよく聞くのだ、とマーテルは言う。魔術師付きの護衛がイーサウでは普通らしい。戦力、という意味では贅沢なのかもしれない。一人でやってきたティアンに実感はなかった。 「だからね、行きに売りに来るじゃない? その時に一緒にミルテシアの物を買っちゃうみたいよ。で、他で売らないってことの証明なのかな。預けて行くの。それで帰りに引き取る」 「そうするとな、またグラニットに寄らざるを得ないだろ? こっちは王都での売り上げも持ってるからな。また買い物してけってことなんだろ、きっと」 「ま、いいものがあれば買うんじゃない? イーサウでも輸入品は面白がられるしね」 本拠がある、と言うわりに他人事のようなアイラ。これが傭兵隊、ということなのかもしれない。拠点はあってもその土地の人間ではない、とでも言うような。 「そろそろね。あたしは中に入るけど。あなたたちはどうする?」 夕暮れ間近。グラニットの街が見えてきた。門が閉まるより先に到着できたことにアイラはほっとしているらしい。隊商を街の外で野営させることを考えれば当然かもしれない。 「俺は遠慮しますよ。ティアンはどうするよ?」 「遠慮した方がいいだろう、俺も」 「そう? じゃあ、外に残る連中の面倒を頼むわ」 軽く片手を上げてアイラは行く。大多数が街の外に残るけれど、アイラや兄弟は隊商と共に行くようだ。 「お前、なんで行かないんだ?」 宿営の準備をしつつティアンは首をかしげていた。そう言えば前に通ったときにもマーテルは街に入っていない気がした。それに彼が小さく忍び笑いを漏らす。少しばかり暗かった。 「魔術師だからさ」 わずかに歪んだ唇。マーテルの目は笑っていた、けれど。ティアンは申し訳なくて目をそらす。聞いてはならないことだったのだろう、たぶん。 「あ、いや。あんたが気にするようなことじゃないんだ。魔術師はみんなこんなもんだ」 「こんなもん?」 「イーサウ以外ではって意味。やたらと嫌われる。魔術師ってバレたらそれだけで袋叩き一直線、だな」 思わず目を見開いていた。魔法には確かに縁がない。それでもそこまで嫌われるものだとは思ってもみなかった。 「それはな、あんたが流れの剣士だからだ。普通に暮らしてる人たちよりよっぽど世界が広いだろ。傭兵隊もそうだな。傭兵にとっちゃ魔法は戦力だ、重要な。だからってのもある」 ぱちりと片目をつぶったマーテルの眼差しにティアンは何を言っていいのかわからない。もごもごとしているうちにどこからともなく声が飛んでくる。 「馬鹿言ってんじゃねぇぞクソ魔法使いめ! 身内にビビる馬鹿がどこにいるってんだこの野郎!?」 荒っぽいにもほどがある傭兵の罵声。マーテルの暗さがけれど晴れて行く。身内、と言ってもらえることがこんなにも嬉しいのだと語るようで。 「イーサウでは、違うのか?」 楽しそうな目になったマーテルだからこそ、聞いてみたくなる。ダモンと共にできることならば行ってみたかったイーサウという国。 「違うねぇ。元々建国自体に魔術師がかかわってるってのもある」 「そうなのか?」 「昔の話だけどな。二王国相手に独立戦争起こしたときに魔術師が援護したんだって話だ。そのあとも色々あって、魔法学院もあるし。ラクルーサで動乱が起きたとき宮廷魔導師が大挙して逃げてきたのもイーサウなんだそうだ」 魔法を嫌う素地がなかったからこそ、逃げてくることができたのだとマーテルは言う。それがイーサウの魔法文化発展に繋がったと。 「イーサウは元々商業都市だったせいもあるのかな。使えるもんなら種族は問わないってのがあそこの文化だ。おかげで魔術師も居心地いいよ」 好きな研究をして、発展をさせる。若人を導いて、次に繋げる。そんな当たり前のことが他国ではできないと。 「いいとこなんだな……」 ダモンがもし傍らにいてくれたならば。彼はいまどんなことを言うだろう。ここでならば好きな店が出せると言うだろうか。たくさん儲けて用心棒に雇ってやる、と笑っていた彼を思う。 「いいとこだよ、イーサウ」 マーテルはまるで故郷の自慢をするようだった。それをまた仲間の傭兵にからかわれている。