夢のあとさき

 相変わらず基礎訓練は一人でする。一人でするそれが苦手ということはないのだけれど、何となく寂しい日もある。
「ま、仕方ない」
 いずれ流れの剣士の身。騎士達に混ざるよりは気が楽だと思い切る。それでも笑って訓練を続けても、どうにも気が乗らなかった。
「だめだな」
 こんなことではいけない。自分の体一つが商売道具。そんなことを考えるのは傭兵だろうけれど、現状自分も似たような身の上か、ティアンは苦笑する。
 モルナリア伯はティアンを買ってはいるけれど、決して取り立てようとはしない。当然のことでもあった。
 流れの身ということは、ティアン自身の身の証が立たない、ということでもある。どこの誰、と彼が言うことはできても、信じられる根拠がない。そんな人間を栄光ある伯爵家に迎えるわけにはいかないだろう、やはり。それはティアンも思う。
「もっとも――」
 それはそれで気楽だと何度となく言い聞かせる。騎士たちならばともかく、衛士たちのあのつらさをティアンは見ている。夜は遅くまで警護につき、朝は早くから訓練をする。それが彼らの日常。休みなどないに等しく、すぐそこの街に出かけることもできない。
 転じて自分は、と言えば一言断りさえすれば遊びに行くのも自由だ。伯爵のご用、とあらかじめ言われている件を除けば相当に自由が保証されている。
「でもな」
 訓練を諦めて歩きだす。外に出れば汗も引くだろう。ティアンの足取りはけれど重たい。
 自由の身、ということは、ティアンをいつ解雇するも伯爵の自由、ということでもあった。このあたりは漂泊の民、と言われる芸人や吟遊詩人に近いか。いつ訪れても歓迎される代わりに、いつ放り出されるかわからない。現に今まで抱えられた家でも早ければ数カ月、長くとも二年程度で去っている。
 ティアンはそれが最近になって少し、不安だ。また流れの身に戻るだけ、と言えばただそれだけ。けれどしかし。
「……ダモン」
 思わず口をついた名にはっとする。友人と、離れがたいなど子供じみたことを考えたものだと苦笑した。
 実際ティアンにとってダモンは貴重な友人とも言える。流れの身だからこそ、家中で親しくしてくれる人間はあまりに少ない。
 だからこそ、だった。この家を出ることになればダモンとの繋がりも切れてしまう。それがひどく、寂しい。手紙のなんのとやり取りはできるだろう。もしも自分がただ流れているだけならば。けれど別の家に迎えられれば、そうはいかない。
「なくすの、かな」
 まだそんな話は一向に出ていないどころか、モルナリア伯はずっといてくれてよい、と言ってくれているのにそんなことを思う自分をティアンは笑った。
 その笑みが凍りつく。ちょうど裏庭の一角では若手の騎士たちが訓練中だった。年齢ゆえか、賑やかな活気がある。指導役の騎士は席を外しているのだろう、普段よりはわいわいと笑い声まで聞こえていた。その中に一人。
「ニトロ」
 知らず呟く。彼は騎士に混じって剣を振るっていた。そのそつのなさ。自衛程度、と言っていたはず彼の剣。一度は見た彼の剣。しかし今は滑らかに動く。
「一手指南進ぜよう!」
 大仰な、けれど笑い声まじりの騎士の一言。横柄におう、と返事をしてニトロは再び剣を構える。立ち合いが見事だった。騎士は確かに加減してる。が、ティアンの目にはニトロもまた相当に手控えしていると見えていた。
 ここに騎士と剣士の差が出ている。彼らは真っ直ぐな剣しか知らない。ティアンは勝つための剣を知っている。ニトロはどちらだ、と思った。ティアンにはわからない。騎士でも剣士でもない、たぶんきっと傭兵のそれでもない。不思議な剣だと思った。
 それ以上にニトロが騎士たちに受け入れられているさま。それになぜか心が痛んだ。自分は、とつい思わなくともいいことを感じてしまう。
「バスティ!」
 そんな声で自分を呼ばないでほしい。ティアンは思う。闊達な、屈託のない声。こうして明るいところで見ればニトロはずいぶんと浅黒い。学者と言うより陽の当たる場所で生きる人間のよう。片手を上げるだけで済ませようとしたのに、騎士たちの目。
「バスティか。どうだ、お前も一手指南してやったら?」
 年の頃は自分とさして変わらない騎士たち。下に見られることなど慣れている。なのにどうしてだろう。きっと、ニトロがあまりにも馴染んでいるから。騎士たちに馴染めない自分だというのに。
「お手柔らかに」
 にやりと笑ってニトロが言う。それに笑い返す余裕がティアンにはなかった。ぎこちない笑いに似たものをなんとか浮かべ、剣を掲げる。あとは言葉はなかった。
 あっという間に切り込んで行ったティアンをニトロはなんとかかわす。それに騎士がおぉ、と声を上げた。それほど鋭い切り込みで、体さばき。一瞬ニトロの藍色の目が光った、そんな気がした。あとはティアンは戦闘の無我に入っていく。こんな学者相手に。
「そこまで!」
 息を飲んで自分がしたことを思い起こす。青ざめるティアンの前、掠り傷に笑うニトロがいた。頬についた長い傷をどうでもいいとばかり拳で拭ってニトロは手を差し出す。
「やっぱり本職は違うな」
