エルサリスの一件がようやく片付いたと思ったらもう降臨祭目前だった。さすがにエリナードも精神的な疲労が隠せない。なにしろこれからがまた忙しいのが目に見えている。 その中には若干の寂しさがないわけでもなかった。イアン・ジルクレストとエルサリスの誓約式に参列することはできない。さぞかし幸福そうな顔を見せてくれるだろうと思うのだけれど、星花宮の一員として参加がはばかられる。 「関係ねぇだろうにな」 所詮自分はいまだ弟子の身。政治的などうこうなど関係がない、とは思うのだけれど、他人の目がそうは見ないこともエリナードは理解していた。自他共に認める氷帝フェリクスの一番弟子。エリナードが参列すると言うことは、フェリクスが参列するも同義になってしまう。 もっとも、本当は一番残念に思っているのはきっとフェリクスだ。エリナードは知っている。あれほど弟子を慈しむ男はいないと。小さな笑みが浮かんで、すぐさま渋い顔になる。 「エリナードさーん!」 小さな星花宮の子供たち。まだまだ訓練中の十代初めごろの子供たち。エリナードは子供の相手が苦手でならないというのに、彼らのほうはなぜかエリナードにまとわりついてくる。 「なんだよ?」 そっけない態度で忙しさを表明してみたけれど、その程度のことでめげる彼らとも思い難い。案の定にっこり笑って回避された。あるいは、そんなものは気にならないくらい彼らはいま、はしゃいでいる。 「街に行くの! 一緒に行って!」 「エリナードさんと一緒だったら先輩たちもいいよって言ってくれるから!」 「遊び行こう、遊び行こう!」 「一緒に行こう!」 わらわらと群がってくる子供たちに思い切りよく背を向けられたならば。エリナードは諦めて天を仰ぐ。ここは素直に同行したほうがよさそうだった。とはいえ。 「ちょっと待て……って、いいとこにいるじゃねぇか。チェスター!」 さすがにこの人数だ。一人で面倒見るのは手が足らない。誰か巻き込もうと思ったところに通りがかったのはチェスター。にんまりとすれば嫌そうな顔をする。 「……なんだよ?」 元々折り合いがよくない、と思っているのはチェスターのほうだ。エリナードは気に留めていない。むしろ、そこが癇に障るらしいのだがそこまでは知ったことではない。 「チビどもの引率だよ。手伝ってくれ」 「なんで俺が!」 「そこにいたから」 ちょうどよかった、と屈託なく笑うエリナードに何を思うのかチェスターはむつりとうなずく。それに子供たちまでわっと沸いた。 一応はフェリクスに思考を投げておく。子供たちの名前と人数、街まで買い物に。それだけのことだったけれど、それを易々とするエリナードにチェスターがまたも不満顔。 「エリナードさん、早く早く!」 「ものは逃げねぇっつーの」 「逃げるもん!」 「まぁ、人気のもんはなくなるか。あいよ、行くから手ぇ引っ張んな!」 声を高めて言うけれど、子供たちは騒ぐだけ。その場の勢いでエリナードと手を繋いだ子供が別の子供に引きはがされ、喧嘩まじりに歩いて行く。それをまた別の子が笑ったり参加したりと忙しい。 「……お前は」 苦手ではあるけれど、無邪気に遊ぶ子供たちを眺めているのは嫌いではないエリナードだ。知らず目を細めていたところ、チェスターの低い声。 「なんだよ?」 問うのに黙る。これが少し苦手だな、とエリナードは思う。星花宮の魔術師は遠慮がないにもほどがある、とは世間の評判だけれど、それでいいだろうと思っている。殊に仲間内ならば。腹の中に抱え込むものが多すぎては疲れるだけだろうに。 城下町は賑やかだった。降臨祭を控え、普段に比べて露店の店も多いようだ。子供たちの目当てはそのような店。 「あのね、お菓子屋さんが出てるの」 きらきらとした眼差しの少女。星花宮の料理人は一流で、子供たちが喜ぶ菓子もおそらくは少々裕福な家を基準に考えても信じられないくらいよく食卓に乗る。食べ盛りの子供たちのこと、甘い菓子ばかりではなく腹にたまるように、と干し果物を入れたパンや塩気のある惣菜を挟んだパン。常に用意されている。実は後者は大人の魔術師にも人気で酒の肴に、と拝借するものが後を断たない。 「でもね、もっとすごいの。お砂糖いっぱいかかっててね、すっごいの!」 他の少女も興奮しきりだ。どうやら年嵩の仲間に聞いたのだろう。毎年子供たちの間ではどこの露店がいい、あそこは安いと噂になる。エリナードにも覚えがあることだった。そして顛末も。 「まぁ、買いすぎるなよ?」 それだけは忠告してやる。子供たちがせっせと貯めてきた小遣いだ。使ってみたくてたまらない気持ちもまた、わかるのだけれど。 「いいのか、エリナード」 チェスターも気になっているのだろう。止めてやりたそうにしていたけれど、エリナードはにやりと笑って首を振る。これもまた経験だとばかりに。 いままでは自分の小遣いで降臨祭の買い物に来たことがない子供たちばかりだった。さすがに幼いうちから金を持たせることはない。 