彼の人の下

 初夏の風も気持ちのいい日、王都郊外に近衛騎士団、竜騎士団が勢揃いする。完全武装も美々しい騎士たちの姿は圧巻だった。もっとも、祝祭的色合いが強い演習だ、槍も剣も刃は潰してある。当たり所が悪ければ酷いことになるのは目に見えていたけれど、そこは訓練が物を言う。
 エリナードとミスティはその中にあって異質だった。ありとあらゆるところに金属に身を包んだ男たちがいる。その中にあって彼ら二人だけが、軽装だ。ミスティは正式な星花宮の魔導師として魔術師の長衣を、エリナードはいまだ弟子の身分だけに更に軽装だ。
「長えなぁ」
 ひときわ大きな天幕の中で両騎士団の指揮官たちが会談を続けている。何も戦争をしようと言うわけではないのだから、こうして事前に話し合いをするものらしい。
「文句を言うな」
「言ってねぇよ。まだ」
「そのうちに言いだすに決まっている」
 それにはエリナードも肩をすくめるだけだった。ミスティは火系魔術師らしからぬおっとりとしたところがある。エリナードはそれがいまでも少し、苦手だ。ミスティも同様にエリナードのひたすらに突き進む傾向が水系らしくないと苦笑する。ある意味ではいい関係だった。
「様子を見てくる」
 一言だけ言いおいてミスティが牙部隊の騎士たちの様子を見に行った。エリナードはどうしようかな、と彼の後ろ姿を見やる。
「ま、こっちはほっといてもいいか」
 爪部隊の騎士たちは一様にからりと明るくて、エリナードとしても居心地がいい騎士団だ。いまはそうも言っていられないのが玉に瑕だったが。何気なく周囲を見回し、辺りを警戒する。
「ん?」
 会談の行われている天幕の裏側から見慣れた人影が現れてエリナードもさすがに驚く。あちらも同じだったと見えて一瞬立ち止まり、そしてこちらに向かってきた。
「久しいな、エリナード」
 たぶんきっと微笑んで歓迎してくれているのだろうとは思う。どことなく伝わっても来る。が、彼の表情は相変わらずあまり変化がなかった。
「お久しぶりです、キャラウェイ卿」
 懐かしい騎士だった。子供時代の思い出に彼は繋がっている。キャラウェイにもよい思い出らしい、気軽に手を差し伸べてくれた。その手を取ってしっかりと握手をする。
「あんまりお変わりになりませんね、卿は」
 四十代も半ばだろうか、その騎士は。年輪を重ねた体貌そのものが、けれど優雅さにそのまま変わっている。若いころは本当に目を奪われるほど美しい騎士だったけれど、今では溜息をつきたくなるほど雅やかだ。
「それをお前が言うか?」
 小さく笑ったのだろうキャラウェイにエリナードは苦笑する。この騎士が若かったころを自分は知っている、けれどいまでもまだ二十代にしか見えないと。周囲が途端に騒めいた、会談が終わったらしい。
「卿もご参加なさっているんですか」
「いや、演習そのものにと言うよりは、軍監だな。さすがに前線に出るような年齢でもあるまい」
 肩をすくめたキャラウェイがちらりと辺りを窺った気がした。そしてエリナードに一歩、近づく。声を潜めて彼は言った。
「なにか、あるのか?」
「と、言うと?」
「なるほど。何かが起こっているわけだな。――ユージンが、見慣れない従士が大勢いると言ってきている」
 この場にはいない彼の従士であり伴侶である男の報告だ、とキャラウェイは言う。それを告げてくれることのありがたさ。信用されているのが痛いほど。
「それも、特定の一門に属するものばかりだ、と言う。エリナード、私にできることはあるか」
 真摯な眼差し。青灰色のそれはいまもまだ熱さを失わず真っ直ぐと美しい。エリナードはだからこそ、笑ってみせる。
「ホーン何とかの一門でしょう? でしたら、なにもしないでください。何かが起こっても、卿は通常の範囲内で過ごしてください」
「過度に反応するな、と? それはそうしてもおかしくないだけのことが起こり得ると言うことだな」
「さて、わかりませんが。そうさせないよう手は打ってるんですけどね。どうなるかはわかりません。ですから、巻き込みたくありません。卿にお怪我や傷をつけたくない。メイカーさんにもディルさんにも申し訳が立ちませんからね」
 伴侶たちの名を上げられてキャラウェイがはっきりとわかるほど顔を顰めた。それでも助力はするぞ、と言いたげに。エリナードは無言で頭を下げる。礼と謝罪と。それに小さな溜息まじりの同意が返ってきた。
「エリナード?」
 訝しげな声がして振り返れば、ロレンスだった。その向こう、歩いて行く影はワイルドとベイコンのそれ。ミスティが彼らに走り寄って何かを言っている。
「あぁ、閣下。――こちらはキャラウェイ・スタンフォード卿です、前にお話ししたでしょう? 俺が一番尊敬してる騎士ですよ。近衛騎士団にいらっしゃる」
「はじめてお目にかかる。アルバート・ロレンスです」
 微笑んでロレンスは手を差し出した。エリナードがそっとキャラウェイに向けてミオソティス公爵の後嗣でいらっしゃいます、と囁く。わずかに驚いたのだろうか、キャラウェイが目を瞬き、そして二人が握手を交わす。
