彼の人の下

 それで結局なにをしろと言うのか、いま一歩飲み込めないでいるエリナードだった。色々と見せろ、それはかまわない。が、なにをどう見せろと言うのか。
「エリィ、なに持ってるの?」
 そんなエリナードと知ってか知らずか――エリナードは知っているに決まっていると確信していたが――フェリクスが小首をかしげてこちらを見ていた。
「あぁ……。この前のですよ。師匠」
 言いつつエリナードは師の元へ。長椅子にかけたフェリクスの膝、編み上げたばかりのレースを広げる。
「へぇ、いい出来だね。あなたが編んだんでしょ? 魔法?」
「違いますよ、自力です」
 最後だけは魔法で整えたが。笑うエリナードをタイラントがぎょっとして眺めている。彼はあまり手仕事の類が得意ではない、とイメルは知っていた。ましてフェリクスがそこにいる。長年の伴侶であるはずの男が器用に手仕事をする場面をタイラントは見続けているはずなのだけれど、それでも見るたびに驚くとも弟子は知っている。
「アルディアの模様だよな、それ? なんか見たことあると思ったぜ」
 少しばかり懐かしげなカロルにエリナードは照れくさくなってくる。再現できたとは思っていない。塔にあった図をなんとか解読して人間にできるよう、調整したのは自分だ。半エルフの模様ではなく、これは「半エルフ由来の模様」と言うべきだろう。
「雰囲気は充分伝わってるぜ?」
 にやにやとするカロルにエリナードは黙って頭を下げた。それをまたイメルがにんまりと笑っているのだから始末に悪い。横目で見やったエリナードは物も言わずに彼の爪先を踏みつけた。
「悪戯しないの、エリィ。――これ、キャラウェイ卿のところに持って行くの?」
 だったら何かに包んであげよう、言うフェリクスにエリナードは首を振る。なぜかちらりとタイラントが笑った気がした。
「それは師匠の分ですよ。本読む時にでも使ってください」
「……ふうん。息子の手編み、ね。悪くないかな。ありがと、エリィ」
「だから! そうじゃなくって、試しただけだから人様に差し上げるようなもんじゃないって言ってるんでしょうが!」
 声を荒らげたエリナードを、わかっていたよとばかりフェリクスが笑う。やっとのことで少女の存在を思い出して見やれば、小さな女の子はくすくすと笑っているのだろう、口許を押さえていた。
「そういうこと言って。ほんとは僕にって思って編んだくせにね。ちょうどあなたの目の色合いをしてるね。可愛いよ、エリィ」
「……たまたま倉庫に余ってた糸だったんですけどね。いいですよ、そう言うことにしときますから、はいはい」
「ほんっとにテメェらは仲良すぎだな。なんでそこの派手鳥が妬かねェのか俺にはわかんねェがよ」
「カロル様。妬くと俺が怒られるんです」
「あぁ、そう言うことか。なるほどな」
「そこ、納得していいんですか、カロル?」
 不思議そうな顔のまま茶化すリオンにエリナードは頭痛をこらえる。イメルはとっくに諦めているのか一緒になって笑っていた。
「あー、話。戻していいですかね。その子をどうすればいいのか、飲み込めないんですが」
 リオンの傍らにいる少女。ふんわりとした小麦色の髪の可愛らしい女の子。エリナードは不審がたっぷりだ。
「そうだね、これは僕の私見だけど。キャラウェイ卿の話題が出たのはちょうどいい。あなた、彼に遠足に誘われたって言ってたじゃない。その子を連れて先乗りしてよ」
「はい!?」
「ちょっと忙しいんだよ。竜騎士団のあれこれがあったしね。ほら、この前の近衛の大失態。おかげでこっちは忙しくって、遠足の準備ができてないんだよ」
 なるほど、と納得してしまったエリナードだった。何しろ現場にいたのは自分だ。少しばかり嵌められた気がしなくもないが。
「だったら、移動はどうしましょうか、リオン師」
 だがイメルはさっさと行くことに決めた、と言うより覚悟を決めたらしい。すでに旅の算段に入っている。そんなところはエリナードより格段に世慣れていて、弟子を見るタイラントの目も少しだけ優しかった。
「あぁ、心配はいりませんよ。この子は魔法に慣れていますからね。転移をしても問題ないです」
「……慣れてる?」
 そう言う問題ではないだろう、ぼそりと言ったフェリクスの言葉が幸か不幸かイメルには聞こえなかったらしい。聞こえてしまったエリナードはぞくぞくとしているのだが。
「だったら跳んじゃっていいですね。その方が楽だし。――って、リオン師。一つ伺っていいですか」
「はいはい、なんでしょう?」
「この子、何者って言うか、リオン師とはどういう?」
 常にリオンの傍らにいる少女だった。イメルが問うのも無理はない。エリナードはすでに疑問にも思っていない自分に気づかされてはぞっとする。無言で首を振ればフェリクスににやにやとされた。
「そうですね、ある意味では親子でしょうか」
「……はい!? だって、リオン師には、カロル師が! そんなことを仰ったら……カロル師が!」
