彼の人の下

 竜騎士団において執り行われたワイルドの葬儀より十日。団長執務室でエンデが暗い顔をしていた。当然だろうとエリナードは少し、申し訳なくも思っている。
「ロレンスがな――」
 事故の報告を受け、公爵家の子息であるロレンスは葬儀より一時生家に戻っていた。安全のため、と言うことらしい。エンデはそう言うものだろうと思っていたがまさかと思った。
「うちを離れる、らしい」
 あれは近衛の不始末であって竜騎士団は被害者だ。言い募ることはできたかもしれないが、無駄でもある。相手は公爵家だ。これと決めたものを覆す意味がない。まして竜騎士団は下級騎士の集団だ。
「そう、ですか。残念です」
 エリナードの隣でミスティも黙然としていた。二人は事情をもちろん知っている。だからこそエンデに対して申し訳ない。それを告げられないからこそ、そんな顔をするしかない。
「何やらな、政治的な色々というものらしい。うちみたいな騎士団じゃあロレンスを守るのは難しいからな。致し方ないことではある」
 苦笑と共に言ってエンデは溜息をつく。団長として、ロレンスの指揮能力を誰より買っていたのは彼だろう。いずれ遥かな高みに上り、騎士たちを指図する様まで思い描いていたのかもしれない、エンデは。
「私のところにとんでもない噂話が聞こえてきたからな。更にとんでもないことが起こっているんだろうよ」
「と言うと?」
「まだ知らなかったか? ロレンスはサール神の修道院に入ったそうだよ」
「……はい?」
「すでに一介の修道士となった、と聞く。ほらなぁ? 突拍子がないにもほどがあるだろう」
「だから、これよりわけのわからない事実があるらしい、と。なるほどねぇ」
 うなずくエリナードにエンデは肩をすくめる。ずいぶんと憔悴してしまっていた。それだけここ数日のことが彼には衝撃だったのだろう。
「サール神の修道院、ですか? 右腕山脈の中腹にあったかな、そう言えば……。あそこだろうか、エリナード。知っているか」
「思い当たる修道院はそこくらいだけどな。ロレンス閣下が行ったのがそこかどうかまで知るか。他にもあるだろうが、修道院は」
 文句を垂れるエリナードと不満そうに口をつぐむミスティ。エンデは二人を苦笑しながら見ていた。星花宮すら知らないうちに事は運ばれていたのかと。それならば竜騎士団が関与する間もなかったのも致し方ない。忌々しくはあるが。
「惜しいよ、ロレンスしかり、マケインしかり」
 マケインは、人知れず姿を消していた。近衛界隈ではマケインがワイルド殺害の首謀者側だったのだと噂されたらしいが、エンデは決して信じない。
「あれは、ワイルドのために生きて働いているような男だったからな。ワイルドが死んで、ここにいる意味を失くしたんだろう」
 竜騎士団では、そう言われている。たとえそれが近衛への反感からでもかまわない。あの若い近衛騎士は結局お咎めなしだったと仄聞する。それゆえに、竜騎士団ではマケインが悪く言われないのであってもかまわない、エンデは思う。
「マケインは、素晴らしい騎士だったよ。――どこかで、生きていてくれるといいが」
 ワイルドを追ったりしていなければいい。そう思う。エンデの真情に二人の魔術師は黙って頭を下げた。自分たちもそう思うと。
「お前たちもだぞ?」
「何がです? 俺たちはけっこう元気ですが」
「だが、ここを離れることに違いはない。こうして言葉を交わすこともなくなるだろう」
 だから、元気でいろ。エンデは言う。元気でいてくれれば会う機会もあるだろうと。団長の言葉に魔術師たちは顔を見合わせ、小さく笑う。くすぐったそうな笑顔だった。
 今日、エリナードとミスティは竜騎士団を離れる。元々試験的に運用されていた魔術師との連携だ。一旦ここで終了を見た。それだけのこと。近々星花宮から新たな魔術師が、今度は本格的に竜騎士団に参加することになる。次は二人とも魔導師級になるだろう。
「とはいえ、お前たちと訓練をしてきたからな。特にエリナード、お前は若い者たちから慕われていたぞ。ミスティはずいぶんとベイコンに買われていた」
「なに、次に来るのはもっと腕の立つ人たちですよ、心配はいりませんて」
「でもお前たちではないからなぁ。なんとかならんのか」
「無理ですよ、俺は弟子なんですから。ミスティだって偶々こっちにいる間に一人前になっちゃっただけで」
「なっちゃった、とはなんだ。なっちゃった、とは!」
「でもそんなもんだろ?」
「遺憾ながら」
 文句を言っていた割にミスティはあっさりとうなずく。こうやって二人の真面目なのか不真面目なのかわからない会話を聞く機会も失われる。竜騎士団が変わっていく。ワイルドが死に、マケインが消え、ロレンスがいなくなった。そして魔術師たちも。エンデはそこはかとない寂しさを感じていたのかもしれない。積み上げてきたものが崩れ去るような、けれどまた新たに積み上げて行く、そんな儚さと裏腹の強さもまた。
「星花宮も、竜騎士団も、陛下の剣であることに違いはありません。いずれまたお目にかかる機会もあるでしょう」
 それがミスティの別れの言葉。エンデは重々しくうなずく。立ち上がり、手を差し伸べれば固い握手。引き締まった魔術師の顔に頼もしさを見る。
「体に気をつけてくださいね。仕事が増えて大変でしょうし」
 エリナードが軽やかに言う。思い出させるな、とエンデが顔を顰め、やはり手を握った。温かな、繊細な彼の手。そして二人の魔術師たちは竜騎士団を後にした。