だからこそ、子供たちははしゃいでいる。少し大人になった、そんな気がするのだろう。そして星花宮の降臨祭の趣向もまた、彼らはよく理解していない。 「もう何度も見てんだろうになぁ」 城下町の露店で買うどんな菓子より星花宮の料理人がこの日のために用意してくれる菓子のほうがずっと美味。はしゃぐ彼らはまだそれに気づかない。 「……少し、覚えがあるけれど」 小さなチェスターの声。おや、とエリナードは首をかしげる。意外と彼は面倒見がいいらしいと気がついた。 「当日になってあの子供たちはがっかりするぞ。絶対うちの料理人のほうがうまいから」 「だな。俺だって覚えがある」 「――それも経験、そう言うことなんだろ、エリナード」 肩をすくめるだけに留めた、エリナードは。突如として照れくさい。いままで仲良くやってきた覚えが微塵もないチェスターだ。急に親和の情を見せられても戸惑うだけだ。 「妙に、大人になったよな。お前」 どう言う意味だ。チェスターに言い返そうとしたとき、子供たちの歓声が上がる。また新しい露店に目を留めたらしい。群がられた露店の主こそいい迷惑だろうに。さすがに詫びを入れに行こうとしたとき、エリナードは頭を抱える羽目になる。 「……ロイよ。お前、なんでこんなところで露店出してんだよ」 「おや、エリナード? と言うことは、星花宮の子供たちかな、みんなは?」 はーい、とよいお返事が上がってエリナードはすぐさま子供をここから引き離すべきか、それとも放置するべきか悩む。まずはともかくロイだった。 「なぜって。それは神殿のご用で、に決まってるじゃないか。毎年降臨祭の菓子をうちの神殿でも作ってお分けしているよ。知らなかったのかい?」 「……そりゃ知らなんだ」 「エリナード、こちらは?」 そう言えばチェスターがいた。思わず星花宮に逃げ帰りたくなるエリナードだった。それと悟ったのかロイがくすりと笑う。 「双子神の神官殿、ロイだ。つか、別れた男」 「はい!?」 「つれないことを言うな、エリナード。降臨祭の間に神殿においで。たっぷりともてなしてあげよう」 「あー、考えとくわ。さすがに忙しくってよ、体が持たねぇんだよ」 「何を情けないことを。くつろがせてあげよう」 「絶対体力使い切って帰る羽目になんだろうが」 ぼそぼそと言い合うのを子供たちが聞いていなくてよかった。まだ年若い子供たちだ、あまり耳に入れたい会話ではなかった、と今更エリナードは思う。が、もう一人。 「エリナード!?」 わなわなと震えるチェスターがそこに。怒られる意味のわからないエリナードはきょとんとするだけだ。 「お前にはフェリクス師が――」 気がついたら手が出ていた。それは気持ちのいい音がチェスターの頭からした。綺麗に決まった平手にチェスターが呆気にとられる。 「あのな、チェスターよ。俺と師匠は、師匠と弟子ってだけだ!? ベッドの中でまでいちゃいちゃしてぇわけじゃねぇんだよ!」 「ベッドの外だったらしてるけどな」 「まぜっかえすなよ、ロイ!?」 そちらは聞こえたらしい子供たち。わっと大喜びされた。なぜだ、と頭を抱えたいエリナードだがいまだチェスターは納得しがたげ。 「俺だっていい大人だぜ? 付き合ってた男くらいいるっつーの」 別れたけどな。ロイが笑顔で言う。よけいにチェスターは混乱したらしい。さすがにそれまで解決してやる気はないエリナードだった。もっともそれより先に解決すべき重大な問題がある。 「おい、ロイ。念のために聞くけどな、これ。チビどもが食って平気なんだろうな?」 「体に害はないよ?」 「……チビども。ここで買い物はだめだ」 「えー、なんで? すっごい可愛いのに、綺麗だし」 双子神の神官が作ったものだ、媚薬が入っている。とは言いにくい。いずれ遠からず魔術師を目指すなら、彼らも青薔薇楼に連れて行かれることになるだろうが。救いの手は陥れたとしか思えないロイ本人から来た。 「まだ可愛いお客さんには少し早いかな。もう少し大人になったらおいで。そのときにはとっておきのを用意して待っているよ」 微笑む美しい神官に男の子の一人が頬を染める。エリナードは同類がここにもいたか、と思うだけだ。どうにも星花宮には同性愛者が多い気がしてならない。四魔導師が綺麗に揃って同性愛者だからそのせいかもしれない。 「本当? じゃあ来年!」 「来年はまだ早いなぁ」 「だったら再来年?」 意外と楽しくロイと話しているのは女の子のほうだ。エリナードが見るところ、年齢は男の子と大差はない。けれど。 「気のせいか、エリナード。あの子たちは、理解した上で話しているような気がするんだ」 「俺も気のせいにしたいけどな。でもよ、思い出せ。同年代の女どもに俺は勝てる気がしねぇよ」 「あぁ……」 うっかり納得してしまったのだろうチェスターが渋い顔。それを笑えばいっそう苦い顔になってエリナードは大きく笑う。ちらり、横目でロイが微笑んでいた。 |