一呼吸を置き、あるいはだからこそ震えた、蒼白になったエルサリスは今にして魔術師たちが左右に座ってくれた意味を知る。楽しげに双子と喋っていたはずのイメルはなだめるよう片手を取って叩いてくれた。エリナードはただ側にいてくれる。まじまじと眼前の三人を見つめ続けた、不躾と理解しつつも。 「体調が芳しくないか、彼は?」 不意にエルサリスの眼差しに気づいたのはキャラウェイ。ほぼ同時にディルも気づく。その相似にエルサリスがまたも顔色を悪くする。 「いや、なに。こいつには二重三重に衝撃が強かったってだけですよ」 それだけだと笑うエリナードにキャラウェイが顔を顰める。はっきりとわかるほどなのはそれだけ不快を抱いているせいか。ちらりと見やったユージンは何ほどのことでもないと肩をすくめていた。 「さてと。どうするよ、お前?」 エリナードに顔を覗き込まれ、エルサリスはようやく息をすることを思い出す有様。荒らげた呼吸に、胸元が痛い。つい、とそこに出てきた冷たい水に目を瞬く。 「少し落ち着くといい。魔術師の暴挙はいまにはじまったことでもないからな。常人が慣れた方が早いというものだ」 朗らかを装ったユージンの優しい声。途端に同期した双子の眼差しが彼を射抜く。からからと笑っていたけれど、それがエルサリスには途轍もない衝撃だなど彼らにはわからない。冷たい水をありがたく口に含んでも、飲んだという気がしなかった。 「……エリナード」 呼んでしまってから、自分がどうしたいのかを考える。それを彼は待ってくれる気がした。そして想像通り、エリナードは無言でエルサリスを待ち続けた。数度のゆっくりとした呼吸。決心を見計らったかのよう、彼が口を開く。 「こちらの双子とメイカーさんの話、聞かせてもらうか?」 少しばかりからかうような藍色の眼差し。大丈夫だよ、とイメルがまだ手を握ってくれていた。それに励まされ、エルサリスは首を振る。 「……聞かせていただきたいとは……思います」 喉に絡んだ声を必死になって絞り出す。この三人はそんな自分をどう思うのだろう。知らず彼らを窺えば、皆が皆かすかな笑みを浮かべて待ってくれていた。イメルに握られた手をぎゅっと握り返す。 「でも、その前に……お話するのが、礼儀かと」 震える声でエルサリスは言い切る。隠しきれない感情が唇までわなわなと震わせていた。それを目にしたディルが決然とエリナードを睨む。 「エリナード君、君は――」 「待て、ディル。エリナードは無茶無謀、時折は無策ですらあるがさほど考えなしに動くような男でもない。お前にはお前の考えがあって連れてきたのだろう?」 ぷ、とイメルが吹き出した。慌てて取り繕うももう遅い。キャラウェイに貶されたエリナードとしても返す言葉がないとはこのことだった。 「エリナードは……私を案じてくれているのです。それは……確かなのです」 「だが、お前にはまだ準備ができていないよう、私は思うが」 「いえ……」 キャラウェイにエルサリスは青い顔のまま微笑んだ。それに彼は納得したのだろうか諦めたのだろうか。軽くうなずいて椅子に背を預ける。その兄の様子に弟もまた体から強張りを解いた。 「……煩雑な話ではありますが……私の生い立ちを、聞いてはいただけませんでしょうか」 かまわないよ、と微笑んでくれた双子にエルサリスは息をする。安心などできなかった。励ましてくれるイメルの手。温かくて、なにより縋りつきたくなる。だからこそ、エルサリスは自ら立ち続ける意思を持てる。そんな気がした。 時折息を詰まらせ、言葉を止め。それでもエルサリスは自らの過去を彼らに語る。双子にとってもユージンにとっても聞いていて不快な話だっただろう。 だがエルサリスは驚いていた。自分で想像していたよりずっと、嫌な気分にならなかった。いまでもまだ身の内が騒めくような煮えるような、そんな気は確かにある。それでもそこに確固としてある自分の経験でありながら過去になった、そんな気もする。 「……世の中には最低な親がいるものだな。いや、いるのは知ってはいるのだが」 話を聞き終えたキャラウェイの長い溜息。仕方ない人だな、と言いたげなディルが兄の片手を取る。それだけでふと唇がほころんでいた。 「キャルはね、チエルアット男爵だって言ったでしょう? でも俺は平民として育った」 「……え?」 「キャルのお父様がね、占いで不吉だって言われたおかげで俺は生まれてすぐに捨てられたんだよ」 「名前も付けられずに。存在すらなかったことにされて、だ」 いまだに腹立たしい、そんなキャラウェイにエルサリスは青ざめることも忘れて彼を見つめる。その視線に気づいたのだろう、彼がそっと苦笑した。 「詳細に差異はあるものの、どこかで聞いたような話ではあるだろう?」 うなずくエルサリスにキャラウェイの眼差しは優しかった。最愛のディルと同じ境遇を生きてきた彼だと、それより一層悲惨に置かれた彼だと知って。 「だからこそ……わからないのです」 エルサリスの目が無礼を詫びる。そのときには双子の青灰色の目が必要ないと微笑んでいた。それにもエルサリスは励まされる。なお、エリナードを見やってしまったけれど。