ついでだから、と師匠たちにあれこれ用事を言いつけられ、星花宮を走り回る羽目になったが、それもメリリは楽しかったらしい。エリナードに抱かれ、あるいはイメルに手を引かれ、あちらこちらと見てまわるのが面白くて仕方ないらしい。甘く儚い風情の銅色の髪をした人は殊に気に入った様子で楽しげに手まで振っていた。 「あー、やっと済んだかな。よし、行こうか?」 イメルが少しばかり疲れた様子で笑う。そんな彼を見上げてはメリリが微笑む。笑い声というものをあまり立てない少女だった。それどころかいまだ言葉を発していない。理解はしているし、もちろん聞こえてもいる。小さな笑い声を上げることから、声が出ないわけでもないらしい。ならば彼女は無口なのだ、とイメルは気にすることをやめた様子だった。なにしろ星花宮にはオーランドと言う無口の権化がいる。問題ではない、と言うことだろう。エリナードは察しがついているだけに考えるのをやめただけだった。 結局なぜか大荷物で、エリナードとイメルはメリリにまで持たせている始末。転移の間だけではあるのだけれど、小さな体で荷物を抱えているメリリが意外と可愛い。思ってエリナードは内心で必死に抵抗する。ちらり、見やったメリリが笑った。 「メリリ、手出しはするなよ?」 「あのなぁ、エリナード。こんなちっちゃな子なんだぞ? お前はもうちょっと優しく物を言えないのかよ。だいたいな、手出しってなんだよ手出しって! メリリちゃんは普通の子だろ。リオン師は魔法に縁はあるって言ってたけどさー」 「まーな」 師匠筋の言葉を純粋に信じられるイメルは偉大だ、とエリナードはそっと溜息をつく。はたと気づいた。イメルは確かに素直な男だ。それは間違いない。だが、それにも限度というものがある。思わずメリリを見つめてしまえば、小さな女の子は何食わぬ顔をして笑っていた。 「ほら、エリナード。さっさと行こうぜ。また用事が増えるぞー」 それは勘弁、とエリナードは笑う。ここまできたら覚悟を決めた方が楽だ。否、もう星花宮を奔走している間に何度も思ったのだが。そうそう簡単に覚悟など決まるものでもない、と言うことかもしれない。 二人の魔術師に挟まれて、荷物を抱えたメリリはおとなしかった。魔法に縁がある、などと言うものではない。完全に転移と言う現象を知り尽しているとしか思えない。現にいまだかつてないほど転移が楽だった。 「なんかさ、いまちょっとすごくなかったか? 俺の腕も上がったかなー」 「転移呪文、お前はほとんど使ってないだろうが」 「吟遊詩人は足で稼いでなんぼだからなぁ」 からからとイメルが笑い、何かに気づいた様子もなく歩きだす。もうここはチェル村の外れだった。秋も近くなったチェルは王都よりずっと華やかだ。自然物の美というものがどれほど豊かか、こうしてここに来るたびに思い知らされる、そんな気がしてならないエリナードだ。メリリもまた辺りを見回してほう、と溜息をついていた。そんな彼女をエリナードはひょいと抱き上げる。 「……あんまりイメルで遊んでやってくれるなよ」 メリリに言ったのか、それとも聞かせる気もなかったのか。どちらとも取れるようなエリナードの呟き。メリリは首をかしげ、謎めいて微笑むのみ。 村人の生活を慮って村の外れに転移するのだけれど、領主館はここから歩いて行けば半日はかかる。結果としてやはり魔法頼りだ。ただ歩いているように見え、二人はまるで影のよう。村人の大半が魔術師たちに気づかない。 「こんにちはー。星花宮のイメルですー」 「お前は物売りか、御用聞きか」 「え? だって、じゃあなんて名乗ればいいんだよ? 物々しく宮廷魔導師団所属魔導師云々って?」 「うっわ、似合わねー」 だろ、と胸を張るイメルの向こう、呆れた老女が姿を現す。ここ、チェル村にあるチエルアット男爵領主館を預かる侍女頭セルマだ。キャラウェイ・スタンフォードの乳母だった女性、と言うことでなにしろ厳格だ。領主のキャラウェイ自身、セルマには頭が上がらないらしい。 「騒々しいですよ、お若い方々」 思わず背筋を伸ばしてしまうのは、きっとそのせいばかりではないだろう。セルマには貴族とはかくあるべしとでも言うような威がある。 「失礼しました、セルマ殿。我が師、カロリナ・フェリクスに代わりご挨拶に参りました」 少女を抱いたままのエリナードだった。はなはだ締まらないがセルマは小さく口許をほころばせる。なにせ彼女もまた、イメルやエリナードの幼いころを知っている一人だ。 「挨拶ができるようになりましたね、エリナード殿。ご立派になられました」 「……とんでもない」 「イメル殿もお久しゅう。ますます華やかになられましたね。お師様に倣われましたか」 「は……。そうありたいと思っています」 がちがちのイメルをセルマがほほ、と笑った。口に手まで当てているのだから、間違いなくからかわれている。二人が幼かったころにはもっと遥かに厳格だったのだけれど、ずいぶんと丸くなってきているらしい。 「エリナード殿、そちらはあなたのお子ですか。愛らしいこと」 「とんでもない! 私は独身です!」 「あなたがたの在り方を思うとき、独身かどうかが大切なことなのかいささか疑わしく思うようになりました。――これは淑女らしくないことを申しましたね。さぁ、どうぞ」 ぞっとして身を震わせたエリナードに頓着する気がセルマにはないらしい。