昼も近くなってようやくエリナードは現れた。それに二人は驚く。正確に言えばエリナードにではなく、フェリクスに。あえて言うならば二人の姿に。エリナードは爽やかな若葉色の胴着に飾り帯代わりの銀鎖と言う華やかさ。フェリクスのほうはと言えば水色の胴着それ自体はあっさりとしたものの、袖は薄く透ける布地。それが幾重にも重なって、腕の形だけが浮かびあがっている。そこに蘇芳色の飾り帯ときたのだからワイルドなど唖然とするばかりだ。 「商売替えでもするつもりか?」 青薔薇楼と言う娼館にこれ以上ないほど似合いすぎていて頭痛を覚えるほど。ロレンスもまた二人を見つめていた。こちらは美しさへの感嘆、と言ったところか。 「ここに来るんだったらこう言うのを着てた方が目立たないんだよ」 「目立たない?」 「僕は元々花街の監査役と言うか、顧問みたいなものだからね。三月に一度くらいここに来てる。だから今日も正面切ってきたわけ。その方が目立たないってのはそう言う意味」 不機嫌そうなフェリクスだった。疲れているのだろう。目の下に隈が浮かんでいないのが不思議なほど。ふとワイルドは気づく。 「エリナード。お前、泊ってたんじゃないのか? 星花宮に戻ってたのか」 言った途端、エリナードが顔を顰める。そんな弟子を見上げ、フェリクスがにやりとした気がした。何か失言をした気がするものの、ワイルドはそれどころではなかった。 「ロイのところ? あの子はいい子だよね。エリィ、お小遣いは足りてるの、ちゃんとお財布に入ってる?」 「……いただいてる俸給でやりくりできてますよ、ご心配なく」 「花代がなかったら言いなよ。それくらいいつでもあげるからね」 師にそんなことを言われるエリナードが哀れになったワイルドだった。目顔で詫びれば疲れたような眼差し。長々とエリナードは溜息をついていた。 「師匠。本題に入りましょうよ。戯言ぬかしてるほど暇じゃないでしょうが」 「まぁね」 本題があったのか、とロレンスは驚いた。そして驚く自分を叱咤する。ないはずがない。ワイルドと想いを確かめあって浮かれすぎている自分だと気づいては恥ずかしくなる。何食わぬ顔をしてエリナードが茶の支度をしていた。その茶菓が調ったころ、おもむろにフェリクスが口を開く。 「いま、御前会議をしてるよ。月例のね。いつもどおり――だと誰もが思ってると思うけど」 ロレンスはぴりりと背筋に走るものを感じては姿勢を正す。その姿にワイルドもまた。ワイルド自身は御前会議など雲の上の出来事で見聞きしたことが一度もない。ロレンスは参加したことすらあるかもしれない。横目で見やればこくりと彼がうなずいた。 「いま、カロルが近衛がやらかした事故のことを報告しはじめたよ」 「いま?」 「僕がカロルの目を通して見てる」 竜騎士団でエリナードとミスティが似たようなことをしていた。精神の接触と言っていたか。二人は思い出し、うなずきあう。手段云々ではなく、なにが起こっているかだけを理解できれば問題はないとばかりに。その騎士たちを見やるエリナードの目が優しかった。 「あなたが『殺された』事故のことだけどね。剣に魔法がかけられてたって、近衛が連れてきた神官が言ったでしょ? あれに基づいて星花宮で調査をしてたんだけど」 フェリクスは言う。今更という気はするが、剣に魔法をかけさせたのはホーンウィッツの分家だと言う。そこから本家に渡り、近衛騎士団に随行していた一門の従士に手渡され、ある騎士が殺害を実行する予定だった、と。星花宮が「話を聞こう」とした矢先、その騎士の家は召使に至るまで皆殺しにあった。足らない死体が一つ、あったらしい。 「予定だった? これは異なことを伺う、フェリクス師。ワイルドは殺されたはずだが」 「それが手違いでね。元々殺されるはずだったのはあなたのほうだよ、ロレンス」 「……納得できるのが腹立たしいな」 「魔剣なんてそうそう簡単に手に入るものじゃないし、そう言うことができる魔術師はたとえ市井にいても僕ら星花宮が把握してる。その辺をホーンウィッツ伯爵は舐めてたみたいだけど」 「こう言ってよければ、ですがね。隊長に気を取られてる隙に閣下も殺しちまえってところだったんだと思いますよ。はじめの襲撃事件からして第一目標は隊長だったにしろ閣下を巻き込めば効果的な上に目立たない」 「杜撰な計画もあったものだ」 「そう言う人ですからね。昔、俺が事故に合わせられた時にもこんな感じでしたから。魔剣だ魔術師だってなれば我々への排斥が酷くなる。喜ぶのは誰って話ですね」 肩をすくめるエリナードにロレンスは怒りを覚える。なぜそんな男が野放しになっていたのかと。宮廷への幻滅が酷くなった気がした。 「ホーンウィッツにとっては、それだけあちらが大事で、あちらがそれくらい頼りないってことなんだろうけど」 「そうですかねぇ? あちらが大事って言うより、もう一度引き立てられて権力万歳したいだけって気もしますけど」 「否定できないのが忌々しいよね」 師弟が溜息をつきあう。ワイルドとロレンスも同感だった。ただ、ロレンスはちらりと思う。年の近い王子のことだった。王子はいずれ王冠を戴く。そのときこの国はどうなってしまうのだろうと。いずれ自分にはもう関係がないことだった。それでもこの国に暮らす者として不安ではある。 「戻りたいか?」 