トリフィックトフィーの芸は面白いものだった、吟遊詩人を除けば。だがいくらなんでも、とエリナードは不審を強めている。イメルが朝夕通い続けていた。もう三日になる。星花宮の魔導師はそこまで暇ではないはずだ。 最初はタイラントの弟子を騙られたのに腹を立てたかと思った。けれどそれを言うならばそんな騙りは掃いて捨てるほどいる。一々怒っていては身が持たないだろう。 「さすがに王都に来るほど胆の太いのはそうそういやしねぇけどなぁ」 星花宮の自分たちの部屋でエリナードは思わず独り言を呟いて顔を顰める。どうにも気になって仕方ない。このままでは自分の研究まで疎かになりそうだった。 「あー、ただいまー」 冴えない顔つきのイメルがちょうど戻る。いい頃合だった。エリナードは今日こそ尋ねようと思う。昨日は行き違ってしまって、気にはなっていたのだけれど問えずじまい。 「おう」 物問いたげなエリナードに気づいたのだろうイメルがそっと目をそらす。つかつかと歩み寄ってエリナードは思い切り笑い顔。 「だから! 笑顔で脅すな!」 「師匠譲りでよ。で、イメル。そろそろ吐けや」 「……だから」 なんだ、とばかり微笑む。う、と言葉にならない悲鳴を漏らし、イメルは長々と溜息をついた。それに今度はエリナードらしい笑みが浮かぶ。安堵したのだろうイメルが軽く息をついた。 「なんて言ったらいいのか、さ……」 もぞもぞと寝台に腰を下ろしてイメルは言葉を探していた。吟遊詩人でもあるというのに、イメルは己の思いを語るのが非常に苦手だ。いまにはじまったことでもなく、二人がほんの子供であったころから変わっていない。 「しょうがねぇな、助てやろうか? あのな、イメル。お前、なんかずっと気になってるんだろうが? メリリと遊んでた時にもそんな面してたぜ?」 「え……、お前。なんで!」 「なんでもへったくれもあるかよ。何年その面見て暮らしてると思ってやがる」 座ったイメルの頭をがしがしとエリナードは掻き回す。年齢で言えばエリナードのほうが年下なのだけれど、イメルはどうにも兄と言うより手のかかる弟のような気がしなくもない。たぶんきっとイメルも似たようなことを思っている。 「で、なにが気になってんだよ?」 あのとき暗い顔をして旅から戻ったイメルだった。メリリと遊んで少しは気が晴れたのかと思ったけれど、どうやら再燃しているらしい。 「――正直、確証はない。ただの俺の勘で、ただ気に入らないだけかも」 「いいから話せって。話が長いんだよ。タイラント師の真似っ子かよ、それも」 「師匠はこんなに情け――ないかもしれないけど、もっとかっこいいからな!」 「それ、褒めてないぜ?」 からかえば自分でもそうと気づいたイメルがばつの悪い顔をして笑った。それで多少は肩から力が抜けたか。思い切ってイメルは話しはじめる。 「北のほうから戻ったって、言っただろ」 吟遊詩人としてイメルはあちらこちらを旅してまわる。何も詩人の技だけを磨いているわけではない。呪歌の使い手として、その技量を磨くのは事実の一側面でしかなかった。 昔エリナードが生家から救われたよう、星花宮の魔導師たちの中、吟遊詩人の技を持つものは旅してまわる。イメルもまた、まだまだ未熟な己と弁えつつもそうして旅をしていた。その旅の途中のことだと彼は言う。 「若い娘さんがいなくなる話が、多すぎるんだよ」 「それは――」 「魔力のあるなしは関係なさそう。聞いた限りじゃこっち絡みじゃなくて……その」 「誘拐した挙句に売り飛ばしてるっぽい?」 言えばイメルが苦い顔をしてうなずいた。これは星花宮がどうにかできる問題ではない、とイメルにもわかっている。一応関連機関に通報はしてある、とイメルは言う。けれど少しも収まっていないと。 「はじめて聞いたのが、去年の今頃かな。以来、気にしてたんだけど、増えはしてなくても、減ってないんだよ。いや……一時減ってた。でもまた、はじまった」 「それで?」 「だから、曲馬団じゃないかと思って」 昔から人さらいは曲馬団、と決まっている。無論、昔話や躾の中でのこと。ただイメルはそんな気がしてならないと言う。 「一時減ってたって言うのもさ、たとえば興行でミルテシアにでも出て行ってたなら、説明がつく。でも、これ、こじつけなんだよ。そんなことはわかってる。ただの勘だから」 「でもお前の勘だ」 「ん……でも、さ……」 「あのなぁ、イメルよ。お前は星花宮の魔導師だろうが。一人前の魔導師の勘は馬鹿にはできねぇぞ。勘つーより、ほとんどそれ、経験則だからな? 考えるより結果を導き出すのが早かった、それだけだろうが」 「あ……。でも、そう言ってくれるの、お前だけかもしれないし」 もじもじとするイメルを見ていても少しも楽しくないエリナードだった。褒めはしたけれど、真正面から照れられるとどうしていいかわからなくなる。ぷい、と顔をそむければイメルがくすりと笑った。 「こういうところで照れるなよ、俺のほうが恥ずかしいだろ!」 「うっせぇな!」 「そう言うとこ、実はフェリクス師に似てたりするわけか? ちょっと俺には想像できないって言うかしたくないって言うか微妙な感じなんだけど」 「俺に想像させるな!」 