自分の子ではないと言う説明も信じてはもらえなかったようだ。 「ま、可愛いじゃん?」 それで済ませろと言われてもとてもそんな気にはなれない。いっそ暴露してやろうかと思ったけれど、何かよからぬものが湧き出してきそうでそれもできない。 「旦那様、星花宮の方がお見えになりました。イメル殿とエリナード殿にございますよ。エリナード殿は可愛らしいお子をお連れです」 「ですから、セルマ殿。私の子ではないと!」 「あなたのお子、とは申しませんでしたよ」 にやりと笑われてエリナードは天を仰ぐ。勝てそうにない。腕に抱かれたメリリがくすくすと笑っていた。 「楽しいか?」 皮肉交じりに尋ねれば朗らかにうなずかれた。これはもう諸手を上げて降参するしかない。笑うエリナードを、またイメルが笑った。 「ほう、本当に可愛らしい子だな。エリナード」 「俺の子じゃないです。強いて言えばリオン師と親子だそうですよ」 長椅子に同じ顔の男性が二人、くつろいでいた。ゆったりと足を伸ばしたさまも、微笑みが笑みになる寸前で止まってしまったような表情も、もちろん金髪の色の加減、目の輝き、すべてが同じだ。そこに鏡があると言われたらほとんどすべての人が信じかねない。 「強いて言えば親子? どんな関係だ、それは」 「義理の親子とか? でもそれって強いてって言うようなものじゃないよね」 二人が口を開いて常人ははじめて鏡ではないと知ることだろう。だがここにいるのは星花宮の魔術師二人。はじめから二人の区別がついていた。一人がキャラウェイ・スタンフォード卿。近衛騎士にしてチエルアット男爵と言う立派な貴族だ。もう一人がディル。キャラウェイ卿の双子の弟、以前は平民の家庭に養子に出され、本人も貴族の身分を離れていたのだが、現在では「本人のみ世襲不可の一代騎士位」を持つ貴族社会の一員かつ銀細工職人だ。平素は職人仕事を続けながら領主館の家宰をしている。 「ちなみにカロル師とも親子だそうですよ」 「それはお二人の養子、と言わんか?」 言ったのはキャラウェイだったが首をかしげたのはディルだ。二人で一人分の態度を取るのはやめてほしい、とエリナードとイメルは笑う。 「なんか色々あるみたいなんですけど、でも可愛いってすべてを許せちゃう気がするんですよねー」 エリナードの腕にあるメリリの頬をイメルがちょんとつついた。それに楽しそうな笑い顔をする少女。知らず双子の頬もほころんでいた。 「確かに」 「この子のことは気にしないでください。子守を仰せつかったのは俺とイメルなんで。一応、俺たちは遠足の先乗りなんですが――」 「準備は整ってるぞ」 何気なく会話に加わったのは、扉をくぐってきたばかりの男性。現役時代――いまでも退いたわけではないが――にはさぞかし優れた体格を誇っただろうと思わせる男だった。 「ジィン」 たぶん呼んだのはキャラウェイだろうな、とエリナードは思う。少しばかり自信がない。双子がユージン・メイカーを呼ぶ声は似通っていて、その響きまで同じに聞こえる。 「……いまのはキャラウェイ卿」 「さすが吟遊詩人って褒めといてやるよ」 「ちょっと自信ないけどなー」 ぼそりとしたイメルの助言にありがたく礼を言えば照れて笑う彼だった。そんな顔をされるとこちらのほうが恥ずかしいというのに。 「一応、聞いとくが。人数に大幅な変更はないよな?」 「ないです、ないです。あったらこんな長閑な会話してないです」 「だな。だったら俺とセルマ殿で準備はできてるぞ。なにしろもう何度もやってるからな」 からりとユージンが笑った。確かにそのとおり。イメルとエリナードが幼かったころ、ここチェル村への遠足がはじまった。 「俺たちがまだメリリちゃんよりちょっと大きいくらいのころかなー。はじめてここに遊びに来たのは。そのときこの三人は新婚さんだったんだよー?」 「いや、まだだったと思うが」 「その次の春だよね、キャル?」 「……それは似たようなもの、と世間では言うんだ」 双子にぼそりとユージンが言い足す。エリナードとしてはその手の話題をこの少女に聞かせていいものかどうか迷うのだが。もっともリオンが「色々見せろ」と言っていたのだ。制限をしなかったということは何を見せてもかまわない、むしろすべてを見せろと言われているのだろう。たぶん。 「彼女はメリリと言うのか? 私はキャラウェイと言う。不思議な響きが似ているな」 キャラウェイはそう言って立ち上がり、珍しくはっきりとわかるほど微笑む。そしてメリリの髪を撫でてから自分のしたことに気づいたのだろう。不思議そうに首をかしげてはユージンを見やった。 「俺に聞かれてもな」 自分の行動の理由を尋ねられてもさすがに困るだろう、それは。小さく笑ってエリナードはメリリを床におろす。どうするかと思っていたら当たり前の顔をしてディルの元へと。 「本当に、可愛いな。この子」 彼もまた兄と同じようにメリリの髪を撫でていた。つられるようにユージンまで。不意にエリナードは思い出す。 「そう言えば、お三人の誓約式はリオン師が司式したんでしたっけね」 「お前、あの大騒ぎを忘れるってどう言う頭してるんだよ? そう言えばって言うようなもんかー?」 「うっさいよ、イメル」 文句を言いたい、心から。けれどイメルの精神的健全さを守りたい。と言うより、イメルに平静でいてもらわなければ自分の精神の均衡が危険な気がしてきたエリナードだ。溜息をつくに留めた。 |