「竜騎士団の参謀長でいらっしゃるんですよ」
「そうだったのか。今回の近衛側の軍監を務めさせていただく。存分に力量を示されよ。――それにしてもエリナード、お前は何をしているのだ」
「あ、言ってませんでしたっけ。別に師匠のところを追い出されたわけじゃなく。ちょっと竜騎士団に出向中なんですよ」
「なるほど、それはよいことだな。魔術師と連携するのは騎士にとっても必要なことだと私は考える」
 そう言ってキャラウェイはロレンスを見やる。安堵したよう微笑むロレンスに彼もまた好感を持ったらしい。
「エリナード、たまには遠足についてくるといい。チェル村は変わらずお前の遊び場の一つだ」
「はい、卿。そうですね、今度は伺おうかな。子供たちは苦手ですけどね」
 肩をすくめるエリナードにキャラウェイは笑ったのだろう、軽く手を上げて去って行く。ロレンスには何気なく目礼をしただけだった。
「よい方だな」
 だが逆にロレンスにはその態度にこそ感銘を受けたらしい。思えば公爵の子息として常に周囲から権勢への階段として扱われているに違いないロレンスだ。あのようにただの若い騎士として年長の騎士から激励されたことなどなかったのだろう。
「優雅な方でしょ?」
「あぁ、本当に。お前が尊敬すると言うのもわかる気がした。なぜだろうな……、なんと言ったらいいのか。いままで周囲にあの方のような人がいなかっただけなのかもしれないが」
「キャラウェイ卿は、権力にも出世にも興味がないんですよ。ただ二人の伴侶と生きる場所だけを守れればいい、そう言う方なんです」
「二人の伴侶?」
 訝しそうなロレンスにエリナードは彼の伴侶たちのことを話してやる。当時は途轍もない醜聞だったはずなのだが、いかんせん時間が経っている。ロレンスは知らないらしい。
「双子の弟と、当時の副官?」
「それも弟御のほうは縁起が悪いからって捨て子にされた人で、副官さんは一介の平民です。しかもどっちも男」
「よく、親御は許したな」
「許されなかったらしいですよ? だから卿は父君の領地をなんとかもぎ取って、小さいながらも一家の当主になって、それで二人のことを公表がてらご領地で誓約式をしたんです」
 ちなみに三人まとめて面倒を見たのはリオンだ、とエリナードは笑った。ロレンスは言葉もない。冗談かと問うことも忘れてじっとどこかを見たままだった。
「だからキャラウェイ卿は、あんなに真っ直ぐと優雅なんだと、俺は思うんですよ」
「それは……」
「卿は、ちゃんと生きている。自分の道を見定めて、これが一番大事なもので、これだけは絶対に守り抜きたいものって決めて。それを守って生きている。それが、お体にも表れるんだろうなと思いますよ」
 偉そうなことを言ったな、とエリナードは内心で苦笑する。実際は半分くらいフェリクスの言葉だった。
「正直に言って、想像したこともない世界だな、それは」
「そりゃそうですよ」
「どう言う意味だ?」
「閣下は、公爵様のご長男で、一人息子でしょう? だったらそんな想像をさせないような教育をされているんじゃないかと思いますよ、俺は」
 ロレンスは息を飲む。考えたこともなかったが、エリナードの言葉は正しいと直感的に思った。そのぶん、彼が訝しい。多少年上とは知っているが、それにしても。
「俺は魔術師ですからね。知識だけは同年代の常人よりありますよ。実体験を伴ってないですし、まだ自分のものになってないですからただ知ってるだけですけど」
「それを言えるお前は……立派だと思う。星花宮の魔導師とは、そう言うものなんだな」
「これでもいずれは宮廷魔導師ですからね。物は知らないと後々困るんですよ」
 苦笑するエリナードにロレンスは小さく笑う。それだけではない気がした。エリナードの知識を求めるよい意味での欲のような。
「……私は、そうしてまで追い求めるものを考えたことが、ないんだな」
「考えさせないようにしてたんでしょ、きっと」
「いまは――」
 得たいと思うものがあるだろうか。キャラウェイ・スタンフォードはおそらく彼の一門から完全に弾かれている。それでも彼は充足しているのだろう。二人の伴侶と共にあって。
 ロレンスはじっと自分の手を見ていた。この手で掴みたいもの。掴めないものはないはずだった、生まれた身分を思えば。
「いや……」
 はじめて気づく。何も掴めていないと。従騎士時代に得た友は、彼の秘められた生まれと互いの身分のせいで失った。偶然と努力に恵まれて再会はできた。けれどまた失うだろう。
「たった、ひとつ……」
 この手の中にワイルドの手が欲しい。彼だけが、側にいてほしい。思った途端に動揺した。キャラウェイの人生を思うせいかもしれない。
「違う、そうではない。伴侶ではなく、友として」
 震え声の呟きが聞こえたはずのエリナードだった。彼は何も聞こえなかったふりをしてその場に佇む。物思いに耽るロレンスを誰かの代わりに守るとばかりに。




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