夏の初め、王都郊外に於いて近衛騎士団と竜騎士団の合同演習がある。演習と言うよりは華やかな行事、と言った方が正しい。なにしろ近衛騎士団は勝つことを求められているし、竜騎士団は勝ってはならないけれどぼろ負けしてもならないと言う微妙さを求められる。 「八百長ですか?」 訝しげな顔をしたエリナードにミスティが思い切りよく肘打ちを食らわす。団長を交えての会合でそんな口をきいたのだから致し方ない。エリナードも口が過ぎたと気づいたか照れ笑いをした。 「八百長、までは言いすぎだがな。まぁ、そのようなものでもある。我々は勝ってはならない、断じて」 相手は王国の精鋭、近衛騎士団だ。そこに軍制の辺境と揶揄される竜騎士団が万が一にも勝つなどと言うことが起こってはとんでもない事態になる。 「近衛もつらいところではあるんだ」 ロレンスが苦笑しながらエリナードをたしなめた。どちらかと言えば竜騎士団より近衛にこそ近い彼が言うことだ、重みが違う。 「実際問題として、近衛は強いぞ。鍛錬が違う、装備が違う、錬度が違う。負けてやろうなどと考えていたら、惨敗する」 「勝とうと思っても惨敗して人のせいにされたこともあったがな」 ぼそりとしたワイルドの言葉にベイコンが激しくうなずく。おそらくは去年のことだろう。エンデ団長が苦笑してそっぽを向いた。たしなめるべきではあるのだが同感だ、と言うように。 「だがな、勝負である以上、百戦して百勝と言うのはあり得ない。こちらもまたそのための訓練をしている」 その上でぎりぎりのところで負けるのが役目だ、と団長は肩をすくめた。今回の演習は、はじめて竜騎士団が魔術師を加えての戦闘になる。近衛も色々と趣向を凝らしてくるだろうし、何よりここまでしてぼろ負けをしたのでは格好がつかない。 「我が星花宮の名にも傷がつきますので、最善を尽くします」 ゆったりとしたミスティの言葉。エリナードが茶化すよう彼を見やれば嫌な顔をする。それににやにやするのだから、緊張感がまるでない。 「では後は指揮官に任せよう。一応の伝達はしたからな」 現場のことは現場の指揮官が一番よくわかっている。言い切るエンデがエリナードは好きだ。よけいな口出しは一切しない、その上で責任は取ると言える長がどれほどいるだろう。王宮をちらりと思う。幸い自分たちは恵まれているとも彼は思った。星花宮にしろ、いまの竜騎士団にしろ。 「ミスティ。打ち合わせをしたい。ついて来い」 片手を上げればそれが丸太のようなベイコンだ。太い腕は槍を持っても剣を持っても頼もしい。ミスティは少しばかり悩みすぎるきらいがある男であるだけに、この突っ走る型の指揮官とはうまくいっている。いそいそとついて行く姿をエリナードは笑って見送る。 「エリナード、少しいいか」 爪牙両部隊の隊長は、戦場に直接出て武器を振るう。が、ロレンスは違う。エンデの傍らにあって、一歩を引いて戦場を俯瞰するのが彼の役目だ。それなのにロレンスはエリナードを呼ぶ。 「いいですよ」 振り返ってワイルドを確かめればそれでいいとうなずいて隊長はどこかへ行く。大方マケインと打ち合わせに行ったのだろう。 ロレンスはその場で話そうとはしなかった。しかも本館に留まることも拒否した。結果として、エリナードが自分の部屋はどうだと提案する羽目になる。 「すまないな、人に聞かれていい話ではないから――」 「気にしないでください。茶でも淹れますよ」 何やらひどく緊張しているらしいロレンスだった。手を握ったり開いたり、呼吸も少々怪しい。何も色めいた話題ではないだろうが、逆に言えば自分には関係のない色めいた話、である可能性は否定できないかとエリナードは思う。 「演習のことだが――」 内心でエリナードは肩を落とした。どこまで生真面目なのだろう、この騎士は。多少、あちらに同情しないでもないと思ってしまう。もちろん顔つきは平静のままだった。 「星花宮の魔術師ならば、ある程度の攻撃を弾き返すことが可能だ、と仄聞する」 「できますよ」 「ならば、それをワイルドに使ってもらうことは可能だろうか。できることならば、やってほしい。私にできることがあるならば、なんでも言ってくれ、どんな協力でも――」 身を乗り出さんばかりのロレンスの手にとりあえず茶を押しつける。熱さにロレンスの目が瞬き、自分の様子に苦笑して彼は深く息を吸う。 「護身呪をかけることは可能ですし、魔法具をお渡しすると言う形もないわけではありません。が、できない」 「なぜだ」 「ちゃんと話しますよ。一つ目。相手に魔術師がいた場合を想定しときますが」 いないはずはない、とロレンスも納得していた。事の発端はあの不逞魔術師だ。今更魔術師を無駄と切り捨てたとは考えにくい。 「護身呪にしろ魔法具にしろ、我々魔力のあるものには、視えるんですよ。その魔法の色と言うかなんと言うか。かなり遠くからでも観察できるでしょう」 「それは、どこにいてもワイルドがどこにいるかわかる、と言うことか」 「なお悪いですね。観察できると言うことは標的にしやすいと言うことでもあります。俺の魔法を上回るものをぶつけられたら、致命傷では済まない」 「君はいずれ星花宮の名を得るのだろう。