思い切り枕を投げつければ重たい音。体に当たるより先に魔法で弾き返してきた。咄嗟にそれができるのならば心配はなかった。にやりとするエリナードに試されたのを知ったイメルが小さく笑う。そして大丈夫だよ、と微笑んで見せた。 「そんで、お前はトリフィックトフィーに目を付けた?」 話を戻せば真顔に戻る。なぜかは聞いても間違いなく無駄だ。イメルはただそう思っただけだろう。何かが不審だ、と彼のどこかに響いた。 「悪いけどさ、エリナード」 「あいよ、ちょっと待ってな。支度するから」 「あ……」 続きを言わせるより早くエリナードは立ち上がり身支度をする。いまから行けば夕方の公演には間に合うだろう。イメルが自分の目だけでは不安だ、と言うのならば付き合うだけだった。 「んー、なんか、なぁ。なんかだと思わない?」 そしてはじめて見たときと変わらない公演だった。今日もエリナードは吟遊詩人以外の芸は大変楽しく見物した。 「言われてみれば、なんか妙な気配はしてるかな」 だが確かにイメルが気にかかる何かがここにはあった。エリナードはイメルほど勘がよくない。イメルは相手が生身であるのならば非常に鋭い勘を働かせる。これが人外だとエリナードのほうが鋭いのだが。 「そっかー。お前に言ってもらえると嬉しいような、腹立たしいような……」 自分の勘に根拠が生まれたような気がするのが、嬉しい。が、反面では根拠が生まれてしまったことが腹立たしい。イメルはそう言う。 「若い娘さんがさ、売り飛ばされてさ。何させられてるかなんて、想像したくないじゃん」 帰り道、ぼそりと呟きながらイメルは歩く。うつむきがちなのは怒りをこらえているせいだろう。エリナードは無言で隣を歩いていた。 イメルはきっと本人からは聞いていない。しかしエリナードは彼自身の口からその過去を聞いて知っている。フェリクスの話を。そのような境遇に落とされる人が一人でも減るよう、フェリクスはいまでも身を尽くしているというのに。腹が立ってならなかった。 ――いくら師匠が頑張ったって、やっぱり屑は屑。師匠の思いなんか、通じやしねぇ。 きっとそれが一番悔しいのだとエリナードは思う。フェリクスが、どれほど身を削っているかを知っているのだから。 陽も暮れて街灯がきらきらと輝く王都の通り。一つ頭を振ってエリナードは頭をはっきりとさせた。イメルが沈んでいるのならば、なんとかしたい。まずはそのことを。口をつぐんでしまったイメルをちらりと見やれば、唇を噛んで彼は歩いていた。 「お、ちょうどよさそうなとこがあるな。イメル、稼げよ」 「はい!?」 急に何を言い出すのだろう、この友は。イメルは彼の顔を見やり、そして心配をかけてしまったと後悔をする。それほど朗らかに笑うエリナード。その視線を追えば小さな広場に噴水。イメルはにやりと笑ってうなずいた。何気なく何かを呟けば、背負っていなかったはずのリュート。エリナードを一度振り返り、イメルは小走りに行く。いつもは竪琴を好む彼がリュートを選んだのはあのアーディとか言う吟遊詩人のせいだろうか。 「なんだよ、嬉しそうな顔しやがって」 ふっと浮かんだ笑みに自分で恥ずかしくなったエリナードは視線をそらし、けれど耳だけは傾けていた。久しぶりに聞くイメルの吟遊詩人としての歌。商売する彼を見た覚えはずいぶんない。 「呪歌なら、聞いてんだけどなぁ」 なにせ生傷が絶えない身だった。訓練に傷はつきもので、イメルに癒してもらうことも度々ある。それとは違うイメルの華やかな歌。タイラントのそれとは違う、イメルらしい歌だとエリナードは思う。嫌いではなかった。次第に人々が足を止め、集まり。王都の住人の肥えた耳にも適う演奏をイメルは見せていた。 その表情が、少しずつ明るくなっていく。きっと考えているのはタイラントのことだろう。それは彼にとって魔法と同義。 ――自分で思ってるより、弟子を騙られたの、腹立ってんだぜ、お前は。 あの程度の技量で師の名を騙られたこと。タイラントに憧れてやまないイメルだった、なにより腹立たしくてならないはず。自分がフェリクスの弟子を騙られたならば同じ思いをすることだろうとエリナードは思う。幸い、魔術師の弟子を騙るものは多くはない。タイラントは吟遊詩人の名も高いおかげで、その手の話題も尽きなかった。 ――いや、一々腹立ててたらキリがねぇからな。やっぱそっち絡み、か……? トリフィックトフィーが怪しいのならば、そこにタイラントの弟子を騙るものがいるのはなお腹が立つことだろう。 エリナードは人の輪から少し外れ、イメルの演奏を聞いていた。いつの間にか人だかりでイメルの顔も見えない。通りがかりだけではなく、店から出てきて聞き惚れるものまで出はじめていた。 「へぇ、こんなところで歌ってるなんて、たいしたことないけど。意外と聞いてもらえるものなんだね。顔も地味だし。ね、そう思いませんか?」 突然に話しかけられて驚いた。そんな顔をエリナードはした。若干の不快さと共に。それが物憂く見えるなどさすがに知りはしなかったけれど。もちろん話しかけられるより先にその人物には気づいていた彼だった。 |