しずしずと隣を歩く、どう見ても美女。エリナードは「彼」を案内して星花宮を行く。内心では困ったな、と思っている。正直に言って、気が重い。無言で歩いていた彼が、突然小さく笑った。 「なんだ?」 「いえ……。気味が悪く、お思いでしょう?」 なにがだ、とエリナードは思う。思わず立ち止まり、しげしげと彼を見つめては首までかしげてしまった。それにエルサリスは何を感じたのか、またもそっと微笑する。 「男のくせにこのような、そうはお思いになりませんか」 「いや、別に」 「そう、ですか」 話の接ぎ穂を失ってしまったかのようなエルサリス。さすがにもう少し自分がしっかりしないといけないことはエリナードにもわかった。 気が重い主な原因は、エルサリスではない。率直に言ってエリナード、人見知りをする。この年齢になってもいまだ、初対面の人はどう接したものか戸惑う。が、混乱の渦中にいる相手に自分の混乱を押しつけるのはさすがにまずい、と思う程度に年を重ねてもいた。 「――最初から、わかってたし」 「え?」 「師匠も、そうだっただろ。お前が男なのは、見ればわかる。魔術師ってのは、そういうもんだし。勘が鋭いから」 ためらいがちな言葉の理由がエルサリスにはわからない。だが、わかることが一つ。自分の勘の鋭さ。リジーに聞こえない音、リジーにはわからない異変。自分が知り得たのはそれが理由だったのかと。先ほどのフェリクスの言葉の意味が染み込んできた。 「――見た目も。星花宮には、いろんなのがいるから。外見がどうのって、気にしたことがない」 あとでタイラントにでも会わせてやろうかと思う。あるいはカロルでもいい。どちらもれっきとした男性でありながら、外見は片や煌びやか、片や可憐と一般的な男性像からはかけ離れた二人でもある。 「それ、好きでしてるのか?」 ただ、エリナードにとってはそれだけが気にかかる。あの両親の下、姉の身代わりをさせられていたと言う彼だった。案の定、エルサリスは首を振る。だが返答は違った。 「わかりません。好きとか、嫌いとか。考えたことが、なくて――。殿方の言葉でも、話したことが、なくて」 困った、と言うよう軽く頬に片手を当てるその姿。紛れもなく「娘」として育てられてきたのだろう、彼は。 「じゃあ、まずは自分が好きなのかどうか、それを考えたらいいさ」 軽く肩をすくめるエリナードにエルサリスは何も答えられなかった。まだ先のことが、わからない。先を見ることが理解できないと言った方が正しいのかもしれない。 「――とりあえず、男の自覚はあるわけ?」 「えぇ、それは」 「ちなみに、俺は同性愛者なわけだけど、お前の面倒見てやれって師匠に言われてる。落ち着くまでは俺と同室でいいだろうってあの人言ってんだけど、そこはどうよ?」 「え――」 「断言するのもどうかと思うけど、お前は俺の趣味じゃないし。口説くような真似はしない。それでも気になるなら善処はするぜ」 歩きながら何気なく言うエリナードの姿に、エルサリスも少し思うところがあった。この真っ直ぐに生きてきたらしい青年が、照れながらもこちらを気遣ってくれていると言うことが。リジーのおかげだろうと彼は思う。人の思いを汲み取る、ということはエルサリスにもできた。だからこそ、微笑む。 「あなたがお気になさらないのなら。――よろしくお願いいたします」 「あいよ、了解。まぁ、同室って言っても、もう一人一緒だから。ほら、ここ」 しっかりとしたつくりの扉だった。大勢の人間が長い年月をかけてその手で磨いてきた木の扉。しっとりとした艶が美しい。 「あれ、エリナード。帰ってたのかよ。ってか遅かった……って、わ!」 室内から大きな声がしてエルサリスは身をすくめる。呆れた、と言わんばかりのエリナードがそこに待っていた男の頭をぽかりと叩いた。 「うっせぇよ、イメル。こっちは遠征帰りで師匠に出迎えられてとっ捕まって仕事させられて疲れてんだっつーの。ちったぁ気を使え、気を!」 滔々とまくし立てたエリナードにエルサリスは目を丸くする。彼は彼で緊張していたのだろうと察した。そのぶん、同室のその男はエリナードにとって気の置けない人物なのだろうとも。 「って、わかったから! 俺が悪いから!って、誰それ」 「お前なぁ……。まぁ、いいや。エルサリス。訓練生だよ」 「え、訓練生? 遅くないか、どう見ても二十歳くらい、だよな?」 「あのな、馬鹿イメル。だったらそれには理由があるとお前はどうして思わねぇんだよ。どうしてお前はそうやって粗忽っつーか口が軽いっつーか思ったことそのまんま喋るっつーか。――だからな、悪気はないんだ。許してやってくれるか?」 つい、と振り返ってエリナードはエルサリスに向かって言う。許すも何もエルサリスは呆気にとられていただけなのだけれど。思わずくすりと笑い、少し気が楽になる。 「お気になさらないでください、エルサリスと申します。しばらくの間、お手間をおかけすることになりましたが、どうぞよしなにお願いいたします」 ふわりと風が立つような優雅な一礼。イメルが目を瞬いたのがエリナードには見えた。何も問うな、と顔を顰め、エルサリスが顔を戻す前に表情は元通り。 「こいつはイメル。