彼の人の下

 休暇の息抜きのつもりだったはずの読書。けれどイメルの表情は真剣さを増していく。興味の対象を見つけた魔術師などこんなものだと言ってしまえばそれまでだったけれど、それにしては深刻だった。
「これは……」
 唇に指先を当てて考え込む。本格的に、見てはならないものを見た気がした。しかし、見てしまった。考えてしまった。予想まで、ついてしまった。
「最悪の時には――」
 自分一人の胸に納める。それを決心してイメルは立ち上がる。それでもまだ迷っていた。ゆっくりと書庫の中を歩く。一冊の本を手に取っては悩み、一度瞑目する。
「うん、決めた」
 やはり、読もうと。広大な書庫だった。目的の本を見つけるだけでも容易いことではない。イメルはアイフェイオンの名を許され、かつ塔への訪問も許された魔術師。的確に本を見つけ出してしまった自分を嘲う。
「見つけられなかったら、よかったのにな」
 決心がついても呟いてしまう自分だった。エリナードならばどうするだろう。ふと考え、首を振る。彼ならば、結果がわかっていても突き進むだろう。それが魔道に通じている限り。
 何冊もの本を読み比べ、イメルは自分なりの結論を導き出そうとする。同期のエリナードとはよく比べられたものだった。才能の塊と評されるエリナード。転じてイメルは着実な努力型だと。
 自分ではそうでもないと思っている。着実ではない、ただ単に要領が悪いだけだと。エリナードのよう、発想の飛躍がイメルにはできない。一つ一つ、ぐらぐらと揺らしながら壊れないことを確かめつつ積み上げて行くだけだ。それすらも、時折は崩れてどうしようもなくなる。
 少年時代には少し、エリナードを羨んだことが無きにしも非ず。あの鮮やかなエリナードの魔道。だがいまはそうは思わない。彼より早くアイフェイオンの名を許されたからではなく、これが自分の魔道だと言い切ることができるようになった。
「だから、かな」
 己の歩む道を見定めることができたからこそ、名を許された。イメルはなんとなくそうも思う。タイラントは冗談めかして言ったけれど。
「君とエリナードは仲がいいだろ? それはそれで素敵なことだよ。友人って言うのは、掛け替えのないものだからね。でもな、イメル」
 左右色違いの優しい目。こう言うときだけはほんの少し、厳しくなる。一つに結んだ銀髪を師はわずらわしそうに首を振って背にさばいた。
「仲がいいのと、べったりしてるのは、違うよな。わかるか? 君たちはたぶん、そうはならない。ずっと一緒にいても、相互依存するようなことはたぶんない」
「……だといいな、と思います」
「うん、俺もそう思うよ。だからな、イメル。君は外に出るべきだ。色々と世の中を見てまわって、たくさんのことを吸収して、より良い生き方を探るべきじゃないかな」
「より良い……生き方……」
「俺自身、旅で色んなことを学んだ。君には話したよな? シェイティと大喧嘩して、俺たちはその旅の中でお互いに自分を見つけたんだ。ここにあって見えなかったものを、見ることを覚えた。君はそう言う時期に来てると、俺は思うよ」
 だから名を許す。そして、旅に出ろ。タイラントはそう言った。吟遊詩人としてあちらこちらまわってくるよ、エリナードにイメルは告げた。タイラントに言われたことが響いていたわけではたぶんない。ただ、師の言葉が少し照れくさかったのも事実だ。自分とエリナードと。師は二人の関係を掛け替えのない友人、と評してくれたのだから。
「それでも――」
 今でも星花宮に帰ると二人の部屋がそこにはある。一人前になったのだから個室を持て、エリナードには笑われるけれど、彼が一人前になる日までイメルは二人の部屋に居続けようと思っている。
「心細いのかな。やっぱり」
 そのあたりがだめな自分だと思う。エリナードはそれとわかった上で、黙って支えてくれている気がする。だからこそ、友を支えられる自分になりたい。
「うん。……やっぱり、これは俺だけで下手な予想を立てちゃ、だめだ」
 仮説を立てた段階でやめようかと思っていたイメルだ。が、ここまで来たならば、あやふやな仮説よりももっと推し進めたものを聞きたい。そうしてくれる人が、星花宮にはいるのだから。
 数日かけてイメルは関連書物を読破した。自分なりの仮説も立て、おそらく現時点では間違いがない、というところまで来た。そして、星花宮へと帰還する。
「あぁ、やっぱ落ち着くなぁ」
 戻ってすぐに呟いてみた。転移して戻るだけだから、一瞬だ。旅慣れたイメルだけにどこか寂しい。それでも帰ってきた、そんな感慨。常ならば。
 今はただ、茫漠とした焦燥だけがある。それを勘づかれたくなかった。なにしろここにはいやと言うほど勘のいい魔術師がいる。
「おう、イメル。帰ってたのかよ?」
 ひょい、とエリナードが顔を出した。頭から何やら色とりどりのものに塗れている。いったいなにをどうしたらそうなるのか。
「ちょっと待てよ、エリナード! そんな格好のまんま部屋に入るな!」
 ここは二人の部屋だ。無意味に汚されるのは勘弁してほしい。そんなイメルをエリナードがにやりと笑った。こんなときは危険極まりない。なにしろ兄弟より近々しいエリナードだ。
「うわ!?」
