彼の人の下

 新市街は面白い町だった。旧市街ならば露店の店などろくなものがないと決まっている。だがここは。意外なところに意外なものがあったりして中々に面白い。
「へぇ、なるほどな」
 エルサリスは店の看板を見たり人の話を聞いたりしているうちに「ここは知っている」ということが多くあった。もちろん自分で訪れたのではなくすべて姉の話の中でだ、と彼は言う。
「私が代筆もしていた、と言ったでしょう? そのときにお友達と話が食い違っては大変ですから」
「お前の姉さんも面倒なことするよな。素直にお前を行かせたほうがまだ話が早いだろうによ」
「それは……嫌だったのでしょう、きっと。姉は楽しいことが好きでしたから」
 だから楽しいことはすべて自分がする。そうでないことはエルサリスの役目。言われなかった言葉にエリナードが内心で溜息をつく。彼の両親への反感が刻々と募っていくようでやりきれない。
「――星花宮に来て、姉も被害者だったのだと、思うようになりました」
 だからこそそこまで言えるようになったエルサリスに驚く。両親との相克を彼は乗り越えたのだろうか、切り捨てたのだろうか。エリナードにはわからない。ただ、無理をしているなとは思う。
「だって、そうでしょう? 楽しいことだけをすればいいと甘やかされて、好きなことだけをして。事故に遭って体が壊れたら使い物にならないって見殺しにされて」
 いまでもエルサリスはあの日の姉の無念の顔を忘れていない。それだけは忘れるまいと思う。自分は確かに姉に酷い目にあわされていた。それでもなお。
「姉さんがそうなっちまったのは親御のせいだって? お前は人が好すぎんだよ」
「……そう、でしょうか?」
「自分を痛めつけたやつのことなんか鼻で笑えばいいだろうに」
「でも、私が放置されていたのと同じよう、姉も両親に愛されていたわけではなかった。それを今際の際に聞かされた姉の気持ちを考えてしまうと、どうしても」
 呟くエルサリスを意外と優しい目でエリナードは見ていた。こんな彼であるからこそ、生きるのは大変だろう。それでも世の中のすべてを恨んで生き続けるよりずっと楽だろうとも思う。
「お、菓子屋だ。なんか買ってくか、イメルに言われてたしよ」
 考え込みそうなエルサリスに言えば、そんな自分に気づいたのだろう彼が小さく微笑む。まだまだ無理矢理笑うことも多々ある彼だけれど、時折こうして自然に微笑むことも多くなった。
「お目が高いね、兄さん! うちのはうまいよっ! いま流行の発酵乳だ、それも水気をきっちり絞って濃ーくしたやつだぜ? 挟んであるのはパンだがね、これも侮ってもらっちゃあ困るってもんだ。卵もたっぷりバターもたっぷりの甘パンだ、そこにこいつをこう……これでもかと挟む! ほい、味見してってくんな!」
 露店の店らしいと言うべきか、菓子屋のくせに威勢がよすぎると言うべきか。苦笑するエリナードとエルサリスの手の中、半分に割った菓子がそれぞれ渡される。ぽん、と口に入れれば驚くほどうまかった。
「へぇ、いけるな」
「だろだろ! 自慢の一品だぜ、旦那!」
 へへん、と胸をそらした菓子屋にエリナードはついつい吹き出す。隣でエルサリスも笑っていたからよほど面白かったらしい。
「そうだな、届けてもらえるか、これ?」
「あいよ、どこまで幾つで?」
「サイリル通りのアイフェイオン館のイメルまで、そうだな……二十もありゃいいか」
「こりゃこりゃ、ありがとござんす。へい、確かに。――今後ともご贔屓に!」
 ほくほく顔の菓子屋に金を渡せば拝まれてしまった。露店の菓子屋としては二十個も一度に注文が取れたのは驚天動地だろう。
「行こうぜ」
 感謝し続ける菓子屋に居心地が悪くなってしまってエリナードはエルサリスを促す。露店を離れる際エルサリスは優雅に会釈をしていた。それに驚いたのだろう菓子屋が何かをひっくり返した盛大な音。
「あ……」
 このままここにいては騒ぎが大きくなるだけ、と見做したエリナードは彼の背を押しその場を離れることに決めた。
「エリナード、聞いても?」
「おうよ、なんだ?」
「あの店は、あなたもはじめてのご様子でしたでしょう? その……父がいつも言っていたのです。取引相手はこちらを騙すものだから決して信用してはならないと」
 届け物、と言ってあの菓子屋はきちんと依頼を聞いてくれるのだろうか。金だけとってしまうのではないのだろうか。それにエリナードは微笑を返す。
「お前の父親ってのはずいぶん物の見方が狭いな。そりゃな、俺はアイフェイオン館に届けろって言ったわけだしよ、わざわざこの王都で星花宮を敵にまわす必要はねぇわな?」
 新市街で商売をしていてアイフェイオン館が星花宮の持ち物だと知らないはずはない。それを謀れば報復は音より速く来るだろう。
「だから俺は師匠たちの威光を背中にしょってるわけでもある。でもな、それはそれとして、だ。うまかっただろ、あの菓子?」
「え、えぇ……?」
「あれだけの技術のある菓子職人がな、そんな悪人だとは思いたくねぇんだよ、俺は」
