そんなエルサリスの表情に二人が小さく笑みをかわしあう。何かを語っているようで、違うようで。いまの彼は惑乱するばかり。そんな彼だと気づいているはずのエリナードがイメルに向けて問うていた。 「お前の薬、魔力感知発動型だろ?」 「そうそう。うちの連中用だったらその方が治りがいいからねー」 「エリナード……イメル……どういう……」 話している言葉は同じはず。それなのに何を言っているかさっぱりわからない。所詮自分はただ訓練をしているだけ。彼らは違う。そう言うことなのか。 「イメルの薬はな、魔力を感知して、効能が発揮されるようになってるんだ。イメルだけでもねぇな。俺もそう言う薬剤を調合することはある」 「だからね、エルサリス。君にも同じ薬を使った。君だって魔力がある。薬の効果は充分に上がる」 「でもな、さっきくじいた足がもう痛まないってのはやり過ぎだ。なんでそうなるか。お前が魔力を垂れ流しにしてるからだ。ちょうどいいところで止まらねぇんだよ」 「別に害はないけどね? 最低限、薬で害は起こらない構成になってるからそこは心配しないで」 エルサリスの不安げな顔にイメルはそう言う。が、エルサリスの懸念は別のところにあった。 「私が……魔力を……。あの時と、同じようなことが。また……」 ぎゅっと握られた拳。咄嗟のことだったのだろう。リジーがその手を取っては自分の皺だらけの手の中でなだめている。それにエルサリスは息をつく。こんなに心配してくれる人がいまここにいる。ならば動揺している場合ではないとばかりに。それをよしとするようエリナードがうなずいた。 「お前の周りにはいつも俺たちや誰か、魔術師がいるだろ? それはな、俺たちがお前の魔力を外から制御するためでもある。だから暴走は起こらねぇよ」 その心配はない、とエリナードは笑った。それだけにエルサリスは察するものがある。この半年というもの、ずっと誰かに迷惑をかけていたのだと。否、見守られていたのだと。 「俺たちだってそうだったんだよー? エルサリスよりずっと小さな子供だったからね、制御なんてできるはずもない。ちょっとしたことでどかんってね?」 だから大丈夫。星花宮の魔術師たちはみんなそうして育ってきた。迷惑でもなんでもない。イメルは笑う。 「そこでな、さっきの自我の話に戻る。――お前は自分の周りのことや自分の感情や。もう少し気にできれば気にしてみたらいい」 それでも気にしろ、とは言わないエリナード。きっとそれは彼もまたそうして育ってきたせい。フェリクスだろうか、別の誰かだろうか。彼もそうやって案じられながらここまで来た。それがエルサリスにも通じた。 「魔力の制御ってのも言ってみれば感情に由来するもんだからな。少しは楽になる」 ちょっとした助言だ、とエリナードは照れくさそうに笑った。思わずイメルとリジーを見てしまえば、イメルのほうは人の悪い顔。リジーは嬉しげに三人を代わる代わる見やっていた。 「もっともな、制御って言っても感情を失くせとか言ってんじゃないぞ? 俺はお前に自我が薄いって言ってるんだから。それはわかってるよな」 うっかり逆のことを考えていたエルサリスだった。魔力を制御するならば色々なものを押し込めるのだろうと。ぽ、と赤くなった頬に熱。気にした風もなくエリナードは続ける。 「制御ってのはな、エルサリス。押し込めたり暴発させたりしないようにすること、を言うんだ。自分で何を考えているのか理解する、自分がどんな状態なのか理解する。そう言うことだな」 「ほら、エルサリス。たとえばさ、喋る時だって頭の中で考えたことをそのまま垂れ流しはしないだろ? 言うべきこと言わない方がいいこと、言うなら言葉の選び方。そんなことを考えながら喋る。魔力の制御ってのはそれにちょっと似てる」 「まぁイメルは言葉を選んで喋ってるようには聞こえねぇってのが最大の問題だよな」 「俺だって考えてるよ!」 猛然と抗議をしたイメルと笑って受け流すエリナード。その程度でいい、心に留めておくだけでいい。そう言ってくれる二人がありがたくて、同じほど自分が情けなかった。 「そうそう、エルサリス。ちょっと聞きたいことがあったんだ、俺も」 「……え、はい。なんでしょう」 「君さ、俺たちと同室。嫌じゃないの? 正確に言えば、エリナードと一緒って、正直ちょっと嫌だろ?」 顔色が変わるのが自分でもエルサリスはわかった。思わず背筋を伸ばし、思い切り首を振って否定をしようとし。けれど自我。好きなものを好きと言うよう、嫌いなものは嫌いでいいと。言葉を飲み、それでも考える。 「イメルの言い方が悪いやな、これは。お前が俺を嫌ってないのは知ってるぜ? でもな、俺は最初に言っただろ。俺は同性愛者だって言ってあるよな?」 ぱちりと片目をつぶって見せるのはリジーに。断じて不埒な振る舞いに及びはしないと保証するかのよう。それに安堵する乳母の気配にエルサリスも少し落ち着いた。 「お前には惚れた男がいるわけで」 「ですから、エリナード!」 「その辺は全員承知のことだ。諦めろよ。別に行動に移せって言ってるわけじゃない。お前が自分の心ん中でなに考えてるのかはお前の自由だろうが」 う、と呻いた結果、エルサリスはうなずいてしまった。なにも動かないでいいのならば。ただ心で思っているだけならば。