彼の人の下

 魔術師たちを交えた訓練に騎士たちが歓声を上げている。竜騎士団は総員が馬上で戦うのが基本だ。騎士なのだから当然にして扱う武器は槍と剣。それをいかに馬上で扱うか、馬の力を使うかは重要な課題だ。いままでももちろんそれをないがしろにしてきたわけではない。他の騎士団よりよほど厳しい訓練を積んでいるはず、と両隊長は自負している。
「に、したってな。動く的なんぞそうはないからなぁ」
 いままでは演習場に柵を設ける、藁で人形を形作る。水濠を飛び越えさせ、横から藁束を投げ飛ばしては回避させる。そんな訓練をしていたものだった。
 だが魔術師がいる。実に楽しげに彼らは藁の人形を操り、柵を移動させ、藁束はどこからともなく飛んでくる始末。それを突き刺したり回避したり、あるいは馬の肩で押しやったり。騎士たちは実戦めいた、それでも遊びとして歓声を上げて喜んでいた。
「子供だよなぁ」
 普段はこんなことでは同意しないベイコンまでもっともらしげにうなずいている。直後にワイルドに同意してしまった、と気づいては渋い顔をするのだけれど。その横でロレンスもまた訓練を眺めていた。
 少し、羨ましく思っている。本当ならば混ざりたいが、立場上出来かねる、というところ。できることならばワイルドとベイコンが混ざるところも見てみたかったのだが。
「おう、軟弱者めが」
 藁束を回避し損ねた騎士の一人が落馬する。せせら笑うのはそれが爪部隊の騎士だから。ワイルドは嘆かわしげに溜息をつき、首を振る。
「軟弱なんじゃねぇよ、判断が悪いんだ。あれはうちの担当じゃなくって牙に任せるべき場所だろうが」
 ワイルド率いる通称・爪部隊は正しくは突撃軽装騎兵隊と言うことからもわかるよう、騎士としては薄い鎧を身につけ、身軽に敵に突きこんで攪乱するのが役割だ。素早さこそが身上だと言える。一方、牙部隊は強襲重装騎兵隊の名のとおり、分厚い甲冑に身を鎧い、敵を圧殺しかねない勢いで殲滅するのが役目だ。爪部隊の鎧はほとんどの騎士が身震いするほど薄く、牙部隊の鎧はたいていの騎士が立ち上がれないほど重い。
「これほど役割が違うというのに連携できると言うのは大したものだな」
 一つの騎士団の中で色合いがこれほど違う部隊があると言うのはロレンスには不思議なことだった。騎士団、と言えばその名を聞くだけでどんな戦い方をするものか見当がつくほど一色に染まっているものだ。
「そりゃ、あんたのおかげだな」
 前を見たままのベイコンの呟き。ワイルドが忍び笑いを漏らした。
「ハム野郎が照れても気色悪いだけだぜ?」
「誰が照れているか! 黙れ蚊トンボ!」
「それで、私がなんだと?」
 すぐさま続いて行きそうなやり取りに介入するのももうロレンスは慣れたものだ。笑ってすれば二人の指揮官が少し眩しげな目をする。互いにそれと気づいては嫌な顔をしあいながら。
「あんたがいるから、俺らはうまい具合に張り合ってられる。とんでもないのが参謀にいるとまぁ……意味なく張り合ってよけいな被害を出したこともあったからな」
「あれは……大惨事だった。死人が出なかったのがせめてもだったな」
「以来、できるだけ話し合いはしてるがな。それでもうちのほうが強いってのは止められんし、止めていいもんでもない」
「若いのの上達の妨げになるからな。――だから、あんたがちゃんと調整役やっててくれてるってのは騎士団としてありがたいことだ、ロレンス」
 珍しく両隊長に真正面から褒められてロレンスは言葉を失くす。この上なく嬉しくて、一人の騎士として認められた気分だった。
「この前の不逞魔術師のアレ、まだ片付いてないらしいな、ワイルドよ」
「まぁな。俺はらしいってしか知らないけどな」
「どうでもいい、俺はそもそも興味がない。――まぁ、あれだ。片付いてさっぱりしたら一度三人で立ち合おうじゃないか。いや、副官連中もいれるか」
「どうせだったら勝ち抜き戦にして全員でやりゃいいだろうが。どうせ残るのは俺ら三人だ」
「言うもんだ、ワイルドよ」
「当然だろうが。腕がいいから上にいる。うちの騎士団じゃそういうもんだろ?」
 にやりと笑うワイルドにベイコンもまた笑い返す。ロレンスはその中に入れられていることを誇りに思う。最後に残る三人の中、ワイルドは自分の名も上げてくれた。それがくすぐったい気がしてならない。だからこそ、鍛錬はしようと思う。いつか来るその日のために、ワイルドに恥をかかせたくない。
「もう少し私も腕を上げたいと思うんだがな、中々思うように訓練ができないでいる。何か――」
 よい方法はないか。隣のワイルドをロレンスは見上げる形になった。そのせいかもしれない。演習場から視線がそれたのは。答えようとしたワイルドの眼差しが一瞬にして緊張する。
「おい――!」
 ベイコンが上げた声は後になって聞こえた。ワイルドの視界の端に映った何か光るもの。それしかわからない。それがロレンス目がけて飛んできたとしか。普段ならば剣を抜いて叩き落とす。だが左隣にロレンスがいた。抜く、構える、落とす、その時間がない。
