彼の人の下

 馬上試合の結果がロレンスには不満だ。どう考えても自分のほうが負ける試合だった。なのに、勝った。
「不愉快だ」
 ぼそりと言えばワイルドが苦笑し、ベイコンが大らかに笑う。間違いなく、身分ゆえにロレンスは勝ちを譲られた。それが不快でたまらない。そう考える高位の貴族など決して多くはないというのに。
「だったら次は実質勝利をもぎ取るとしようかね」
 負けなければならない竜騎士団ではある。が、近衛が勝ちを譲られた、と考えて悔しがってくれるほどの戦いを見せればいい。ベイコンの言葉にようやくロレンスの口許がほころんだ。
「気をつけろよ。お前は調子に乗りがちだ」
 一方魔術師たちも言葉を交わしている。馬上試合では接近すら禁じられていた彼らだが、次の集団戦では違う。諌めの言葉を吐くミスティを煩わしそうにエリナードは見やった。
「こう言うときだけ兄貴面するんじゃねぇよ。あいつみたいだっての、それ」
「一緒にするな。私のほうがまともだぞ」
「向こうも言ってると思うけどな、それ」
 この場にいない共通の友人を肴ににやりと笑う。それで準備はできたようなもの。いままでの訓練通り、エリナードはワイルド率いる爪部隊に、ミスティはベイコンの牙部隊につく。
「なんだ、そんなに年が違うのか?」
 ベイコンの不思議そうな声にミスティが苦笑していた。こつり、とわざとらしくエリナードの頭を拳で叩く。
「これのほうが八つばかり年下ですよ」
「魔術師としてはそれほど離れてるわけじゃないですからね!」
「まぁ、同期ではあるな、お前とも」
 だろう、とミスティに向けて胸を張るエリナードをワイルドが笑った。それこそ子供じみた態度、と映ったらしい。
「そうは見えないのが魔術師だな、二人とも」
 肩をすくめたベイコンだった。けれど次第に高まっていく戦場の熱気。ぴしりと魔術師たちにも芯が通る。
「今更だが、エリナード。軽装にすぎんか?」
 エリナードは先ほどから姿を変えていない。長衣すら着ていない、ほぼ胴着のままだ。せめて胸当ての一つくらいは、と騎士ならずとも思うところ。
「これで充分ですよ。金属鎧なんて着たことないですし、着たら動けませんよ、俺なんか」
 冗談半分エリナードはワイルドの腹を拳で打つ。小揺るぎもしなかった。それにベイコンは笑い、ロレンスはなぜかあらぬ方を見やる。
「まぁ、気をつけろとしか言えんがな。怪我はできるだけ避けろよ」
「気をつけます。師匠に叱られたくないですしね」
「――それが一番の懸念だな、お前の場合は」
「言うな、ミスティ!」
 からからと指揮官が声を揃えて笑っていた。エンデが微笑ましげにそんな三人を見ている。先ほど魔術師に依頼したことなど忘れた顔をして、エンデはもう団長の顔だ。それにエリナードは内心でにやりとしていた。
「隊長!」
 デクラークが走ってきた。準備が整った、と言いに来たのだろう。が、途中でつまづいてがくりとかしぐ。なんとか立ち直ったときには地面に鎧の跡がついていた。
「すごい重さだな、あれは」
 ミスティが感嘆するに至ってベイコンが顔を覆う。そこではない、と言いたいのだろうが生憎とミスティはデクラークのこんな姿はすでに見慣れてしまっている。
「こちらも整いましたよ、隊長」
 よろよろと走り寄って来たデクラークの照れ笑いの後ろから悠然とマケインがやってきた。緊張しているのだろう、普段より少し青い顔をしている。
「そう肩に力を入れるな。何も殺し合いをしようって言うんじゃない。気楽に行け気楽に」
 いつもならば気楽に行けるわけはないでしょう、と笑うマケインだったが、いまは素直にはいと返答をする。緊張しているな、とベイコンがまた彼を笑った。
「そろそろあちらも整ったようだぞ。諸君、健闘を祈る」
 団長の声にその場の全員が鎧の胸を叩く。魔術師たちは軽く膝を折った。そしてすらりと騎乗していく。遅滞のないその姿を眩しげにエンデが見送る。
「できれば、私も前に出たかったのですが」
「参謀がそれを言うな」
「向いていないと思いましたよ、私は。前で戦うほうが気が楽です」
 ロレンスはエンデと共に後方に留まる。なにも観戦をしようと言うのではなく、そこから指揮をするのが役目だからこそ。実働部隊の指揮官である両隊長に助言と指示をするのがロレンスの仕事だ。少し高くなった場所にエンデと共に留まり、駆けて行く馬群を見つめる。掲げた槍がきらきらと輝いていた。
 最前線は交戦寸前だった。ワイルドははじめから作戦通り、とわかってはいた。が、やはり我が目を疑いたくなっているのだから近衛騎士は仰天しているだろうと同情する。エリナードが先頭にいた。
「マケイン、行け」
 打ち合わせ通り、魔剣を掲げて突き込んでいくエリナードの傍らへとマケインを付ける。鋭く返答をしたマケインはもう、普段の心持ちを取り戻しているのだろう。彼の指揮下にある騎士数騎を率いて最前線を交代する。もう槍と槍が激突していた。
「あれで怪我の一つもしないんだからどうかしているな。――こっちも行くぞ」
 爪部隊は鋭く敵に切り込んで攪乱するのが仕事。マケインとエリナードの一隊がその先頭を担っているのならば、本隊であるワイルドは更にそれを推し進めるだけ。
