「ちょっと出かけようぜ、付き合えよ」 エリナードがそうエルサリスを誘ったのは、一夜にして季節が変わる冬の風が吹き荒れた日のこと。普段どおりの訓練をしていた彼はきょとんとし、すぐにうなずく。 「外行くからな、あったかいかっこしてきな」 言ってエリナードは待ちあわせの部屋を告げて先に行く。エルサリスは駆け足で星花宮の自分の部屋へと取って返した。 途中、小さく笑う。この迷宮じみた離宮を走ることができている自分というものに。最初のころは迷ってばかりいたものを。すぐさま用意をしてエリナードの待つ部屋へと向かう足取りにも迷いはなかった。 「お待たせしました」 すでに準備ができているのだろう、と思っていたエルサリスは驚くことになる。呪文室、と聞いているそこはなぜか荷物で一杯だった。 「おうよ」 片手を上げながらエリナードは作業中。魔法を紡いでいるらしい彼だけれど、話しかけても問題ないことは返答をしたことでエルサリスにもわかる。以前彼は言ったものだった、その程度で集中が途切れるようなやわな鍛錬はしていないと。 「何を?」 少なくともエルサリスは出かける、と言われてここに来たはず。だがエリナードは荷物を前に魔法を発動させている最中だ。 「ちょいと届けもんをな。いま向こうにイメルが――」 言った途端だった、呪文室にイメルが転移してきたのは。エルサリスもすでに何度となく見ている彼らの魔法。夢のようだ、と思う。魔法は素晴らしいとも思う。見ていて楽しいとすら思う。それでも訓練が終了した後、自分が目指す道ではないとも思う。ならば何になりたいのかは、いまだ霧の中だったけれど。 「ただいまー。準備できたよ」 雪でも降っていたのだろうか。イメルは軽く肩のあたりをはたいていた。そして首をかしげるエルサリスに気づいたのだろう、四魔導師の用事で荷物を届けに行く、そのために届け先に転移点を作ってきたところだ、と説明してくれた。 「わざわざ、作るものなのですか?」 転移点というものがあるのはエルサリスも学んでいる。だが一々作るものだとは思わなかった、否、そのようなものだとは聞いていない。 「相手が貴族なんだよ。永続化させると政治的に色々あってな。こっちは手間が増えて面倒なだけなんだけどよ」 文句を言いつつエリナードもすでに魔法を完成させていた。この荷物ごと転移する、と彼らは言う。相変わらずすごいな、とエルサリスは笑っていた。 「エルサリス、そこ乗っとけ」 なんのことだ、とさすがに目を剥く。エリナードは無造作に積んである木箱を指していた。乗れ、というのか、ここに。おずおずと近づいて、はじめて中身が気にかかった。 「これは……」 「木箱の中身か? なんだっけ、イメル?」 「葡萄酒の瓶と絹地に宝石って言うにはちょっと小さすぎるさざれ石なんかが色々。それに玩具。あと……樽も葡萄酒かな?」 胸元から目録と思しきものを引っ張り出しイメルは読み上げる。何よりその雑多な内容にエルサリスは首をひねっていた。 「じゃあ、乗っても問題ねぇな。乗れよ。行くぜ」 問題がないのだろうか、本当に。確かに乗っても壊れはしないだろうが。そう言う問題か。エルサリスは問いたいような気がしたものの、エリナードは気にした素振りもない。結果、素直に木箱の一つに腰を下ろす。 そしてイメルと二人、すぐに詠唱がはじまった。同調する声と声。イメルの柔らかな、少し男としては高めの声。エリナードの涼しく甘い声。エルサリスは歌のようだとも思う。 「よし、ついた」 到着を告げられるより先、エルサリスは身を震わせる。転移の衝撃ではない。これでも彼には魔力がある。だからこそ、常人のような吐き気に悩まされるということがない。けれど魔術師ではないエルサリスだった。だからこそ、外気温には左右される。イメルとエリナードは外出用なのか少々気取った格好をしているけれどちらつく雪に備えた姿ではない。エルサリスは以前オーランドが作ってくれたたっぷりと襞を取った外套を羽織っていてなお、寒かった。思わず襟元を掻き合わせる。 「すぐ済むからよ、ちょっと我慢しな」 ひょい、と伸びてきた手がエルサリスを木箱からおろす。小さく微笑めば、イメルがからからと笑っていた。その間に魔術師到着を誰かが見ていたものか、わらわらと人があふれ出す。 「お届け物ですー。あと頼みますねー」 大勢の召使たちが木箱を、樽を持ち上げては別の者にと手渡す。気さくな騎士と思しき男まで混じっているのにはエルサリスも驚いた。 「イメル君、エリナード君、入って。寒いでしょう?」 屋敷の扉から現れたのはここの家人だろう。金属のような照りのある素晴らしい金髪をした男性だった。 「いやいや、俺たちはさほどでもないんですけどね。寒そうなのがいるんでちょうどいいかな。ありがたい」 「おや、そちらは? はじめて見る顔だね」 にこりと微笑まれ、エルサリスは戸惑ってしまう。こんなときどう振る舞うのが正しいのか、いまもまだよくわからない。姉ならばどうするかはわかっても、自分はどうするべきなのだろう。 「お前はどうしたい?」 