 案の定、子供のように飛びついてくるエリナード。危ないところでよけたイメルに忌々しげな舌打ち。胸を撫でおろしたイメルをエリナードが笑っていた。
「何してたんだよ?」
「ちょっとした実験。さすがにここまで飛び散るとは思わなかったな」
「ここ、まで? ということはお前、飛び散るところまでは想定内?」
 もちろん、とエリナードは笑う。ならば飛び散らせない工夫をしてから実験にかかればいいだろうに。とりあえずやってみるのがエリナードで、手順を詰めるのがイメルだ。いずれ結果は似たようなものになる、と最近ではお互い理解していたが。
「さっさと風呂入って来いよ、どろどろだろ!」
「へいへい。帰ってきた途端に怒鳴るんじゃねぇよ。口うるさいやつだなぁ」
「怒鳴らせてるのは誰だよ!」
 からからと笑いながらエリナードが浴場へと去って行った。その後ろ姿にイメルはほっと息をつく。なぜとなく、見送ってしまった自分に苦笑をしつつ。
 長い付き合いだけあって、イメルはエリナードがこのあとどんな行動に移るかわかっている。だから部屋で待つことなく、食堂に移動する。
「うわ、時間だったか!」
 ちょうど子供たちの食事時間だったらしい。魔術師や、エリナードのような年嵩の弟子は研究に熱中するあまり適当な時間に食事をするけれど、訓練をしている幼い子供たちは違う。それでは体に悪い、というのが四魔導師の考え方だ。とはいえ、かなりなところでいい加減ではあるのだが。それでもほとんどの子供が食卓についていた。おかげでとんでもない騒ぎだ。
「ほいっと。ちょっといいかー。はいはい、ありがとさん」
 ずらりと並べられた料理を適宜皿に取り分けて行く。訓練中の子供たちだけでも百人からいるのだ。一々一人ずつ皿に盛ってやっていたら料理人が体を壊す。結果として星花宮では大皿がいくつも並び、そこから好き勝手に取る方式だ。それでも端から空になっていく大皿を満たすのに料理人は汗まみれだ。
 イメルは自分の好む物とエリナード好みのものと、二種類をすでに用意して待っていた。わいわいと騒ぐ子供たちの声を聞きつつ、待てば笑みが浮かぶ。
「あんな頃があったよなぁ」
 当時は内気すぎてあの輪に入ることはできなかったけれど、それでも見ているのは好きだった。エリナードと並んで、小さくなって美味しいものを食べていた、そんな思い出。
 星花宮は宮廷人を育てようと言うのではない。そのせいか、子供はよく騒ぐ。食事時にもあれこれと大騒ぎをして耳がおかしくなりそうだ。それをイメルはずっと微笑んで見つめていた。
「おう、待たせたな。って気が利く。さすがイメル!」
 風呂上がりのエリナードはさっぱりとした顔をしていた。冗談で抱きついてきそうになったりしたが、本人が一番気持ち悪かったのだろう。晴れ晴れとしたその顔にイメルは吹き出しそうになる。
「なにお前、そんなに腹減ってたのかよ?」
 エリナードはまだ髪も濡れたままだった。水系魔術師の彼が、髪を乾かすのに手間取るはずはない。ほんの一言、それで充分なはずの手間をエリナードは惜しんだ。
「そりゃそうだ。もう眩暈起こしそうだぜ」
 早くも席に着き、きらきらとした目で皿を見ているエリナード。子供のようでつい、大きく笑うイメルもまた食事に取り掛かる。エリナードに劣らず空腹だった。
「もう、エリィ。そんな格好してたら風邪ひくでしょ」
 蛙が潰れたらこうもあろうか。そんなエリナードの声。食べ物を飲み込んで悲鳴も飲んだらそうもなる。イメルはにこにこと笑って彼らを見ていた。
「ちょっと、師匠!? やめてください、食べてるんだから!」
「すぐ済むよ。ほら、せっかく綺麗な髪してるんだからね。可愛いよ、エリィ」
「だから!」
 フェリクスに抗うエリナードは律儀だ、とイメルは笑っていた。なにをどうしても遊ばれるのだから、観念すればいいだろうに。もっとも、エリナードもまた、そんなことはわかっている。それでいて、遊ばれてやっているのだと言ってのけたエリナードに以前イメルは首を振ってみせたものだったが。あまりにも嘆かわしすぎて。
「うん、ちゃんとできたよ。あなた、可愛いんだから。気をつけないと」
「はい?」
「僕の息子はとっても可愛いからね。変な大人に捕まらないように気をつけるんだよ」
「……俺も立派な大人ですが」
「どこが? ほら、あなた。頼りがいがありそうな大人の男に弱そうじゃない? だめな男って言うのはね、エリィ。そう言う顔を作って誘惑してくるんだよ。引っかからないよう気をつけなくっちゃだめだからね」
 虚ろな目をしてエリナードがうなずいていた。色々言いたいことはあるのだろう。むしろ、なにをどう言ってもどうにもならないと抵抗を放棄したか。小さな子供たちが二人を見てはきゃいきゃいと騒いでいた。
「教育によくないなぁ」
 途端に飛んでくるフェリクスの優しい眼差し。イメルはぴんと背筋を伸ばす。
「なにか言った、イメル?」
「とんでもない。なにも言ってませんとも」
 助けろイメル。エリナードの声にならない悲鳴。イメルは慌てず騒がず茶を淹れては飲んでいた。まだしばらくフェリクスはエリナードで遊ぶことだろう。




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