「ハム野郎に仕事を残すな!」
 配下の騎士に発破をかければわっと上がる歓声。聞こえたのだろう近衛が嫌な顔をする。騎士団にあるまじき罵声、と受け取ったのだろう。
「こっちはお上品な騎士団じゃないってね」
 鼻で笑って槍を振るい、折れるまでに近衛の十騎は叩き落とした。剣を抜いてからは周囲から敵が消えるほど。戦場を縦横無尽に駆けるワイルド隊に近衛が目をまわしている。それでもこれは本当のワイルドの戦いではない。演習だからこそ、馬上試合同様、刃を潰した槍であり剣だ。叩き落とされたはずの近衛騎士が感嘆の目を向けていた。
 さすがに魔術師の参戦は大きかった。何もエリナードは魔剣で戦っているだけではない。むしろそれは己の身を守るためのものなのだろう。騎士たちの武器同様、エリナードは竜騎士団での訓練でしていたよう、幻覚を主な魔法として選んでいる。それでも炎の熱は感じたし、吹き付ける風の刃に肌が切られた錯覚も起きた。一瞬でも怯めば爪部隊の餌食だ。
「マケインさん、そっち行った!」
 エリナードが声を上げる。ワイルドの剣を見慣れたせいか、マケインのそれは鈍いようにも感じる。が、周囲の騎士たちも似たようなものだから、これはマケインのせいではなく、ワイルドが優れて秀でた騎士だと言うだけだろう。
 エリナードの声に反応したマケインの剣が近衛の一騎を叩き落とす。本隊とちょうど近衛を挟むよう、両側に展開していた。さすがに中央突破を許すほど近衛も甘くはない。
「そろそろ――」
 ベイコン率いる牙のお出ましか。にやりとエリナードが笑ったとき、ひくりとマケインがすくんだ。戦場の反対側、ワイルドの馬が立ち尽くす。
 ここからでも、見えた。なぜか、不思議とよく見えた。目を剥き、口から泡を吐き、暴れ出す彼の馬。乱れる足元が再び止まり、腰から崩れ落ちる。
「隊長!」
 こちら側にいた騎士が上げた悲鳴にも似た声。馬上のワイルドは咄嗟に馬を捨て、大地に立とうとした、まさにその時。
「とった――!」
 近衛の若い騎士だった。鎧に傷もついていない、ぴかぴかの騎士だった。剣を引き抜く手ももどかしく、ワイルドに突き付け、思い切り彼を叩き落とそうとする。それなのに。
「え」
 本人が一番驚いていた。ぽかん、と口を開けたまま、剣を見ている。ワイルドの背中まで突き抜けた、自分の剣を。遠く、ロレンスの悲鳴がここまで届いた気がした。
「隊長!」
 戦場などかまうものかとばかりエリナードが駆けつける。マケインが彼に従う形で馬を操る。結果として、爪部隊が揃ってしまったが、さすがにこの異常事態に近衛が気づくのもまた早かった。
「神官!」
 近衛が帯同している神官を呼べとエリナードが怒声を発し、慌てて近衛騎士が駆けていく。そのときにはもう、エリナードは大地に倒れたワイルドを抱きかかえていた。
「隊長、聞こえますかね?」
 口から血を吐き、ワイルドは痙攣していた。駆け寄ってきたエンデとロレンス。真っ青だった。演習で、こんなことが起こるはずはないというのに。
「なんと……」
 近衛の騎士が自分の馬に相乗りして運んできた神官は、惨状を見るなり絶句する。すぐさま治癒呪文を唱えようとした。けれど。
「なんと言うことだ……。なんと……。残念な」
 途中で、止めた。神官にはすでにワイルドの鼓動が感じられなかった。必死になって血を止めようとしている若い魔術師に憐みの目を向ける。それでも彼を止められなかった。無駄だとは、言えなかった。
「神官殿に見ていただきたい。――エリナード、落ち着け」
「落ち着けるか!」
「とりあえず仕事をしろ。その剣を寄越せ」
 青ざめながらも悠然としたミスティにエリナードは歯噛みする。それでも言われた通り、ワイルドの体から剣を抜いた。ずるりとした、肉のまとわりつく嫌な感触。
「これは……真剣ではないか。どう言うことだ、騎士団長! しかもこれには魔法がかかっておりますぞ。我が目を欺き、このようなものをお使いになるとは、近衛騎士の名は地に堕ちたのか!」
 剣を受け取るなり神官は震えんばかりに怒りを表す。突然のことで何を言ったものか迷っているのだろうか、近衛騎士団長は周囲を窺うばかりだった。
「ミスティ、この場を頼んでいいか。団長、うちで手を打たせてください。こっちには神官の伝手がある」
 真剣なエリナード。両手も顔もワイルドの血に塗れていた。マケインは震えて立ち尽くし、己が仕え続けてきたワイルドの姿を目に映している。見ては、いなかった。
「頼むぞ」
 エンデの了承を取るなり、エリナードはワイルドを抱いたまま掻き消えた。星花宮に戻り、リオン総司教の手を借りるはずだとミスティが呟くよう言う。
 演習など続ける余地はなく、それぞれが騎士団に帰っていく。ワイルドを切った若い騎士を貰い受けようとした竜騎士団だったが、近衛に丁重に拒まれた。
 苛々しながらワイルドの帰還を待つ。竜騎士団は全員が歯を食いしばって彼を待っていた。数日後の午後。竜騎士団に帰還したのは、棺だった。




モドル   ススム   トップへ