夢のあとさき

 マーテルは違うと言うがあれは魔法だったのかもしれない。それは意外なほどの得心をティアンに与える。それほど異常な事態だった。剣で生きてきた自分が何が起こったのかわからないうちに相手を殺しているなど。新兵でもあるまいし、考えられない。いっそ魔法だと言われた方が納得いくほどに。
「それでマーテル? 結局あなたの考えはどうなのよ。魔法じゃないんだったらあてはあるの」
 アイラが揶揄するよう言っていた。もったいぶるな、と言っているかのよう。そこにある、けれど温かい音色。傭兵隊は家族。そう言った彼女の言葉が身に染みる。
「うーん、ないわけじゃないっていうか。現場見てないからなんとも言いにくいですけどね」
「いいから言いなさいよ」
「確信はないですよ? ――毒物だろうな、と思いますよ」
 困り顔のまま言うマーテルにティアンはぽかんとした。魔法、と言われて納得しかけた。だからなのか、否、常識的に考えて毒の方が納得しがたい。
「ちょっと待ってくれ、マーテル。俺はその場にいた。なんかされたのは確かだとは、思う」
「だろ?」
「でも……他に何の影響も受けてないやつがいた。絶対にいた」
「モルナリア伯爵本人がそうよね? あなたの捕縛を即座に命じたって言うなら」
 アイラが言ってくれる。兄弟もそうだな、とうなずきあっていた。が、マーテルは動じない。そんなものはどうにでもなると言わんばかりだ。
「隊長、毒ってのは指向性を持たせることができるんですって」
 肩をすくめまでして言うマーテル。背筋がぞっとして、遅れてティアンは恐ろしかったのだと気づいた。自分が知っていた世界は、これでもまだまだ明るい表の世界だったのだと。
「指向性? 誰に効果が出るか決められるってこと?」
「正確には、どこに効果を出すか決められる、ですね。たとえばティアンの周辺だけ、とかね。それに毒だったら対応ができる。モルナリア伯側は解毒剤飲んどきゃいいんだから」
 あ、と声が上がった。アイラとティアンのもの。とっくに気づいていたのだろう兄弟がにやにやとしていた。そのあたりはさすがに歴戦の傭兵だった、いかに善人そうな農夫のようであっても。
「俺が精神操作を考えるんだったら、まずそっちの手段を取りますね。魔法でするには効率が悪すぎるし、俺程度だったら事前儀式が欠かせない。その上で完全に操れる保証がない。毒だったらそこら辺の効果は確立してるからなぁ」
「嫌な確立もあったもんね」
「俺だって知りゃしませんけどね。ほら、あれがあるから」
 マーテルが肩をすくめる。自分には聞かせたくない話なのだろう、とティアンは気に留めないふりを見せる。それにマーテルが笑った。
「違うって。ティアンは聞いたことねぇかなぁ。一人でやってきてたんだったら逆にないか。――闇の手って、知らないか?」
「闇の手? なんだそりゃ」
「暗殺結社」
 端的な言葉にティアンは絶句する。そんなものがこの世にあるのか、などと純なことは言わない。現実にあるだろうと漠然と思ってはいた。が、あからさまに名が出てくれば驚く。
「聞いたことは? やっぱないか。――イーサウにな、魔法学院って魔法のガッコがあるんだわ。俺はそこの出身なんだけど」
 あの日、三人で花の採取に行った休暇のような一日。確かニトロが言っていた、とティアンは記憶している。広いようで狭い世界。けれど知らないことが多すぎる世界。戸惑いそうだ、そんな青いことを思う。
「俺より前の世代……それこそニトロさんの世代かな? まぁ、具体的なことは教師陣も言わないし。俺たちも先輩からの伝聞でしかないから噂話だけどな」
 その魔法学院に闇の手という暗殺結社が入り込んだことがある、とマーテルは言った。学生にとっては闇から闇に葬られた事件でもあったらしい。結果として噂話だけが先行していまに伝わっていると。
「ただな、噂話だからって馬鹿にしたもんでもない。こっちは魔術師の卵ばっかりだからな。教師陣の顔見てりゃ、そりゃ言わないことがあるな、事実だな、程度はわかる。先生方もわかるようにしてるしな。だから……暗殺結社ってのはほんとに存在するんだ」
 どこからともなく伸びてきた殺しの手。恐ろしいものだとマーテルは言う。傭兵隊の魔術師が、とはティアンは言わない。やはり恐ろしいと思っていた。
「暗殺はねぇ……。まぁ、あたしたちも依頼を受けることはあるからね」
「ある……んですか?」
 思わずまじまじとアイラを見てしまった。そのような仕事をするような女には見えなかったし、明るい隊風のおかげで後ろ暗い仕事などしないのだとばかり。アイラは黙って肩をすくめる。
「仕事だからね。やれって言われれば報酬次第でやるわよ。あたしだって家族を食わせなきゃならないし。大食らいがいっぱいいるからね」
 茶化したアイラの言葉。選択の余地があるならば選ばない。それでも依頼ならば厭わない。そんな彼女の言葉にティアンは背筋が伸びるよう。本物の専門家を見た気分だった。自分はまだまだ青い。そう思う。
「マーテルはね、ほんとにあるんだ、なんて言うけど。――あるわよ? 仕事かち合ってやり合ったことだってあるしね」
