子供たちが中庭で遊んでいた。わいわいがやがや、やかましいことこの上ない。それをエルサリスは楽しく思う。ミナ一家との出会いに思うところがあったのか、あれ以来積極的に子供たちに混ざろうとするエルサリスだった。 子供たちのほうもエルサリスを「綺麗なお兄ちゃん」と呼んで慕っている。彼が女性のような見た目をしていても一向に気にしないらしい。なにしろ星花宮には美しい魔術師が多い。それで慣れているのかもしれない。否、外見のことだけ言うならば王宮のほうがずっと美しい男女は多い。だがここは星花宮。魔術師たちは貴族ほど形式にとらわれず、己の心の赴くままに真っ直ぐと顔を上げる。それが姿形以上に彼らを美しく見せているのだろうとエルサリスは思う。 「あ――!」 星花宮の子供たちはよく学び、よく遊ぶ。これでも一応は大人の身であるエルサリスは少々音を上げそうになるほどに。そのせいかどうか。 「大丈夫!?」 追いかけっこをしていた子供たちがあっという間に飛んできた。走ったことなどないに等しいエルサリスだった。楽しく遊んでいたつもりだったけれど、体がついていかなかったらしい。 「うん……ごめんなさい。大丈夫」 どうやら足首をひねってしまった様子。半ば足を投げ出してその場に倒れたエルサリスはかすかに顔を顰める。 「痛いでしょ、そんな顔しないで。痛いときは痛いって言えば誰かが来てくれるから!」 小さな女の子の言葉。慰めてくれているのかと思ったエルサリスは微笑みを浮かべそうになる。だがしかし、顔を歪めた少女。彼女のほうがずっと痛そうだった。 一方、年長の魔術師が中庭に向かうのをエリナードは見ていた。なにかあったな、と廊下から眺めていたら心に触れてくるもの。苦笑して彼もまた中庭へ。そして見たのがエルサリスだった。 「なんだよ、ひねったか?」 泣き出す少女を抱き上げてあやす魔術師がエリナードを見やる。そちらは自分では手に余る、そんな顔をした魔術師にエリナードはかすかにうなずく。任せてくれていいと。それにほっとした魔術師が少女を抱いたまま離れて行った。それにつられて子供たちの半分ほどがついて行く。 「……えぇ。楽しかったのですけれど……。無理をしてしまったみたい」 苦く笑って足をさするエルサリスにエリナードは手を伸ばす。片膝をつき、軽く触れれば意外なほどの抵抗。 「待って……! エリナード、待って。そんな……恥ずかしい……」 そう言えば彼は女として育てられたのだった、と思い出す。確かに「淑女」ならば足に触れられるのはこの上なく恥ずかしいことだろう。 「待てって言いたいのは俺のほうだろうが。お前は男。野郎の足触ったって別に嬉し……いこともあるけどよ、お前の足触ってもなんともねぇだろうが」 「なんともあるのは私のほうです!」 「言い返すようになったもんだ。いいことだよな」 にやにやと笑いながら、それでもエリナードは手を止めない。真っ赤になって顔を隠してしまったエルサリスを横目に長衣の裾をめくり、そして。 「白昼堂々、破廉恥な振る舞いに及ぶ愚か者はいったい誰だ?」 首筋に真紅の剣。呆れてエリナードは振り返る。もっとも、それ以前に感知してはいたけれど。そこには火系の弟子のミスティが立っていた。 「誰が破廉恥だ誰が! 怪我人みてんだろうがよ!」 「問題はそれをやっているのがお前だ、というところだ。どこからどう見ても痴漢にしか見えん」 「人を痴漢扱いするんじゃねぇ! このむっつり野郎が!」 「誰がむっつりだ!」 ぽんぽんと言葉を交わしているうちに、いつの間にかエリナードの手にも剣がある。あっという間に立ち合いに移っていた。ミスティの赤き炎の剣。エリナードの透ける水の剣。切り結べばまるで幻。 「よ。怪我したって? はいはい、見せてー。――ん、大丈夫だね、ちょっとひねっただけだ。これだったら自然に治した方がいいな。少し痛いだろうけどね」 目を瞬いたときにはイメルまでいる始末。ひょいひょい、と怪我を看て、診断まで下してくれた。イメルは呪歌の使い手だと言う。この程度の怪我ならば歌って簡単に治すことが彼はできる。それでも彼はしない、と言う。それはきっとその方がこの肉体のためになるから。エルサリスはそこまで飲み込んだ自分が少し、誇らしい。 「エルサリスがここに来てもう半年? 慣れたよね。それに、飲み込みもいいし」 ふ、とイメルが笑った。何をしたともわからないうちに彼の手には手当ての道具一式が。あっという間に湿布を張り、包帯を巻き。 「ありがとう。もう、大丈夫」 「そうでもないよ? ひねるのは癖になることがあるからさ。あんまり無理をしないようにね。うちの子供たちはみんな元気があり余ってるしさー」 一緒になって遊ぶと怪我をするよ、イメルは笑った。それには言葉もないエルサリスだ。エリナードには揶揄されたけれど、確かに自分は貴婦人ではなく男の身。ならばもう少し体を鍛えることを考えてもいいのかもしれない。 「なに、怪我したの? エリィ、その辺にしな。いつまで遊んでるのさ」 いったいどこから見ているのだろうとエルサリスは不思議に思う。