「うるせェぞ、ガキが。こっちは承知の上だ、かまわねェんだっつーの」
「とか言ってますけどね? 象徴的にはこの人とも親子ですし。ま、問題ないですね、そのあたりは」
 エリナードは天を仰いだ。確信が確定の事実に変わる。もう諦めた方が早い気がしてきた。不意に触れてくるフェリクスの精神の指。言葉ではなく、慰めでもなく。遊んでいるわけではないのだが、少しばかり楽しそうな師の感触。あるいは竜騎士団で気疲れしてきたのだから休暇にしろと言われているのかもしれなかった。
「そうそう、メリリと呼んであげてください。可愛い名前でしょ?」
「……可愛いですね。ものすごく人名に聞こえない気がしますが」
「そうでもないですよ? ラクルーサ風ではない、と言うだけのことです。まだまだ世界が狭いですよ、エリナード」
「困ったことにリオンの勝ちだね、可愛いエリィ」
「俺の味方してくれたっていいじゃないですか!」
「味方? してるじゃない。あなたが更なる高みを目指せるよう、僕は試練をあげてるつもりだよ、色々とね」
 更なる高みではなく、師匠の玩具だろう。内心で呟いたはずが少しばかり声が高すぎたらしい。四魔導師が一斉に大笑いをしていた。
「そういうこと言うとね、可愛いエリィ。あなたの初恋が誰だったのかばらすよ?」
「ちょっと師匠!?」
「あぁ、この前言ってたな。――まだ本人には言ってねェから安心しな、エリナード」
 それは言っているも同然だろう。思ったけれどエリナードは断じてリオンを見ない。見ればそちらもにやにやしているに決まっている。イメル一人が不可解だと首をかしげているのが救いだった。
「とりあえず、キャラウェイ卿んとこ行こうぜ。俺の胃が持たねぇよ」
「お前に胃が痛いなんて繊細さがあるわけ?」
「繊細さはねぇけどな。――竜騎士団に出向中に俺は新しい胃薬の開発をしたよ、イメル」
 溜息をつくエリナードにイメルが吹き出す。その彼らの元、ぱたぱたっと少女が駆け寄る。どうやら二人とどこかに行く、と言うのはわかっているらしい。
「メリリちゃん、俺たちとお出かけしような」
 本当に小さな子供には優しいイメルだった。小腰をかがめて少女の視線に合わせ、彼は微笑む。そんなイメルにメリリはこくんとうなずいた。
「エリィ、抱っこしてあげたら?」
「なんで俺が」
「子供は抱き慣れてるじゃない、あなた」
「別に慣れてません。と言うか、抱いてる子供の九割五分は師匠なんですが」
「子供は子供でしょ」
 にやりとしたフェリクスにエリナードは悟る。いまのは自分に言ったのではない。が、何事かを示唆されたはずのイメルはからからと笑っているばかり。示唆されなくともすでに悟ってしまっているエリナードだからこそ、メリリに手を伸ばし難いのだが。
「気にしないでいいですよ、その子はメリリです。普通の女の子ですからね、抱っこしてあげてください」
「普通の女の子を抱っこする機会自体がそうはないんですがね」
「そうですか? 星花宮にだっているじゃないですか」
 訓練中の小さな子供たち。もちろん少女もいる。が、エリナードは元々子供が苦手だ。と言うより他人が苦手だ。ここ数度の従軍経験でずいぶんと人見知りは直ってはいるのだが。
「まぁ……いいです。おいで、メリリ」
「そうそう、抵抗の無駄を悟るってのは早い方がいいぜ? したって無駄なんだからよ」
 大笑いをするカロルにイメルが首をかしげ、そしてタイラントを見やれば苦笑されていた。何かがあるらしい。が、自分にはわからない。ならばイメルがすることは一つだけ。
「一緒に遊ぼうな、メリリちゃん!」
 リオンの子供らしいが、伴侶のカロルがいいと言っているのならばいいのだろう。納得はしがたいが、恋愛問題に疎い自覚はあるイメルだった。
「イメル、お前が――」
「メリリちゃんはどっちのお兄ちゃんに抱っこがいいかなー? ほら、お前がいいってよ、エリナード」
 くくっとイメルが笑う。純真な眼差しの少女など決して信じない、と思うのは自分が同性愛者だからだろうか。そう思ってエリナードは首を振る。自分のせいでは断じてない。
「……わかったよ」
 溜息をついてはいくらなんでもこの子に可哀想だろう。そう感じるのかどうかわからなかったが。諦めて抱き上げた少女は羽のように軽く細く、頼りない。同じ年頃の少年より遥かに儚かった。
「女の子って怖いよね。なんか壊しそうで、僕はちょっと怖いんだけど」
「です。男の子だったら乱暴に扱っても平気かなと思うんですが」
「ま、大丈夫ですよ。なに、死にゃしませんからね」
「ひっでェの」
 リオンの言葉をカロルが笑う。まったくだ、思いつつエリナードは抱いたメリリと共にイメルを促す。このままここにいては本当に胃がおかしくなりそうだった。
「まずは城下に行ってー、お菓子買ってー。それからー」
 弾む足取りのイメル。長閑でいいなと思う半面、そう言うイメルだからこそ助かっている、内心で小さく苦笑したエリナードをメリリが見上げては微笑んだ。




モドル   ススム   トップへ