言い返したり、それにまた反論したり。共に笑ったり。 ――仲間、か。 あるいは家族。自分にはないものだとティアンの感情は遠い。すでにアイラから打診を受けてはいた。せっかくだから黒猫の徽章を受け取らないか、と。 「――すまん。まだ、いまは」 ティアンはそう答えた自分の声すら遠いどこかからの響きのように覚えている。自分は新モルナリア伯爵から間違いなく追われている身だ。こちらも新しく立ったはずのエッセル伯側からも当然にして追われているだろう。こんな身を匿ってくれるだけでありがたいのに、これ以上の迷惑はかけられないとティアンは思う。正式に黒猫の名簿に載れば、アイラは言い逃れができなくってしまう。 「いいのよ、無理強いはしない。ただ気に入ったから、あなたのこと」 女として男を気に入った、という雰囲気でないのが何よりありがたかったな、と思い返してティアンは苦笑する。 そのことに愕然とした。アイラは魅力的な女だ。闊達で、気風もいい。若すぎる隊長ではあるけれど統率力に不足もない。有能で、心惹かれる部分がないはずもない女だと改めて思う。 なのに、なぜ。はじめからアイラにはまったく心が動いていなかった。思わず宿営地を見回す。暗くなったそこかしこで焚火の明かり。ぷん、と夕食の匂いが漂う。そこで働く誰もに心が動いていない。涙が出そうにありがたい、仲間と呼べたらどれほど幸福だろうと思うような男女がいるばかり。 ――ダモン。 内心で呟き、動揺をした。なぜここで彼の名を。友人だからだ。否。理由は。震える手が知らず剣の柄を握っていて、そのことに気づいてようやくティアンは息をつく。しっくりと馴染む柄の手触り。自分の手の延長のようなそれ。まるで友人の手でも握っているような安堵感。 ――ダモンの手は、柔らかかった。 びくりとしてまたも柄を握りしめる羽目になった。気づいたマーテルが訝しげな顔をしていたのに無言で首を振る。 調香師のダモン。たまに薬剤で手を荒らしていることはあったけれど、胼胝などない柔らかな手をしていた。器用に動く指先が、香油を一滴一滴と垂らしていた。その眼差し。思い切りよく首を振るティアンの元、マーテルが夕食を持ってきてくれたのはその直後だった。 二三日は逗留する、とアイラから伝令があった。翌日の朝のこと。マーテルは近郊に散策に行く、と言う。よかったら一緒に来ないか、と誘われて手持無沙汰なティアンは同行すると決めた。 「これ、散策か?」 「俺にとってはな。実益兼ねた趣味兼、仕事だけど」 「そりゃ全面的に仕事って言わないか?」 「三分の一は趣味だって」 くっくと笑いながらマーテルが植物採集をしていた。見本を渡されたティアンも渋々付き合っている。こんなことだと知っていたならば同行などしなかったものを。 「けっこう得意?」 「なにがだよ」 「採集。うちの連中に頼むととりあえず葉っぱだったらなんでもかんでも根こそぎ引っこ抜いてくるからな」 種類もなにもあったものではない、嘆かわしげにマーテルが肩をすくめる。それに笑う自分の声が遠い。好きなのかもしれないな、応える自分ではない自分。 三人で行ったはずなのに、ダモンのことばかり覚えているような気がした。君が気に入っていたみたいだから。そう言って伯爵に届けるはずだった花を幾本か、温室に飾ってくれた。夜明け前の暗い道。少しずつ明るくなっていく森の中。蛋白石の揺らめきにも似たダモンの緑の目は森の貴重な宝玉のようだった。 「よし、この辺でいいかな」 マーテルの声が不意にニトロの声に重なった。なぜだろう、ぼんやりしていたからだとティアンは苦笑する。 「これ、なににするんだ?」 まさかダモンではないのだから調香のための素材というわけでもないだろう。もしそう答えられたならば自分でどう反応するか自信のないティアンだった。幸いマーテルの答えは違ったけれど。 「これ? 薬草だよ薬草。うちの連中に傷薬は欠かせないからな」 薬剤の調合用だ、笑うマーテルにダモンまで重なった。材料の精製から己の手でしていた彼。つ、と目をそらすティアンにマーテルは小さく苦笑していた。 |