誰の迷惑にも。そこまでで考えるのをやめてしまったが。 「お前は男の自覚があって、その上で惚れた相手も男だ。で、ここに俺がいる。同性愛者だって言った俺がいて、おんなじ部屋で寝起きして着替え見られて。ちょっと視線が気になるだろ。それでいいんだからな?」 「え……?」 「これはねー、フェリクス師の意地悪って言うか、気づけよ!ってところかな。エリナードが側にいて嫌だって思うのが君の自我の発露の切っ掛けになればってところだったんだと思うんだけど」 「問題は切っ掛けにはなったんだけどエルサリスがそれを口にできないってところだよな。このままだと俺は本気でただ嫌がらせしてるだけじゃねぇか」 文句を言うエリナードはそんな役割を振った師に拗ねているらしい。すとん、とエルサリスの中で何かが理解できた。二人の師弟のその在り方、と言うような何かが。 「……本当は、少し。恥ずかしくて」 着替えをするたびに視線を感じなくもなかった。気にし過ぎだと思っていたのだけれど、エリナードは意図してやっていたと知る。 「だろ? まぁな、うちの風呂はあれだからな。それも気になるだろ? 俺だって年頃ん時にはちょっと恥ずかしかった」 「いえ……入浴はあのようにするのだ、とわかっていれば、気にはならないんです」 「じゃあ、どうする?」 にやりとエリナードが笑った。類い稀な美貌、と言っていいだろう彼。鮮やかな金髪に藍色の目。精悍に、時に優しく微笑むエリナード。けれどすでに心には、彼が。緑のあの眼差しを思い出す。 「……そうだな、ちょっと練習するか」 それでもまだ部屋を替えてほしいとは言い出せない、誰もがわかっている一言が言えないエルサリスにエリナードは微笑んでいた。 「エルサリス、なんか好きなもんあるか?」 「え……好きな、物、ですか……?」 「おうよ。なんでもいいぜ」 長椅子にふんぞり返った偉そうな姿。もう大丈夫、と見極めたのだろうイメルがエルサリスの隣を離れてエリナードの側にと戻る。 エルサリスは、迷っていた。思い浮かんだものが一つ、ある。知らずリジーを見つめれば、安心して仰いまし、と乳母は微笑む。ぎゅっとその手を握り、エルサリスは震える声で一言を。 「……夏霜草の花が」 イアンとの楽しかった一日。彼はこの自分をエルサリスと知っていたわけではない。彼がすごしたのは婚約者であった「エルサミア」だ。それでも。 「夏霜草の花。――ん? どんなんだっけか」 「ほら、あれだよ。ちょっと黄色っぽい、もこもこっとした」 「あぁ、あれか!」 エリナードほどの学識があってもすぐには思い浮かばない花だったらしい。エルサリスは真っ赤になってうつむいていた。彼はなぜ夏霜草が好きなのか、とは問わなかったから。だからこそ、気づかれていると感じてしまう。 「イメル、黄色っぽいので手持ち、あるか?」 「あるよー。お前、緑ある? 濃いやつ。あったらそれと交換な」 「へいへい」 言っているうちに二人の手元になぜか小箱がある。いったいどこから、と驚いたのはリジー。その気配に顔を上げたエルサリスもまた目を瞬く。 「この屋敷は星花宮と魔法回廊で繋がってんだよ。ここだったら星花宮にいるのと大して変わんねぇな。自分の部屋にあるもん程度だったらすぐ持ってこれる」 つまり魔法で、ということだろう。ほんの少し魔法というものが楽しそうなものだと思うのはこんなときだった。それでも魔術師になりたいとは思えない。ひっそりと、誰からも隠れて生きて行きたいと言うのがエルサリスの望みだった。 「さてと」 小箱の中身は、と思えば小さな宝石だった。二人で言い合っていた色の石を交換し合い、そしてエリナードは小粒の銀も手にする。それをエルサリスに見せてはにんまりとした。 「……あ」 エリナードの手の中、何かが溶けて固まっていくような、そんな感覚。エルサリスにはそう見えた。見えたと言うのも違うのかもしれない。そう感じた、とでも言うような。そして瞬きの間に今度ははっきりと見えたもの。 「どうよ? ちょっといい感じにできたよな」 「なんて……綺麗。本当に、夏霜草の花みたい」 「俺は元々彫金のほうが得意なんだよ」 半年の間、肩掛けやらなにやらと編んだものを数枚エルサリスは彼からもらっている。だが本領はこちらなのだとエリナードは笑う。いずれも職人技にも匹敵するような。感嘆するエルサリスの元、すらりと立ち上がったエリナードが身をかがめ、その襟元にと夏霜草を留めた。 「やるよ。――ここでしばらくリジーさんと一緒にいな。そんで、色んなことを言う決心がついたら、ブローチに向かって帰りたいって言え。ちなみに、お前程度の魔力じゃあ、本気の本気で言わねぇと届かないからな?」 にやりと笑ってエリナードは帰る、と言った。続いてイメルも立ち上がり、ぽん、とエルサリスの肩に手を置く。いつ摘まんだのか、まだたくさん残っている例の菓子を一つ、エリナードは持っていた。 「なんだよ、行儀悪いなー」 「うっせぇな。師匠にやるんだよ」 「あ、だったら――」 「二つもいるかよ。どうせタイラント師と半分こして食うんだろうが、あの人は」 違いない、笑うイメルと肩をすくめるエリナード。二人揃って一度振り返りリジーとエルサリスに向かって手を振る。そして魔術師たちは影もなかった。 |