彼の人の下

 見つめられたエルサリスはただエリナードを見上げていた。縋るように、哀願するように。あるいは、切望するように。ちらりとエリナードが唇で笑う。
「キャラウェイ卿。突然ですけど、ご結婚なさろうと思ったことって、あります?」
 本当に突然だな、笑うキャラウェイに不快な顔をしたのはディル。そんな双子を仕方ないとばかり微笑んで見ているユージン。いずれもエルサリスの目には入らない。ひたすらに指が震える。いつの間にか再びイメルに握られていると気づきもせずに。
「結婚を考えたことはないな」
「卿は男爵様でいらっしゃるじゃないですか。それってありなんですかね」
「ありなしで言えば、ない、だがな」
 ちらりとキャラウェイの口許が上がった。ないと言った瞬間のエルサリスを彼もまた見てとったから。なるほど、と内心で納得をする。
「だがな、エリナード。お前は知ってのことだと思うが。私にはすでにディルとジィンと言う立派な伴侶が二人もいるのだぞ? この上、妻まで持たされてみろ。どう考えても体が持たん」
 問題はそこではない、とユージンが顔を覆う。ディルまで諦めたような笑い声。エルサリスはまだ、なにも聞こえていない様子だった。
「そもそも、ですけどね。男爵様の連れ合いが男ってところがまず問題にならなかったんですか」
 そのとおりだ、とエルサリスは顔を上げる。だがしかし、問題になっていないのだろう、過去も現在も。だからこうして彼らはここにあるのだから。
「一族の間では大騒ぎにはなったぞ? だが所詮はその程度だ」
「……ですけれど、問題には、なったのですね」
「エルサリス、一ついいことを教えてやろう」
 問題の一語に彼の悩みは集約するのだろう。キャラウェイが彼にしてはそれとわかるほどはっきりと笑みを刻む。
「貴族というものはその手に権力があるものだ。権力の使い道、というものがお前にはわかるだろうか」
 考えたこともないエルサリスは答えられない。権力をもって何かを、というのならば横暴を、と答えるのだろう。ある意味ではエルサリスが生まれたときからさらされてきたのは親という名の「権力」だ。が、キャラウェイが言っている意味が違うのは、わかる。
「権力というものはな、無理を通すためにあるものだぞ?」
 にやりとしたキャラウェイ。ついで彼は己の伴侶たちを見やる。無理を通してまで獲得し、いままで守り続けている伴侶たちを。
「意外と見えないもんだけどよ、貴族の無茶ってのは案外と通るもんなんだぜ、エルサリス」
「え……。どういう……」
「だからな、平民がこうしたいって言ってもだめでもよ、貴族がするって言えばそうなるもんだったりする」
「エリナードの言う通りだな」
「でもキャルは俺たち関係の無茶はやっても人の迷惑になるようなことはしないけどね?」
 一応は、と兄の弁護をするディルにエルサリスは咄嗟に微笑む。作られた笑みに彼は気づかないふりをしてくれた。そうすることしかできないエルサリスだと悟ってくれたのかもしれない。かつてのよう、反射としての笑み。それだけ余裕がなかった。
「エルサリス、貴族の結婚というものをどう考えている? 夢も希望も普通はないぞ? 目的は一つ。血を繋ぐことだけだ」
「なら、ば――」
「だからこそ、同性の伴侶というものが通常は考えられない。それくらいならば結婚をして、同性の愛人を持て、と言われるものだ」
「そっちの方が現実的に可能ですしね」
 エリナードの言に、それこそ夢がないね、とディルが呟く。言葉を慎めとイメルが顔を顰める。エルサリスはその間に揺蕩うばかり。
「それをしたくないからこそ、私は無理を通した。形ばかり結婚をして子を持って、それで終わりであとは勝手に育てと子供に言うのか? それこそ無責任な」
 それはきっと彼自身、両親との確執があるからなのだろう。平民と貴族と、家族は同じようでいて断じてそうではない。それでもそこに血の絆があるからこそ、淀みもあればわだかまりもある。それがあらばこそ、愛情もあるのかもしれない。
「私はだから婚姻だけは断じてしない、と一族に宣言をしている。結果として、今度は養子を取れと言ってくることになったわけだがな」
「一時はすごかったもんね、キャル」
「こんな弱小男爵家の当主になっていいことが何かあるのかどうか知らんがな。――要するに、だ。エルサリス」
「は、い……」
「お前の想い人がどうなのかは問わん。が、方法はあるものだ、いつどんな場合でも。無理は通そうと思えば通せる。つまり、意思があるかどうかだ」
 それは貴族がどうのですらない、とキャラウェイは言外に言う。己の意志の在処はどこに、と。もしかしたら二人の意志かもしれない。エルサリスは思った途端に蒼白になる。
「違います……! 私……。私は……」
 ぽん、と肩に乗ってきた手。思わずエリナードを見やれば片目をつぶられた。ただ、それだけ。それなのになぜだろう。認めさせられた。否、認めることはしていいのだと告げられた思い。
「……私は、あの方を思っています。お慕い申し上げております。それでも」
 ぎゅっと自分の膝を握っていた。イメルの手まで一緒になって握ってしまったけれど彼は何も言わずに握り続けていてくれる。痛いだろうに、思うのに、なぜだろう。離せない。
「私は……。けれどあの方は」