「ロレンス卿はサール神の召命を受けたらしいですよ。葬儀から生家に戻らず一直線に修道院入りしたらしいです」
「そう、か……」
「あそこの修道院は瞑想に重きを置いてますからね。修道院から出ることもないでしょう、おそらくは二度と」
「それほど――。いや、なんでもない」
 青薔薇楼だった。竜騎士団に離任の挨拶をした直後。エリナードは星花宮に一度戻り、誰にも知られないようここまで跳んだ。
 ワイルドはいまだ寝台にいる。傷が重いせいと、彼の心の問題だ。思いわずらっているのが誰にでも見てとれるほど彼は沈んでいる。元々体の傷を魔術師たちは魔法で完治させようとはしなかった。せいぜい生命に支障がない程度まで癒しただけ。タイラントの呪歌、あるいはリオンの神聖魔法があれば瞬く間に治癒しただろう。けれど彼らはそれをしない。ワイルドは一度深い傷を負っている。槍の穂先をその身で受け止めロレンスを庇った、あのときの傷だ。すでに治った傷ではあるけれど、頻繁に魔法で癒すのは身体のためによくない、それが魔術師たちの決断だ。おかげでワイルドはじくじくと痛む傷に悩まされているのだけれど、本人は実際のところそれどころではなかった。
「それ、なんです?」
 知らない顔をして笑って尋ねるエリナードにワイルドは青くなる。手の中に握り込んだもの。あの朝、目覚めたときに見つめた在り得ないもの。
 なにかとても良い夢を見たとワイルドは思った。喉が渇いて枕元の水差しから水を汲もうと手を伸ばす。その指先に触れたロレンスの印章指輪。見忘れるはずもないものが、なぜここにある。呆然と手に取って、どれほど眺めていただろう。
 夢か、幻か。それとも現実か。現実ならば、どこからどこまでが現実なのか。ワイルドは、自分が言ってはならないことを言ってしまった覚えだけは、あった。それだけは、忘れようもなかった。その日からずっとロレンスの指輪を彼は握っている。離せなかった。ただ、怖くて。
「なんでも、ないさ」
 それだけをエリナードに言い、また手の中に握り込む。ワイルドはそしてようやく顔を上げた。目の前のエリナードをじっと見据える。
「聞きたいことがある。いいか」
 もちろん、と微笑む若き魔術師にワイルドは惑わされない。この笑顔の裏側で彼はどれだけのことをしてくれたのか。
「ロレンスが、ここに来たな? なぜだ。あいつは俺が死んだと思っていたはずだ。思い続けるはずだった。俺は二度とあいつの前に顔を出すつもりはなかったし、それでよかった。なんでだ。エリナード。どうしてあいつを連れてきたりしたんだ」
「一つ言っていいですか、質問の答えの前に? ――あのね、隊長。それを言うまでにあなた何日かかってるんですかいったい。ほんっとに、もう!」
「何を言っている、お前は」
「現実の認識が遅いって言ってるんですよ。ほんと、苦労するわ、これ。――なんでロレンス卿をお連れしたか? そんなもん決まってるでしょうが。あそこまで嘆かれて俺にどうしろって言うんです。所詮、俺は当事者じゃないんです。どんだけ慰めて忘れろって言っても聞く耳なんか持ちゃしませんよ」
「嘆く?」
「それも覚えてないんですか、気にしてないんですか。どれだけ鈍いんだかなぁ、もう。ここに来たとき卿は泣き腫らして目なんか真っ赤だったでしょうが。あの顔で笑われてごらんなさいって。両手を上げて降参する以外にどうしろって言うんですか」
「笑う?」
 単語しか出てこないようなワイルドにエリナードは肩をすくめる。あの晩どんな話をロレンスとしたのか、改めて話してやればみるみるうちに青くなっていくワイルド。そんな顔をするくらいならばさっさと覚悟を決めればいいものを。と思っても言わないエリナードだった。所詮、当事者ではない自分。それを彼は弁えていた。
「後追いするんだって笑って言うような状態でしたからね。これは本人に説得していただくのが一番でしょうし、それ以外にどうしろと?」
 眉まで上げて言ってみせたエリナードにワイルドは言葉もなかった。じっと手の中に握り込んだ指輪を見ている。ロレンスの手にあったもの。なぜここにあるのかは、わからない。
「もしかしたら――」
 サール神の召命と言うのは真っ赤な嘘で、修道生活に入ってまで自分から逃れたかったか。そんなことをワイルドは思う。ロレンスは、修道士となって、ミオソティス公爵家からも逃れた。すでに彼はアルバート・ロレンス卿ではなく、修道士アルバートだ。だからもういらないこの指輪を、置いて行ったのかもしれない。ワイルドはそう思う。
「あぁ、師匠から連絡です。サール神の修道院からの報告らしいですね。修道士アルバートが死去したとのことです」
 宙に視線を投げていたエリナードの言葉、声。ワイルドは聞こえなかった。聞くのを拒んだとしか思えない。小さく呟く、ロレンスと。エリナードこそ聞こえないふりをした。




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