まずは先乗りの役目を果たすため、と言うわけでもないのだがセルマとユージンに準備の様子を見せてもらった二人だった。案の定なにをする必要もないくらい完璧に整っている。 「ほんとさー、俺たち何しに来たんだろうねー」 「……子守」 ぼそりと言えばメリリが笑う。再びエリナードの腕に抱かれている彼女だった。歩き疲れてしまうほど移動はしていないしそれほど幼くもないというのに彼女はこうやって抱っこをせがんでくる。そしてまた諾々とエリナードは従ってしまう。 「意外だよな、お前」 イメルに笑われても相手が相手だ、自分の意志などあってないようなものだと言い返すことがエリナードにはできない。苛立ち紛れイメルの頭を叩いた。 「だったらこっちはいいな」 強引に話を変えたエリナードをまたもイメルが笑い。メリリまで笑う。いまここでリオンに文句を言いたい。あるいはアントラルで聞いているかもしれないが。 「ちょっと俺は用事がある。メリリを――」 預かっていてくれ。言いかけた途端にメリリの哀しそうな顔。自分の側から離れないで。そんな表情をされてしまってはいかなエリナードとはいえ言葉を飲まざるを得なかった。 「……わかったよ、はいはい、わかりました。イメルは留守番……もう、いいや。お前も来いよ」 溜息をユージンが笑った。ぽん、と肩のあたりを叩いて慰めてくれるのだが、いまは大変にありがたくない。なにしろ向こうで双子がこちらを見ている。 「メイカーさん。お二人の視線が痛いんですが」 「気にするな。大丈夫だから。遊んでるだけだぜ」 「そこまで豪胆になれませんよ。――キャラウェイ卿、チェリットに行ってきますが、何かご用があれば承りますよ!」 自棄になったエリナードをイメルが少しばかり不思議そうに見やり、けれど強いて何もなかった顔を作って微笑む。勘がいいのか悪いのか、時々エリナードは不思議になる。 「チェリットか。……元気かどうかだけ、聞かせてほしい。迷惑をかけまいと気にしているのだろうが、音信がないのも心配だと言うことを彼らは学んだ方がいい」 「伝えますよ」 「頼む」 苦笑するエリナードにキャラウェイの生真面目な返答。兄の隣でディルがそっと微笑んでいた。たぶん。相変わらず表情の変わらない双子だった。 「行こうぜ、イメル」 片腕にメリリを抱いたままイメルを誘えば、行き先だけしか聞かされていないイメルだと言うのに楽しそうな足取り。 「お前なぁ。物すっごく嘘くさいからな、それ!」 「だからさ! 俺としては秘密があっても気にしないよ? 心配しなくっても平気だよって言ってるつもりで!」 「だからそれが嘘くさいんだって言ってんだっつの」 なぁ、メリリ。うっかり同意を求めてしまえば少女の謎めいた微笑み。目にしたイメルが一瞬の半分ほど不思議そうな顔をし、けれど何も気づかず笑い出す。思わずほっとしたエリナードだった。 領主館からチェリット村まではおよそ半日の道のりだ。歩いて行けばもう少しかかるか。もっとも魔術師だ、転移してしまうから一瞬でもある。 「あれ? お前、チェリットって言ってなかった? ここ……、どこだ?」 「チェリット」 すげなく言うエリナードにイメルはようやく悟ったらしい。ここは確かにチェリットだが、しかしチェリットの森の中だと。そんな彼にエリナードがにやりとする。 「なぁ、聞いていいの?」 「行き先か? キャラウェイ卿の森番役んとこだよ」 「なんでお前が? いや、別に……」 尋ねていいことなのか戸惑うイメルに少年時代を思い出す。小さな子供を抱いているせいかもしれない。あの頃の自分たちを思い出すのは。 「お前に言えねぇことだったらそもそも言ってねぇよ。だいたい最初っから連れてくるつもりだったし。ただし! そこにいるのがどこの誰か、詮索は無用だ。絶対に。いまから会うのはキャラウェイ卿の森番役。それだけだ。いいな?」 「あ……うん。俺が、危険ってことだよな、ありがと、エリナード」 「まぁ間違ってもいねぇけどな。どっちかって言ったら、バラされると森番役もキャラウェイ卿一家も俺もお前も首が飛ぶ。ついでに師匠もすぱんと首が飛ぶ」 「って待て、エリナード!」 「ちなみに、比喩表現じゃないほうだからな? マジで物理的に首が飛ぶからな?」 「俺は何も聞かない。いまから会うのは森番役。それだけだ!」 「それが賢明ってな。勉強になるだろ、メリリ」 「嫌な勉強させるなよー」 「これもこの世の姿の一つってやつだろ。こうやって俺らは生きてる。あがいてばたばたして面倒くせぇのやりたくねぇの言いながらな」 肩をすくめるエリナードの髪、不意にメリリが触れた。少女が綺麗なものに触れてみたかった、そんなものでは決してない。憧れの美しい男性に触れてみた、そんな甘酸っぱいものでは更にない。エリナードはメリリの手にフェリクスを思う。師に触れられるときのあの安堵に最も似ていた。 「別に落ち込んでねぇし。慰められる謂れはねーし!」 「やだー、エリナード君ってば照れてるのー? メリリちゃん、このお兄ちゃん、変なところで可愛いだろ? でもこんなだめな男に興味もっちゃだめだからなー?」 「お前にだけは言われたくないっての」 文句を垂れながら歩く森の道はそれでも楽しかった。秋も近いチェリットの森はそれだけで充分に楽しい。