彼の人の下

 星花宮の紋章付き馬車に揺られ、新市街まで行く。エリナードは一言断りさえすればいつでも使っていい、と笑った。
「なにしろ魔術師は出かける必要ができりゃ転移しちまうからな。たまには使ってくれって厩番が嘆いてる」
 だから遊びに出かけたかったらいつでも使え、彼はそう言う。遊んでいいのだろうか、エルサリスは思うのに。
「遊ぶのも必要なこと、だぜ?」
 自らの精神を健全に保つために。以前彼はそう言っていた、とエルサリスも思い出す。中々慣れる考え方ではなかったけれど。そうこうしているうちに新市街だった。
「どうだ?」
 片手を差し伸べてくれるエリナードの腕を借り、エルサリスは馬車から下りる。馬車はこのまま先に屋敷に向かう、と言う。
「もうずいぶん楽です。イメルの薬はよく効きますね」
 歌ではない、よくある治療であるのに、イメルの手当てで本当に足首は楽になっていた。日頃から暴力にさらされていたエルサリスだ、その効果のほどに驚く。
「星花宮の薬は効くぜ? なにしろ生傷絶えないからよ」
 肩をすくめてエリナードは笑う。エルサリスも彼らの訓練をもう何度も見ている。子供たちですら、体を使って運動をするけれど、エリナードたち弟子のそれは図抜けて凄まじいものだった。エルサリスはてっきり本気の戦いかと思ってしまったくらいに。だからこそ傷が絶えないと彼は笑う。
「さて、と。どこ行くかな」
 辺りを何気なく見回せば、ぴりりとした感覚。探るまでもなかったか、とエリナードは内心で苦笑する。それをエルサリスには一切悟らせず、片腕に彼を縋らせたままエリナードは歩きだす。
「あ――」
 ふとエルサリスの視線が止まる。何かと思って見れば一軒の茶店。甘味を扱い、優雅な内装の中、茶と共に楽しむ店、とエリナードも話にだけは聞いている。さすがに入ったことはない。こんな店があるのも新市街らしかった。
 城郭の内側にある旧市街とは違い、ここは商人たちが中が手狭になったから、と作り上げた町だ。おかげで雑多な店があふれかえっている。新しい商売が起こるのも新市街だ。甘味だけの茶店など、旧市街にはない。
「なんだ、入ってみるか?」
 エルサリスと共にならば格好がつくか、とエリナードは思う。そろそろ冬の風も緩みはじめてはいるけれど、まだまだ寒い。彼はいまオーランドが作りあげた厚手の外套に身を包んでいる。たっぷりとした襞は女性らしく、けれど服の形そのものは男性的。襟元と袖口に配した毛皮が実に温かそうで、エルサリスのほっそりとした体によく似合っていた。
「いえ……。知っている店だったものだから」
「へぇ。来たことあるんだな。お前でも」
「まさか。――姉の手紙の代筆もしていたんです。だから、お友達の話で知っていたの」
 店を訪れたのは姉のほうだったのだろう。エルサリスはただ話だけを聞き、しかし羨むことも知らなかった。
「だったら行ってみるか?」
「いいえ。――実はあまり甘いもの、好きではなくて」
 甘味を好む姉であったから、自分は食べずに済んでほっとしていたのだとエルサリスは小さく笑う。
「エリナードは? もし――」
「別に好きでも嫌いでもねぇかな? イメルに言うと笑われんだけどよ、俺は師匠が焼いた菓子が一番好きなんだよ」
「フェリクス師、お上手なんですか?」
 驚くエルサリスにエリナードは笑う。どうやらいまだ彼はその場面に遭遇していないらしい。
「まさか! ほとんど焦げの塊だな。焼いてんだか焦がしてんだかわかったもんじゃねぇし、そもそも砂糖の量は間違える、粉の種類を間違える。頑張って卵を入れたはいいけど入れ過ぎてどろどろんなったとかな。ざらだぜ?」
 それは上手下手の問題ではない気がした。呆れるエルサリスにエリナードはそっと笑う。あまりにもその笑みが優しくて、エルサリスは瞬く。
「――だからな、どんなにまずくっても、俺にはうまいんだよ。あの師匠が、俺たち弟子のためにって焼いてくれるその気持ちが、嬉しくってよ」
 ぷい、とそっぽを向いた。エルサリスはその肩先をじっと見つめ、はじめて気づく。なんと羨ましい、そう思っている自分に。久しぶりにリジーに会いたくなっていた。星花宮に来たばかりのころは毎日のよう、会いたかったのに。それだけいまの生活に慣れた、ということなのかもしれない。
「なんだよ?」
 じっと見られている視線に気づいたか、エリナードが振り返る。まだ目許がほんのりと赤い。それをエルサリスは綺麗だ、と思って見ていた。確かにフェリクスが言うのもわかる、と。彼はよく言っている、エリナードは美しいのだから気をつけなくてはならない、と。冗談のよう何度も。
「いいえ、なんでも。――あなたのほうが少し、背が高いのだなと思って。それだけです」
 訝しそうな顔をしたエリナード。咄嗟に失敗を悟ったエルサリスだった。少し、ではない。こうして彼の腕を借りて並んで歩いていれば自明のこと。自分より頭半分程は背が高い。気づいたのだろうエリナードがにやりとした。
「なるほどね?」