彼は彼で肩をすくめて話し続ければいいと態度で言っていた。 「私は……生まれたときから存在を消された子供です、でした。ただ、姉の身代わりとして、姉がしたくないことをするためだけに、生かされていました」 それも娘愛しさのためではないと知ってしまった決定的なあの日。それであればどれほど救われただろう。いまでもまだそう思う。 「お姉さんのこと、嫌い?」 ディルの問いにエルサリスは答えを探す。以前は知っていたはず、そう思うのに今はわからない。思いの代わりに言葉を探す。 「……生家にあったころは、好きでも嫌いでも。姉に対してそんな不遜な思いを持つこと自体、許されていませんでしたから。――いまは、姉が、可哀想だと」 「だったら君は?」 「え……」 「君は、自分が可哀想じゃない?」 ディルの真っ直ぐな眼差し。ユージンとキャラウェイ、揃って彼を愛しげに見つめていた。それに知らず拳を握れば、いまだイメルに取られたままの手。ほっと息をついた。 「……あれほど両親に愛されていたはずの姉でさえ、彼らには道具だったのだと。――私はなんのために生まれ、生きたのだろうと」 「可哀想だなんて思えないほどの……」 「絶望、だな。それは」 代わる代わるに言う双子。新しい茶を淹れてくれたユージンに魔術師たちが礼を言う。エリナードに促され茶を口許に運べば柔らかな香り。香草茶にしてくれたらしい。ふっとエルサリスの口許がほころんだ。 「……そうしてあった私たちですから」 「あぁ、だから俺とキャルが仲良くしてるの、意味がわからないよね?」 正直に言っていいのだろうか。思ったけれど事ここに至っては隠す意味もない。うなずくエルサリスにディルはほんのりと微笑む。 「俺はね、キャルを恨んだことは一度もない。――捨てられたって言ったけど、養い親はいたしね。いい人たちだったよ」 「ならばディル、父上のことはどう思う。父を止めもしなかった母上をどう思う」 「別に何とも? 俺には赤の他人より遠い人たちだしね」 肩をすくめたディルにエルサリスは目を瞬く。似ている、すっと身のうちに染み込んできた。彼には養い親がいた。自分には乳母がいた。血の繋がらない人が育ててくれた。 「それで……いいのでしょうか」 「ん? 君の親御さんのこと? それは俺には決められないよ。俺は自分の経験として、伯爵夫妻のことはなんとも思わないってだけだからね」 「なんとも、思わない……」 それでいいとも悪いとも。ただ、それはエルサリスの感覚に近いものではあった。恨んではいる、憎んでもいる。ただ、それだけだ。復讐をしたいだとか不幸になれと呪うとか、そんな気はない。嫌な思いをさせられた過去の経験、と言うのが最も近いようなその感覚。 「赤の他人より……遠い……」 ディルの言葉の通りなのかもしれない。エルサリスにとっても両親はそう言い表すしか方法がないような存在になっていた。 「そうやって育った君がね、俺たち双子のことが理解できないのも一つの在り方だとは思うよ。だから、事実だけ、ね? 俺は双子の弟として兄が大好きだよ。その上で、一人の男として、キャルを愛してるよ」 「ディル……」 ぽ、と頬を染めたらしいキャラウェイ。表情はさほど動いていなかったし、頬に血などのぼってもいない。それでもなんとなく察するものがあった。だからこそ、理解はできる。彼らは幸福なのだと。双子でも。自分と姉とは違うと。そう言う在り方があってもいいのだと。 「まぁな、世間一般の倫理観から言えば相当な無茶をこいつらは言ってるからな? その辺は忘れないように」 「それをお前が言うのか、ジィン?」 「倫理を主張するのはちょっとねぇ」 口々に言う双子にユージンがこほん、と咳払い。それを彼らが微笑ましげに笑う。どこかで既視感が、思ってエルサリスにはわかった。 「星花宮でもよく見る光景、だろ?」 エリナードが苦笑しながら言っていた。そのとおりだった。これとは少々形は違う。それでもエルサリスにはこの数年で見慣れた景色。 「待て、エリナード。俺は四魔導師と一緒にされるのはご免こうむるぞ!」 「いつでもどこでも場所柄弁えずにいちゃいちゃするってのは俺にとっても見慣れた光景なんですがね、メイカーさん?」 「だから一緒にするな! いちゃついてるのは双子であって――」 「そのくせ私たちだけで盛り上がると一番に文句を言うのはジィンだがな」 そのとおり、とディルが明るく笑う。エルサリスはそれをただ見ていた。いまはまだなにを考えられる状態でもない。だから、見た。見て、覚えて後で考えられるように。 「話はそれだけってわけでもないだろ、エルサリス」 「え……。それ、だけ、です……えぇ、それだけです!」 「ほう? ここまで来たならいっそすべて吐き出してしまえばよかろう。どうせそこの魔術師が仕組んだことだ、彼らのせいにしてしまえばいい」 「待ってください、キャラウェイ卿!? 俺は巻き込まれてるんです! 事前相談? そんなものしてくれるエリナードだと思います!?」 思わんな、とキャラウェイはからからと笑った。その眼差しがただ柔らかにエルサリスを見つめていた。 |