夢のあとさき

 手を貸してもらえるのは正直に言ってありがたい。けれど自分は犯罪者だろう。エッセル伯を貫いたあの感触。ミルテシアの官憲に知られれば黒猫隊に迷惑がかかる。迷うティアンにアイラは小さく笑う。
「ちょっと手助け。――あのね、あなた。モルナリア伯爵家の混乱に、かかわってるでしょ?」
 がたん、と音がした。何事だとティアンは驚く。自分が椅子を蹴立てて立ち上がった音だった。そして目の前の三人は。動じてもいない。ただ微笑んで自分を見ているその眼差し。
「どう?」
 はじめから知っていた、アイラの目が語る。その上で、同行を許した。ここまで半年の間、客として置いてくれた。ティアンは言葉もない。黙って座りなおした。
「あれ、なんだか妙な話だったからね、あたしたちも気にかけてた。そこに飛び込んできたのがあなただもの」
「――情報が、早すぎないか?」
「疑う? だとは思うけど。あたしたちは傭兵隊だもの。情報の鮮度は命にかかわるからね。貴族の家で何か危ないことが起きた、なんて話はすぐに耳に届く。ましてあのときあたしたちは隣町にいたんだもの。その日のうちには聞こえてきてたわよ」
 場合によってはモルナリア領を出て、殊にリアーノの街は迂回することも考えなくてはならないから。アイラは言う。隊商に危険があってはならない、それが仕事だ。そのために情報は欠かせない。兄弟の言葉にティアンはうなずかざるを得ない。一人でやってきた、というのが響いている。これが傭兵隊の常識なのかどうか、判断がつけられない。
 そして覚悟もまた、決まった。この場はいわば黒猫の中枢。半ば休暇の宿営中とはいえ、周囲には隊員たちが散開する。ならばすでに逃げられない。もしアイラが自分をモルナリアに突き出す気でいたとしたらもう手遅れだ。
「ねぇ、ティアン。一応言っとくけど。客分だもの、突き出したりなんかしないわよ? あっちからあなたの捕縛を依頼された、とかいうんだったらともかく」
「ま、そのときにゃそんな依頼は受けないがね」
「仲間売るも同然だからなぁ。気分が悪いったらありゃしない。酒がまずくなるからな」
「――ということ。わかる?」
「それが……傭兵隊の、流儀?」
「そうね、一流の隊ならそうだと思う。あたしたちには本拠がある。それって評判が悪くなったら困るってことなのよ」
「後援者様に文句を言われるからね」
 ぱちりと兄弟のどちらかが片目をつぶって見せた。そんなものなのだろうか。そんなことで、庇ってもらえるのだろうか。わからずティアンは知らずうちに首を振っていた。いずれにせよ、話す覚悟は決まっている。
「――俺は、モルナリア伯爵に雇われた、剣士だった」
 流れの剣士で、どこかに長年属する、と言うことをしたことがない。かすかに笑ったティアンの表情に三人は何を見たのか。黙って続きを促すだけ。
「ご多分に漏れず、伯爵には政敵がいた。で、そいつを招いて宴を催すってな」
「お貴族様はよくやるよね。絶対ご飯がまずいと思うんだけど」
「酒もまずいだろうな、間違いなく。なぁタス君?」
「お前は飲めりゃどうでも幸せでしょうがユーノ君」
 そりゃない、と抗議をするユーノをアイラが笑っていた。まるで軽い話題のよう。その程度の気持ちでいい、若いアイラに言われた気がして、だからこそ彼女は隊長なのだと気づく。
「その政敵のエッセル伯ってのにも俺は因縁?があってな。先代に雇われたことがあるんだけど、当代になってから放り出されて」
「よく聞く話だよね。先代の匂いを消したいとか、そういうやつ。雇われてる側にしたら迷惑な話よ」
「まぁ、そういうもんだからな、流れの剣士なんて」
 気にしたことはなかった、ティアンは言う。問題はそのエッセル伯が招かれたこと。向こうだとて気分のよろしかろうはずはないだろう、そう不安に思っていた。
「で。当日、問題になった?」
「なった……んだろうな。俺にもまだ、よくわからない。エッセル伯が到着して、俺はモルナリア伯の騎士と一緒に壁際に控えてた」
 白々しいやり取りと共に贈り物がエッセル伯の手にわたった。ダモンが調香した香りをティアンは覚えている。工夫をしていた細工が完成したのだな、と。そこまでは鮮明に覚えていた。
「突然、だったな。エッセル伯が剣抜いて。切りかかってきた」
「え、なにそれ?」
「だろう? 俺にも意味がわからない。ただ……なんと言うか、正気じゃないような、そんな気はした。目の焦点があってないと言うか。わかるか?」
「ん……わかる、かも。――それで?」
「気がついたら、エッセル伯の腹に剣を生やしてた、俺が。何があったのかまったくわからない。応戦した記憶もない。そもそも相手は貴族だぞ? 応戦しちゃまずい。そんなのは体に叩き込んである」
 剣を抜いたこと自体がおかしい、自分の判断とは思えない。ティアンはいまでもそれが訝しい。話を聞く三人も厳しい顔をしていた。ふと思ってしまう、頼り甲斐がある、と。そんなことは考えてはならないだろうに。迷惑をかける自分だというのに。
「なんか急におかしくなった? あなたもその貴族も? 他の人は?」
「どう、だろう……? 少なくともエッセル伯が死んだときには俺は正気に返ってた。その場でモルナリア伯が俺を捕えようとするのも聞いてた」