何かがあるとフェリクスは何気なく顔を見せる。ふと気づいた。先ほどの少女の言葉。励ましでもなんでもない、彼女にとっての事実。そして彼女が魔術師たちに寄せる信頼。胸を貫かれた心地だった。 「へいへい――ってミスティ!? 汚ぇぞお前!」 フェリクスを振り返った瞬間だった。エリナードの剣がミスティによって跳ね飛ばされたのは。あっと思ったときには遅かったらしい。エルサリスもまたそれを目を丸くして見ている。飛んで行ったエリナードの剣の行き先を。蕩けるよう、宙に消えた彼の水の剣。あまりにも美しくて言葉がなかった。 「誰が汚いと? お前の詰めが甘いだけだろう」 ふふん、と鼻で笑ったミスティの目。けれど和やかに笑んでいる。機嫌の悪そうなエリナードは気づいていないらしいのが面白かった。 「エリィ。ちょうどいいからエルサリスに付き合ってあげて」 まったく頓着していないフェリクスにエリナードが溜息をつきつつ歩み寄ってくる。それでもこれはきっと強制ではなく、彼が好きで従っていること、なのだろう。ちらりとエリナードを見上げれば照れまじりに苦笑された。 「付き合う? どこにです。どこでもいいですけど」 「エルサリスは一生懸命すぎるからね。ちょっと息抜きをした方がいい。だから新市街の屋敷にでも連れ行ってあげて。ついでに買い物でもして来たらいいじゃない」 「買い物、ですか……? でも、私は――」 「あなた、好きなものを自分で買ったことなんてないんじゃない? そう言うのも結構楽しいもんだからね。浪費はともかく、ちょっとした遊びは覚えた方がいい」 「ほんっと、師匠は俺らがガキん時にも遊べ遊べうるさいのなんのって」 「あなたには別の『遊び』を勧めたんだけどね?」 にやりとするフェリクスにエリナードが顔を顰める。見当がついたのだろうイメルが笑いをこらえ、エルサリスは戸惑うよう彼らを見る。こほん、と赤くなったエリナードの咳払い。 「了解。買い物して、休養、ですね。んじゃエルサリス、行くか」 伸びてきた手を取りかけて、エルサリスはフェリクスを見つめる。どうしたらいいのか戸惑って、エリナードにも視線を移す。 「見てみな。――師匠、可愛いのしてるじゃないですか。タイラント師?」 「そう。可愛いでしょ。相変わらずの女物でちょっとぶん殴ってやろうかとは思うけど」 「でも似合うからなぁ。――可愛いですよ、似合ってて」 にこりと微笑むエリナードにフェリクスはそっぽを向く。弟子に褒められてもね、呟きながらだから照れたのかもしれない。 「わかるか? 師匠の髪留め。蝶々の可愛いのしてるだろ。タイラント師の贈り物だろうと思ったらやっぱりな」 エルサリスに言えば、女物、というところが衝撃的だったのだろう。唖然としている。ぐっと唇を噛み、フェリクスを見やればそれと気づいた彼が振り向く。 「嫌では、ないのでしょうか。フェリクス師は、殿方ですのに。女持ちの飾りなど……」 「別に? そりゃね、いつもいつも女物を贈られるとなんかの嫌味かと思わなくもないけどね。でも僕はこの体とこの顔だからね」 「師匠は男っぽい飾りは似合わねぇんだよ。ごっつい指輪とか、冗談みたいに似合わねぇ」 「うるさいな。でも本当にね、エリィの言う通り。そう言う意味ではタイラントの見立ては確かだよね」 忌々しいけれど。拗ねてでもいるようなその姿。嫌ではない、とけれど語りもする。男性のフェリクスが、女物を身につける。 「似合うから、いいんじゃないのか? お前もどっちかって言ったら男もんより可愛いののほうが似合いそうだしよ」 「うん、さっぱりとした清楚なのが似合いそうだよね。エリィもなんだけど、あなたは同じさっぱりでもやっぱり男っぽいほうが似合うし」 「そういうこと言うから、俺が浮気相手だとか言われんですからね?」 呆れたエリナードにエルサリスは息を飲む。イメルがからからと笑っていたから既知の冗談らしい。それにほっとするエルサリスはようやくエリナードの手を取った。 「せっかくの長い髪だしね。たまには飾ってやったらいいと思うよ」 はい、お小遣い。そんなフェリクスの冗談じみた言葉。エルサリスには多分伝わらない。いまはまだ。いまだかつてそんな形で金銭を与えられたことなど彼はないはず。 「イメル、悪いけど先に跳んで支度しといてくれるか」 新市街の屋敷に先行してくれ。それだけの言葉だ、エリナードのいまの言葉は。だがイメルだった。ちらりともフェリクスを見ず、エリナードに向けて仕方ないと肩をすくめる。 「貸し一つな?」 「おうよ。一つでいいのかよ? 遠慮深い野郎もいたもんだぜ」 「って、そっちじゃないだろ!? 菓子じゃない、貸しだ! でも買って来いよ!」 言いながらイメルは笑う。軽くエルサリスに手を振ってあとでね、言いながら転移して行く。エルサリスもそれを楽しく見送っていた。 「いつでもエルサリスが遊びに行かれるよう、馬車で行きな」 彼は転移魔法を使えないのだから。フェリクスの言葉にエリナードは何気なくうなずく。怪我をしたエルサリスを庇い半ば体を支えるエリナード。出かける二人をフェリクスは小さく微笑んで見ていた。 |