夕刻。締め出されてはかなわないと足を急がせる人々に紛れて街の門を越えた。ダモンは目をみはっている。ミルテシアの王都にも負けない華やかさだ、と思った。 「綺麗だろ?」 ぱちりと片目をつぶったニトロにこくりとうなずいたのは深くフードを被ったダモン。さすがに顔をさらすのは危険だった、いまはまだ。 「どんな、方なんだ?」 家までもうすぐだ、とニトロは言った。彼が暮らす家、というのはすなわち件の魔術師が住む家でもある。その思いにダモンはふと笑う。ニトロもまた魔術師だというのに、と。 「んー。俺?」 わかりにくい言葉だった。思わず首をかしげれば隣でニトロがさも楽しげに笑っている。明るい声に救われる、そんな気がしなくもない。 「俺を女にしたら師匠、と思っときゃいいさ。柄の悪い師弟でな」 「女性、なのか――!?」 「エリナード・カレンって言っただろうが。あぁ、そっか。あんたにゃわかりにくいか。エリナードってのは師匠の師匠の名前だ。カレンがうちの師匠の名前」 「魔術師の、習慣、なのか?」 「だな。どこの誰かはっきりしねぇと危ねぇってのが元々あったみたいだ」 あっさりと言い放つニトロにダモンは不思議だ。彼は自分の技を危険と言われて不快ではないのだろうか。逆に、誇りはしないのだろうか。それを問えばそれこそ不思議そうな顔をされた。 「危ねぇのは魔法であって魔術師じゃねぇからな。いや、魔術師の使い方次第だからな、どっちとも言えることなんだけどよ」 「毒はそれ自体が野原にあっても危険ではない?」 「それそれ。あんたの手を経て、危ないもんになるわけだ。俺の手を通ってなんかやらかすのとおんなじでな。だからどっちも危ない、が正解かな」 だからこそ、魔術師たちは脈々と自らの責任として、弟子を管理してきたと彼は言う。師の名を名乗るとはそういうことだと。 「俺はまだ弟子だからな。責任問題は遠い話で気楽なもんだ」 「早く一人前になりたいとは、思わないのか? 僕は、思った。それが――」 人を殺すことであったとしても。言わなかったのはニトロのせい。何気なく触れてきた手が腕を軽く掴んでいた。 「そうだな……俺は中途半端は嫌なんだよ。どうせだったら極めたい。その可能性のためにいまはまだ勉強中ってとこ」 きらきらと輝くニトロの藍色の目。イーサウの町中は街灯が多い。その明かりに照らされて輝かんばかりの彼の目。自分はあのような目をしたことはたぶんきっとないな、ダモンは思う。そうこうしているうちに到着だった。 「本当に、ここなのか?」 まさか自宅を間違えはしないだろうが、本当に、屋敷ではなく家だった。話に聞く限り、エリナード・カレンという魔術師は相当な重要人物。魔術師としても、イーサウという国家としても。それなのに、どこからどう見ても小ぢんまりとして住み心地の良さそうな家だった。 「そうだぜ。ただいま戻りましたよー」 気安く入っていくから、嘘偽りはないのだとダモンは納得せざるを得ない。信じがたかった。結社の人間だとて、階級が上がれば表の顔を持ち、邸宅に住んでいる。もう少しでダモンもそうなっていたかもしれない。 「おう、おかえり。遅かったな、馬鹿弟子よ」 居心地のよさそうな居間だった。椅子にかけて茶でも飲みつつ本を読んでいたのだろう人物が振り返る。 「ほい、これ。例のブツです」 言ってニトロがあの時の本を差し出す。だから目の前の人物こそ、エリナード・カレンに間違いはなさそうだった。ダモンは目を瞬いている。女性、と聞いていたはず。否、改めて見れば確かに女性だ。腰かけたままでもわかる長身といい、短く切った黒髪といい、なによりその精悍な表情。女性とは思い難かったが。 「ったく。持ってくんなってあれだけ言っただろうがよ」 「あの騒ぎじゃ誰が持ち出したかなんかわかりゃしませんて。ほんっと、しっちゃかめっちゃかだったからな。阿鼻叫喚の騒ぎってのはああいうのを言うんだろうなぁ」 「で、その騒ぎを起こした当人がそいつか?」 にやりとした笑み。確かにニトロが言っていたとおりだった。彼を女性にしたのならば彼女。それほど似通った印象のある師弟だった。 「うい、こいつがダモンです。ダチなんで、面倒見てやってもらえませんか」 ニトロが言った途端だった。頭を下げようとしていたダモンが硬直するほど、一拍おいては唐突に彼女が笑い出したのは。それも大きく、天まで届けと言わんばかりに。 「なるほどな、馬鹿弟子のダチかよ。じゃあ、しょうがねぇよな。お母さんが面倒見てあげよう」 「誰が母親だ!? あんたみたいながさつな母親がどこにいるんだ!?」 「ここにいるだろうがよ。これでも私は女だからな。親父を気取るほど世を拗ねちゃいねぇよ」 「……そういう問題か?」 怪訝そうな顔で眉を顰めるニトロ。それを問いたいのは自分だ、とダモンは思う。口を挟む隙すらない師弟にどうしたものか、と頭を悩ませていた。それを感じ取ったかのようだった。 「ん、なんか言いたいことがあったら今のうちにさっさと言っといてくれ。まどろっこしいのは苦手なんだ」 目を細めると少し柔らかな印象になる人だ、とダモンは思う。不意に気づく。ニトロの師というのに、師を名乗るほど年嵩には見えない。