粉だの砂糖だの。フェリクスの用事でなければエリナードには縁のない買い物。これほど大量の干し果物など、最近では見た覚えがない。前回はやはり去年のこの時期だったか、思い出してエリナードは苦笑する。 あちらの店で粉を、こちらで木の実を。買い物を続ければ次第に重くなるのが荷物というもの。が、二人は魔術師だった。増やす間もなくその場で星花宮に転送してしまう。それには店のほうも配達の手間が省けると喜んでいた。 なにしろ星花宮は王城にある。それも王宮と同じ、最奥の一角にある。そこまで配達に行くにはとんでもない手間がかかる。手続きを考えるだけで店の主は溜息をつきたくなるのだろう。それが省けた、と言って喜ばれてしまった素直さにフェリクスはどことなく苦笑していた。 「今度はもうちょっと早く来るよ」 主人に言えばそのときには配達をしましょう、と請け合ってくれる。降臨祭の時期、と言うのも悪いのだろう。主人は中々に忙しいらしい。 「珍しいですね、師匠」 そう言えば、とエリナードも思い出す。去年はもう少し早い時期に買い物をしていた気がした。けれどすでにもう降臨祭休暇だ。店から出て歩きはじめていたフェリクスが肩をすくめる。 「忙しかったんだよ、僕も」 それにエリナードは深く納得する思い。なにしろ自分も忙しかった。主にエルサリスの一件で。フェリクスの意志でエリナードは動いていたのだから、その主がより忙しいのは当然というもの。 「師匠」 「なに」 「体調、大丈夫なんでしょうね。ちゃんと寝てます?」 「なに、あなた。僕の心配? 百年早いよ。大丈夫だってば」 「師匠が大丈夫って言うとき、物凄い信用できないんですけど?」 言えばくすくすとフェリクスが笑った。何事だと思う間もなくフェリクスが軽く腕に触れてくる。その親しげな仕種にエリナードは惑わされない。じろりと睨んだ。 「タイラントとおんなじこと言うなって思ってたの。あいつの口癖でもうつったんじゃないの」 「そりゃうつるでしょうよ」 師とよく似た仕種で肩をすくめ、うつっているのはどちらなのだろうと思ってエリナードは内心で笑う。それを感じ取ったのだろうフェリクスもまた笑う。 「で、師匠。どうしたんです? さっきからなんか物憂げですけど」 買い物前から気になってはいた。時々こちらを見やってくる師の眼差し。物憂いと言うより、切なげな。妙な勘違いをするような目ではないのだけが救いだが。 「あぁ、気がついてたんだ。ごめん」 「いや、別に。なんかあったのかな、と」 「なんかってほどじゃないかな……。あなたとね、あと何回こうやって買い物したりするかなって、思ってた」 「……はい?」 フェリクスの言っている言葉の意味がわからなかった。往来で首をかしげて思わず立ち止まれば、人の迷惑だよ、と師に手を引かれる。それにも気づかずエリナードは不思議に迷う。 「あなたが一人前になるまでにあとどれくらいかなってこと」 「別に……一人前になったからって俺が師匠の用事をしないわけじゃないと思うんですけど」 「それはそうかもしれないけど。でも弟子と星花宮の魔導師はやっぱりね、違うし」 「それだって、俺は星花宮出る気はないですし」 名を許されてから旅に出る魔術師は多い。イメルだとてそうだ。外に出て広く世を知り、己の魔道に生かす。そして星花宮の魔導師として研鑽を積む。だがエリナードは今のところ外に出る気はなかった。 「あっちこっち見てまわるより、俺はどっちかって言ったら本に埋もれて過ごしたい質ですし」 「だよね。それでもさ……なんて言うんだろうね。息子が一人前になるのを待ち望んでるような、まだまだこの腕の中で庇ってあげていたいような、そんな気分だよ、僕は」 「……師匠」 「なにさ」 「俺、師匠よりでかいんですが」 わざと胸を張り、フェリクスを見下ろせばくすりと笑う。こんなにも大きくなった、とフェリクスの眼差しが言っていた。それに気恥ずかしくなってしまうからまだまだエリナードは師に勝てない。 「可愛いエリィ。大きくなったよ、ほんとにね」 「ちょっと師匠!?」 「やめない」 「まだ言ってない!」 「言う気だったくせに。だから先にやめないって言ってあげた。僕は優しいね」 「こういうことはタイラント師にしてくださいよ、もう」 フェリクスがするりと腕に絡みついて来ていた。なにが悲しゅうて師弟で腕を組んで歩かねばならないと言うのか。抗議の無駄も悟らされてしまったエリナードは溜息をつき、けれどなぜか自分の声が笑っている。 「そうそう、諦めのいい子って好きだよ、僕は」 ふふん、と鼻で笑うフェリクスにエリナードは知る。本当に、フェリクスがエリナードの将来を思って寂しくなってしまったのだと。 あるいはエルサリスのことがあったのかもしれない。たかが三年と少し。手元に置いたのはそれだけの短い期間だ。弟子たちよりなお短い間共に過ごしただけのエルサリス。 