 そんなことを言われる自分ではない。本職だと自覚があったら学者相手にここまで本気に誰がなるものか。
「困ったことをしでかしてくれたものだな、バスティ」
 試合終了の声をかけた男。いつ間に出てきたのか伯爵本人だった。首を切られれば友人と、そんなことを考えていたというのに雇い主の機嫌を損ねる真似を自らするとは。
「……は」
「ニトロは連盟議長が直々に頼むと言ってきた俊英だぞ。傷など――」
 怪我をさせれば政治的に何があるかわからない、苦い顔の伯爵にティアンは言葉もない。困り顔のニトロが軽く伯爵に頭を下げた。
「どうぞ、バスティをお責めになりませんように。夢中になってしまったのは私も同じこと。むしろ食い下がった私が悪いのですから。バスティに咎はありません」
「だがそなたは本を友とする身。剣などさして得手でもないだろうに」
「得手とは確かに申しません。が、これでもイーサウの男にございます。魔物討伐の一度や二度、経験していないわけでもありませんので」
 さらりと言うニトロの言葉に騎士たちがどよめきを上げた。ティアンは無言でニトロを見やる。嘘でもはったりでもない。彼はそうするだけの技量がある。この手の感触がそう告げている。
「なんと。頼もしいものだな、イーサウの学者は」
「私などただ剣を握ることができる程度のものにございますよ。イーサウの本物の男は技量に優れる気高い者たちです」
「噂に聞いたが、狼のなんとか、とか……?」
「あぁ、狼隊のことですね。自衛軍狼隊。イーサウの子供の一番の憧れですとも!」
 きらきらとしたニトロの眼差し。自分もできればそうなりたかった、とその目が言っている。生憎と技と体格に欠けてそうはできなかったのだと。それが伯爵には感じられたのだろう。顔色が優れなかった。ここモルナリア伯の領地は言ってみればミルテシアの辺境。つまりミルテシアの中ではイーサウに最も近い場所に位置している、とも言う。伯爵とすればイーサウの戦力、というものを考えてしまうのだろう、ニトロを見てはなおさらに。
「狼隊の男はお前みたいな剣を使うよ、バスティ。変幻自在で、すごいんだ。とにかく格好いい!」
 にこりとニトロが笑った。ティアンは軽い苦笑を浮かべて礼を述べる。それが精一杯だった。騎士たちがそれを不遜と取ったとしても、いまはそうしかできない。ニトロこそ、素晴らしい男だと思う。褒められて、庇われて、率直にはなれなかった。
「ほう、バスティのような剣を?」
 伯爵が興味を持ったことが忌々しい。本当ならば、ありがたい。有用と見做されれば、この家に滞在する時間が伸びる。けれど感謝など、どうしても。
「えぇ、剣の道にいないものの放言ではありますが。騎士様がたは曲がることを知らぬ剣に見えます。バスティや狼隊は筋を通しながら勝つ、ということを知っていますから」
 負けられない。それは騎士も剣士も自衛軍も同じこと。それでも騎士は名誉ならばともかく、ティアンや自衛軍は命がかかる場面に何度となく出食わす。さりげない言葉で指摘したニトロに思うところはあるのだろう伯爵が苦笑していた。
「名誉というものは何より重んずるべきものなのだぞ。我々にはな」
 イーサウの住人にはわからないだろうが。所詮は平民の集合よ。伯爵の声が聞こえた気がしてティアンは視線を外す。どちらと言うまでもなく平民の自分だった。
「とはいえ、気分転換にはなろうな。バスティ、たまには騎士たちに混ざるのもいいだろう」
「は、ありがたき幸せ」
 頭を下げて視界を遮る。騎士たちの目に浮かんだ迷惑げな表情を見たくはなかった。そのまま伯爵はニトロを伴って館に戻るらしい。礼のまま見送り、背を返せばあからさまな騎士たちの安堵の気配。
「……迷惑だってのは、知ってるよ」
 自分だとて迷惑だ。小声で呟いても誰にも届かない。届いてしまっては困るか、改めて気づいては苦笑する。
「こんなときは、と」
 友人に会いに行くか。気分を明るくするのに友との他愛ない雑談にしくはない。せいぜい伯爵が買ってくれたのだけはありがたく思っておこう、ティアンは思う。ダモンとの別れが遠くなるのだから。
 いつものようむっとした温室。入るだけで汗が滴りそうだった。奥まった一角の、更に硝子で囲われた室内でダモンは今日も仕事をしているだろう。いつもながら不思議だった。
「なんで汗をかかないかね、あいつは」
 涼しい顔をして調香をしているダモン。思えば仕事部屋では自分も暑い思いをしていないから、なにか工夫があるのかもしれないが。
 ふと見上げれば、ニトロが楽しげに見つめていた木が花盛り。ダモンはモルナリアでは寒すぎる、そう言っていた花。更に北のイーサウでは咲くのだろうか。
「温泉の町、だったか……?」
 イーサウのことは知っているようで知らないものだとティアンは改めて不思議に思う。そこから来た男、ニトロのことも。
 思いを振り払うようたどり着いたダモンの仕事部屋への扉、そこには一言入室禁止、と記されてあった。硝子の向こう、作業に勤しむダモンの姿が見えているのに。




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