夏の名残の木洩れ日と秋の色。小麦の髪の少女が駆けて行く。森番の小屋を辞去した三人だった。いつでも呪文で跳べるだけあって、魔術師たちは少しメリリを遊ばせてやるつもりらしい。 「メリリちゃん、あんまり走ると危ないよー」 笑いながら言うイメルの声がほころんでいる。星花宮にも少女たちはいるのだけれど、これほど小さな少女とここまで親しく接した機会が二人にはほとんどない。 「危ないのはお前のほうだっての」 ぼそりと言えばイメルが頬を赤くする。そのようなつもりではない、と断固として反論したいのだろう。が、すぐさま視線は別のほうへと。 「ったく。二人分の子守の気分だぜ」 苦笑するエリナードもなんのその、イメルはメリリとは別方向へと向かい、そして喜び勇んでメリリを呼ぶ。 駆けて行くイメルの後ろ姿をエリナードは見ていた。星花宮に戻ってきたときには少し沈んだ顔をしていたイメル。メリリのおかげか、明るくなった気がした。子守を請け負った甲斐がある、思ってしまっては苦笑する。 「メリリちゃん、おいで! ほら、妖精の輪だ!」 木の根方に一叢の茸。輪になって顔を出していた。古くから、なぜかこれを妖精の輪、と呼ぶ。ここから妖精たちは出入りするのだと、別のどこかから。妖精たちが住む国から。 走り寄ったメリリは妖精の輪を見つめ、そしてうっとりとイメルを見上げた。本当に嬉しそうで、無垢な少女のその表情にイメルは蕩けそう。 「ここからね、妖精さんたちが出てくるんだって言うよ。会えるかな、メリリちゃん?」 ふふ、とメリリが笑う。ほとんど声を立てない少女だけに、どれほど彼女が楽しんでいるのかが伝わってくるよう。 「妖精さんに会いたい?」 問えばこくん、とうなずく。その真摯な眼差しに、イメルは自分の幼いころを見る思いだった。ただ、同時に思い出す。自分よりずっと夢見がちだった少年のことを。 「メリリ」 ゆっくりと歩いて来ていたエリナードだった。その手に何かを持っている。イメルは気づいてにやりとしていた。 「妖精のランタンだ。やるよ」 淡い空色の花だった。下向きに咲くその花は、夏の子供の遊び道具。イメルも蛍を捉まえて花の中に入れては光らせて遊んだ覚えがある。 「あ、可愛い。お前、こういうこと好きって言うか、気が利くよなー」 いまはもう夏の虫はいない。エリナードは小さな魔法灯火を灯し、花の中に入れてはメリリに渡す。空色の花はほんのりと光を放ち、メリリの頬を照らしていた。 「可愛いね、メリリちゃん。気に入った?」 言えばまたもこくんとうなずく。目許も朱に染めて、少女とはこんなにも幸福そうに笑うものなのかとイメルは思う。思えば星花宮の少年少女たちは生家から離れた子供たちばかり。自分やエリナードも含め、すでに翳りを持っている子供たちばかりだったのだとイメルは今にして思う。それを悔いはしなかった。嘆きもしなかった。自分はこうしてここにある。あるべきものとして、ここにいる。それを知ることができたからやはり、幸福だとイメルは思っていた。 「エリナードはね、メリリちゃん。メリリちゃんくらいのころかなぁ、妖精さんはいるって言ってたんだよー?」 「もう少し年嵩だったと思うけどな」 「そうだっけ?」 「だろ。十二ん時だったと思うぜ。お前のしてる話があれなら」 イメルと二人、魔法の事故を起こしたことがある。正確に言えば、「魔法事故を起こされたこと」がある。そのときイメルは瀕死の重傷を負った。エリナードは危うく死にかけた。その療養のため、と二人の師がイーサウに遊びに連れて行ってくれたときのことをイメルは言っているのだろう。一瞬だけイメルの目が事故を思い出したか真剣になり、ついで微笑む。 「だったらさ、さすがにどうなのよ? 十二歳で妖精さんは実在するって言い張るって結構な度胸だぜー?」 「別に言い張ってない。実在した過去があったかもしれないって言っただけだろ」 不意にメリリが見上げてきた。話しをねだるようなその眼差し。エリナードは小さく笑って片膝をつく。 「たいした話でもないぜ? 俺たちは魔術師だからな。ガキでも、色々考える。だから妖精って話が残ってるんだったら、昔はどこかにいたのかもしれない。――メリリ、半エルフってわかるか」 うん、とうなずく少女の頭を撫でたのはエリナードではなくイメル。あまりに熱心に握った花が萎れてしまわないか気がかりなのだろう。そして気づいたイメルはにんまりとする。すでにエリナードの魔法に包まれている花だった。 「半エルフは、人間から見れば異種族だろ。だったら、妖精族って言ったらいいか? そう言う人たちがいても俺は不思議だとは思わない」 「エリナード、いまでも夢見がちでけっこう可愛かったり?」 「お前に言われてもぜんっぜん、嬉しくないし! むしろこれだけ説話が残ってて、なんで消えちまったのか、俺は不思議でしょうがねぇのはそっちだっつの」 ふん、と鼻を鳴らして立ち上がる。どうやら照れたらしい。イメルのみならずメリリまで小さく笑った。 「だからな、メリリ。――俺はやっぱりどこかにいるんじゃないかって、いまでも思ってる。だから、妖精の輪を見てたら、いつかどこかで会えるかもしれないよな」 歩きながら、そっぽを向きながら。