「ワイルド!」
 ロレンスの悲鳴のような声。騎士たちを慮るのだろう、押し殺した小声が衝撃の深さを物語る。ロレンスを腕の中に抱え、ワイルドは光る何かに背をさらしていた。
 直後に、重い何かが背に当たる。殴りつけられたかの重さと、食い込む痛み。口の中に血の味がにじみ出る。
「馬鹿者が! 誰だ!」
 ベイコンが声を荒らげていた。腕の中、ロレンスが震えをこらえている。ワイルドは痛みを払おうと首を振り、そのときにはもう血の味もなくなっていた。
「装備品点検をした方がいいんじゃないですかね。槍の穂先が抜けたみたいですから」
 気楽に駆け寄ってきたエリナードの足音。大した傷ではないと語っているかのようでワイルドは逆に重いのだろうと思う。
「……ロレンス」
「おい、ワイルド! 私は……私は、大丈夫だ……でも……」
「うろたえるな。あんたは無傷だな? だったらいい」
「よくない!」
 覗き込んだロレンスの顔色はまるで彼が傷を負ったかのよう真っ白だった。紫めいた目がゆらゆらと揺れている。それにワイルドは無理をして微笑む。
「ったく。馬鹿者どもめ。参謀殿に怪我でもさせたらお前ら、ただで済むと思うなよ? うちの騎士団はロレンスでもってんだからな!」
 笑って立ち上がるワイルドに騎士たちのほっとした呼吸の音。その端で蒼白になっているのは穂先を飛ばしてしまった愚か者だろう。
「おい、ワイルド。あれはうちで預かる。お前はさっさと治療に行け」
「あいよ、頼むわ。――エリナード、この前いい薬があるって言ってたよな? くれ」
「了解、隊長。同行しますよ。とりあえず抜いちまいましょうかね」
「やめろ、エリナード!」
 ベイコンが止める間もなかった。いまだワイルドの背に刺さったままの穂先はエリナードの手によって抜かれる。全員が幻視した。その場で吹き出す大量の血を。だが。
「……なんだ、意外と軽傷だな?」
「俺を舐めるな、この程度は適当にそらすっての」
 呆然とするベイコンに言い返しては笑うワイルド。エリナードは何気なくワイルドの傍らにつく。それを咄嗟に引き離し、ロレンスがワイルドに肩を貸した。
「……おい」
「黙れ怪我人」
 睨み上げられて苦笑するワイルドを挟んで反対についたエリナードが似たような顔で苦笑している。それにもロレンスは一睨みをくれ、無言で騎士館へと足を進めた。
「脱げ。見せろ」
 私室に入るなり、ロレンスは言い放つ。腕まで組んで言わなくともいいだろうに。思うけれどワイルドは苦笑するだけ。
「あー、ロレンス閣下。とりあえず任せてもらえませんかね」
「君に治療の心得があると言うのか。君は魔術師であって――」
「治療師じゃないですし神官でもないですが、いまんところ隊長の血止めをしてるのは俺です」
「……なに?」
「俺は水系魔術師なんで、血液の流れを操るくらいはお手のものなんですが、止め続けて治すってわけにもいかないので、助力を仰ぎたいと思ってます。……任せて、もらえませんか?」
 ふ、とエリナードが笑みを浮かべた。自信のある笑顔ではなく見守るような優しげな笑み。ロレンスは言葉を失う。
「いいぜ、俺の体だ。お前に任せるよ。――やっぱり、けっこう深いか?」
「感覚では縫って済むようなもんでもなさそうですね」
 ぎこちなく脱ごうとするワイルドにロレンスは正気づく。手を貸せば少しばかり嫌な顔をされたが気に留めない。そして現れた傷に息を飲む。
「……ただの、事故なのか。これは」
「まずは治療が済んでからにしましょうよ、ロレンス閣下。大丈夫ですよ、ちゃんと治しますから」
 するりと伸びてきた手がロレンスのそれを挟んでいた。子供をなだめるよう、ぽんぽんと叩かれてロレンスは苦笑する。そこまで動揺もあらわだった己が恥ずかしい。
「あぁ、エリナード。大丈夫だ、私は。消毒はした方がいいな。酒はいるか」
「その辺はこっちでやりますよ。そうだ、痛み止めまでは手がまわらないんで、隊長の手でも握っててやってください」
「エリナード、馬鹿にするな! 俺は――」
「黙れ、ワイルド」
 睨みながらもロレンスに握られた手。ワイルドは傷の重さなどそっちのけになりそうだった。エリナードの意図とは違うのだろうが、結果として功を奏してはいる。
「縫いますよ」
 どこからともなく現れた針と糸でエリナードは傷を縫い合わせて行く。消毒された痛みも、縫われた痛みも感じない。ただ、手が温かかった。
「さて、と。ここからが本番、かな」
 針と糸を放り投げれば消えて行く。本物だったのかどうか疑わしいとロレンスの厳しい眼差しに気づきもしないでエリナードは呟く。
「何があっても、俺を妨げないでください、信用してください。ちょっと、大技なんで」
 微笑むエリナードに緊張の色。そのせいかもしれない、ロレンスはこくりとうなずいていた。




モドル   ススム   トップへ