彼の人の下

 まずは前哨戦に、と一対一の馬上試合が行われていた。さすがに王宮で催されるそれとは違い、貴婦人の姿がないせいもあって相当に殺伐としている。中央の開けた場所から下がり、魔術師たちはエンデ団長と共に観戦していた。伝統的に魔術師は馬上試合に関与できないせいだ。
「魔法も祝福も元をただせば同じだと思うんだが」
「同感」
 魔力というものを信仰の側面で捉えたものが神官の操る神聖魔法で、純粋な力と考えるのが鍵語魔法だ。双方の元となった契約魔法のことをミスティは言っているのだが、たぶん魔術師以外には通じない理論だろうともエリナードは思わなくもない。
「そう言うな」
 案の定、苦笑したエンデの言葉。主立った騎士たちが馬を走らせ、擦れ違い様に槍を突き出す。重い楯を貫く者、弾かれる者。それでも勝負がつかずに剣の立ち合いに移る者。様々だ。それを見守っているのは近衛騎士団が連れてきた神官たち。
 今回、竜騎士団に魔術師がいると知って近衛が帯同してきたのが彼らだった。不正を疑われていると思えば魔術師たちの気分がよかろうはずもない。
「なにもお前たちを疑っている、と言うわけではあるまいよ」
「そうですか? 思い切り疑われている気がしますけどね」
「そうでもない。あれは単にこちらに魔術師がいると知っているぞ、と言っているだけのことだ。気にしたら負けだな」
 肩をすくめるエンデの前、竜騎士団側の騎士が負けた。惜しいところだったのだが、力押しされて負けてしまった。
「それにな、神官の誓いと言うのは、信じられるだろう?」
 今回、馬上試合を行う両者の間に立ち、試合の開始を告げるのは神官の役目だった。彼らのどちらにも魔法の気配はない、と証明するために。
「お前たち、信仰は?」
 尋ねられてエリナードは首を振る。神殿は綺麗だなと思うことはあっても神々に祈ると言うことに興味がない。逆にミスティはうなずく。
「信仰と言うほどではありませんが。マルサド神には親しみを持っています」
「なるほど、さすが宮廷魔導師というところかな。宮廷ではマルサド信仰が盛んだろう。我々騎士にも多いが」
 自分はそうでもない、とエンデは笑う。新たな試合がはじまっていた。エリナードはこうして雑談をしながらやきもきしている。たぶんミスティも同じだ。
 試合が行われている間、彼らは騎士たちに近づけない。それこそこちらこそが不正を疑っているというのに、護衛もできないでいる。
「武器防具の類は絶対に自分で調べてください」
 馬上試合が行われると聞いたとき、エリナードがまずワイルドとロレンスに忠告したのはそれだった。いま二人は試合の順番を待っている。
「たとえば我々騎士ならば、己の名誉にかけて誓う。お前たちならば何に?」
「さて。人それぞれですからねぇ。俺はまだ弟子の身分ですし。師の名を汚すことはしない、と誓うのが精一杯ですか」
「私ならば己の魔道に」
 エンデはどちらにもうなずく。それぞれが自分には決して裏切れないものだろうと。それにかけての誓いならば、本来ならば信じるべきだとも。
「それでも神官のそれとはやはり、信用度が違う。神官が、己の神にかけて誓うのだからな。ある意味で二重の誓いでもある。だからこそ、それは何にも増して信じられる。それが社会の共通理解というものだ」
「あぁ……なるほど。そうか……」
「そう言うことだ。魔術師がどうのと言うより、神官ならば疑えない、という常識を利用していると言った方が正しい」
 にやりと笑うエンデにエリナードは苦笑する。とんでもないことを言っていると理解しているのだろうか。しているに決まっているな、と内心で思いミスティを窺えば、素知らぬ顔をしていた。こう言うとき、彼は決まって動揺している。付き合いの長いエリナードは小さく笑った。
「おぉ、負けたな。なんとも見事な負けっぷりだとは思わんか。あれが演技でもなんでもないと言うのだから、笑いたくなる」
 牙部隊の副官、デクラークが負けていた。最初の一撃で馬から叩き落されると言うそれは素晴らしい負け方だ。
「若いな」
 ミスティは呟く。何も真っ直ぐに突きかかって行かなくともいいだろうに。多少のひねりを入れる程度の頭を使えとも思う。が、それをたぶん若さと言う。
「それをお前の顔で言われると違和感があるな」
 エンデが苦笑する間に次はマケインだった。竜騎士団は敗北を定められているとはいえ、なにも全敗する必要はない。各々の技量と騎士団の戦力は別物、と考えられているせいもあって、こちらは引き分け程度が望ましいか。
 エリナードは自分が所属する隊の副官だ、マケインの試合を真剣に眺めていた。さすがにワイルドの側に長くいると言うだけあって、マケインは近衛騎士に匹敵するほど強い。剣の勝負にまで持ち込んで、あと少しで勝利と言う段になってはじめてマケインに隙が生まれる。それを突かれての敗北だった。
「さすがだなぁ」
「ほう、わかったか」
「一応は。敵にしたくはないですよ、ああいう頭のいい騎士は」
 にやりと笑うエリナードと食い入るように見つめたままのミスティ。武器の腕も立つ星花宮の魔術師にここまで言わせたかと思えば配下の騎士が誇らしいエンデだった。
