「さぁ、トリフィックトフィー曲馬団だよ! どなたさんも見てらっしゃい、トリフィックトフィー曲馬団がやってきたよ!」 王都の端で、今日やってきたばかりの曲馬団が客を呼び込んでいた。威勢のいい掛け声にわっと子供たちが群がるよう入り口に吸い込まれて行く。若い恋人同士も肩を寄せあい入っていく。昼間の出し物とあって大人向けのものではない、と知れているせいだろう、過ぎゆく人々の目も温かい。中には仕事の途中なのか足早に行きすぎかけ、それでも立ち去りかねていつまで公演をしているのかと尋ねる者までいる始末。ずいぶんな盛況だった。 あっという間に時が経ち、そろそろ開演。大天幕の中は人いきれでむっとするほど。演者たちは舞台袖で胸をときめかせてその時を待っている。そして舞台の中央、ぱっと光が射す。曲馬団付きの魔術師でもいるのだろう。王都の住人はそんなことで驚きはしなかった。 「さても皆様、よくぞお集まりで。トリフィックトフィー曲馬団がついにやってまいりましたぞ!」 鷹揚な男が現れ口上を述べる、その間も客たちはお喋りに余念がない。なにしろここは王都だ。大陸に名だたる曲馬団も軽業師も珍しくはない。それを男も悟ったか、ふと声を潜めて囁きかける。それでいて客席の隅々までよくとおる声をしていた。 「なにしろ我が曲馬団が誇る詩人にして奇術師、類い稀なるアーディはあの世界の歌い手に教えを受けた身。あのタイラント・カルミナムンディより我が弟子よと呼ばれた男にございます!」 誇らしげな男に客席は胡乱な目が半分、期待が半分と言ったところ。王都の住人はタイラント・カルミナムンディを知っているのだから。世にも稀な美貌の持ち主、そして何より高名な、誰より美しい歌声の持ち主。それなのに自らの容貌など気にした風もなくぱたぱたと街路を駆けまわっているのを目にしたことがあるものも多くいた。 「類い稀なるアーディの登場まで今しばし。まずは舞台を温め、皆様に我が曲馬団のご紹介と致しましょう」 さっと男が引き、わずかに舞台が暗くなる。そして再び明るくなったとき曲馬の公演のはじまりだった。身軽な足技を誇る少年がいた。歌いながらきらきらとした棒を幾つも放り投げては受け止める女がいた。屈強な男は力自慢の技を披露し、あっと思ったときには舞台に高々と張られた一本の綱。客が息を飲むその前で少女が優雅に礼をする。 「よさないかい、落ちちまうよ!」 客の誰かの悲鳴のような叫び声。一瞬だけ笑い声が起こり、再び静まる。団付きの楽師が奏でているのだろう音楽まで緊迫感を煽っていた。その前で少女は先ほどの屈強な男に抱えられ、高所の台に上がっていく。気づいたときには柔らかな花束がその手に。満開の花を手に少女は綱に足を踏み出した。ふらつくたび、客席が息を飲む。花が零れるたび、溜息が漏れる。ついに反対の端まで渡り切ったとき、万雷の拍手が起こった。 「さてさて皆様、ついにこのときがやってまいりました。トリフィックトフィーがお送りする夢の一幕。どうぞアーディの夢をお楽しみくださいませ」 最初の男の口上に、客席もやんやの拍手を送った。中々良い曲馬団じゃないか、面白いね、けっこう巧いもんだ。あちらこちらから声が上がる。 「おぉ……」 そして現れたるは一人の青年。いままでの団員は身に添う衣装だったけれどこちらは幾重にも襞を寄せた華やかなもの。手にはリュート。長く伸ばした銀髪はタイラントに倣ったものか。優雅に礼をする男は少々にやけてはいるものの中々の美貌だった。 客席を見回し、アーディはにこりと微笑む。最前列にいる一人に目を留めて、あえて彼を見つめて微笑んだ。それだけで相手の頬がぱっと明るくなる。 他愛ないな、と思いつつアーディは物も言わずにリュートを構える。口上など要らない、無駄だとすら思っていた。必要なのはこの顔とタイラントの名声。おまけに幸い、少々魔法の才がある。これを活用しなかったら嘘というもの。 はじまった歌に客席はしんと聞き入っていた。時折アーディが灯し揺らめかせる魔法の明かり。それが夢の一幕、と団長が言ったような効果をもたらす。陳腐ではあるが効果があるからこそ使い古され陳腐になったとも言う。アーディは歌いながら、魔法を操りながら客席を見ていた。 さすが王都だった。いままで北のほうをずっと周ってきたのだけれど、ここまでの客入りがあったためしはない。 そして何より若い男女の姿が多い。女同士、男同士で来ているものもたくさんいる。アーディにとっては何よりだった。男女の恋人同士よりはずっと扱いやすい。 その目がふと客席の一点に止まった。金髪が、客席の暗がりの中でも煌めいている。身なりをかまう気がないのだろう、質素な衣服に手入れの悪い髪。それでもひときわ目を引くその美貌。物憂い眼差しが自分を見ているような見ていないような。さすがに侮辱を感じはした、アーディは。顔にも歌にも自信がある。つまらなそうに眺められる謂れはない。が、なにより挑戦を感じた。 思わず内心の思いがあふれたよう、口許が歪む。最前列の客が誤解をしたのだろう、嬉しそうに小さく手を振った。それに目で笑い返し、アーディはただ金髪の青年を見ている。隣に座っているのは友人だろう似た年頃の男。そちらも中々整った顔立ちをしていたけれど金髪には及ばない。 あの無関心そうな美貌が歪むところを見てみたかった。