余っている毛糸がそれしかなかった、とエリナードは言う。だからレースのくせに濃紺だと笑う。イメルはかえって綺麗だと思っていたのだが。 「て言うか、余ってる糸?」 「うちの倉庫でもらってきたんだよ」 星花宮には様々な物品が用意されている。それこそこんな毛糸から魔術用具に至るまで、なんでもある。糸や布の類は魔術師たちが自らの衣服を用意するために必須だ。魔術師たちは呪紋を描いて己の防御と為すのだから。 余談だがその布帛も魔術師が手掛ける。暇を見て糸から紡ぐおかげで原毛から繭、綿花と山になっている倉庫だった。 「この前の演習でキャラウェイ卿に会ったんだよ」 エリナードの言葉でイメルは思い出す。そう言えば彼はしばらく前まで竜騎士団に出向していたと。もうそれも終わったのだろう。その演習でと言うことは。 「あぁ、近衛と演習があったんだ?」 そうそう、とうなずくエリナードはそのとき何があって、真相はどうだったのかをこの友には決して言わない。それがイメルの身を守ることになると信じている。 色々と、エリナードが知っていてイメルに言っていないことはあった。そのぶん、たぶんイメルも言っていないことがあるだろうとエリナードは思う。互いに相手を子供扱いしているような気がして、どことなくくすぐったい。 「そんときにさ、たまには遠足について来いって言われたよ」 肩をすくめるエリナードをイメルが笑った。エリナードは子供が苦手だ、と言っているわりに面倒見がさほど悪くはない。昔は本当に苦手で、子供が話しかけてくるだけで硬直していたような少年だったのにと思えば今でも笑いそうになるイメルだ。 「なに笑ってんだよ?」 「別にー」 けっと鼻で笑うエリナード。くすくす笑いを隠さなくなったイメル。こうやって、長い間やってきたなと同時に思ってはやはり同時にそっぽを向く。 「それでキャラウェイ卿に遠足に誘われただけ?」 こほん、と咳払いをして話を戻したのはイメルのほう。小さく笑ってエリナードは首を振る。そんなはずはないだろうと言わんばかりに。真相は断じて言えないのだから。 「思い出したんだよ。キャラウェイ卿んとこは羊飼ってるだろうが。けっこういい品質だって評判になってるだろ」 ちいさな領地だ、チエルアットは。チェル村と、チェリット村、その二つしかない。しかもチェリットには大きな森があり、人の手を拒んでいる。だから農作物より牧羊のほうが盛んな村だった。小さな村だけあって生産高はさほどでもない。そのぶん丁寧に作られた羊毛は王都で評判になりつつある。キャラウェイ卿はスタンフォードの家から離れ、その一門からも弾かれているだけあって自活する手段として彼が選んだ牧羊が大当たりしていた。 「それで?」 「だから、レース」 「はい?」 話の繋がりがまったく見えない、とイメルは不思議そうな顔をする。そして顔を顰めては嘆かわしげに首まで振る。話の組み立てが相変わらず下手だな、とでも言うように。話題が飛躍しがちなエリナードをからかってのことだった。 「なんでわかんねぇんだよ? それ、毛糸だろうが。だったら羊毛でできてんだろ。しかもチェルにしろチェリットにしろ、半エルフを嫌う要素がほとんどない。だから俺が実験してたんだっての」 「あぁ、編み図だっけ。それを渡す相手として?」 「別に渡すだけじゃねぇよ。キャラウェイ卿んとこで商売に使ってくれてかまわねぇんだ。――アルディアさんだって、それで本望だろうよ」 自分の手仕事がこうして人間の手によって続いて行くならば、きっとメロールの伴侶だった半エルフは怒らないだろうとエリナードは思う。ラクルーサ王国に仕え、人間の中で暮らしていた彼らなのだから。 「そっかー。うん、だよな。それがいいな。ちょっと楽しみかも」 イメルの旅はつらいものだったのかもしれない。ふとエリナードは内心で顔を顰める。いつになく何かがこたえているようなイメルだった。けれどそれを振り払うよう、イメルは笑って顔を上げる。 「だったらこれもキャラウェイ卿に渡しちゃうのかよ?」 まだ持ったままのレースを掲げれば、窓からの光にひらひらと透かし模様が揺らめく。純然たる手仕事なのに魔法めいていた。 「いや? それは――」 言いかけたときエリナードはふと黙った。イメルはそんな彼を黙って見ている。星花宮にあっては見慣れたものだった。 「師匠が呼んでる。お前もいるんだったら付き合えってさ」 「なに、俺も? なんだろ」 「知るか」 そっけなく言いつつエリナードはイメルの手からレースを奪った。なんだ、と首をかしげるイメルなど気にした風もなくエリナードは部屋を出て行く。目的地は。 「あれ、フェリクス師に呼ばれたって言ってなかったっけ?」 てっきりフェリクスの部屋か、そうでなければ呪文室だと思っていたイメルだった。まさかカロルの部屋だとは思いもしなかった。しかも執務室ではなく、私室だ。 「呼んだのは師匠だけどよ」 なんとなく精神に接触を受けた段階で嫌な予感がしていたエリナードだった。フェリクスは何も言っていない。ちょっと来いとしか言っていない。けれどエリナードだ。フェリクス最愛の弟子と誰にも言わしめた彼だ。