「……胃が、痛いな」
 ベイコンがとうとう出場した。あちらも有力な騎士が出てくる。あと竜騎士団側に残っているのはワイルドとロレンスだ。本当ならばワイルドかベイコン、どちらかが最後に出るはずだが、そこはそれ、宮廷での身分が物を言う。近衛騎士が相手なのだから諦めろと二人に諌められ、文句を垂れながらロレンスが最後を締める。
「同感」
 ミスティも、エリナードもぴりぴりとしていた。それでも他愛ない雑談をしてみせるのは、たぶんに意地だ。そんな二人をエンデがにやりと笑う。そして真っ直ぐと前を見たまま言った。
「なにか、起こっているな?」
 魔術師たちは平静のままだった。なんのことだろうとばかり首までかしげて見せる。エンデはそれでいいとこちらもまだ前を見たままうなずく。
「結局、例の襲撃の片もつかないまま今日を迎えた」
 責めているわけではないぞ、とエンデは笑う。ぴくりと指先が動いた自分を恥じるよう、ミスティがそっと息を吐きだす。
「なにかが起きているのは、わかっている。それも現在も進行中だと、わかっている」
 さすがにベイコンだった。猪突する型の騎士に見え、彼はエリナードならば持ち上げることもできないような大剣を易々と振るい、それでもなお粗暴ではない戦い方を見せた。これには近衛騎士団からも感嘆の声が上がる。
「私はな、竜騎士団はよい団だと思っている」
「居心地がいいですよ、俺も。――本当ならね、団長閣下にこんな気安い口なんぞ叩いちゃだめでしょう? それを許してくださる器量が閣下にはある。それが竜騎士団の鷹揚な雰囲気を作っている、そう思いますよ」
「持ち上げてもなにも出んぞ?」
 くすぐったそうに笑うエンデは本当に嬉しそうだった。ミスティがそんな彼を見やって少し、眩しそうな顔をする。彼もまた、この騎士団に居心地の良さを感じていた。
「お前たちにそう言ってもらえるほど、我が団は良き団だ。だがな、私は所詮は下級騎士の家に生まれた男にすぎん。爵位に手が届きそうでありながら、絶対に届かん。そう言う位置だな、これは」
 下級騎士の最上級と、最も低い爵位である「領地なしの名誉職である男爵位」は、けれどそれだけ差がある。あと一歩。それが断崖絶壁となって立ちはだかる。
「だからな、守りたいものが守れんこともある」
 エリナードは何気なく息を吸う。今度はミスティが平静を保っていた。中央にワイルドが出てきた。近衛側から出てきたのはがっしりとした肩の逞しい騎士。正しくは突撃軽装騎兵隊隊長であるワイルドだ。完全武装していても、近衛に比べると遥かに薄い鎧で、それだけで見ている方ははらはらとする。
「殊に、場所が戦場ではなく政争であるとな、私にはもう手の出しようがない」
 嘆くエンデにエリナードは拳を握る。エンデはいま「想像を語っている」ことになっている。「事実ではない」仮定の話だ。その正確さに舌を巻く。同時に二人の魔術師は思う。この団長の元にあってよかったと。それは己の魔道のためではある。けれどそう思わせてくれた人のためにこそ、できることはしたいとも思う。
「二人にな、頼みたいことがある」
 ミスティが微笑んだ。エリナードは肩をすくめた。何をいまさら言っていると。団長相手にこんなことができるのが竜騎士団だった。
「ロレンスを、頼む。あれが公爵の子息だからではないぞ。あれは、よい騎士になる。いまでも充分によい騎士だが、それを上回る。確実に、時代を支える騎士として名を馳せる。そんな男がな、政争に巻き込まれてだめになるのは、見たくない」
 ワイルドの試合が続いていた。それを見つめつつ、エンデは言う。互いの槍は一撃で折れ、遅滞なく剣での勝負へと。
「ベイコンも、ワイルドも、よい騎士だよ。それは私が保証する。だが二人には生まれの差がある。こうして実際に戦場に立つ騎士として、彼らは高名になるだろう」
 ロレンスは違う。宮廷で、貴族を従え、国王の補佐として国家の柱石たることが彼にはできると。エリナードの脳裏にちらりとよぎったもの。王妹の子として生まれた男、かの明賢王アレクサンダーの再来と言われた容姿。だからこそ、密やかに王子に疎まれているロレンス。エンデは知らないことだった。
「お任せください、とは言えません。我々は宮廷魔導師。我が手は陛下の御為にのみ使われるもの」
「でも、できるだけのことはしますよ。いくら宮廷魔導師でも、友達のために努力することまで止められているわけじゃありませんからね」
 堅苦しいミスティの対外的な言い訳を、片目をつぶったエリナードがあっさりと覆しては笑う。そんな彼の横腹を肘で小突いてミスティは苦い顔。その目がけれど、笑っていた。
「ロレンスを友と言ってくれるか。嬉しいものだな……」
 二度頼むとはエンデは言わなかった。信頼の証とばかりに。それに魔術師たちはほんのりと微笑む。配下を思うエンデの心の篤さ。自らの師を思う。
「里心がついたか、エリナード」
 うるさい、言い返す手間も惜しんで脇を小突き返した。わっと歓声が上がる。ベイコンの惜敗を取り返すような、完勝だった。




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