改めて、俺がエリナード。よろしく」 「えっと、エルサリスだっけ。よろしく、イメルだ! 男三人で賑やかにって感じで、楽しく行こうよ」 気安く差し出された手をエルサリスは楽しげに見やった。驚きのほうが、ずっと大きい。この姿を見て自分を男性と扱ってくれるとは。それが意外なほどに嬉しかった。 「で、着替えなんかの用意か。エルサリス、女もんと男もん、どっちが着たい?」 「え……。選んで、いいのでしょうか?」 「自分のことだからな。自分の好きにしていいぜ」 言われても、それが実ははじめての体験であるエルサリスは戸惑う。自分のことを決めたことがない。否、イアンに真実を告げたあれだけが、自分の意志。 「――そうだな、まず下着、矯正してるよな? それは体に悪いからやめた方がいいと思う」 「お前が言うとちょっとやらしいよなぁ、エリナード」 「うっせぇよ、馬鹿イメル。こんなに締め付けてよく具合が悪くなんないもんだぜ。男の体と女の体とじゃそもそも構造が違うんだから、無理が来るのは当たり前なんだ」 それでもそうしていたいのならば止めはしないが。付け足したエリナードの藍色の目。エルサリスは少しばかり考える。 「やってみたことが、ないのです。ですから、あなたのお勧めに、従ってみます。そのあとで、好きか嫌いか、考えてみると言うのは、どうでしょうか」 「合理的だな。その線で行こう。じゃあ、胸の詰めもんなんかは外すぜ。あと下着も男もんでいいな。で、着るもんは――めんどくせぇ、オーランドんとこ行こうぜ」 「いえ、お手間なら……」 「違う違う。エリナードは衣装を考えるのが面倒なんだよ。見た目はいい男なんだからもうちょっとお洒落すればいいのにねー。オーランドって言うのは、俺たちの同期で服を作るのが一番うまいやつ。心配しないで」 いずれにせよ服は用意するのだから、イメルは笑った。軽く手を取り、立ち上がらせてくれた。三人で寝起きするとなればそれなりに手狭だろう。いまは二台の寝台が入っているこの部屋に、もう一台用意してくれると言うのだから。それでもなんでもないことだと笑ってくれるイメルにエルサリスは頭を下げる。 連れて行かれたオーランドと言う男は、驚くほどに寡黙だった。イメルがエルサリスに好みを聞き、色々と注文を付ける。そこにエリナードが茶々を入れつつあっという間にいくつかの服の案ができて行く。 「じゃ、それで頼むよ。布は俺が用意するからさ」 わかった、とオーランドはうなずいた。結局彼の部屋から退去するまでの間、エルサリスはオーランドの声を聞いていない。 「気にしないでね。あいつ、ほとんど喋んないから」 「それでもここでは誰も気にしない。口をきかなくても、異性のかっこしてても。銀髪きらきらしてんのもいるし、どっから見ても十代の少年のくせに流し目くれる糞野郎もいたりする」 「あ……」 「なぁ、エリナード。銀髪きらきらがうちの師匠なのはわかるけど。流し目少年って、フェリクス師だよな」 「やられてみろ。どきっとする自分が許せなくって首括りたくなる」 「あー、わかる」 酷く物騒な話を魔術師たちは楽しそうにしていた。エルサリスは少しの間過ごすことになるこの場所に、楽しみを見出せそうな、そんな気もしている。イアンのことは強いて考えなかった。もう、終わったこと。すでに、済んだこと。遠からずイアンは自分のことなど忘れてくれる。忘れられないだろう自分をいまは考えなかった。 「魔術師はね、魔法を扱うだろ? だから、着るものなんかも妙な魔法がかかってないって保証があった方がいいんだ。だから、自分たちで糸から紡いで用意する。俺は布づくりが得意でさ。こいつはレース編みとか、得意だよ。オーランドはそれを仕立てるのが上手だし、もう一人同期にミスティって言うのがいるけど、あいつは染色がすごくうまい」 「要するに、お前の服を用意するのは別に手間でも面倒でもないってことだ」 イメルの話をばっさりと要約したエリナードが小さく笑う。エルサリスもまた、微笑み返していた。 「……あのな、エルサリス」 「はい?」 自室に戻る途中だった。その道々、そんな話をしていたのにエリナードは突如として頭をかきむしる。見事な――梳って整えればなおさらに――金髪なのにもったいない、とエルサリスは思う。そんな彼など知らぬげにエリナードは眉を顰めて天を仰ぐ。イメルのほうはエリナードの内心に気づいているのだろう、にこにこと微笑んで友を見ていた。 「ここには、お前をめちゃくちゃにしてやろうなんて思うやつはいねぇよ。だから、愛想笑いはしなくていい、と俺は思う」 一瞬、エルサリスは立ち止まった。叱咤して歩き出そうとした足は、けれど動かない。にこりと笑ったイメルが手を貸してくれた。 「初対面の俺だけどさ。それでも無理して笑ってるなぁって思う。言いたいことがあっても言えない気持ちは、俺もエリナードも、たぶんここの誰もが知ってるよ。すぐにできるようになれとは言わない。でも、俺たちだってできたからさ。一緒に少しずつ覚えて行こうよ、な?」 指摘されてみてはじめて気づくその事実。エルサリスは黙ってうなずく。いまはそれしかできない。それだけできれば上等だ、二人ともが微笑んでいた。 |