フェリクスが言わなかった「何か」を感じることが彼にはできる。 「失礼します」 一応はと礼儀正しくすれば室内で笑いの気配。この場で回れ右をして帰りたくなったエリナードの隣、早くもイメルの腰が引けている。にっこり笑って強引に腕を取り、無言のままイメルを引き摺り込んだ。 「おう、来たか」 当然にして部屋の主はメロール・カロリナだ。いて当然だったし、カロルがいるのならばリオンがいても不思議ではない。そして呼び出した当人であるフェリクスがいるのも当たり前。ならばここはもうタイラントまで揃ってしまっていてもごく普通のことだと受け入れた方が早い気がしてきたエリナードだった。 「さすがですねぇ。現状認識が速い速い。いいことだと思います、私」 にこりとしたリオンに少しも褒められている気がしないエリナードだ。向こうで長椅子にかけたままにやにやとしているフェリクスに八つ当たりをしてしまいたい。そんなエリナードをタイラントがはらはらしながら見やっている。 「で、師匠。なんですか。この豪華な顔ぶれは」 多忙の上にも多忙な四魔導師だ。用もないのに一堂に会するはずもない。もっとも、「弟子で遊ぶ」と言う用事を作り出しかねないところが中々に恐ろしいことではあるのだが。 「エリィ? なにかものすごく失礼なこと考えたよね、いま」 「失礼でもなんでもないでしょう? 俺で遊ぶためだったら仕事を放り出しかねない人がなに言ってるんですか」 「……否定がしにくいね、それ」 否定しろよ、タイラントの悲鳴のような声。うるさい、カロルが怒鳴った。もちろん笑ってはいたのだけれどそれでもタイラントは身をすくめている。イメルなどどうにでもなれと言うのか、天井を仰いで黙ったままだ。 「告白しますとね、用事があるのは私ですよ、エリナード。あなたはフェリクスの弟子ですからね。筋を通すために彼に同意を求めたわけでして」 リオンの言葉に若干嫌な顔をしたエリナードだった。なにしろ原因はすでに視界に入っている。懸命に無視しようと努めているのだが。 「ちなみにイメルは僕からの推薦。エリィ一人じゃ可哀想だからね、あなた、うちの子の友達なんだし。付き合ってあげてくれるよね?」 にっこり笑う悪魔にタイラントが必死になっている。イメルに黙って承諾しろと言わんばかりの眼差し。師の涙目を見るまでもない、イメルもまた諦めていた。 「あー、はい。喜んで付き合いますとも、フェリクス師」 「なにそれ。すごく不満そうだけど?」 「これで本気の大喜びしてたら俺はイメルの正気を疑いますよ。――で、リオン師。用事は、その子ですよね?」 部屋に入ったときから見えてはいた。ここに来て覚悟が決まる。避けようもない、これは天災に等しい事象だと。内心の溜息を見透かしたリオンが小さく笑った。 「そのとおりですよ。可愛いでしょう?」 ひょい、と隣に座らせていた幼い女の子を彼は抱き上げる。ちょうどフェリクスがよく変装に使っている自分の幼いころの姿と似たような年頃だろうかとエリナードは思う。ならば彼女は七歳くらいか、その前後か。 「まぁ、可愛いです」 エリナードの言葉に少女は目を細めて笑った。声は出さず、まるで淑女のように微笑む。それが意外で、その途端だった。エリナードの背筋に痺れが走る。ちらりとフェリクスを見やればにやりとされた。つまり、いま気づいたのは事実と言うことか。溜息が深くなったエリナードに気づきもせずイメルは可愛い子だと笑っていた。 「ちょっとね、この子の面倒を見てほしいんですよ。あぁ、ご心配なく。別に魔法の修行をさせろとかではないです。色々と見せてあげてほしいな、と言うことでして」 「その、色々の内容にもよりますが」 「そう警戒しなくてもいいですよ、エリナード。あなたに何か不都合が起きればフェリクスに叩きのめされるのは私ですしね」 反撃はしますけど。言い添えたリオンは満面の笑みだ。イメルと二人、顔を見合わせてあからさまに溜息をつきあう。 「可愛い子だよな、エリナード。それで諦めろ」 「お前はいいけどよ、それで。可愛い女の子、大好きだろ」 「ちょっと待て!? それだと俺がものすっごい危険人物に見えるだろ!?」 「だって言ってたじゃん。お兄ちゃん大好きとか言われたらめろめろかもー、とかさ」 「いつの話してんだよ、エリナード!?」 今となってはずいぶんな昔話だ。北の薬草園で出会った少女はエリナードが会ったこともなかった彼の妹だった。それを茶化して笑い話にできる彼を思いつつ、イメルはけれど悲鳴を上げる。なにしろタイラントがそこで嘆かわしげに首を振っている。 「違いますから、師匠! 誤解ですから!」 「まぁね、俺は人の恋愛はどうこう言わないよ。それはそれでこの世界のあるべき姿の一つだと思うから。でもイメル。子供はよくない。それだけは君の師匠として止めるからな、覚えておけよ?」 「だから違いますから!?」 完全に悲鳴になったイメルの抗議に少女が驚くかと思った。けれどエリナードは意外なものを目にした。少しも驚いた様子のない彼女。楽しげにイメルとタイラントの様子を見つめていた。師の同意がなくともきっとこれで確信しただろうと思えばやはり、溜息も出なかった。 |