唐突でもある告白にティアンはなにをどう言ったものか迷う。それを見てとったかアイラは少しばかりすまなそうに眉を下げていた。 「ごめん、いきなりだったよね。あたしにとってはそれほどたいしたことじゃないものだから、つい」 「いや……」 まだ迷うティアンを兄弟が喉の奥で笑う。遠慮深い、と笑われた気がした。それが申し訳なく思う、ティアンは。仲間扱いされている。いまだ客分である自分なのにすでに仲間だと彼らは言うのか。 「幾つくらいだったのかな? 覚えてる、タス?」 「そりゃあ覚えてるさ。まだこーんなちっちゃかったからな」 「それじゃ猫の仔だろうが!」 タスの言い分をユーノが笑う。確かにタスの示した両手の間に入るのは子猫くらいなものだろう、ついついティアンも笑っていた。 「まだ五つになるかならないか、くらいだったかねぇ。いやはや、戦場のど真ん中でそんな子供を見つけたんだから、あんときほど驚いたこたぁなかったな」 思い出しては語るユーノにタスがうんうんとうなずく。それを見ているアイラの目は輝いていた。 「前のね、隊長に見つけられたの、あたし。それで拾ってもらって」 「傭兵隊長に?」 「そうそう。それで黒猫で育ててくれたんだ」 楽しげにアイラは笑う。子供時代の懐かしい思い出なのだろう、彼女にとっては。懐かしむほど年嵩には見えなかったけれど思い出とはそんなものなのかもしれない。ティアンは振り返っても自分にそんな経験がないことに今更気づく。思い出すのは。 ――ダモン。 彼とすごしたモルナリア伯の屋敷のことばかり。調香など縁はなく、はじめて迷い込んだ温室の不思議さ。ダモンの静かな微笑み。取り戻したい。不意に強く思った。 「どっかにね、預けることもできたかなって思う」 「その、先代の隊長さんって人は、そうしようとはしなかったのか? 言っちゃ悪いが……傭兵の中で子育ては少し、無理がないか?」 「だよねぇ、あたしもそう思う」 「ま、拾ったばっかの嬢はな、がりがりに痩せこけてるわ、人相は悪い手癖は悪い。うん、あれじゃ、ちょっと貰い手はないですな」 「ですなぁ、ユーノ君。ほんとなぁ、ひでぇもんだったからなぁ」 「ちょっと二人とも、酷いじゃない!」 からからと楽しくてたまらない様子のアイラ。過去の暴露であっても彼女は笑っている。信頼なのか、暴露を上回る喜びがあったのか。ティアンにはわからない。痩せこけた手癖の悪い子供。じくりと封じた場所が痛む。 「隊長にどんな思惑があったのかは知らないわよ? でも育ててくれたの、黒猫で」 「これがねぇ、将来美人になるからってんだったらまだわかるんだがねぇ」 「いくら美人に育ったらって言っても隊長だって女の人じゃない」 「あんな剛毅な女がいるもんか!」 「あれは女の変種ですよねぇ、タス君。でも帰ったら俺、クレアさんに言っとくわ、タス君こんなこと言ってましたわーって」 「馬っ鹿野郎!?」 前線に出る年齢ではないはずの兄弟が、まるで若者のように言葉遊びをし、じゃれ合う。ここは良い隊なのだ、とティアンは思う。こんな他愛ないことができるのが、隊の信頼だと。 「だから、アイラさんも傭兵に?」 問うティアンだった。傭兵隊の中で育ったのだから、自然な考えだったのかもしれない、彼女にとっては。ほんの少し、それでも思ってしまう。剣を取る以外の人生も彼女は選べたのではないかと。 「そうね、結局はそういうことなのかもしれない。――うちの本拠はね、イーサウにあるの」 不意打ちだった。イーサウという地名は容易にダモンに繋がる。あの時の戯言が蘇り、ティアンはそっと隠して拳を握る。彼女たちは気づかないふりをしてくれた。 「もちろん、そこそこ大きな隊だしね、後方部隊もいるわ。あたしも小さなころは、そこにいたの」 「仕事に出ちまえばいつ帰ってくるかなんかわかったもんじゃないからね。子連れで戦場には行けないし」 「護衛仕事だってなぁ。危なくってしょうがない」 仕事が不調に終わる可能性への懸念ではない。アイラが傷を負う、それを兄弟は言っていた。小さな子供が危ないから、と。知らずティアンの口許はほころんでいる。 「連れ合いがうちの小隊長だって人が書記をやっててね。隊の事務全般を見てる人だったんだけど、ほとんどその人と一緒だったかな、みんなが出てる間は」 懐かしそうにアイラは目を細めていた。ティアンは黒猫隊がそこまで大きな傭兵隊だとは思っておらず、そのことに驚いている。後方部隊まであるような、本拠地がきちんとあるほどの隊だったのかと。 「それがね、嫌だった」 「嫌?」 「うん。その書記さんもそうだったけど……不安じゃない? ちゃんと帰ってくるのか、怪我してないか。酷いことになってないか。安全な後方にいるんじゃなくて、一緒に戦えればどんなにいいか。その人もよく言ってた」 「少し……わかる気はする」 「でしょ? だからね、あたしは剣を取った。よく傭兵隊は言うのよ。隊の仲間だけが家族ってね、聞いたことある?」 「あぁ。――正直、そのべたっとしたところがなんだか苦手に思えて……一匹狼やってたんだが」 「うちは気に入った?」 にこりと笑うアイラだった。