「なぁ、エリナード。そっち、どうなのさ? お前が知らないわけないだろ」
 イメルの差し出口にエリナードが唇で笑う。よく聞けよ、とエルサリスを覗き込めば震える眼差し。痛々しくてならなかった。
「どうもこうもねぇけど? 動きは全然ないぜ」
「それはどう言う意味なのだ、エリナード。私に言っていい話だったら聞かせろ」
「かまわないと思いますよ。――お相手は諸事情あって婚約が破談になった直後、こいつに会ったわけでして」
 事実で言うのならば彼の姉の婚約者なのだがそこまで明け透けにすることもない。そもそも双子もユージンも敏いほうだ、その程度のことであらましは察してくれる。案の定痛ましそうな顔をしてユージンが目をそらした。
「こいつはこんななりをしていても男ですしね。あちらは当初それをご存じなくて。で、エルサリスが自分は男だから結婚はできないって悩む羽目になったり」
「……お相手は何をしているのか。そこは言葉を尽し意を尽くしエルサリスを口説き落とすところではないのか?」
 キャラウェイの言葉に不思議とディルが厳しい眼差し。関係がない他人であっても口説く、との言葉が癇に障ったらしい。
「いいえ、いいえ……! 私が一方的にお慕いしているだけなのです。……私は、だからいいのです、このままで。あの方がお幸せなら。それで、充分なのです」
「――と、本人はかれこれ三年以上言い続けてましてね。こいつも中々頑固ですよ。とはいえ、あちらはあちらで破談になったんだからどこぞの令嬢でも捕まえればいいだろうにそれもないわけでして」
「それは――」
 自明ではないのか、理由は。双子の眼差しにエルサリスは気づかない。じっとうつむいて震えていた。エリナードは双子に向けて肩をすくめる。ずっとこの調子だったのだと言わんばかりに。
「俺はさー、その人には会ったことないけど。それってエルサリス、そう言うことだと思うんだけどなぁ」
「イメルは知らないから! だってあの方は爵位のある方で……」
「それ、キャラウェイ卿が教えてくれただろ? 無理無茶はエリナードの専売ってわけでもないんだって」
「どう言う意味だ、イメル?」
「え……いえ、その……」
 キャラウェイに問い詰められて青い顔を作って見せたイメルの襟首、エリナードは笑顔のままでひねりあげる。間に挟まれたエルサリスの目の前で二人が諍いをすることになった。
「ちょ、待って、エリナード!?」
「なぁ、イメル。俺の専売、だ? ふざけんなよ、お前! 俺のどこが無茶だよ。だいたい俺が無茶やらざるを得ないときってのは九割九分師匠の仕事だ!」
「でも無茶するじゃん。フェリクス師のためだったら十割完全に無茶するじゃんー」
 ぽかん、と小気味のいい音がしてイメルの頭が叩かれる。涙目になったイメルを眼前で見るエルサリスはさすがに慌てる。それに向けイメルは片目をつぶって見せていた。
「あー、二人とも。その辺にしとけよ。うちの調度を壊されるとさすがにお前らの師匠がたに言わないわけにはいかないからな?」
 ユージンの制止を二人ともが知っていたようだった。あらかじめわかってでもいなければ理解できないほどすんなりと二人は離れて肩をすくめあう。ちらり、同時にエルサリスを見ては笑うものだから始末に悪い。長い溜息はキャラウェイか、ディルか。
「お相手のことを私は知らないわけだからな、そちらはおくとして。エルサリス、一つ聞いてもいいか?」
 混乱し、ただただ否定だけする自分をみなが励ましてくれていたのか。エルサリスは豁然と悟る。恐怖ではない別の震え。背筋を伸ばし、キャラウェイを見つめ返した。
「お前は自分はいい、と言う。このままでもいいと言う。――お前は、自分が幸せになりたいとは思わないのか? 生きると言うことそのものを、放棄してはいないか?」
 その背がくたりと頽れた。まじまじとキャラウェイを見ても答えはない。自分の中を探してもどこにもない。
「人は生まれながらに幸せになる権利だけはある、と思うのは貴族の驕りだと私にも理解はできているよ。権利だけがあってもどうにもならんからな」
「キャルはね、だからそうあれるならみんな幸せになりたいよねって言いたいんだと思うよ。生きることがつらいことじゃないって、俺もキャルに教えてもらったから」
「まぁ……あれだ。幸せになりたいという思いだけは誰にでもあるものだし、あって不思議なものでもない。お前はなぜそれを一番最初に捨ててるんだ?」
 ユージンが双子の言葉を総括する。エルサリスは空気を求めるよう、口を開け閉めし。けれど言葉はやはり見つからない。
「それにしてもエリナード。お前はやはり無茶をしすぎだ。エルサリスが少々可哀想になるぞ、私は。うちの森番の文句をお前に聞かせてやりたいものだ」
「あれはあっちが悪いんですよ。余裕を与えりゃよけいな理論武装を固めてきますからね。そう言う手合いには実力行使が一番効くんです」
 やはり無茶だ、ディルが笑う。エルサリスは問い詰めずに考える時間をくれたキャラウェイたちに感謝をする。だからこそ、いまは理解できない彼らの言葉のすべてをできる限り覚えておこう、そう思う。それでいいとエリナードの目が笑った気がした。




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