それでも上を行く者が市井にいると?」 そのようなはずはない、断言するロレンスに買われているのか疑われているのか。くすぐったそうに微笑むエリナードにロレンスは深い呼吸を繰り返す。過敏になっているのは自覚していた。 「いませんよ、たぶんね。ただ……魔法というのは何も一人でかけなきゃならないって決まりはないわけで。五人十人束になられたら、いくら俺でも俺ごと消し飛びます」 守っているワイルドだけではない。余波を食らう形で自分も死ぬ。エリナードは言う。だがそこに怯懦はまるでなかった。それでも守るときには守る。その強烈な意志。ロレンスは視線を外さず黙ってエリナードを見つめる。 「なら。団長含め、指揮官全員に護身呪をかける、と言う手もあります。この場合、俺は戦闘に手を割くことが難しい」 「……さすがに訝しく思われるだろうな、それは。近衛を警戒しているのかと言われると……返す言葉がない事実でもある」 「でしょう? ついでに言うなら、さっきの要領で全員まとめて狙われて木端微塵もないわけじゃないんですよ。ちょっと危険すぎる」 ワイルドをロレンスは思う。自分のために他の人間を巻き込むことを彼は潔しとはしないだろう。それで彼の生命が守れたとしても、彼の心は死ぬ。そんなことにはしたくない。首を振るロレンスをエリナードもまた見ていた。 「次。魔法具の問題です」 「――魔法具と言うのは」 「この場合だったら、俺が側について魔法をかけてなくても護身呪が発動し続ける道具、ですね」 便利なものもあるものだとロレンスは感心していた。ただ、彼は意識していないだけだった。いまでこそ彼は竜騎士団住まいだが、この王都にももちろん公爵家の屋敷はある。そこには間違いなく無数の魔法具があるはずだとエリナードは思う。入浴設備しかり、照明具しかり。卓上用の小型火炉だとてあるはずだ。それで熱い茶を淹れて午後を過ごすのはラクルーサ貴族の日常だった。だからロレンスはそれらを魔法具として意識していないだけ。魔法が日常である証でもある。 「ただ、これもやはり魔術師には視えますしね。標的になるのは同じかな。だったらやっぱり団長以下指揮官全員にってのも考慮の内にないこともないんですが……正直言って、俺は閣下と隊長以外の誰も信用しないことにしてるんですよ」 「どう言う、ことだ?」 「誰がどこに通じているかわからないのが貴族社会ですからね。そこの按配がわからない俺は、誰も信用しないのが一番安全です」 竜騎士団の騎士たちだとて、実家があり、その家はどこかの一門に属している。下級騎士だけあって、即座に高位の貴族に結びつくことは少ない。それでもたどりたどってどこに糸があるのかわからないのが貴族社会だ。 「魔法具って言うのは、一度渡してしまうと対処がしにくいものでもあるんです。相手が敵だってわかったときにはまずこの魔法具を壊すことを考えなきゃならない。まして今回の場合は護身呪ですよ」 「さっきお前が言ったそれを上回る魔法というのでは……あぁ、だめか。相手が確実に死亡することになるのだったな」 「それもほぼ肉片になって、です。色々とまずいでしょう、それは」 貴族相手にそれをしては問題が大きくなるだけだ、とエリナードは仄めかす。内心では違うことを考えていた。そんなことをすれば魔術師排斥が酷くなるだけだと。 「最後に。最大の問題があります」 顔の前で指を一本立てて見せるエリナードにロレンスは微笑む。彼が茶化していると言うことは対応可能だろうと。だが青ざめることになった。 「我々星花宮は陛下おひとりの剣であり、楯である。それが建前です。どんな問題があろうとも、一騎士の命を守るために星花宮から魔法具を持ち出すことも、俺が魔法をかけることもしてはならない、それが法です」 軽く言うエリナードの言葉は重いものだった。狎れ過ぎたか、ロレンスは唇を噛みしめる。エリナードは宮廷魔導師団の一員だと、忘れていたわけではない。だが、彼ならばワイルドを守護する手を講じてくれる、そんな気がしてしまっていた。 「そんな顔をしないでください。抜け道はいくらでもありますしね。とりあえず全力は尽くしますし、その際にあなたに言わないことも多々あるはずです。巻き添えにしたくないですから。だから、俺と師匠を信じてください」 「……巻き添えに、されたいものだ」 「あなたは表にいて動いてくれた方がやりやすいって意味ですよ」 にやりと笑うエリナードにロレンスは肩の力を抜く。得難い男だな、と思う。ふ、と唇がほころび気が軽くなる。不意にエリナードが扉を見やったと思ったら、それが叩かれ開かれる。魔術師の勘の良さにロレンスは目を見開く。現れた人にも。 「ん? ロレンス、ここにいたのか。いや、エリナードに用事だ。ちょっと相談がある。いいか?」 何気なく笑ってはいた。が、何かを考えているのだろうことはロレンスにもわかった。そのまま部屋に入ることなく、ワイルドこそがエリナードを連れ出そうとするに至って深刻さが際立つ。 ワイルドは、エリナードだけを伴ってどこかに消えた。ロレンスは笑って見送ったけれど、なぜか二人の背を見つめて立ち尽くす。 |