「ということは、そっちは正気よね?」
「だと思う。嵌められた、とは思ったから」
 あるいはそのために自分は最初から雇われていたのかもしれない。エッセル伯と因縁がある自分だからこそ、エッセル伯殺害の犯人として嵌めるために。
「そばに騎士たちがいたって言ってたわよね? そこはどう。止めようとはしなかったのかな?」
 言われてみれば、とティアンは思う。エッセル伯が殺されるまで、随行の騎士たちはただ慌てふためいているだけだったような気がする。記憶に霞がかかっていてよく覚えていない。ただ、ぼんやりとした記憶の中でもモルナリア伯側は何もしていなかった、そう思う。改めて考えれば奇妙なことだった。
「最低限ね、モルナリア伯側はいいのよ、伯爵本人があなたを嵌める気満々だったなら騎士たちだってそうでしょ? そっちが手出ししないのはわかる。でも?」
「エッセル伯側はおかしいですなぁ、ユーノ君」
「これはあれですかい、タス君」
「だと思うのよ、二人とも。ちょっと専門家の意見が聞きたいわね、呼んできてくれる?」
 兄弟に笑顔でアイラが言えばそれだけのような、本当に軽い話題のような気がしてくるティアンだ。いま自分はとんでもない暴露話をしているはずなのだが。
「あなたの安全はあたしが、この二代目黒猫の女王が保証する」
「まだまだ黒い子猫ってとこだけどなぁ、嬢は」
「言わないでよ!」
 せっかく格好をつけたのに、アイラが頬を膨らませるのを残ったどちらかが笑う。気づけばティアンまで口許に笑み。それでいいのだ、とちらりと見やってきたアイラの目が笑う。そうこうするうちに兄弟の一人が誰かを連れて戻った。
「マーテル?」
 専門家、などと言っていたから何事かと思えば連れてこられたのはマーテルだった。本人も不思議そうな顔をしている。
「なんすか、面倒な話題?」
「だと思うわよ。あなたの意見が聞きたいの、座って」
 へいへい、と投げやりに言ってマーテルは片目をつぶる。こんな気安い隊なのだ、と誇るように。それがティアンにはどこか眩しかった。
 マーテルは淹れてもらった茶を飲みつつ要約されたアイラの話を聞いていた。改めて自分の分も足してもらったティアンはそれを飲みつつ大したものだと思っている。自分の話などよりよほどわかりやすかった。おかげでどれほど奇妙な話なのか再確認できる。
「で、魔法だと思うんだけど。マーテルはどう思う?」
 あっさりと言ったアイラにティアンは驚く。その可能性をまったく考えなかった自分、と言うよりはそこに思い至るのが傭兵隊かと。街々を渡り歩く流れの剣士とはいえ、ティアンはミルテシア人。さほど外国に出た経験もない。魔法は最も縁遠いものの一つだった。
「違う……かな。確信はないですよ。俺は現場にいたわけじゃないから。でもなんか、違うな」
「そう?」
「感覚的なもんなんでね、うまくは言えないですけど。うーん、魔法にしては限定的すぎるんですよ、それ」
「限定? あなたにだってできるじゃない」
「室内をとりあえず混乱させとけっていうならともかく、複数人指定してそこだけなんてなぁ。周到な精神操作系の魔法を限定化してかけるのは俺には無理ですよ、隊長」
「だったらできる人はいる?」
「そりゃいますよ。隊長の知り合いだったらニトロさんならできるな」
 またも出てきたニトロの名。別人とはいえ、知り合いであった方の彼が気にかかる。無事にイーサウに戻っているだろうか。思うティアンはその上っ面な気持ちを嘲笑う。本当に気にかかっているのは彼ではないというのに。
「つまりね、隊長。問題はミルテシアってとこです。ニトロさん級の魔術師なんざァごろごろいないんですよ」
 魔法を嫌うミルテシア。だからこそ高位の魔術師はいない。マーテルは断言する。同じ魔術師である彼には実感のあることなのかもしれない。
「ものは暗殺よ? 大っぴらに暗殺って意味のわからない状況ではあるけど。利用できるなら使うんじゃない?」
「利用できれば、ですって。いないんだから使いようがない。ましてニトロさん級ですよ? 暗殺に手を染める理由がない。そんなことをする利益がない」
「ちょっといいか、マーテル。その……俺は物を知らないからそう思うんだが。報酬目当てってのは、ないのか?」
 マーテルに問うてばつの悪くなるティアンだった。それを兄弟がにやにやしながら見ている。更に居心地が悪くなった。
「ないない。そんなことして師匠に放逐されたらそっちの不利益のほうが大きい。一人前だったら? まぁ、間違いなく魔導師会が動くな、それは。結果、魔力を枯らされて廃人一直線だ。それでもやるか? やる意味がない」
 マーテルの断言にティアンはそういうものなのかとうなずく。魔導師会、とははじめて聞いた名だが彼らにも組織があるのだ、とその事実の方が新鮮なほど。倫理にかけてやらない、と言われるよりよほど信用できる話だった。
 だからこそ、ティアンは見逃した。それだけ精神的な圧迫を感じていた、ということかもしれない。マーテルの鋭い眼差しが一瞬だけアイラに向いたのを。そして彼女もまた受け取ったのを。




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