彼の人の下



 イメルが戻ったのは夏の終わり、秋風が立ち始めるころだった。今回は久しぶりにラクルーサの北部を周ってきた彼だった。気がかりはあるものの、中々に面白い歌も仕入れて結構な収穫だったと機嫌がいい。
「ただいまー」
 長閑な声にエリナードは顔を上げる。旧友と言うべきか仲間と言うべきか、はたまた兄弟と言うべきか。イメルの旅に明るい顔がそこにはあった。その奥に一瞬だけエリナードは暗さを見る。だがイメルが隠したいことだとすぐさま悟るだけの時間を二人はすごした。
「おう」
 普段ならば片手を上げるところなのだけれど、生憎と仕事中で手が塞がっている。それにイメルが苦笑して、帰ってきたばかりだというのに自ら茶を淹れてくれた。
「喉乾いててさー」
 言いながら笑うのは少し照れるせいか。言えば言うだけ、そちらのほうが恥ずかしいとエリナードは思うのだけれど。
 イメルとも長い付き合いだった。この星花宮に引き取られて以来、彼とは何かとずっと同室だった。少年時代にはもっと大勢で寝起きしていたのだけれど、だんだんに数が減り、今となってはイメルと二人部屋だ。
「お前いい加減に自分の部屋もらえよ」
 エリナードが苦情のよう、冗談を言う。イメルが肩をすくめて、それでも少し情けなさそうな顔。本当は迷惑だったかな、とでも言うような。そんな顔をされてはエリナードも苦笑するしかない。
「いいじゃん、別にさ。お前が嫌なんだったら出て行くけど?」
「別に嫌じゃない。と言うか、今更誰かと寝起きするよりお前のほうが気が楽だし」
「とか言って、ほんとはお前だって寂しいんだろー」
 茶化すイメルにエリナードは無言。否、小さく口の中で何事かは呟いたらしいとイメルは知る。何を言ったのかもわからなかったけれど、結果として言ってはいたはずだ。なにしろイメルはいまこの瞬間、ずぶ濡れになっているのだから。
「お前な!」
「変なこと言うお前が悪いんだろうが!?」
「そんなに変じゃないだろ!」
「充分変だわ!」
 言い合いながら、自分たちがどれほど子供じみた言い合いをしているのか二人同時に気づいたのは幸いだった。そっぽを向きあって、ついつい相手の顔色を窺う。そして同時に苦笑に出会う。
「俺はやっぱりお前と一緒のほうが楽だしさ」
 ぷい、と再びそっぽを向いたイメルの言葉。エリナードは彼なりの心遣いだと知っている。旅に出ていたイメルではある、が、彼が知らないはずもない。
 同期の中でまだ弟子の身分でいるのはエリナード一人きり。オーランドも、ついにはミスティまでもアイフェイオンの名を得た。一番早くに名を得たイメルは、けれどその日からずっとエリナードと同室のままでいる。
「俺はまだまだ友達と一緒の方が楽しくってさ」
 星花宮には呪文室も工房もいくらでも空いているのがあるのだから個人用のそれを持つよりこうして共に顔をあわせて他愛ないことを言い合える友がいる方がいい。イメルはそう思う。率直に言うのはきっと。
「だから、そういうことを言うんじゃねぇって言ってんだろうが!?」
 こうやってエリナードが照れて怒るから。それが見たいのかもしれないと思えば中々趣味が悪いと思い、イメルは慌てて首を振る。
「なんだよ?」
「いや、ちょっと。旅が長かったせいかな。妙に懐かしくって連想がおかしな方向に行きかけた」
「お前がおかしいのはいつものことだ」
 ばっさりと切って捨てられ、けれどイメルは笑っていた。それを見てはエリナードもいつまでも渋面は作っていられない。
「それでさ、エリナード。お前、何やってんの」
 せっかく淹れてやった茶も飲まず、せっせとエリナードは仕事に励んでいた。どう見ても、魔術師の仕事ではないものに。
「あ? 編み物してんだよ、編み物。見りゃわかんだろ」
「お前が編み物してんのが気持ち悪いんだって!」
「……気持ちがわかっちまったじゃねぇかよ」
 むつりと言って、しかしエリナードは吹き出す。自分でもあまり似合っているとは思っていないらしかった。
「それにしてもさ、なにその編み針。刺せるよ、それ!」
「たまに爪の間刺すぜ?」
 聞いた途端にイメルが顔を顰める。呪歌の使い手でもあるイメルは、星花宮の鍵語魔法の使い手たちより共感能力が高いらしい。他人の痛みを如実に想像してしまう彼だった。
「だいたいさ、毛糸だってそれ、縫えるだろ。ていうか、縫い物用の糸だよな!?」
 だがイメルはさっさと立ち直る。それもまた、呪歌の使い手らしい。共感はする、けれど引きずられ過ぎはしない。それが必要なことらしい。鍵語魔法のみを操るエリナードには理解できないことだった。
「まぁ、縫えるな。でも一応は編み物用の毛糸だぜ」
「だからさ、エリナード。なんでお前がそんな気色悪いことしてんだよ」
「――この前、塔で編み図を見つけたんだよ」
「はい?」
 塔と言うのだから、イメルには言われなくともリィ・サイファの塔のことだというのはわかる。わからないのは塔で、編み図を、見つけたという事実のほう。首をかしげることも忘れたイメルをエリナードが笑った。