 菓子の二十個程度、エリナードの俸給では小遣い銭に等しい。仮に騙されたとしても見る目がなかったで済ませる話だ。
「あなたは……」
「なんだよ?」
「誰がお人好しなのでしょう? エリナードこそ、ではありませんか」
 くすりと笑うエルサリスにエリナードは肩をすくめる。言われなくとも知ってはいた。なにしろあの場にフェリクスがいたら、と思う。彼がいたならばきっと自分と同じことをするに決まっているのだから。
「父は……誰も信じていなかったのでしょうね。あなたと違って……人の善意を信じたことなど、なかったのかもしれません」
「そりゃそうだろうよ。自分の子供だって道具扱いだったんだろ? だったら赤の他人を信じられる道理がどこにある」
 エリナードの言葉に、あ、とエルサリスは口を開けた。そのままじっと見上げてくる碧い目にエリナードは苦笑する。考えたこともなかったらしい。けれどいま、彼は言われれば考えられるようになった、理解する努力をはじめるようになった。進歩なのか自棄なのか微妙なところだとエリナードはいまだに思うのだけれど。
「ここ覗いたら帰るか。そろそろ足も疲れただろうが。痛むか?」
 沈んでいきそうになるエルサリスを引き戻すようなエリナードの声。思わず見上げては微笑む。そのまま黙って首を振れば、それでも体を気遣うのだろう、また腕を貸してくれた。
「ここは……?」
 なんだろう、とエルサリスは首をかしげる。すぐに、わかった。わからなかったのはあまりにも粗末だったせい。さすがに装飾品が布を敷いただけの台に無造作に置かれている景色、というのは想像したこともない。
「面白そうなもんがあるかもしれないからな。あの人も言ってただろ? たまには身を飾るもんでも買えってさ」
 言いながらエリナードはざっと台の上に目を走らせている。売り手は職人ではないのだろう、あちらこちらを周って仕入れてきた、というところか。ならばよけいに面白そうなものがあるかもしれない。
 こう言う店は雑多なものだった。玉石混淆と言えば聞こえはいいが、どちらかと言えば石が八割だ。もっとも、たまには若手職人の習作、などというものも混じっていたりするから捨てたものでもない。
「これ……綺麗ですね」
 エルサリスはいままでまったく欲求を見せなかったけれど、装飾品を見る目が変わっている。どうやら好きらしい。言えばいいのに、そうしたらもっと早く連れ出した。思いつつエリナードは自分自身の過去を思う。
 ――まぁ、言えるようだったらあんな家でこんな育ちをしてねぇわな。
 黙々と、言われたことだけを淡々とこなす。それが習い性になっているのだろう。好きも嫌いも口に出すことはない、そうして生きてきたエルサリスだった。
「あぁ、悪くないな」
 彼が手にしていたのは髪留めだった。出かける前のフェリクスの印象があったのだろう。蔓草に実、という伝統的な意匠ながら悪くはない出来だった。さすがに値段からして金ではなく金箔張りだろうが、形そのものはよいものだった。
「お似合いですよ、素晴らしい!」
 売り手が必死になって売り込もうとしているのを横目にエリナードはもう一つの髪飾りを手に取る。それをつ、とエルサリスの髪に当てた。
「こっちのほうが似合うかなぁ」
 さてエルサリスはどう出るか。エリナードの思った通りのことを彼はした。反論することなく、エルサリスはそちらを手にする。そのまま一度髪に当ててみては質の悪い鏡に映し微笑む。
「では、こちらにします」
 気が変わらないうちに、というのだろう売り手がさっさと包んでくれた。それでも包みはするあたり、場末の店ではないと言う気概が見え隠れ。
「――よかったのか?」
「え?」
「自分の欲しいもんだったか、それ? ちょっと意地が悪いとは思ったんだけどよ、俺はわざとお前とは違うものを選んだ」
 歩きながらじっと覗き込んでくるエリナードに彼は顔色を変える。それでも納得した色合い。自分の行動を得心したのかもしれない。
「――正直に、言ってもいいでしょうか。はじめに選んだものこそ、私が好きなものでは、なかったように思うのです」
「うん?」
「姉ならば、きっとあれを選びました」
 金の蔓草に真っ赤な実をかたどった小さな宝石。姉ならば一も二もなくあの飾りを手にしただろう。エルサリスは考えることなく、それを取っていた自分を嗤う。
「なるほどな。――まぁ、次は自分で好きなもんってのを探せるといいよな? ちなみに、そっちのほうが似合うのはほんとだぜ? お前に赤は強すぎる。って言ってもな、髪が華やかな色合いだからよ、淡い石でも負けちまう」
 だから黒に近いほど濃い青の石があの中では一番似合うと思った。エルサリスはそんな彼の言葉を聞いては恥ずかしくなる。
「自分に似合うもの、なんて考えたことがなくて」
 姉と同じことだけをしてきた自分。いまでもまだ変わっていない。まだまだ先はある、と笑うエリナードの腕にエルサリスは慰められる。彼ではない、幻のぬくもりに。




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