昔を懐かしむようなリオンの眼差し。イメルに当時のことはわからない。それでもきっとリオンにとってもいい思い出なのだろうとは思う。そんな優しい彼の眼差し。 「私のこの目には、色々なものが視えていますよ。現代で、今ここにいる人たちが親子かどうか程度ならば、見ればわかる。それくらいは充分に視えています」 エイシャの神官が女神に授けられた加護の一つだ、とリオンは言う。幻想と真実を司る女神、ということはそう言うものなのだろうとイメルはぼんやりと理解している。それにリオンはこくりとうなずいた。 「ですが、ここまではっきりとした本質の相似ははじめてでした」 「え――」 「フェリクスとはすでに既知でしたからね。メグを見た瞬間、驚きましたよ、私。メグとフェリクスは、現実世界において親子でないのは視えているんです。それなのに、確実に親子と映った」 どう言うことかわかるか、と問われてもイメルにはわからないとしか言いようがない。首を振る若き魔術師にリオンは微笑んでいた。 「それだけ特殊だった、ということです」 「特殊、ですか――」 「妙な意味ではありませんよ? なんと言うか迷いますが……。彼らはきっといつかどこかで親子ではあったのでしょう」 「確定では、ないんですか?」 あの論文を著した彼だというのに、そんな漠然とした言いぶりは不思議な気がした。目を瞬くイメルにリオンは苦笑する。 「買いかぶり過ぎですよ、イメル。その時点では、メグとフェリクスがよく似た本質を持っている、ということしか判明していません。そうでしょう?」 だから自分には、かつて彼らが親子であったのかもしれない、と想像できただけだった、とリオンは言った。 「そもそも生まれ変わって再びこの世に生を受けると言うことがきっとあるのだろうな、と思う程度だったわけですし」 「え!?」 「ですから、言っているでしょうに。そのときにはまだ想像でしかなかったんですよ。よくある伝説でしょう? 生まれ変わってもまた会おうね、なんて恋人同士がよく言うじゃないですか」 そう言う問題だろうか、これは。顔に出たのだろうイメルにリオンはその時点ではその程度の問題だった、と言っては笑った。 「想像を逞しゅうしましてね、私。きっと生まれ変わってきたんだろう、きっと彼らは親子だったのだろう。仮にその前提だとするならば、いままで私が視てきた中でも格段に不思議な本質の持ち主たち、と言うことにもなる」 異質だ、と言う意味ではない。リオンはイメルが誤解をするより先に言い足した。それに頬を赤らめるイメルだからこそ、リオンはすぐさまそう続けたのだと気づいてしまう。 「これでもエイシャの神官ですし、私。いままで生まれ変わってきた人々を見ていないはずはないんですよ。その中で、この二人は血縁関係にあったな、と思ったことがただの一度もなかったんです」 それが特殊だと言った意味。リオンの言葉にイメルは考え込んでしまう。なぜなのだろうと。フェリクスとそのメグと言う女性の間に何があったのだろうと。 「あなたがいま、色々考えたとしても、これは決着がつく問題ではないと思いますよ?」 「予想とか、推測とかも、できないものでしょうか。考えることはできるような気がしなくもないんですが」 「できますよ、それはね。でも無駄でしょう? メグとして生まれた人の、フェリクスとして生まれた彼の、それ以前が誰で何をしてどう生き、どう死んだのか、我々には知りようがありません。ならば考えるだけ無駄ですよ、そんなものは」 「推論しかできないなら……よけいなことは、しない方がいい……」 「まぁ、あれですね。馬鹿の考え休むに似たり、とも言いますしね。我々定命の子らにはわかること、わからないことが多々ありますよ、イメル。その区別は非常に難しいものです。ですが、その考えを推し進めて行った結果、他者を傷つけることになりかねないのならば、止まるべきです。あとで続く誰かが解決できる問題かもしれませんしね」 「止まる――」 「あなた自身は自分の過去を探られて気分がいいですか、という話でもあります。しかもそれはあなたの過去ですらない。あなたが知らないあなたの本質、魂の話ですよ? これは現代人が、現代に生きる人物を対象にしていい問題ではないと私は考えます」 この話に限らない。魔道を歩むならば常に心得るべき倫理。研究すべきこと、留まるべき場所を峻別せよと。それが魔術師として、常人には扱えない力を持つものの倫理だ、リオンにそう言われた気がしてイメルは身を震わせる。改めて背筋に芯が通った、その覚悟に。 「きっと、メグとフェリクスとして生まれる前の彼ら親子には、何かがあったのでしょう。それは類い稀なる親子愛かもしれませんし、逆に殺しあうほどの憎しみだったのかもしれない。執着と言う意味では裏表の同じものですからね」 「そんな……。いえ、理解はできますが、心情としては納得しにくいと言いますか」 「あなたは若いですからね。まだまだ愛とは美しいものだと思っているのでしょう。そんなにいいものばかりではないんですよ、この世界は」 からりと笑うリオンには、カロルと言う最愛の伴侶がいる。その上で彼が口にしたその言葉。重みが違う、イメルは思う。知らず息を吐いていた。 「私は彼らが血縁ではないのに親子としての本質を持って生まれた、と言うのはそう言う意味だろうと想像したんです」 まだ、想像だった、とリオンは言った。イメルは訝しいのに、背筋が涼しくなった。なぜだろう。怖かったのだとは後になって気がついた。 「メグが逝って、フェリクスは寂しそうでしたよ。やはり彼にとっては非常に親和性の高い人でしたからね、メグは。