やめてくれ、帰してくれと懇願するのを見てみたかった。心の内でずるりと舌なめずりをする。 それをアーディは甘い恋歌を歌いながらやっていた。自分と芸とは別物、と割り切っているかのように。 そっと立ち上がり、リュートの首を掴んで客席を見回す。たっぷりとこの顔を鑑賞する時間を客に与え、そして一礼。垂れてきた銀髪をこれ見よがしに手で払い、アーディは微笑んで舞台を去った。 その後ろ姿を追うような客席の騒めきよう。王都ともなれば客の声だけでも地響きだった。満更でもなくアーディは舞台をはけて息をつく。 「よう、さすがだな。いい反応だ」 団長にぽん、と肩を叩かれた。アーディが加わって以来、曲馬団はずいぶんと潤っている。おかげで団長もほくほく顔。 「なに、いつも通りやっただけですよ、僕は」 口の中で笑いアーディは団長の目を覗く。あちらも嬉しそうに微笑む。どことなく下卑た笑みに見え、アーディは肩をすくめて口許を歪める。それに気づいたのだろう団長が居住まいを正した。 「お疲れ様、アーディ」 綱渡りの少女が飲み物を持ってきてくれた。かすかに怯えた眼差しが気に入らない。トリフィックトフィー曲馬団が嫌ならば出て行けばいいのだ。が、アーディが参加してからこちら常に人気の曲馬団となっている。少女はどんなにアーディに怯えようとも出ていかれなどしない。それを知っていてアーディは嬲るよう、そう思うのだ。 「あぁ、ありがとう。気が利くな」 それだけでほっとした少女は息をつき、駆け去って行く。それにも少々腹立ちを感じる。逃げられた気がした。否、事実逃げられたのだとアーディは知る由もなかったが。 「お前さんが入って以来、うちはいつも大入りだ。王都で興行が打てるようになるなんて、夢のまた夢と思ってたんだがな」 「団長が僕を買ってくれるのは嬉しいけれど。でもみんなの手柄じゃないですか。嫌だなぁ」 「なになに、お前さんのおかげさ。アーディ」 笑いあう二人を遠巻きに団員は見ている。舞台の上にあった華やぎはどこにもなかった。誰もがアーディをじっと見つめ、それでいてびくびくとしている。まるで視界に入るのを恐れるよう。 「手を抜いたな、アーディ」 団員がひくりとすくんだ。あっという間に誰もが物陰へ、あるいは寝泊まり用の箱馬車にと逃げて行く。 「なんだロアン。またあなたか」 肩をすくめたアーディだったが団長が真っ赤になっていた。頭頂から湯気まで立てそうなその素振り、アーディはくっくと笑う。 「貴様、アーディになんの遺恨があっていちゃもんをつける! 大道具係の身で舞台のなにがわかるって言うんだ! え、言ってみろ!?」 ロアンと呼ばれた男はずんぐりとした大きな体をしていた。短く刈り込んだ褐色の髪も、暗い色合いの目も、いずれも陰鬱に見える。 「俺は、舞台に手を抜かれるのが嫌なだけです。せっかく木戸銭を払って見に来てくれてるお客さんに――」 団長が腕を振り上げ、けれど下ろされはしなかった。苦々しげに舌打ちをこらえる。そして笑顔を作って客を迎えた。 「やぁ、エトレさん。おかえりなさい。今日の舞台はどうでしたかい?」 あの最前列で見ていた客だった。くるくるとした栗色の巻き毛はまるで菓子のよう。大事に大事に育てられたのだろう、屈託のない澄んだ茶色の目。実際に彼はミルテシアのある豪商の息子だった。 「素敵だった! 本当に……夢の一幕。そのとおりだよね。アーディは、やっぱり素敵だった」 「本当? あなたにそう言ってもらえるなんて、僕は果報者だな。嬉しいよ、エトレ」 「やだな、アーディ……そんなんじゃ、でも……」 ぽ、と染めた頬。逃げて行った団員が場の空気が変わったと知ったのだろう、一人顔を出し、二人戻り。それぞれ自分の仕事を再び片付けだす。 「エトレさん、本当にアーディはよかったかな」 「ちょっと、ロアン。言いがかりはやめてくれないかな。さっきからそうだけど。僕のなにがあなたの気に障るんだろう。何か、気づかないうちにあなたを怒らせていたりしたかな。だったら謝罪する、この通りだ」 頭を下げるアーディにエトレがなんて男らしい、と嬉しそうに微笑む。転じてロアンを見た目は冷たかった。 「僕にはアーディはいつもどおり素敵に見えたよ。君は舞台装置係だろ、歌のなにがわかるんだい?」 ふん、と鼻を鳴らしてアーディの腕を取る。せっかくのラクルーサの王都。楽しまない手はない。団長がエトレさんをお守りするようにな、とアーディに言う声が聞こえた。 「ロアン。お疲れ様」 その団長の目を盗むようやってきたのは綱渡りの少女。アーディに対したのとは打って変わってくつろいだ笑み。少女たち演者にして見れば無事に今日の舞台を終えられるのもロアンあってのこと。飲み物を渡されたロアンは慎ましく無言で一礼するだけだった。その目がわずかに出て行くエトレを追う。不安そうな眼差しだった。 「さぁ、エトレ。どこに行きたい? あなたの行きたいところにまず行こうよ!」 エトレを促しながらもうアーディの頭からロアンのことはすっぱりと切り落とされていた。所詮は裏方の人間だ、たいして重要な男でもないと。 「えっとね、すっごく綺麗な銀細工を売ってるところがあるって聞いたんだ。君に買ってあげたいんだけど、どうかな」 感激した面持ちのままアーディはけれど上の空。エトレと歩きはじめながら頭の中はあの金髪の客でいっぱいだった。 |