それでも彼は巣立ち、そして遠からず家庭を持つ。大人として進んでいく姿を彼はフェリクスに見せた。だからこそ、その後ろ姿にエリナードを重ねているのかもしれない、フェリクスは。 「俺は……まだガキですよ」 ぽつりと呟いてしまうのは反対にエリナードのほうこそ、心細くなったせい。腕にフェリクスのぬくもり。まだまだ師の愛に包まれていたいのは自分だと思い知る。 「エリィ?」 「なにも考えてません!」 「ふうん」 にやにやとした猫の眼差し。絶対に間違いなく、フェリクスはいまの内心の思いを聞いていた。エリナードとていまだ弟子でいるのが不思議だと誰にも首をかしげさせるほどの魔術師。師が心に触れた感触に気づかないほどぼんやりではない。 「嫌だったら弾き出せばいいんだよ。できるでしょ」 できるが、やらない。フェリクスはそれも知っている気がした。やればいいと本気で思っているだろう、彼は。けれどエリナードはそれだけはしないと思う。 「ま、未熟者がすると危ないですしね」 下手に弾き出せばフェリクスの精神に傷を負わせかねない。逆に自分が傷を負う可能性もある。指摘をするエリナードをフェリクスが笑う。 「そう言うことにしておいてあげるよ、可愛いエリィ」 くつくつと笑い続ける師の気分がよくなったのならば本望だと思う自分はなんとよくできた弟子なのだろう。エリナードは肩をすくめるけれど、実のところ本心だった。 「あぁ、エリィ。ちょうどいいところにお菓子の屋台があるよ」 組んだままの腕を引かれる。どうやらまだ離す気はないらしい。星花宮の誰かに見られたらなにを言われるかわかったものではないな、とちらりと思ったけれどエリナードも黙殺することにした。 「なんです?」 先日子供たちと来たような露店だった。色とりどりの、どちらかと言えば駄菓子の類。鮮やかな色合いがなんとも楽しげだった。 「付き合ってもらったからね、お駄賃をあげよう。さぁ、エリィ。どれがいい?」 悪戯っぽいフェリクスの声。昔を思い出しているのだろう。子供時分のエリナードは好きなものを好きと言えない、欲しいものを欲しいと言えない子供だった。 「――その青い飴がいいな。なんか綺麗だ」 いまはこうやってねだることができる。たかが、そんなこと。それでも師弟にとっては大事な道。振り返れば、共に歩んできた道がそこにある。 「ほんとだ、綺麗だね。僕は黄色いのにしようかな」 一つずつちょうだい、と言えば金だけ受け取った主は好きなのを取れ、と言う。選ばせてやろう、と言うことらしい。子供ならば殊の外に喜ぶだろう。否、フェリクスもだった。 「これとこれがいいかな。もらっていくよ」 実に楽しそうに飴を選びだし、にこりと微笑む。売り手はこれが氷帝だとは思いもしないだろう、思ってエリナードは小さく笑う。その口許に差し出されたもの。 「ちょっと!?」 「ほら、お口開けて。はい、あーん」 満面の笑みの悪魔がそこにいた。タイラントに全き同意をしたくなるフェリクスがいまここにいる。衆人環視の中で何をやっているのだこの男は。内心で盛大に抗議をすれば聞こえているはずなのに知らん顔。諦めて開けた口の中に飴が放り込まれた。 「もう……恥ずかしいなぁ」 もごもごと言うのは飴がいささか大きいせい。聞こえた素振りも見せずフェリクスはまた腕を組んでくる。周囲の人たちがやんやと囃し立てる声もなんのその、フェリクスはさっさと歩きだしていた。 「いいでしょ、別に。師弟仲良く、麗しいじゃない?」 「問題は絶対に師弟に見えていないってとこですがね」 「それは僕の責任じゃないね」 嘯くフェリクスの声もくぐもっている。二人して飴を舐めながら歩く。子供じみた行為がエリナードも楽しくないとは言わない。 「そっち、何味?」 「なんだろ……? 檸檬と林檎が混ざったような。うまいですよ」 「面白いね、こっちは薄荷味だったよ」 「あの主人、なに考えてんでしょうね。味と色が一致してねぇ」 「それが楽しいんじゃないの?」 そう言うものかもしれない。子供たちならば喜ぶだろう。星花宮の子供たちのきゃいきゃいと上げる歓声をエリナードは幻視する。 「あ……」 ぬかった、と言わんばかりのフェリクスの声。長閑な想像に耽っていたエリナードが一瞬とは言え緊張した。そして青くなる。腕に縋ったフェリクス。そして眼前で蒼白になっているイメル。 「……お前は何も見なかった」 「ちょっと待てエリナード!? 口止めされるとものすごく見ちゃいけないもの見た気がするんですけど!?」 「気のせいだ!」 ぞわりとした悪寒がした。悪魔が腕に縋ったまま笑う。一層寄り添ってきたフェリクスを引きはがすこともできずエリナードは硬直した。いまは絶対に振り返りたくない。直後、案の定な悲鳴が聞こえ、エリナードはフェリクスを全力で放り出してイメルを連れて逃げ出した。 |