友人として、寂しく思ったのでしょう」 「え、あの。リオン師? フェリクス師は――」 「そんなにお喋りじゃないんですよ、私。メグをどう見たかなんて彼に言っているはずないじゃないですか。いまでも彼は知りませんよ?」 ぱっとイメルが赤くなっていた。まだまだ未熟な自分を理解したらしい。そのことをリオンは嬉しくも思う。未熟を悟るとはそのぶん伸びしろがある、と言うことだからこそ。 「私も、こんなこともあるのだなぁ程度でしかなかったわけですよ、その時までは。――正確に言えば、エリナードがこの星花宮に連れてこられるまでは」 「リオン師!?」 「最初からその話でしょうに。何を今更驚いているんです? いまのでわかりましたね? つまりエリナードはかつてメグと呼ばれた人が再びこの世に生を受けた形です」 だからこそ、エリナードは。言葉にならない思いと共にイメルはそう思う。二人の間にあるものが何か、それまでは理解できない。たぶん、二人にも十全な理解などできない。それでも。 「エリナードを視てはじめて、想像したのは現実だったんだなぁと思ったわけですよ。彼はメグだった、と確信を持って言えます、私。転生は、お伽噺ではなく事実だったわけですね」 そんなことをあっさり言わないでほしかった。論文を読んですら、イメルは嘆きたくなる。ただ、四魔導師に相談をすると決めたのは自分だ。いまは少し許容量を超えているけれど。いつかは、きっと。 「ところであなた、なんで突然こんな話を? 私の覚書に目を留める切っ掛けがあったのだと思うんですが」 「それは……その……。エリナードが、冗談を言ったんです」 「冗談、ですか?」 ぱちくりと目を瞬くリオンに申し訳なくなってくるイメルだった。そんなことでここまで重たい話をすることになったのかと。それでもイメルは続けた。 「少し前のことなんですが――。エリナードが、いつか自分とフェリクス師は親子だったのかもしれない、そんなことを笑って言ったんです」 「ははぁ、なるほどね。彼ならばあり得ることでしょう。エリナードは神秘に関して大変高い感度を持ちあわせていますからね。本人が自覚していたかはともかくとして、そんな想像を働かせるくらいのことはするような気がします、私」 ふとイメルは気づく。エリナードは発想の飛躍が素晴らしい。自分にはとてもできない方法で、イメルにとってそれは憧れともなっている。その理由の一つが、高い感度だったのかと。ならば自分は、違う方法で、着実に、一歩ずつ。思ったところでいままでもそうだったと気づいては内心で苦笑した。 「それでもエリナードは冗談だったわけですね? それならそれでいいんだと思いますよ、私。さて、イメル――」 「は、はい!」 「この話を聞いてあなた、どうしますか」 この胸一つに納めるつもりだった。必要ならば記憶の封印を受けてもかまわないと思っていた。いま、イメルは首を振る。 「俺は、言いません。記憶を封印していただく必要もないです」 「言わないと決めても口を滑らせないとも限りませんよ? それでも?」 「はい」 真っ直ぐとリオンを見つめ、イメルは言葉を探す。まるで訓練時代に戻ってしまったかのよう、うまく言葉が出てこなかった。それでもなお。 「きっと、俺は、思うんです。フェリクス師と、エリナードが、それ以前に誰であったとしても、関係ないんだって」 「関係はありますよ? 今でも彼らはその本質に影響を受けています」 「それでも。きっと、二人が築き上げてきた絆は、そんなものは関係ないって言えるようなものなんだと思います。フェリクス師は、師として、父親のようにエリナードが可愛いんだと思いますし、エリナードは文句を言いながら師を慕っている。それはいままで時間をかけて二人が積み重ねてきたもの、なんだと思います」 イメルは目を丸くしていた。微笑んだリオンが胸の前で拍手をしている。茶目っ気たっぷりに、片目をつぶって見せたりもしていた。 「そのとおりですよ、イメル。彼らが誰であったか、影響を受けているか。そんなものは二人の前には塵芥も同然ですね。それがわかっているのならば、封印はしないでおきましょう」 万が一にも不必要な言葉を吐いたりはしないだろうから。リオンの信頼にイメルは背を伸ばす。今更ながら怖い。それでも、彼らの関係を変えてしまいかねないことのほうがずっと怖い。だからこそ、守るべき話だった。 「さ、そろそろお戻りなさい。カロルが焦れてきていますよ」 小さく笑ってリオンは促す。慌てて立ち上がるイメルの背をリオンは叩く。励ましを感じてイメルは赤くなる。そして深々と一礼しては部屋から去った。 「そっか……。そうか……」 うなずきながら、自分の部屋へと戻っていく。いろいろ詰め込まれて、頭の中身が爆発しそうな気分だ。 「もう、戻ってきてるよな、あいつ」 茶を淹れるのが上手なエリナードだ。いたらおいしい茶を淹れてもらおう。弾んで開けた自室の扉。室内ではすでに戻ったエリナードが読書中。 「あ、いたんだ! 喉乾いたよ、エリナード。お茶飲みたいー」 じろりとこちらを見やったエリナードだった。自分でやれ、顔に書いてある。が、彼はそんな顔をしながらでも淹れてくれるとイメルは疑っていない。 「やった、ありがとさん」 熱々の茶が出てくるまで、イメルはエリナードを何気なく眺めていた。疲れたような、満足のような。そんな彼の顔。フェリクスにさんざんに遊ばれたのだろう。あるいはそれは「親」の手助けができた「子」の充足か。けれどイメルは小さく微笑む。明かす意味がない。それをこの瞬間に体で悟った、そんな気がした。 「師匠の手伝いできて幸せって顔してるよ、エリナード」 彼は黙って肩をすくめて笑った。 |