マケインはまるでミスティに連行されるかのようだった。背を丸め、とぼとぼと行くその後ろ姿。ロレンスはエリナードの手を振りほどき、けれどじっと見送る。悔しいとも怒りとも違う。こんな感情をなんと名付ければいいのかロレンスは知らない。 「さて、と。これでとりあえず片はついたかな……」 長い溜息はエリナードのもの。どこがどう落着したのかロレンスは聞かせてほしいと思う。否、聞きたくなどなかった。犯人が捕まろうがマケインが汚名を被ろうが、ワイルドが死んだ事実はどうあっても変わらない。 「閣下ももう遅いですよ。あんまり嘆くと体に障ります。少し眠ってください」 少し困ったようなエリナードの声。ロレンスは聞き流す。棺の中をじっと見ていた。色を失った、ワイルドの亡骸。どことない苦笑はもう二度と見られない。 「……私のことは」 ぽつりと呟く。エリナードが隣に来ては首をかしげる気配。ほんのりとしたぬくもりめいたものが伝わっては来る。けれど熱くはない。ワイルドのようではない。 「マケインのことは、前から聞いていたのか?」 「前ってほどでもないですね。演習の通達があってから、くらいかな。大事にはできませんけど、使える手はなんでも使いましたよ。急ぎでしたし」 「そう、か……」 それほどマケインは一門の末端だった、と言うことだろう。そこまでして、ホーンウィッツはワイルドを抹殺にかかってきていた、と言うことなのだろう。 「意味が、わからない。なぜだ? どうして、ワイルドが――」 庶子の子でしかないワイルド。そこまで徹底してなぜ叩き潰そうとする。所詮は下級騎士でしかないというのに。 「それだけ、あちらが愚物だってことですよ」 冷ややかなエリナードの声。ロレンスはのろりと彼を見た。その眼差しにエリナードは息を飲む。強いて冷静さを取り繕ったけれど、ロレンスは気づきもしなかった。 「次は閣下ですよ。言うまでもないでしょうが周囲にはお気をつけて。まぁ……公爵様が手を打ってると思いますがね」 思うとは言ったものの、エリナードはすでにロレンスの父公爵がそれなりの手段を講じていると知っていた。ロレンスは守られている、充分に。 「私のことは……。マケインのことは、気にしていたのだろう? なら、私のことは……なにか……」 途切れ途切れの言葉。ロレンス自身、なにを言っているのか理解していないのではないだろうか。覗き込んだエリナードにも気づかないロレンスにエリナードはそっと眉を顰める。 「なにか、聞いていないのか、お前は」 紫めいた目が、泣いていたせいだろう、少し赤い。見ていられなくて視線を外すエリナードの向こう、また涙がこぼれた。 「特には、なにも」 「変わったことでなくともいい。なんでもいい」 「訂正します。何も聞いてませんよ、閣下のことは」 断言すれば、小さな声。笑ったのかとエリナードは思う。胸を掴まれるようで、腹立たしくてならなかった。 「なら、いいか……」 なにがだ。問おうとしたときにはロレンスが自らの剣を抜いていた。またも慌てて止める羽目になる。揉みあう二人の間で剣が落ちた。 「何してんですか、閣下は!」 「だって! いいだろうが、別に! なんでだ。どうしてワイルドがいない!? 死なないと誓った。ここにいると誓った。私の友であると言ってくれた! ワイルドが、なぜこんなところにいるんだ!」 痛そうな音がした。棺を殴りつけたロレンスの拳をエリナードは溜息まじり手に包む。血が滲んでいた。 「だからって後追いはなしですよ」 「せめて、ついて行きたい……。マケインは最後の旅の供をすると言った。それを私が代わってなにが悪い」 「悪いに決まってるでしょうが。公爵閣下のご子息が、下級騎士の後追いしてどうするんですか、まったく」 こんなところにまで傷薬など持ってきていない。顔を顰めてエリナードは血止めをするだけだった。それでもまた滲んでくる拳の血。何度も何度も握りしめられる彼の拳。 「お前に何がわかる。下級騎士だから、なんだ。ワイルドは私の――」 「友達だから、ですか? だったら生きててほしいと言うでしょうけどね」 「……言うだろうな、それは。だが、私は……私は」 噛みしめた唇からも血が滲みそうでエリナードは見ていられない。手持無沙汰を装って、手に包んだ拳をなだめるよう叩いた。 「……笑え、エリナード。やっとだ、やっと気がついた」 「何をです?」 「わからないのか? お前が? そんなはずはないだろう。――ワイルドを想う己の心にようやく私は気づいた。――手遅れだな。笑え、エリナード。笑うがいい」 崩れ落ちようとするロレンスをエリナードは支える。内心で溜息。こう言う場面は苦手だった。せめてこの場から去らせようとすれば全身を使ってロレンスは拒んだ。なんとか腰を下ろさせはしたけれど、棺に寄りかかったまま彼はじっとその中を見ているばかり。 