木漏れ日の舞い降りる景色、ちらちらと光り輝く。色づいた葉の間に、照り光る秋の実り。木の実を拾った栗鼠が木の太い幹を駆けあがっていった。 「メリリちゃん、見た見た? いま栗鼠さんいたよ!」 イメルの上げる歓声にも森の生き物は驚かない。キャラウェイはこの森の領主として狩猟の権利があるけれど、あまり活用していないらしい。 「夏の暑い時期には双子でお散歩に来るんだってさ」 「メイカーさんは?」 「そりゃ一緒だろ。いないと思える、お前?」 「無理」 笑う二人の間、光が射して翳って。躍る光をメリリが見ていた。眩しそうに、嬉しそうに。こんな美しいものがあるのだとばかりに。 しばらく行くと小さな小屋が見えてきた。チェリットの森番役の家だった。あまり危険な獣はいないと聞いているけれど、それでも皆無と言うわけでもない深い森だ。さすがに小屋とはいえ作り自体は堅牢だ。 「プレイズさん! エリナードです!」 まだ五歩も十歩も離れたところからだった、エリナードが大きな声を上げたのは。それにイメルは先ほどの彼の忠告が冗談でも誇張でもないことを悟る。それだけ相手は警戒している、せざるを得ない人だと。 軋んだ音を立て、扉が開き、影から現れた人にイメルは驚く。森番役、と言う響きに似合わない優れて立派な体格の人だった。確かに森番役も体を使う仕事ではある。けれどこの人は違う。直感的に思う。 「痛っ!」 が、それ以上観察するより先、にっこり笑ったエリナードに爪先を踏みつけられた。慌てて笑顔を作って首を振る。そんなところばかりタイラントに似てきたと内心で溜息をつきながら。 「元気でしたか?」 エリナードの姿を確かめて、プレイズの表情は緩んだようだった。名乗りを聞いても、姿を確かめるまでは安堵できなかったらしい。それでも見知らぬもう一人の人物に彼は警戒を隠さない。 「あぁ、元気にやってるよ。お館様もよくしてくださってる」 「そりゃよかった」 「あがるか? ようやく茶の淹れ方くらいは覚えたらしいぞ」 にやりと笑い、そして知らない人間をどうしたものかとプレイズが強張る。じっとイメルを見つめ、唇を噛んでいた。 「ま、続きは中で」 そんな彼にエリナードはにやりとする。心配はいらないと伝えているらしい。プレイズは諦めたのだろう、肩をすくめていた。どうやらエリナードと彼の間には何かがあったらしいとイメルには見当がつく。エリナードが突き進むとき、誰にも止められないと悟るだけの経験が。 そして小屋の中に入って再びイメルは驚く。そこにはもう一人の男性が。こちらも体格の優れた人だった。けれど優雅と言うのだろう、きっと。金髪碧眼の、なんとも美しい男性だった。少しばかり長めの髪は輝かんばかり。ちらりとイメルは隣を見やっては笑いをこらえる。手入れさえすればエリナードも彼に匹敵するほど美しい髪をしているはずと思ってしまっては。 「バート、お客人だ」 少しばかり照れたプレイズの声。エリナードはうつむく。聞いている方が照れくさくなってくるほどプレイズの声は甘く、かすかに上ずってすらいた。 「エリナードか。久しぶりだな。元気にしていたか」 「それは俺が聞きたいことですよ、バートさん。どうです、元気でしたか」 「中々快適に過ごしているよ」 にこりと微笑んだ表情の、その作り方だろう。イメルは最低限このバートと言う人物が高貴な血を受けていることだけは、悟った。悟っただけにエリナードの精神に小さく文句を言う。 ――お前な、俺が知っちゃだめなことだろうが、これ!? ――まだ知らねぇだろ? どこの誰で何しでかしたのかだけ、知らなきゃいいんだっつの。 ふふん、と鼻で笑われた。そうしながらエリナードは森番役たちと笑顔で話してメリリの紹介までしているのだからイメルはがっくりと肩を落とすしかない。 「で、前に話しましたよね? これが俺の兄弟みたいなダチってやつですよ。イメルと言います。まぁ、正式にはイメル・アイフェイオンですか」 言いつつエリナードはそっとイメルを窺っていた。けれど彼は何に気づいた様子もなく身を震わせる。 「やめろよ! お前に正式名で紹介されると全身が痒くなるんだからな!」 「なんでだろうな? それ、この前ミスティにも言われたんだわ」 不思議そうに首をかしげるエリナードをバートが笑った。どうやら彼らはミスティとも知己らしい。断じて詮索はしないと心に誓うイメルだった。 「この二人はな、キャラウェイ卿が森番役探してるって聞いてよ、師匠が斡旋したんだ」 「あぁ、そういうご縁でしたか。遅ればせながら初めまして、イメルと言います!」 「噂はかねがね。エリナードにはよき友がいると聞いていつか会いたいものだと思っていた」 「バート」 「うん? あぁ、まだ話し方が硬いか?」 「硬いですね。まぁ、ぼちぼちやってください。これのことなら心配いりませんよ。タイラント師を人質に取ってありますから」 「どう言う意味だ、エリナード?」 「あなたがたのことが暴露された場合、うちの師匠が死にます。そうなったらタイラント師にこいつはなぶり殺しにされますし。充分な担保かと」 「エリナード、それ人質って言わない。脅迫だから」 どちらにしても問題はない。嘯いたエリナードをメリリがくすくすと笑って見ていた。 |