彼の人の下

 元々エルサリスは魔力の制御だけを学ぶつもりであることから、彼の訓練は本来ならばエリナードたちのような修行の進んだ弟子で充分だ。が、フェリクスが直接に彼を見ていた。エルサリスには年齢という大きな障害があるせい。通常、星花宮で学ぶ子供たちは、正にまだ子供のうちにここに来る。何不自由なく新しい常識に馴染むことが容易い年齢で。だがエルサリスは違う。生家の境遇も一因ではあるのだろう、とエルサリス自身は思っている様子だったけれど、そちらは実のところさほど関係がない。星花宮の子供たちの多くは似たような境遇だ。エルサリスほど長期間に及んだ者はいないけれど。
「どう? エリィやイメルと仲良くできてる? お友達になれたならいいんだけど」
 小さな呪文室だった。本来ならば、言ってみればたかが訓練だ。呪文室など必要ではない。これはエルサリスのために雑音のない環境を用意した、というところ。その床に直接腰を下ろし、エルサリスに問うているフェリクスは首をかしげていた。
「友人だなんて……、そんな。迷惑をかけているばかりの、私ですのに」
 少しばかり息切れをしているのは、訓練がひと段落したばかりだから。まるで変わらないフェリクスにエルサリスは感嘆の眼差し。差し出された冷たい飲み物も、いったいどこから湧いてきたのかと思うほど。
「迷惑? なにそれ。そんなことないと思うんだけど」
 ちょこん、と首をかしげたフェリクスの姿。エルサリスは礼を失しない範囲で、と気をつけながら見つめている。
 あの晩、エリナードに見せてもらったアレクサンダー王の肖像。彼の冗談かと思ってしまうほど、どこから見ても王は美女だった。そしてフェリクス。彼はきちんと男性に見える。否、少年に。実際は二十歳すぎの青年、と言ったところだろうとは思う。が、幼い気配がすることも確か。いずれにせよ、彼は男性だ。エルサリスは、なにもわからない。だから学ぶのだ、と努力をしているつもりだった。
「イメルに……嫌な夢を見せてしまいました」
 きっとあれは自分の夢にうなされる声に、彼までつられてしまったと言うことなのだろう。エルサリスはじっと唇を噛む。その姿にフェリクスは小さく苦笑した。
「あぁ、あれか。エリィが見事に治めてたよね。大事になるようだったら介入しようと思ってたけど」
「え――」
「見てたからね、僕も。エリィが言ってたでしょ。僕はあの子の心にいたから」
 肩をすくめるフェリクスにエルサリスは身を震わせる。フェリクスはいまはそれを見なかったことにした。
 エルサリスの考えが手に取るようフェリクスにはわかっている。彼が両親によって雁字搦めにされていたよう、エリナードもまたこの自分の支配下にある、と思ってしまったのだろう。訂正してもよかったけれど、いま言い聞かせても無駄なような気がした。
「いいんだよ、イメルの修行になったからね。あなたが気に病むことはないと思うよ」
「ですが――」
「だいたいイメルもエリィも――いや、これは本人が言うべきかな?」
 ちらりと宙に視線を投げ、フェリクスは冷たいものを口に運んだ。エルサリスは彼が切った言葉の続きを考えている。が、わかるはずもない。そうこうするうちに答えが実体となって現れた。
「へいへい、師匠。お呼びですかい」
 不機嫌そうなエリナードと、たしなめながら笑っているイメル。扉を抜けて現れたのはその二人だった。
「なに、忙しかったの? だったら忙しいって言えばよかったのに」
「いや、別に」
「エリナードってただ反抗したいだけだよなー」
 それってフェリクス師に甘えてるんだろ、続けたイメルががくりと床に膝をつく。恨めしげに見上げたそこでエリナードがそっぽを向き、フェリクスがくすくす笑う。
「まぁ……ほんとに忙しいときには言いますよ。で、なんの用ですか、師匠」
 エルサリスはそのやり取りを驚きをもって見ていた。呼び出しに応ぜずともかまわない、フェリクスは言った。そのときにはそう告げる、エリナードは言った。いずれも、理解ができない。そうしていいのだと言うことが、新しい認識となって身に染みて行く。
「ちょっとね。エルサリスがこの前の夢のこと、気にしてるから」
 短い言葉ながらエリナードには師が何を言いたいのかがわかる。イメルも同様だったのだろう。そっと微笑んでは自分たち用に、と茶を用意しかけ、それではフェリクスに失礼と気づいて四人分の茶菓を用意した。
「あのな、お前は自分がうなされてたせいでイメルがって思ってるみたいだけどな……」
「あれ、そんな風に思ってたの? それ、勘違いだからね」
 イメルが目を丸くして言った。思えばエルサリスは二十歳のこの年まで魔法にまったく縁がなかったらしい。ならばわかることではないか、とエリナードとイメルがうなずきあう。
「確かに俺は君の夢に影響は受けた」
「でしょう? きっと、私の声がうるさかったのだと……」
「あぁ、それも違う違う。君の夢を直接感じちゃったって言うべきかな。それに刺激されて、昔のことを思い出しちゃって」
 てへ、とイメルが恥ずかしそうに笑った。エリナードが仕方ないやつ、と悪戯半分に頭を叩く。どう言うことだ、と知らず青くなっているのはエルサリスだった。