小声で身をかがめたエリナードが囁いてくれた。はっとして屋敷の人を見れば何も見なかったふりをして微笑んでいる。エルサリスはゆっくりと息をし、軽く足を引いては一礼した。男性としてのそれを。 「エルサリス、と申します」 「――と言うわけで、うちで訓練してる若いのなんですよ」 「あぁ、そうなんだ。はじめまして、ディルと言います。銀細工職人で、チエルアット男爵家の家宰で、当主の双子の弟です」 「……その説明で正しいんですけど、正しいだけに混乱しますよねー」 「うん、そう思う」 くつり、と笑ったディルだった。ふとエルサリスは気づく。笑っている、はずだ。表情はけれどさほど変わっていない。それでもきちんと笑っていると通じる。それが不思議と温かかった。 「さ、入って入って」 こんなところで立ち話もなんだろう、とディルが屋敷に招き入れてくれた。ありがたく従う彼らのうち、指先が冷たくて難儀しているのはエルサリス一人。 「こんな時、魔術師が少し羨ましくなります」 小声で呟けばエリナードがにやり笑う。いいだろうと自慢げに、けれど違いと言えばその程度だというように。 「やあ、エリナード。今年はよく会うな」 居間に導かれ、エルサリスは双子、と言われた意味を理解した。同じ顔をした男がもう一人。ゆったりと椅子にかけてこちらを見ていた。その姿にぞくりとする。思わずディルと名乗った弟と彼を見比べる。あるいは自分の中にある別の面影と。 「似ているだろう? 同じ顔が二つあると混乱する、とよく言われるのだが」 苦笑しつつ彼は弟に手を伸ばす。その手を嬉しそうに取り、ディルは彼の隣に腰を下ろした。主客が席についたのを見計らったかのよう、もう一人。 「今年のお使いはお前らか」 どうやら茶菓を用意してくれたその男性とイメルたちは既知らしい。立派な体格をした、見るからに武器を取るのだろうと思わせる男だった。 「うちの若いののエルサリスといいます。可愛いでしょ、野郎ですけどね」 「……なんだと? てっきり。いや、すまん」 「いえ……、お気になさらないでくださいませ」 このなりでは当然だろう、とエルサリスは小さく苦笑していた。それもまた麗しい乙女にしか見えないのだから主側は混乱しているだろう。が、それを顔に出さない人々でもあった。 「こちらがご当主でチエルアット男爵、キャラウェイ・スタンフォード卿。弟君はさっき紹介したね。で、この人がユージン・メイカーさん」 「ちなみに三人揃って誓約式をした仲だぜ」 エリナードの投下した言葉はエルサリスにはまるで爆砕魔法のよう。木端微塵に何かが飛んで行った気がする。 「……はい?」 知らずまじまじとエリナードを見やる。人の悪い顔をした青年がいた。イメルに視線を移せば、肩をすくめている。二人ともがだから、事実を言っただけと語る。 「俺はね、弟だけどそれだけじゃなくってキャルを愛してるよ。ジーンのことも大好きだ」 だから誓約式をしたのだ、とディルは微笑む。その手を取ったキャラウェイが心の底から満足げに弟を見つめる。こほん、とした咳払いはユージンのもの。 「仲がよくって結構だけどな。たまには俺を思い出せよ、双子」 双子の間に、あるいはそれぞれの傍らにユージンと言う男があり、そして完成された三人だとエルサリスは信じるしかなかった。 「とりあえずキャラウェイ卿、目録の確認してもらえますかね」 「それを取り合えず、と言うな。私以外の貴族にするとお前の首は飛ぶぞ」 「でもキャラウェイ卿は怒らない。でしょ?」 「……まったく。フェリクス師がお前をどんな風に甘やかしたのか見当がつくというものだな。あれほど内気で人見知りだったお前がと思えば喜ぶべきか嘆かわしく思うべきか」 「卿!?」 溜息まじりに言うキャラウェイにエリナードは抗議をする。が、れっきとした貴族である彼は楽しんでいるらしい。イメルまで一緒になって笑い転げていた。 確認、と言うほどのことでもなかったらしい。話を聞いている限り毎年のことのようだった。星花宮からチエルアット男爵領への降臨祭の贈り物だという。 「ちびっこいのどもが遠足だって騒いでるだろ?」 エルサリスにも覚えがあった。年に二度、子供たちは半分ずつ出かけて行っては遊びの興奮に顔を真っ赤にしたまま帰ってくる。 「受け入れてくれてるのが、このチェル村で、キャラウェイ卿だ」 星花宮にとっては何よりありがたいことだとエリナードは笑う。子供たちが喜んでいるから、と。エルサリスはこの数年でフェリクスがどれほど子供たちを慈しむのか見てきたつもりだった。いままた新たにそれを確認するような事実。エルサリスの口許がほころんだのを見澄ましたよう彼は言う。 「なのになんでお前を連れてこなかったかって? そりゃ簡単だ。お前には刺激が強すぎる。だろ?」 エリナードの言葉に彼らを見やる。三人揃って誓約式をした。男爵位を持つ貴族が、同性の伴侶を。いまならば刺激が強かろうとも理解はできる、と考えてくれたのだろうエリナード。けれどエルサリスはじっと彼らを見ているだけだった。 |