それでも入れ、とは積極的には言わないでいてくれる。これならば隊に所属してもいいと思ってしまう。だからこそ、客分でいなければとも思う。 「気に入ってくれて嬉しいな、家族を褒められるのはやっぱり嬉しいし。――あたしにとってはね、本当にみんなが家族なのよ。みんながあたしを育ててくれた。兄さんや父さんがいっぱい」 「タス兄ちゃんはいつも嬢の味方だよ」 「……それはどうかと思うわよ? どう考えてもタスとユーノは父さんだもん」 渋い顔のアイラの口許、痙攣するように笑っていた。大仰に天を仰いで嘆く兄弟もまた。 「こんなね、父さんだか兄さんだかわかんない人たちばっかだけど。ちょっとは母さんや姉さんもいるけど。あたし、みんなと一緒にいたかったの」 ぐっと拳を握るアイラ。いまでも決意を新たにする、とでも言いたげに。兄弟が嘆かわしげに首を振っていた。あるいは反対なのかもしれない。 「みんなは反対したわよ、そりゃね」 「だってそうだろう? 書記の技だって教え込んだ、魔法だって学問としてなら教えたはず」 「薬草師の勉強もさせたっけなぁ。神殿にも連れて行った」 「なのに嬢ときたらせっせと剣の稽古ばっかだ。体よりでかい剣をずるずる引っ張ってきて、あたしも練習するって言ったときのあの驚きと言ったらなかったですな、ユーノ君」 「ですなぁ、タス君。もう腰抜けるかと思いましたわ」 「弱虫なのよ、あたし。さっきの書記さんみたいにね、帰りをじっと待ってるなんてできない。そこまで根性据わってないのよ」 小さく笑ってアイラは首を振る。それは理解できるような、わからないような。ティアンには判断がつけられない。彼もまた自ら剣を取る人間だった。待つ方の気持ちはわかるようでわからない。 「弱虫、ではないと思うんだが……」 「どうかな? 待ってるより、怪我してでもみんなと一緒にいたかったんだもの、やっぱり弱虫よ」 「戦えるのは、強さだと、思う」 剣士の自分にはない、傭兵の強さだとティアンは思う。こうして傭兵隊を渡り歩くこともままあるティアンではある。が、もっぱら貴族の屋敷で宴の肴になっているばかり。実際に戦うことがあまりない。 「ありがと。強いって言ってもらえると、嬉しいものよね。――隊長や、他のみんな。死にかけのあたしを助けて育てて一人前に仕込んでくれた。恩返し、なんて言わないわ。あたしが生きている、それがみんなも嬉しいって知ってるから」 「恩なんか返せなんて思うくらいだったらはじめから助けやしないからなぁ」 「特にクレアさんはな。嬢が待ってるから生きて帰るって何度言ってたかね。張り合いってやつだな」 うんうんとうなずく兄弟にアイラは微笑む。家族が待っているから。それはどれほど強い思いだっただろう。待つ人も、待っていてくれる人もいないティアンにはわからない。ふと思う。待っていてほしい人ならばいるかと。無言でそっと首を振った。 「黒猫っていうのはね、こんな隊なの。お人好しの集団でしょ?」 くすりとアイラが笑う。よく笑う女だと思った。明るすぎるのではないかと思っていたけれど、いまの話でわかった。彼女が笑っていることを喜ぶ人が大勢いる。だから彼女は明るく過ごす。無理にではないだろう、よく笑いよく喋る。そうできる自分がまた嬉しいと言いたげに。 「親譲りのお人好しってやつかな。だからね、そろそろ力になりたいなって思う」 「……はい?」 「詮索するつもりじゃない。言いたくないことがあるんだったら言わなくていい。でも、あなたが色々情報集めてるのはね、何度か見聞きしてるし」 「それは、まぁ。隠せるとも思ってないし」 「だよね。見ちゃったからには、何か手助けできることがあるんじゃないかなって、思っちゃうのよ。あたしたちは」 「もう半年だしな、あんたが客になってから。あんたがどういう男なのか、充分に見せてもらったよ」 「ま、危ないお人じゃないだろうしな。だったら手くらい貸そうかい、とね」 ぱちりと兄弟そろって片目をつぶった。あまりに同期していてそれがおかしかったのかアイラがころころと笑う。子供のように純な笑い声。ティアンは言葉もない。 「どう、手を借りるのは、いや?」 嫌ならば無理強いはしない。嫌でないのならば借りてくれ。そんなアイラにティアンはどうしたものか迷う。試すよう、口にしたのは。 「……イーサウが本拠って言ってたな? ニトロ、という男を知っているか?」 知っていたからどうと言うのではない。ただ試しただけだと自分でわかっている。そんな己が嫌になる。気づかなかったのかアイラはことん、と首をかしげていた。 「ニトロって名前の友達はいるわよ」 「……イーサウでは、よくある名前?」 「でもないわね。あたしの友達は、なんて言うのかな。銀に近いような金髪、白金て言うの? そんな頭の派手なやつよ。ちょっと浅黒くてね、よけいに目立つ。しかも碧眼の結構な美形と来てるからね」 「なら……別人、だな。俺が知ってるのは歴史学者の卵だ」 「ん、別人みたいだね。あたしの友達は魔術師だから」 完全に別人だな、とティアンは笑う。あのあとニトロはどうしたのだろう。いまになって思い出す自分の薄情さを内心で嗤った。 |