「ん、俺もさ、君と似たようなもの、かな。六歳でこの星花宮に引き取られるまで、俺は母親にずいぶん殴られたからね」
 魔力の兆候が見られたから。イメルは肩をすくめる。そんなイメルにエリナードは珍しいな、と笑っていた。
「なにがだよ?」
「お前が昔を話すって珍しいだろ。いまだに嫌がるだろうが」
「まぁねー。思い出して楽しい話でもないしさー。でも、エルサリスの役には立つだろ?」
 にこりとイメルが笑ってエルサリスを見やった。その眼差しにエルサリスは撃たれたかと思った。このイメルが、イメルもまた。
「ちなみに俺も似たようなもんだな。俺は七歳か。それまでやっぱり地下暮らしだったからな」
「……あなたも」
「おうよ。だいたい俺もイメルも七歳の六歳のって言っちゃいるけどよ、本当のところはわからない。自分の誕生日なんて知りゃしねぇしな」
「あなたたちの誕生日はここに来た日だよ」
 きっぱりと、それでいて優しいフェリクスの声。二人ともが師を見てはそっと微笑む。ついで照れてしまったのかそっぽを向くのだけれど。
「ここのガキどもはまぁ、たいていはそんなもんだな。でもな、エルサリス。だからお前だっておんなじなんだからたいしたことねぇとは言わないぜ?」
「そうそう。つらいのは自分だしねー。君のつらさが俺たちは想像はできるけど、わかってはあげられない」
「だから、手がいるんだったら助けてって言えよ? 少なくとも俺たちはもう今お前がいるところは経験してる。助言ぐらいはやれるからな」
 言ってからエリナードが横目でフェリクスを見やった。にやにやしていると思った師は、意外なことにどこかを見ている。その耳の赤さ。見るのではなかった、とエリナードは内心で微笑む。エリナードに見られていることに気づいたのだろうフェリクスがわざとらしく咳をし、エルサリスに目を戻した。
「いいこと教えてあげる。イメルもそうだけど、エリィはとっても人見知りでね。いまでも初対面の人が苦手だし、お喋りだって得意じゃない。ね、可愛いエリィ?」
「師匠!? そういうこと言わないでください! 恥ずかしいでしょうが。俺だってもういい年なんですからね!」
「本人は大人を主張するけどね、それでも人見知りは直らない。性格なのかな? 別にいいと思うけどね。――そのエリィが、イメルも、あなたにこんなに親身になってる。なんでかわかる?」
「……フェリクス師が、お命じになったからでしょうか?」
「さすがに殴るぞ、エルサリス」
「ってエリナード!? それをエルサリスに言っちゃだめだろ、本気にするだろうが!」
「あ、悪い。冗談だからな? にしたってな、師匠の命令ならなんでも聞くかってことはないぜ?」
「ですが――」
「この子たちは僕らの弟子だけど、自分の意志ってものがちゃんとあるからね。僕が仲良くしなって言ってもあなたが気に入らなかったらそれまでだよ」
「まぁ、気に入ってはいるかなぁ」
「なんかあれだよな、ほっとけなくってさ。俺たちが頑張らなきゃ!みたいな」
 だな、とうなずきあう弟子にフェリクスは柔らかな眼差し。エリナードに言われたことが蘇る。お前の生家での在り方は歪んだものだった、幸福ではなかったと。不意にわかったような、そんな気がした。
「人見知りのこの二人がね、こんなに楽しそうにしてる。二人にとってあなたはもう友達なんだと思うよ。新しい兄弟、かな?」
 事実、星花宮においてそれは嘘ではない。エリナードもイメルを兄弟、と言う。だがしかし、言われたのはエルサリス。姉の身代わりとして育てられた彼。エリナードの戸惑いは一瞬だった。フェリクスが失言したなど、ありえない。間違いなく意図的なもの。ちらりと笑ってイメルを見やった。
「お前みたいに出来の悪い兄貴と世間知らずの弟かよ?」
 くっとエリナードが喉の奥で笑っていた。エルサリスは驚く。世間知らず、と言われたのは間違いなく自分だ。が。
「出来が悪いって言うなよ! そりゃ俺だってお前のほうが絶対すごいって思うけどさ。でも、俺は俺でちゃんと真っ直ぐ歩いてるんだからな!」
「おう、ほざけほざけ」
 打ちかかってくるイメルをいなすエリナード。はじめて視線に気づいた、そんな顔をしてエルサリスを見やった弟子をフェリクスは内心でくすぐったく思いつつ眺めていた。
「なんだ、どうした?」
「いえ……兄、ですか。イメルが?」
「うん、俺のほうが年上なの。たった三つだけどさ」
「この子たちの同期の中だったら、エリィが一番年下だよね。一番下の弟なのに、ほんと態度が大きいんだから」
「そりゃ親父の息子ですからね」
 胸を張るエリナードと、そのとおりだと笑うフェリクス。通い合うものがエルサリスにすら見えるよう。それを確かめてからエリナードは思いついたとばかり提案をする。
「師匠、ちょっと三人で出かけてもいいですか? 久しぶりにパトリックさんに会いたくなった」
 いいよ、とフェリクスは笑っていた。イメルが一瞬驚き、そしてふんわりと笑う。エルサリス一人、流されるまま。しかし嫌な気分ではなかった。




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