彼の人の下

 不意に進み出たメリリがイメルの頬に手を伸ばす。何を思う間もなかったのだろう彼がその頭を撫で、そしてきょとんとした。それを見定めたかのよう、メリリの手は今度はエリナードに。頬に触れられるより先、エリナードは苦笑して彼女の手を取っていた。
「もしかして、メリリちゃん。怖かったかな? ごめんねー」
 イメルがすまなそうに眉を下げていた。それを見るエリナードの苦笑具合に森番たちは笑いを噛み殺す。どう見てもメリリに仲裁された魔術師だった。
「あー、二人とも。晩飯は食っていくのか。と言うか、泊っていくんだろう?」
 頭をかきながらプレイズが言うのは先ほどの香油から意識をそらしたいせいか。悟ったバートがまたも笑いを噛み殺す。
「いや、帰りますよ。星花宮の用事で来てるんで」
 遠足がある、と森番たちは知っていた。その先乗りとして来ている魔術師だったのか、と改めて知る。ならばゆっくりはできないのだろうと思えば少し、残念だ。
「……そうか」
「いやいや、今度はのんびり遊びに来ますから。ほんっと……竜騎士団に出向してたって、話しましたっけ? あれのおかげで俺の研究、止まりっぱなしなんですよ」
 それが片付くまでは手が空かない。終わったら必ず遊びに来るから。朗らかに約束するエリナードにプレイズは肩をすくめる。まるでそのときにはまた別の用事ができている、魔術師などそう言うものとでも語っているかのよう。
 現実は違う。ここにいまイメルがいる。親友の彼すらも欺いて自分たちを守ろうとしてくれるエリナードとフェリクスの思いを嫌と言うほど感じていた。ありがたくて、言葉がない。
「次はちゃんと演奏も聞いていただきたいなぁ。あ、俺もまた遊びに来てもいいですよね?」
「もちろん」
 バートの笑みにイメルがほっと笑い顔。見てしまったプレイズが嫌な顔をし、エリナードが肩を震わせて笑いをこらえる。
「バートさん、焼きもち妬かれてますよ」
「……なに?」
「いや、別に! エリナード!? どうしてお前はよけいなことを言うんだ!」
「そりゃ、言わなきゃならないことを延々と言わない男がいるからでしょうが。俺だってお節介なんかしたかねぇや」
 ひょい、とすくめられた肩に笑いを見た。不機嫌なプレイズは、一々もっともなだけに反論ができない、それゆえの仏頂面。
「さて、と。今日はお届け物に上がっただけなんで、もう行きますよ。あぁ、そうだ。ちょっと魔法具埋めて行くんで、見るだけ見といてください」
「なに? 待て、エリナード、お前は――宮廷魔導師団の一員だろう。それは……よくないだろう」
 バートの言葉をイメルは聞かなかったふりをした。確かに自分たちは宮廷魔導師団の一員だ。そして宮廷魔導師である以上、この手に宿る魔法はすべて国王ただ一人のためにある。貴族の多くにすら、周知されているとは言えない話だ。バートが指摘した不思議を、イメルはあえて気にしない。せいぜい以前エリナードが言ったのだろう程度に思っておくことにする。そんなイメルをエリナードがにやりと笑い、メリリを抱き上げては外へと森番たちを促した。
「……この前、師匠から小遣いもらったんですよ」
「は?」
「これで好きなものでも買いなって。ほら、あの人。そう言うことしそうでしょ?」
「それは……すると思うが。特にお前相手なら、いくらでもすると思うが」
 バートの同意にエリナードが肩を落とす。腕の中で笑うメリリをひと睨み。少女はこたえた様子もなく小さく笑う。
「まぁ、そんなわけで。俺も好きなものを色々買ったわけですよ」
「あ、わかった! 資材買ったんだろ、お前!」
 そう言うことだ、とエリナードは目だけでイメルに笑う。深い藍色の目が柔らかに翳っていて、いつになく穏やかな気分でいるエリナードだと長い付き合いのイメルにはよくわかる。腕にいる少女のおかげかもしれない。意味もなくイメルはふとそんなことを思っていた。
「資材?」
「えぇ、魔法具を作るように。色々いるんですよ、これが。ちょこまかと好きなものを買い集めまして。で、出来上がったのがこれってわけ。まぁね、なにしろ『弟子』がすることですからね、遊びの範疇なんか越えてませんよ? 物は試しってところかな」
 メリリを首に縋らせて、エリナードは懐からいくつかの小さな珠を取りだした。そして再びメリリを抱き直す。あまりにも堂に入っていてイメルなど驚く隙もない。
「あぁ、なるほど。フェリクス師か」
 納得したのはプレイズのほうだった。どうやら彼はエリナードの周囲に小さな子供が出没し、しかもそれがフェリクスだと知ってもいるらしい。続々と知ってはならないことを知りつつあるイメルだったが、おそらくはそんなことは知ってもどうと言うこともない程度のことでもあるのだろうとは思う。
「師匠は抱き慣れてますけどね」
「それ、すっごく怪しい言葉に聞こえるからな、エリナード!」
「俺は親父に欲情するような外道にはなりたくねぇっての!」
「なりたくない、とならないは違うからなぁ。なにしろ最愛のタイラント師を脇においても愛しい愛しいエリナードだし?」
 からかうイメルをエリナードは一刀両断。本当に、したかと思った森番たちだった。一瞬の間に出現した水の剣がイメルに届く。寸前でふわりと風に流れて消えた。
「うわ、危ないの! ぎりぎりだったよな、いま! ていうかな、エリナード。お前、切る気満々だったよな!?」