せいぜい三十代半ばになるかならないか、その程度にしか。これが魔術の師弟か、としみじみ思う。 「エリナード・カレン師は――」 「カレンでいい、カレンで。師もいらねぇよ。あんたは私の弟子でもなんでもねぇからよ」 「ですが……カレン師。ニトロからお聞き及びでしょうか? 僕は――」 「聞いてるからいいぜ。あんたがどこの何もんだろうが、倅が友達連れてきたんだ。親としちゃ歓迎するさ。それだけだ」 本当なのか。疑問が顔に出る。自分は、暗殺者だ。闇の手の一員だ。否、死ぬ前は、そうだった。イーサウの重鎮が側に置いていいような人間では。 「あんたはどこの誰でもない。だろう? だったらここで生き直すのも手は手だぜ。死にたいんだったら他所を当たってくれ。自殺の手伝いはしないことにしてる」 「ししょー。そりゃねぇぜ」 「だから面倒見てやるって言ってんだろうが」 「物の言い方が悪いんだ、あんたは」 ふん、と鼻を鳴らすニトロが庇ってくれた気がした。知らず見上げれば片目をつぶられる。心配は要らないと。間違いなくカレンが守ってくれるからと。そんな弟子の様子にカレンがにやりと笑う。 「で、どうするよ? お前の男ってことにしとくか?」 「よしてくださいよ。どうせだったら師匠の男にすりゃいいでしょうが」 「あー、ガキは好みじゃねぇな」 「それにエイメさんに怒られそうだしね。――師匠の女友達ってことになってる魔術師なんだけどな。どっからどう見ても彼女だし」 「だからエイメはダチだって言ってんだろ! 彼女呼ばわりすんじゃねぇわ!」 あら酷い。不意に声が聞こえた。振り返れば琥珀色の髪の美しい人がそこにいた。ふわふわとした髪を結いあげ、たっぷりと襞を取った甘いドレス姿。カレンと同年代にも見えるけれど、華やいだつくりのせいだろう。彼女の方がずっと若く見える。 「エイメ……。お前なぁ」 「カレン様の恋人と言われれば私はいまでも嬉しく思いますもの。ね、カレン様? お帰りなさい、ニトロ君。こちらはお友達?」 「うい、ダチのダモンです。エイメさんは今日はこっちに?」 緊張するダモンだった。自分の素性を知る人が続々と増えて行く。が、すぐさま気づく。エイメという女性に彼らはダモンがどこの誰か決して言おうとしなかった。彼女もまた聞こうともしない。それでいて朗らかに話をしている。稀有な人だと思った。 「だったらあいつはあっちか……。よかったかな?」 独り言のニトロの腕をちょい、と引く。まだ人が増えるとなると、さすがに事前の説明が欲しい。ダモンの目の色に気づいたニトロが苦笑していた。 「いや、エイメさんが不測の事態だっただけ。元々師匠と二人暮らしって言っただろ? でも兄弟子が月の半分くらいはこっちに顔出すからよ。まだ帰ってきてねぇな、と思ってな」 「デニス君だったら仕事が終わらないって悲鳴を上げてたから置いてきたの。すごく楽しそうだったわよ?」 「手伝ってやるって選択をしないところがエイメのいいとこだ。さすがエイメだぜ」 「カレン様に褒めていただいちゃった。なんていい日かしら。ニトロ君のお友達もいることだし、今日は私が張り切ってご飯の支度しちゃおうかしら。いい、カレン様?」 「あいよ、頼む。よかったな、ダモン。イーサウ到着の日の飯は記憶に残るうまい飯だぞ?」 自分もニトロも料理下手だからな、とカレンは笑った。気づけばダモンの口許もほころんでいる。それに彼は驚いていた。ニトロの屈託のなさは、カレンに学んだのかとも思った。明るく、真っ直ぐと生きている人たちだ、そんな風にも思う。きっと、違うのだとは思う。いままで契約に従って粛清してきた人々。正しい顔をして醜い行いをしていた、はずの、人々。本当のところはよくわからない。それを信じていいのかどうかもわからない。それでも人には両面があると言うのならば、明るいところだけを、真っ直ぐとだけ生きていられるものではないだろう。それでもそう見せられる強さだ、とは思った。 「まずはお前のダチってことで隣の家でも使っとけ。落ち着いたら色々希望を聞かせてもらうから。それでいいか?」 「いま、聞いてくださっても――」 「なにも焦ることはないさ。人生なるようにしかならん。これは師匠が受け売りしたのの受け売りだがね」 肩をすくめてカレンはそっぽを向く。ニトロを見ていてわかったことが一つ。師弟揃って照れ屋なのだと。それが少し、おかしい。 「んじゃ、荷物置いてくるか。大騒ぎだったからな、疲れただろうが?」 「大丈夫だ。ありがとう」 「なんだ? やっぱりお前の男って紹介したほうが早いんじゃないのか」 「だから師匠! 話は後だ、後! でもな、その前に一言だけ言わせてもらうと! 俺がこいつを彼氏扱いすると後で間違いなく殺されるんですよ!」 「ははぁ、なるほど。そっちも訳ありか。なるほどなぁ」 「彼女持ちはいいですね、気楽で。俺はややこしい独り身ですよ、どうせね! 行こうぜ、ダモン」 だからエイメは恋人ではない、怒鳴るカレンの声を背中に家を出た。呆気にとられていたはずがいつからだろう、くすくすと笑う自分がそこにいる。それをダモンは驚きと共に見つめていた。 |