「お前は、ワイルドとはそういう仲だったのだろう?」 こんなときでなかったならば呆気にとられた挙句に大笑いをしただろうエリナード。いまは出来かねる。肩先になだめるよう触れれば嫌がられた。当然かもしれない。 「まさか。そんなはずはないでしょうに」 「ワイルドはお前を気に入っていた」 「俺も嫌いじゃないですよ、あの人は。ただ、わざわざ他の誰かさんに心を捧げてる相手に粉かけて自滅する趣味はないです」 「そんなことまで、お前は……聞かされていたん、だな……」 ぽっかりと丸くなった目がエリナードを見上げてくる。ぬかったと思ったときには遅かった。何もないふりをして肩をすくめる。 「見てればわかる。それだけのことです、聞いたわけじゃないですよ」 「そんな馬鹿な」 「魔術師ですからね。ほんとですよ」 そればかりは真実なのだが、ロレンスは聞く耳持たないだろう。こんなところで身に覚えのない嫉妬をされるのはごめんだった。 「――ワイルドがいない。私はきっと、ワイルドの眼鏡には適っていなかった。遊び上手な男だったが……私のような者が気を惹こうとしても、だめだっただろうな……」 エリナードはそっぽを向いたままだった。なにをどう言っても裏目に出そうな気がしている。じりじりとした焦りを感じていた。 「だから、せめて。最後の旅は一緒に行きたい――」 結局そこに戻ってしまった。棺の中を見続けて、泣き続けるロレンスにエリナードはどうすることもできない。 「とはいえ、お前は許してくれそうにないな」 不意に顔を上げ、ロレンスはふわりと微笑んだ。これがエリナードを決定的に追い詰めた。息もできずにいるエリナードに彼は微笑み続ける。 「大丈夫だ。戻っていいぞ。――もう少ししたら、私も部屋に戻るから」 「本当ですか? 誓います?」 「あぁ、誓うとも」 にこりと笑ったロレンスなど信じられるものか。溜息を一つ、エリナードもまた笑みを返す。 「ご存じだと思うんですけどね、俺は魔術師でして。制約の呪文、かけさせてもらいますよ? 誓いを破れば死ぬよりつらい目に合いますよ?」 顔を寄せて笑みを浮かべるエリナードにロレンスは首をかしげて笑った。だからなんだとばかりに。内心でエリナードは両手を上げている。 「死ぬよりつらい? ワイルドがいないよりつらいことがこの世界にあるのか?」 「それ、誓いなんざぁ放り出して死ぬって言ってますからね、閣下」 「そんなことはないぞ」 白々しいにもほどがある、とロレンスは気づいていない。何も見ていない眼差し。何も考えていない表情。そこにはただワイルドがいる。 「どんだけ説得しても無駄っぽいですよね」 「無駄だ。自害を許さないと言うなら、私を殺せ」 「それはどうやって死んだかの違いでしかないでしょーが」 「だからなんだ」 「まぁ……俺はね、当事者じゃないですから。友達だと思ってるから生きろと思ってるとかね、公爵の子なんだから何とかなるとかね、勝手を言いますよ。まるっきり赤の他人ですし」 「そう、だな」 「そりゃ、俺はお二人とも尊敬してますよ。雑な言いようで申し訳ないですが、大好きですよ」 笑みを向けてもロレンスはまた棺を見つめるばかり。なにをどう言っても届かない。当たり前だとエリナードは思う。 「それでもやっぱり俺は当事者じゃないですからね。閣下の気持ちはわかってはあげられないし、わかるなんて傲慢でしかない」 長い溜息をつき、エリナードは疲れたようぽんぽんと肩を払った。そしてロレンスの腕を取る。いまはもう、抵抗する気力も尽きたロレンスだった。魔術師の腕に易々と立たされる。 「なにを――!」 が、さすがにエリナードの腕に包まれたときには生気が蘇る。心を捧げた相手以外からの不埒は許さんと。そんなロレンスを小さくエリナードは笑った。 「前にもやったでしょう? 転移しますよ。――俺は当事者じゃないから説得なんか響かないんです。だったら当事者になんとかしてもらうのが筋です。だいたい俺に任せるのが間違ってんだ」 最後だけはぼそりと誰かに向かって文句を言い、エリナードは詠唱する。ロレンスはただされるままだった。エリナードの、魔術師らしい腕の中。ワイルドのそれとはあまりに違って、違うからこそ込み上げてくる嗚咽が止まらない。 「はい、到着」 転移の衝撃に催した吐き気が、一瞬で止まった。ここはどこかなど、どうでもよくなった。ロレンスはただ息をする。 「……ワイルド」 寝台の上、唖然とした顔つきのワイルドがいた。負傷は事実なのだろう。腹に幾重にも巻かれた包帯が痛々しい。ロレンスを見つめ、視線を外してはエリナードを睨み据える。 「閣下。これだけは約束してください。結果がどうであれ、朝までです。朝まではゆっくり話すといいですよ」 言ったもののロレンスは聞こえてもいないだろうなとエリナードは苦笑する。ワイルドに怒鳴られるより先とばかりさっさと彼は退散した。 |