「だったぜ? いいだろ、別に。呪歌の使い手なんだし。自分の怪我ぐらい自分で治せよ」
 ふん、と鼻で笑うエリナードと唇を尖らせるイメル。星花宮の魔導師ともなればこのようなものでもあろうけれど中々過激なことだった。
「それで、エリナード。魔法具がどうのと言う話をしていたはずだが」
「あぁ、そうだった。すいません。で、これを埋めときたいわけで……あぁ、そっか。まだ中身を話してなかったか。要はケモノ除けですよケモノ除け」
 獣除けの呪文ならばよくあるものだった。イメルも野営時にはよく使う。ここは深い森の中だ、森番とはいえ、小屋の周囲にあればありがたいものではあるだろう。そうは、思ったイメルだった。が、さすがにエリナードの語調には気づいてはいる。ただの獣除けではない程度のことは。
 森番たちは更にはっきりと悟っていた。にやりとした藍色の目が、なにを言っているのかくらいわかっている。そして自分の勝手でやった、試しに作ってみただけだ。言いながら間違いなくそれは完全に機能する。二人ともエリナードの実力を見知っているのだから。
「……ありがたいよ、エリナード」
 わずかに視線を伏せたバートだった。エリナードは何も言わない。ただその肩にぽん、と手を乗せる。すぐさま離したのはプレイズの視線のせいに違いない。自分で気づいたのだろうプレイズがわざとらしい空咳をした。
「しかし、なんでお前がまだ弟子かね。とっくに一人前だろうに」
「まだまだ師匠から学びたいことがありますからね。それだけですよ」
「――いまでも、フェリクス師はお前の『世界で一番大事な人』なんだろう?」
 バートのにやりとした言葉に吹き出したのはイメル。咄嗟にエリナードは彼の背を思い切り殴りつける。
「イメル、わかってるよな? お前も子供じゃないんだ、語弊って言葉は知ってるよな?」
「し、知ってるよ? 知ってるけど……あんまりにも……ぴったりで……冗談に……ならな、い……っ!」
 息も絶え絶えに笑い転げるイメルをエリナードは睨みつけ、そして長い溜息。頬に触れるメリリの手に苦笑しては少女に言う。
「別に喧嘩はしてない。イメルも冗談だってわかってる。言いふらして面倒なことになったりしない」
 本当、と首をかしげる少女にエリナードは真摯にうなずく。森番たちはまるで一幅の絵画のようだ、と知らず見惚れていた。
「ほれ、お二人とも。行きますよ。埋めるところには立ち合ってください」
 それが何か魔法的に必要な要素なのだと察することがバートにはできた。何気なくうなずいてプレイズと並ぶ。小屋の周りに埋めるのだとエリナードは言っていた。
「まずはこの辺かな」
 周囲を確かめ魔法具を埋める段になってイメルが真剣になった。だがエリナードを手伝おうとは彼は言わない。ひたすら生真面目に親友のすることを見つめていた。
「……さすがだよな、エリナード」
 すべてが終わったとき、イメルが長く深い息を吐く。ほんのりと赤くなった頬は興奮ゆえか。森番たちにはエリナードが何かを呟きながら小さな珠を埋めているとしか見えなかったのだが、イメルの様子を見る限りそれだけではなかったのだろう。
「ほんと、お前。さっさと一人前になりたいってフェリクス師に言えばいいのに」
「だから、まだ教えてほしいことがあるんだっつーの。だいたい嘆願していいよって言うような男かよ、あれが」
「……ないな。むしろ僕の可愛いエリィが我が儘言ってくれたって喜びそう……」
「だろ? 俺はそこまで親孝行にはなれねぇよ」
 嘆かわしげに首を振るエリナードをプレイズが大らかに笑う。本当は、礼の言葉がないくらい感謝していた。それだからこそ、ここは「キャラウェイ卿の森番役」でいるべき場面。新しいこの人生をくれた彼ら師弟のために。
「ほんと仲良し師弟で困ったもんだな。さっさと真面目なお付き合いをしたらどうだ?」
「色々あって迷ってるって、言ったでしょ?」
「……ほう?」
 いつそんな話をしたのだと言わんばかりのバートの鋭い青の目。プレイズは視線をさまよわせ、エリナードに無言の助力を要請する。無論、応じる気などないエリナードだった。
「あぁ、そうだ。キャラウェイ卿がたまには顔出せって言ってましたよ」
「だが……」
「消息が知れないのも心配だ、だそうですよ? だいたいね、プレイズさん。お二人は森番役なんですからね。報告には定期的に行った方がいいですよ?」
 はたと気づいたと言わんばかりの二人だった。それをイメルは見なかったふりをする。彼らが森番役であるのは事実としても十全な真実ではないだろうとはすでにわかっている。それをエリナードがかすかに笑った。
「さてと。仕事は終わったし。散歩しながら帰るぜ、イメル」
「あいよー。どっち?」
「星花宮帰ってどうすんだよ。遠足の用事が済んでねぇっての」
 言われて照れ笑いをするイメルの頭をこつり、とエリナードが叩く。メリリがそれをたしなめているのがおかしかった。
「森の散歩か? それはいい。――メリリ、妖精が住んでいると言うよ、この森には。会えるといいな」
 他愛ない、子供向けの言葉だっただろう、バートのそれは。けれどメリリの顔が明るくなる。ぱっとほころんで、本当に幸せそうだった。




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