「なにを、急に。私はこの国がどうなるのか、それが少し怖いとは思った。が、同時にあれに仕えることはなくて安堵すると言うのが正直なところだったんだ」 「……あれはないだろう、あれは」 「結局、裏で糸を引いていたに決まっている。一伯爵家が一門総動員して起こす事件にしては事が大き過ぎる」 「そのとおりだね。証拠は……ないけどって言いたいけど、あるんだけど、ないことにしておいた方がいいからないって言うけどね。まぁ、そう言うことだよ」 聞かなければよかった。ワイルドはぞっとする。しかしロレンスの言葉どおりだった。すでに遠いどこかの話のよう。所詮は下級騎士の身とあってはどうあっても遠い世界の話でもあったのだが。 「あ、爆発した」 フェリクスがぽつりと言う。ぎょっとしたのは騎士たちだけ。エリナードはまたかと言わんばかりに天を仰いでいた。 「違うからね、エリィ。カロルじゃない。公爵だよ、公爵。ロレンスのお父さん」 「はい!?」 「ホーンウィッツに食ってかかってるね」 なんでそんな話になった、とぽかんとしたのはやはりワイルド。状況がまったくわからないながらロレンスにはどことなく見当がついた。これは、政治だ。何か使える物がきっと父にはあったのだろうと。そんな彼にフェリクスが目でうなずく。 「あなたを殺したのはお前かって責めてるよ」 「なぜ、そんな話に? 私は修道院で死んだのだが」 「そこにホーンウィッツの手の者が入り込んだって話があってね」 「――それを密告したのは星花宮ですが」 ぼそりと言ったエリナードにワイルドが力ない笑いを浮かべていた。まったくもって魔術師たちは恐ろしい。星花宮を敵にまわすは身の破滅だと。ロレンスもまた苦笑していた。それがきりりと引き締まる。 「修道院に入り込んだのはマケインって言うんだけどね?」 「待ってくれ、フェリクス師。それは、あのマケインか!? あまりにも危険だ、そんなことは――」 「もちろん幻影だよ」 「それにしても。いまはあいつも身を隠しているんだろう? よけいに――」 「あのね、こんなこと本人に無断でやっちゃだめでしょ。マケインには話を通してあるし、それでロレンスの助けになれるならって泣いてたよ。――後悔してるんだよ、物凄く。あと、彼は星花宮で面倒見てるよ。放り出したら本当に危ないからね」 ぽんぽんと言うフェリクスにワイルドは言葉がなかった。ありがたかった。マケインを使われたことに激昂してしまった自分が恥ずかしくなる。あの優しく頼りがいのあった男を星花宮は見捨てていない。感謝しても足りなかった。 「言葉では表しようがないが、フェリクス師。ワイルドに代わって感謝する」 「どういたしまして。僕らも助かってるからね、お互い様だよ、気にしないで」 そっぽを向いたフェリクスをにんまりとエリナードが見やった。そして殊更めかしては身を乗り出し、二人に向けて内緒話のよう小声で言う。 「照れてるんですよ、可愛いとこあるでしょ?」 言った途端にエリナードがなぜかずぶ濡れになっていた。それを彼が大笑いするのだからやはり、魔術師とは不可解だ。溜息をついたフェリクスが何かを呟くなり、きれいに水気は消えていた。 「ほんとエリィ。可愛くないよ」 「それでも俺が可愛いでしょ?」 「そう言うとこ、誰に似たのかな?」 「息子は親父に似るもんですよ」 ふふん、と鼻を鳴らしたエリナード。ワイルドとロレンスは見てはならないものを見た気がした。ほんのりと頬を染めたフェリクスの姿。慌てて目を瞬けば何もなかったかのよう彼は平静だった。 「それで。公爵はその情報を元にホーンウィッツの謀殺に違いないって訴えてるね。――身の回りに危険が迫っているから一時修道院に身を隠すとアルバートは申した。父上はともかく、母上の身になにかあったならばいかがなさると言われては私も同意せざるを得なかった――って言ってるね」 「それは誰の話だ? 私はそんなことは言っていないな。まぁ、どうでもいいが。父にとっては使える話題だっただけだろう」 苦笑するロレンスにそれでいいのかとワイルドは問う。ロレンスはただうなずいただけだった。父と言い息子と言う。けれど政治の前ではそのようなものだと。 「あなたを殺さざるを得なくなってね、マルヴィナにだけは申し訳なかったと、思ってるよ」 ぽつん、としたフェリクスの声。親友の孫だから手助けは惜しまないと言った彼だった。ならば親友の娘であるロレンスの母を悲しませたことをフェリクスはどれほど悔いているのだろう。 「母は、信じていないのでは? きっとどこかで生きている、そう思っているように思いますよ、フェリクス師」 気に病まないでほしい。ロレンスは言う。きっと誰も不幸にはなっていないからと。ロレンスの言葉に小さくフェリクスがうなずいた気がした。 「――あぁ、陛下が独り言を言ってるね。これで決まりだ。甥は殺されたかって、ぼそっと言ってる」 ロレンスにはその場が見えるようだった。ホーンウィッツはこれで終わりだ。国王の正式な裁定ではない。が、国王自身に断罪されたも同然。 「とりあえず、これでおしまいかな。あなたがたも星花宮も、ひとまず難は逃れたってところだね」 証拠あげに密告まで。フェリクスとエリナードはそれこそ働き詰めだったのだろう。長々と吐く息には疲労がたっぷりと漂っていた。 |