「師匠の話じゃ、メロール師が残したものらしいな」
「はぁ、半エルフかぁ」
「正確には、メロール師の連れ合いのアルディアさんがやってたらしいけどよ」
 またもイメルがぎょっとした。イメルもまた星花宮が誇る優秀な若者の一人だ。話だけであったとしても、メロールとアルディアを知らないわけではない。どういうわけか塔で彼らの肖像を目にしたことはない、と言っていたが。
 そして仄聞する二人の姿として、メロールならばあり得る、とイメルは思ったのだろう。なにしろアルディアと言う人は優美な半エルフにもかかわらず、メロールの擁護者でもある優れた武具の使い手だ。あのシャルマークの四英雄に数えられるサイリル王子が手ほどきをしてそのすべての技術を伝えた、と言うのだから本物だろう。
「剣を取る手で、編み物? 意味がわかんないんだけど……」
「あのな、イメルよ。それを言うんだったらな、なんで俺ができると思ってるよお前」
「わかんないから気持ち悪いんだろ!」
「考えなくってもわかるだろうが。師匠だよ師匠。あの人は編み針持てるぜ。つか、けっこう巧い」
 息が抜けたままイメルが硬直した。エリナードは鼻でせせら笑う。実はその事実を知ったとき自分も同じ気分だったのだが。
「似合いすぎて、俺は怖い」
「てか、そっちかよ!?」
「え、違うの?」
 きょとんとしたイメルをエリナードは大きく笑った。それでも手は動かしているのだから大したものだった。
「そう言えばさ、なんで魔法でやらないわけ? できないわけないだろ、お前にさ」
 なにも魔術師だ。手で編み針をちまちま動かす必要はないだろう。実際イメルもエリナードが魔法で編めることは知っている。少年時代、彼は鍛錬の一つとして繰り返していた。イメル自身は糸を編むより織る方が好みでそちらばかりやっていたけれど。そんなイメルにエリナードはにやりとする。
「俺が必要なんだったらそうしてる。こりゃ常人用に試してんだよ」
 どう言うことだ、と首をかしげるイメルにエリナードは少し待て、と言いおく。ちょうど出来上がりかけていた。最後を編み上げ、やっとのことで強張った体をほぐす。
「ほれ、そっち持てよ。――でな、せっかく塔で見つけてもよ、俺らが持っててもそんなに活用してないだろうが。だったら必要な人んところにやったらいいって師匠が言ってな。でもよ、やるのはいいけど」
「あぁ、元が半エルフの作ったものだし。常人の手に負えるかお前が実験?」
「そう言うこと」
 なにしろ寿命がない人々の手仕事だ。手の込みようが半端ではない。イメルなど改めて持たされたものに視線を落として身を震わせている。
「お前だってこう言うの、得意には思えないんだけどなー」
「苦手だぜ。だからいいんだよ、根気の鍛錬になる」
 苛々としながら針を動かすのは訓練の一環だ、言ってのけたエリナードをイメルは少し眩しそうに見やった。何をしても、たぶん彼にとっては生きていることそのものが魔法のため。己の魔道のためにこそ、彼は生きている、イメルはそう思う。
「なに見てんだよ?」
「別にー。……って、うわ!」
「注意力が散漫ですよ、イメル師」
 にやりと笑ってエリナードが茶化す。そんな風に呼ばれるのが非常に不満なイメルと知ってこそ。膨れて見せるイメルをエリナードは大きく笑った。
 その間にも二人の間で広げられた編地はしっとりと濡れて行く。片側をイメルに持たせたままエリナードはどこでもないどこからかひょいひょいと編地を留めて行く。あっという間に空間に編地が広がる。そしてエリナードが一言呟くなりさっとそれは乾き、瞬きの間にイメルの手の中、見事なレースが落ちてきた。
「うわ、ふわふわだ! 綺麗だなぁ。お前がやったんじゃなかったらもっと感動できたんだけどなー」
 気持ちはわかる、とばかりうなずくエリナードにイメルはちらりと笑う。本当のところがきちんと伝わっている、そう思う。
「なんだよ、これ。レースで波模様?」
「っぽいよな? たぶんそうだろうと思うぜ」
「でもさ……、常人で、半エルフの模様でも作りたいって言う人、いるかな」
 ぽつんとしたイメルの言葉。エリナードは実感を持って聞く。自分のそれではない、彼の。旅に出ることの多いイメルだからこそ、外の世界はエリナードよりよく知っている。その彼が言った言葉に真情が入っていないはずはない。魔術師すら排斥されかねない現代で、半エルフとなればさらに。
「いるぜ」
 だからこそあっさりと言ってのけた。イメルがいまでもまだ幸福な場所はあると信じられるように。この大雑把な友が意外なところで意外と繊細と知るエリナードだった。
「どこ、だよ……」
「そりゃ、チェル村」
「……あ!」
 ぱっとイメルの顔が明るくなった。見ているエリナードのほうが気恥ずかしくなるほど。そっぽを向けばからかわれるとわかっているから、エリナードはにやにや笑いを崩さない。それに気づいているよとばかりイメルが片目をつぶって見せた。




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