「私は何も言っていません。……そんな……エリナードの勘違いですから」
「はいはい、勘違いな。別にいいぜ?」
 ひらひらと片手を振るエリナードは決して信じてくれないだろう。事実なのだからエルサリスとしても抗弁のしようがない。
 イアンと、比べていた。何度も隣を歩いたイアン。薬草園だけではない、新市街こそ来たことはなかったけれど、旧市街ならば散策をしたこともある。図書室で、並んで本を見ていた思い出。
 いまもまだ、目に焼き付いている。魔力の暴走により、星花宮に引き取られた。たぶんそれはよいことだったのだとエルサリスは思う。否応なしにイアンから引き離され、別の人生を歩むことになったのは。
「いまごろ――」
 イアンはどうしているだろう。もう新しい婚約者は決まっただろうか。あれから半年、婚儀が調っていたとしてもおかしくはない。イアンの新妻は、どんな人だろう。そっと首を振る自分に彼は気づいていないのだろう、エリナードもまた知らぬふりをし続けた。
「それほどでかいとは思っちゃいないんだけどなぁ」
 沈んでいきそうになった頃合を計り、エリナードは声をかける。はっとして背筋を伸ばした拍子に足首が痛んだのだろう、腕にかかる重みが強くなる。
「大丈夫か?」
 わざとらしく覗き込めば頬を赤らめるエルサリス。悪いな、とは思うのだがそれもこれも彼のため。好きでしていることではないぞ、と心の中で文句を言った。
「え……えぇ、大丈夫。少し力が入ってしまって。それで、エリナード?」
「いやなに、身長の話してただろ。俺、そんなにでかいほうじゃないからな。並べば多分ミスティのほうがでかいし」
 並びたくないが、言い足すのも忘れない彼にエルサリスは口許をほころばせる。本当は息が合うのをすでに知っている。
「俺がでかく見えるのは間違いなく師匠のせいだぜ?」
「フェリクス師はひときわ小柄でいらっしゃいますもの。こんなことを言ったら叱られてしまうでしょうけれど、とても……可愛らしくて」
「いいんじゃね? 本人も諦めてるぜ、その辺は。どうやったって男らしくは見えないんだし、だったら胸張って可愛い線で行こうと思ってるみたいだからな」
 それがフェリクスらしさ、あるいは彼が彼として最も美しい姿、エリナードはそこまでは言わなかったけれどエルサリスには通じたらしい。訓練も順調に進んでいる証だった。ならば、とエリナードは一押しをする気になる。
「お前も『女』としては背があるほうだろ? お前って言うか、姉さんが」
「……えぇ、そうですね。姉とは見比べても区別がつかない様子でしたから」
「珍しいよな」
 姉の話題を出されても顔色が変わらなかった。また一つエルサリスが何かを乗り越えた、そう言うことなのかもしれない。もしかしたらただ押し込めただけ、という可能性もあるが。そこはエリナードがどうすることもできない部分だ、いまはただ話を続けた。
「だって男女の双子だろうが? 同性の双子だったらわかるけどよ、異性の双子でそこまで似るのって、ちょっと珍しいだろうが」
「そう、なんですか?」
「俺の知ってる双子だとそうだな。男の双子で、どっちが兄か弟か、鏡みたいに似てるのがいるよ」
 男女の双子でそこまで似ているのは知らない、とエリナードは言う。エルサリスは考えたこともなかった。双子ならば、同じ顔をしているものだとばかり。
「それがお前の不運のはじまりだったかな。まぁ、人生そんなもんだ」
「それは……私に魔力があるから?」
 イメルもエリナードも、魔力があるからこそ不幸を味わっている。自分もなのかもしれない、エルサリスはふと口をついた疑問にあとから納得をした。けれど。
「いいや、魔力は関係ねぇだろ。お前の乳母、リジーさんな? あの人は元々王宮勤めだって知ってるだろうが。星花宮の手伝いやらされて、偶々あの人が作った菓子食って腹壊した偉い人の子供がいた、それだけであの人は首切られてよ」
 ただの偶然だ、エリナードは言う。不運も幸運も。エルサリスはじっと考えていた、様々な何かを。まとまりなどつかなかったけれど。
 それを横目で見つつリジーの場合は真実不運だったとしか言いようがないとエリナードは思っている。大人になってから知った事実だったけれど、腹痛を起こしたのはアレクサンダー王子だったらしい。そしてリジーはなんの関係もなかった。腹が痛いと言えば勉学を逃れられる、そんな他愛ない嘘でリジーは王宮を追われた。
「でもな、リジーさんは大変な思いをした。それでも、王宮を馘首んなったからこそ、お前に会った」
「リジーに会えたからこそ、私が生きている……?」
「だろ? 自分の人生だけじゃねぇもんだよな。人の人生までごちゃ混ぜにもつれて進んで行くのがこの世ってもんだ」
 だからこそ、楽しめるときには楽しめ、それがきっといつか身になる。笑うエリナードにつられてエルサリスもいつしか笑っていた。




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