エリナードは言う。その手に滑り込んできたメリリの小さな手。エリナードは無言で手を繋ぐ。後ろでイメルが盛大に笑っていた。 「あのさー、エリナード。話は全然違うんだけどさー」 あまりからかっては後が怖い。なにしろエリナードはあのフェリクスの弟子だ。フェリクス自ら最愛の一番弟子と言い放っているエリナードだ。魔法以外にも色々とよくない影響を嫌と言うほど受けている男でもある。タイラントの弟子であるイメルは、そう思う。だからこそ、話を変える。それと悟ったのだろうエリナードがかすかに吹き出した。 「なんだよ?」 「……いや、さっきの人たち。俺、会っちゃまずかったんじゃないの。と言うか、会わなかった方が絶対よかったよな?」 「いいんじゃね? 師匠も止めなかったし」 はじめからフェリクスは知っていたとエリナードは言う。師から届け物、と言う体で様子を見に行かされたのはエリナードもわかっている。同時にイメルも。 「でもさー。顔見ちゃったしさー。俺、自分をあんまり信用できないんだよな。どこかでぽろっと言いそうで、怖いんだよ」 ぼそぼそと言うイメルが見ていないからだろう、きっと。エリナードが小さく微笑んだのは。見上げてきたメリリに苦笑しては片目をつぶる。少女も口許だけで微笑み、心得たとばかり肩をすくめた。 「顔、変わってるし。別にいいんじゃね?」 正しくは目の色だけが違っている。だがそれでも印象はまったく違った。エリナード自身、久しぶりに会ったせいもあるのだろうけれど、わずかに戸惑いを感じたのも事実だ。あるいは森番たちが意図的に様子を変えているせいもあるのかもしれない。バートに至っては髪を伸ばしはじめているらしく、相当に印象が違っていた。無論、イメルには言わないことだが。 「変わってるの!?」 驚くイメルに、だからこそエリナードは彼を連れてきた。イメルは彼らに会っている、王城で。不逞魔術師護送の際、立ち合った彼だった。 「気づかなかったか?」 「だって、元の顔、知らないもん!」 「そっちじゃねぇよ。魔法の気配」 「あぁ……そう言うことか。いや、気配はしてたよ? でも、誓約の指輪、してただろ。あれの気配しか、感じなかったから。魔法って言うより、祝福だよな」 元をただせば同じものではあるけれど、いまは別の道を進んでいる神聖魔法と鍵語魔法だ。気配自体は掴めても、イメルにははっきりと別の物として感じ取れていた。 「なるほど。だったら完璧だな」 抱っこをせがんできたメリリを抱き上げ、エリナードはにんまりと笑う。振り返れば、不審そうな、多少怯えたようなイメルの佇まい。 「それ、下手だからな? タイラント師に似てないし」 「師匠だっていつも怯えてるわけじゃないんだからな!」 「その言い訳もどうかと思うけどよ。――俺が師匠に同意して、お前を連れてきた理由の一つがそれだ」 「タイラント師に似てないから?」 「話を戻すんじゃねぇよ。それじゃない。――お前が、星花宮の魔導師だからだ」 なんのことだとイメルが首をかしげていた。まるで自分は違うとでも言い出しかねないエリナードだとでも思ったのか。眼差しが険しくなっている。 「だからな、俺はいまだ弟子の身だっての。お前は、試練を突破して、アイフェイオン名乗ってんだろうが。一人前の魔導師に見てほしかったんだよ、俺は」 「でもさ、お前だって実力的には俺と似たようなもんだと思うんだけど」 「だと思うぜ、いまんとこな。でも俺、現場にいたし。実体知ってる俺が見てどうするよ。現実知らねぇお前が見て、なんにも感じなかったんだってんなら成功だろ」 「あ……」 「あの二人は、魔法でちょっと見た目をいじってある。お前、全然気がつかなかっただろ」 「言われても、見当もつかない! え、ほんと!? ていうか、お前がそんなことで嘘つくはずないし。本当なんだろうけど、ちょっと待って、エリナード……」 「な? それくらい気配がなかった。星花宮の魔導師が気づかなかった。これで市井の魔術師が気づくってことはないだろうが」 時間と共に魔法の気配は薄れはするが完全に消えるものでもない。エリナードが気にかかっていたのはそれだった。時間と共に薄れるのは探索も同じこと。早急に気配が消えていると確かめる必要があった。もちろん、魔法それ自体はフェリクスのものだ。師のすることに間違いはないはず。それでも人命がかかっていると思えば慎重になって悪いことはない。確かめたい、と言ったエリナードを許したフェリクスもまた、同じ思いだったのだろう。 「でも……俺でいいの……?」 星花宮の魔導師を代表して確かめさせられてしまったイメルだった。エリナードがなにをどう確かめたのかまではイメルにはわからない。実情を知らないのだから、憶測の域を出ないというもの。それでも、自分の反応でエリナードが安堵したのだけは、わかっている。 「問題ねぇよ」 その答えにまだ言い募ろうとしたイメルだった。不意にエリナードの腕の中からメリリが手を伸ばす。何事だろうと思っているうち、その手が頬に触れていた。大丈夫、そんな彼女の笑みにイメルはほっと笑みをこぼしていた。 |