「え!? 隊長マジで!? なんで教えてくれないんですか、危ない!」
「あんたがまだ青すぎる魔術師だから、かな」
 片目をつぶったアイラに兄弟が吹き出す。そしてぽんぽん、と慰めるようマーテルの肩を二人揃って叩いていた。
「嬢はこんなこと言うがね、マーテルよ。嬢だって直接やり合っちゃいねぇぞ? ガチでぶつかったのはクレアさんの時だ」
「あれは大惨事でしたなぁ、タス君」
「ですなぁ、ユーノ君。魔術師まで混ざっての大惨事。いやはや世界がぶっ壊れるかと思いましたわ」
「そこまで酷かなかったと思うがねぇ」
 タスの大袈裟な言いぶりをユーノが笑う。が、どちらが正しいかと言われればタスのほうなのではないかとティアンは思う。少し青ざめたマーテルを見ていればよけいに。
「もしかしてそれってさっきの……学院絡み?」
「さてなぁ。教えてやるわけにはいかないですよなぁ、ユーノ君」
「あれは一応は依頼ってことで受けた話だったはずですからなぁ、タス君」
 にやにやとする兄弟はマーテルの疑問を肯定したも同然だった。一人アイラだけが不機嫌。せっかく格好をつけたのに、というところか。途端に恐怖の話題が兄弟喧嘩のよう。そう思えば気が楽になるティアンだ。小さく笑ったのを見咎めたか、アイラがこちらを見やる。思わず背を伸ばした。
「そんなに緊張しないでよ。あたし、怖いかな?」
「いや、怖くはない。怖がられた方がいい場面もあるんだろうが。俺は……優しい人だと思う」
「ほんと? 嬉しいこと言ってくれるね。――元に戻すけど。マーテル、毒でもおかしい」
「なんです、急に。なにがおかしいんです?」
 気になることがあるのならばいくらでもお相手しましょう。そんな態度のマーテルをアイラは一睨み。兄弟が生意気だと二人を、笑っていた。
「だって、モルナリア伯も死んでる」
「あ……そうか。そうでしたね……」
「誰が何の目的で何をしたのか。これ、エッセルとモルナリアの共倒れを狙って最初からって線はあり?」
「ありなしで言えばありでしょう。……が、隊長の筋に引っかかってこない?」
「ないわよ。だからおかしいって言ってるの」
 アイラの答えにマーテルが教えてくれた。戦乱が起こってから動くのでは遅すぎる、だから傭兵隊はいついかなる時でも情報収集を怠らないと。アイラは隊長として独自の情報源もあるのだろう。そこにも引っかかってこない。そう言うのか。
「そりゃね、両方共通の政敵はいる。二人揃ってくたばってくれれば幸せって貴族の一人や二人、思いつくわよ。でも、動いた形跡はない」
 だからおかしいのだ、とアイラは言った。モルナリア伯がエッセル伯の殺害を企図しティアンに罪をなすりつけただけ、ならば理解はできる。
「できると言うより、それが一番わかりやすい話なのよ」
「嵌められたんだろうしな、俺はたぶん」
「でしょ? そこでモルナリアが殺されるのだけが、なんだかちぐはぐなのよ」
 意味がわからない、と首を振るアイラを考えすぎは悪い癖だ、と兄弟がたしなめる。それに小さく笑った彼女だった。
「気持ち悪いじゃない、色々と。考えてどうなるわけでもないのはわかってる」
「だったらほっときな。嬢の悪い癖だ」
「補佐はしますけどねぇ、隊長」
 兄弟に続いてマーテルまで言う。愛されているのだ、とティアンは思う。正しく彼らは家族なのだと。羨ましい、と言うより不思議な感覚だった。
「とりあえず当たれるところは当たっとくか……うん。そうする」
 アイラが視線を宙に投げ、何かを考えている。情報源でも考えているのか。それには申し訳ないような気がするティアンだった。
「あんたのためだけってわけでもないぜ? うちの隊の安全にもかかわることだしなぁ」
「商売の種にもなることだしなぁ」
 兄弟の言をマーテルが笑う。そう言いながら助けてくれるよ、と言いたげに。ティアンは無言で首を振る。
「これは――」
「ティアンの問題ってわけでもないからね? 聞いた以上、知った以上、黒猫の問題でもある。それだけよ。さてと、本題に入りましょうか」
 詫びも何もいらない、アイラの眼差しにティアンは打たれる。ただ唇を引き締めればマーテルの手が肩に。ぬくもりが痛かった。
「隊長? なんか話があるんだったら俺は退席しますよ。ティアンの話でしょ?」
「ティアン次第ね。どう?」
「どう、と言われても……本題?」
 話があちらこちらと飛んでいるおかげでなんの話をしていたのかさっぱりだった。重大な打ち明け話だったような気もするのだが。暗殺の依頼を受けることもある、などと聞かされたせいですっかり明後日の彼方だった。
「ティアンは、なんで情報を集めてるの?」
 片目をつぶったアイラ。なんか集めてると思ったわ、笑いながら呟くマーテル。ティアンには聞こえない。なぜ。友人のため。答えられるはずの言葉が、どうしてだろう。喉に張り付いたものをひり出した。
「……友達のため、かな。心配なんだ」
 それだけか。自分で自分に問う。ダモン。たった一人の友人。突如として沸きあがってくる強烈な感情。これが何かわからなかった。




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